そいつの開発者、俺なんだが   作:束田せんたっき

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橋本小百合はなぜ高城之男を殺さなかったのか

 サユリは一致省内に統制局が持つ特別保護区画で管理されることになった。特別保護区画といっても、実態は統制局にとって厄介な人間をまとめて隔離する留置所だ。

 

「高城之男へ一致せよ」

 

 翌日、真っ白な独房の中で、サユリが感情の抜け落ちた顔で敬礼した。再一致処理とやらの完了前には間に合った。しかし、完了していないことと、無傷で済んだことは同じではなかった。

 彼女を彼女たらしめていた何かは、すでに矯正局に壊されていたのだ。恭順しか言えぬ人形として。まるで、思考は罪だとでも言うように。

 

 歯を食いしばる俺を通り抜けて、七瀬がサユリの顔を無遠慮に覗き込んだ。目の前でひらひらと手を振っている。

 

「これじゃあ証言できないね。薬物反応があればまだ使えるかな」

「証言だの、使えるだの……七瀬、お前は人間を利用価値でしか測れないのか?」

「そうだよ」

 

 無機質な声で七瀬が言った。俺の方を見ずに、とうとうと続ける。

 

「高城之男に接近するという無上の価値に寄与できるかどうか。それがこの世界のすべてさ。利用価値のない人間は生きるに値しない」

「おいお前!」

「キミはいつからそんな正義漢になったんだい? 自分のことしか見えてないくせに」

 

 七瀬は見透かしたような目で俺を見上げると、自嘲するように薄く笑って、隣を通り抜けた。

 

「ボクと同じか……」

 

 鉄扉の閉まる音がした。俺はサユリの手を動かして敬礼をやめさせた。

 

「もうそんなことするのはやめろ。する必要は……なくはないけど、他に誰もいないときはやめろ」

 

 ぼんやりとサユリは俺を見た。その瞳に映っているのは、平野平人か、高城之男か。

 

 その日から、俺は仕事を終えるとサユリの所に通うのが日課になった。別に突然、責任感に目覚めたとか、そういうわけじゃない。ただ、俺の前世の名前に縛られている彼女が見ていられなかっただけだ。

 

 何を話しかけても、返ってくるのは同じ言葉だった。俺が持ってきたプリンも、古い雑誌も、彼女の目には映っていないようだった。

 

 俺は、サユリについての一致省の資料を取り寄せた。彼女の過去を知れば、何か元に戻す手がかりが手に入るかもしれないと思ったからだ。

 

対象者:53-C-288-C321/橋本小百合

押収創作文書:『つぶあんの一撃』

担当矯正官備考:危険思想文書。高城之男暗殺描写、反一致的嗜好あり。文学的自己陶酔が強く、矯正優先度高。

 

 なんだこれ? タイトルと内容の乖離がひどすぎる。流石に興味を惹かれたので、添付されている小説の冒頭を読んだ。

 

『つぶあんの一撃 作:サユリ

 高城之男を殺す。デカバラは、パレードの中を歩いていた。歓呼が満ち溢れ、始祖のかんばせを模した旗がはためく。血で編まれたレッドカーペットを、闇の王冠を戴いたリムジンが滑っている。デカバラは群衆をかき分け、その最前列まで来た。演台に立った邪神が照明を浴びて光り輝いている。遠大な瞳、鼻筋の通った理知的な顔立ち。デカバラの心臓から、熱い血潮が指先まで迸った。撃つ前から、逸る銃は熱を帯びる。暗殺者は、この瞬間をすでに数えきれないほど思い描いていた。彼は何度も真祖に杭を突き立てていた。そして、今日、ついにそれが実現する。愛の祝砲を向けろ。復活と同時に撃ち落としてやれ。超然とした原型が、狭量な照準に入った。デカバラは引き金を引いた。

 ——福音が轟いた。

 過去のアダムの左胸が真っ赤に弾け、崩れ落ちた。有象無象の甲高い悲鳴が波紋のように広がる。それは太陽の墜落を告げる霹靂だ。デカバラは、蒼白な聖体に向けて、もう一度鉛の口づけをした。ああ(高城之男)よ! あなたも人間だったのですか! 三毒を贖い、原罪を滅した勲章が彼の頬を穢した。飽くことのない歓喜が胸中に湧きあがった。オレはプリンツィプだ。たった今、大戦争を引き起こしたのだ。ちっぽけな玩具を捨て、輪廻への道を引き返した。日蝕が来る。天使の軍勢が背後に迫っていた。デカバラの口内には、まだつぶあんの残り香があった。

 そこに突然、忍者が』

 

 いや、ナニコレ? なんか、ディストピアに潰されたかわいそうな少女だと思っていたやつが、覚悟ガンギマリ小説書いてたんだけど。俺のサユリ像が少し、いやかなり崩壊した。

 まずデカバラって誰だよ。あと、ここで切るな。忍者、忍者はどうなったんだ?

 

 俺は端末を閉じて、独房の中のサユリを見た。彼女は相変わらず、空っぽの目でこちらに敬礼していた。さっきまで紙の上で神を殺していた少女は、今では神の名前しか口にできない。

 

 サユリの隣の房には、かつて俺を嵌めようとした高城真打が収監されていた。やつは俺が現れる度にガラスを叩いて電流を流されていたが、ある時俺は気まぐれに発言を許可した。真打はガラス越しに開口一番こう言った。

 

「平野平人、落ちぶれた僕を毎日見て満足か?」

 

 俺はガラスを思いきり蹴った。ピンク色の囚人服を着た真打が肩を跳ねさせる。ひどく悪趣味な色だが、公的記録によると高城之男がもっとも忌避した色らしい。確かに前世の俺はピンクを着ていなかったが、別に嫌っていたわけではない。着ていないから嫌いとか解釈が極端すぎるだろ。

 

「ふざけんじゃねえ……!」

「フン、どうだか。ここ最近そこの狂人に通い詰めているが、底辺同士情でも湧いたか?」

「これは自己満足だ」

「せめて僕の部屋を移してくれないか? 口を開けば『一致せよ一致せよ』だ。もう聞き飽きた」

「お前の減らず口は聞き飽きた」

 

 真打の独房をミュートにした。真打が中で喚くが、しばらく無視していると静かになった。

 

 七瀬とはあれ以来、ぎこちない空気が続いていた。壬生は「女心とガラティアはわかりませんからなあ」と絶妙な慰め方をしてきた。俺と七瀬は壬生の想像するような関係ではないが、確かにその二つは今の俺にとって最大の謎だった。

 

 照井の表向きの処分は一週間の謹慎処分と減給だった。やらかした規模に比べて、かなり軽い処分だったが、裏で政治的な取引があったことは明白だった。

 統制局の備品はすべて新調され、七瀬のコーヒー豆も元々高級なものだったが、最上級のものに変わっていた。廊下ですれ違うと、これまでは一様に無視してきた矯正官が、自分たちから敬礼をするようになり、こちらの協力要請もほぼ全面的に通るようになった。有り体に言って、矯正局は統制局に屈服したかのように見えた。

 

 七瀬は影打の弱みを握れて、いつになく上機嫌だった。なぜそう言い切れるかというと、オフィスで彼女がスキップをしていたのをこの目で見たからだ。

 

 数日後、サユリの容態は日に日に上向いてきたような気がする。以前は「高城之男へ一致せよ」という定型文しか話せなかったが、「高城之男へ」「一致せよ」と分割して話すことができるようになったのだ。このことは希望だ。いつか、再び彼女は自分の言葉で話すことができるようになるかもしれない。そうしたら、是非ともあの小説の続きを拝読したいものだ。

 

 真打が恨めし気な目を毎回向けてくるので、もう一度ミュートを解除した。俺は何も、相手の発言権を奪って悦に入りたいのではない。喧嘩なら、相手に好き放題言わせてから叩き潰すのが性に合っている。

 

「なんだ真打。言いたいことがあるなら言ってみろ」

「……ここに来てから長いこと考えていたんだが、僕は何が高城之男に一致していなかったのだろうか」

「すべてだ」

 

 真打が泣きそうになり、目元を拭ってから言った。

 

「そうか、全部か」

「ああ、そして俺はそれで良いと思う」

「は? 一致がすべてだ。それ以外はゴミだろ」

「その考え方が一致していないと言っている。本物は一致なぞ望んでいない」

 

 初めて真打が正面から俺を見据えた。すべてを失った果ての澄んだ瞳孔。

 

「やけに詳しいんだな」

「本人からの受け売りだ」

「……平然と嘘をつくな、Fランクが」

 

 真打はこちらに背中を向け、薄いベッドに横たわった。

 

「寝る。もう話しかけてくるな」

 

 俺は黙って立ち去った。ほとほと自己中な野郎だ。

 

 エレベーターには先客がいた。神経質そうな眼鏡の男がじろりとこちらに視線を送った。矯正局の黒い制服。いや、一般の矯正官とは仕立てが違う。黒に近い灰色の詰め襟は皺ひとつなく、胸元の銀徽章だけが冷たく光っていた。

 小さく敬礼して、エレベーターに乗り込み、自分の部屋がある階を押す。微かな駆動音を除いて、エレベーター内に気まずい沈黙が流れる。

 

 その途中、統制局のオフィスがある75階でエレベーターが止まった。扉が開き、見覚えのある底意地の悪そうな顔が視界に入った。七瀬は目を丸くして俺と先客の男を見比べると、いつもの悪辣な笑みを浮かべて乗り込んできた。

 

「一致せよ。久しぶりだね、影打従兄さん。ショックで自由研究もできずに寝込んでいたのかと思ったよ」

「高城之男へ。君も相変わらず歪んでいるね。僕の庭で随分と楽しんだようじゃないか。七瀬」

 

 俺を挟んで火花を散らす二人。え? ということは、この眼鏡男が例の高城影打? やけにぬるっといたぞこいつ。矯正局長ならなんかもっとあるだろ、登場の仕方が。

 

 影打の冷ややかな視線が俺に突き刺さった。観察するように頭からつま先まで眺めまわされる。ガラティアの熱っぽくてねっとりしている目線とは対照的に、影打のは実験対象に向けるそれだ。凍えるほど冷たく、ドライ。

 

「ということは、君が例の異常個体D503かな」

 

 いきなり、七瀬が俺の腕を取って華奢な身体に押し付けた。なんだこいつ。俺はぬいぐるみか何かか。

 

「平野平人特務統制官と呼びたまえ」

「お前もたまに俺のことD503って呼ぶだろ」

「ボクは良いんだよ」

 

 言い合う俺たちを見て、影打は顎に手を当てた。

 

「なるほどなるほど、活躍は聞き及んでいるよ。何でも、我が矯正局から流出した試薬を回収してくれたとか」

 

 白々しく影打が言った。絶対お前らがわざと流して実験してただろ。俺が抗議の意思を込めて睨みつけるも、影打は涼しい顔だ。

 

「あんなの飲んでもどうにもならんと思いますがね」

「Alignment Enhancer、通称アライン。この新薬が完成すれば、タカギニアはまた一つ高城之男へ近づく。高城之男の再臨も近いよ」

 

 もうここにいるから、そういうしょうもない陰謀とか終わらせて良いよ。

 俺は厚手の外套越しでも伝わる高い体温から、なるべく意識を逸らしながら口を開いた。

 

「高城之男を再誕させてどうするんです? あんたの思い通りに動くとは限らないでしょう?」

 

 影打が眼鏡の位置を直した。光がレンズに反射する。

 

「矯正する。それが僕の仕事だ」

 

 七瀬が俺の左腕をぎゅっと握りしめた。微かに震えが伝わった。

 

「始祖さえも矯正するって言った?」

「仕様が運命を決める」

 

 影打が呟いた。七瀬が純白の本革で装丁された手帳を取り出して、神妙に口を開いた。

 

「『高城之男語録』第3章21節」

「矯正とは、運命に手を入れる行為だ。そして、神さえも運命からは逃れられない」

 

 なんかかっこつけているところ悪いけど、俺そんなこと言ってないぞ? というか、なんだそのふざけた語録集は。

 七瀬が挑発的に言った。

 

「第6章55節」

「過去に過剰適合する者は、未来に失敗する」

「傲慢なキミにピッタリの言葉だ。肝に銘じたまえ」

 

 口の端を歪ませた影打が、即座に返した。

 

「第5章3節」

 

 七瀬も負けじと応戦する。

 

「第6章32節」

「第4章51節」

「第19章84節」

「第3章11節」

「第1章10節」

 

 本人が言ってない言葉でレスバするのやめてくれません? なんで二人とも「こいつやるな……!」みたいな顔してんの?

 もう帰りたい。ちょうど、俺の住んでいる階にエレベーターが止まる。

 

「じゃあ、俺はここで失礼します」

 

 そう言ってエレベーターを降りると、当然のように七瀬がしがみつきながらついてきた。影打がにこやかに口を開いた。

 

「婚約者と仲が良いのはいいことだけど、七瀬はまだ子供だからね。D503、分別のついた行動をよろしく頼むよ」

「むしろ俺が困……!?」

 

 左手がピクリと動いた。俺は即座に発言を修正する。

 

「はい、最高の許嫁です。大切にしますよ」

 

 エレベーターの扉が閉じていく。別の階に動いた瞬間、俺は七瀬の手を振り払った。

 

「なんでついてくんだよ!」

「ボクだって好きでこんなことしてないよ! でも、こうでもして見せつけておかないと、いつあいつが引きはがそうとしてくるかわからないんだ! だから――!」

「俺をお前らのいざこざに巻き込むんじゃねえ!」

「キミはこれくらいしか役に立てないんだから、黙ってボクに従っていればいいんだよ!」

 

 七瀬の絶叫を聞いて、俺は頭が冷えた。その言葉は、俺がガラティアに対して思っていたことと、ほとんど同じだった。

 静かに俺はソファーに歩いていき、腰を下ろした。七瀬は肩で息をしていたが、わざとらしく咳ばらいをした。

 

「今のは少し言い過ぎた。キミの価値はこれだけじゃない。キミはボクの業務になくてはならない存在だ」

「ああそうですかい、統制局長様。俺の有用性がわかったならさっさと帰ってくれ」

 

 七瀬は外套の襟元から覗く黒いネクタイをいじりながら、顔を背けた。

 

「万が一、この後すぐにまた影打に出くわしたら、さっきのが演技だとバレちゃうだろ。もう少しここに置いてくれよ」

「好きにしろ」

 

 控えめに、七瀬がソファーの端に座った。俺の座っているところから距離はある。しかし、身じろぎを感じるには十分な距離だった。

 何をするでもなく、静かな時間が過ぎていく。聞こえるのは、時計の針の音だけだ。さっきまでは気まずく感じていたのに、今はその静けさが心地よかった。

 

「……もしかして、怒ってるのかい?」

 

 七瀬がぽつりと呟いた。その声音からは、年相応の不安が感じられた。

 

「怒っちゃいねえよ」

「じゃあなんで黙っているのさ」

「たまには静かなのも悪くねえなって思っただけだ」

 

 ソファーの上で七瀬が体育座りをした。膝に顔を埋めた七瀬が、わずかにこちらを見上げる。弱々しく細められた目と視線が合った瞬間、ふいに俺の心臓が跳ねた。

 しばらく、視線が絡み合ったまま動かなかった。彼女が上ずった声で言った。

 

「ここ最近、キミが誰なのかわからなくなってきたよ」

「奇遇だな。俺もだ」

「茶化すのはよしてくれ」

「んなこたァ今はする価値がねえな」

 

 こんな性悪女に気を遣うなんて、俺もどうかしてる。ソファーの背もたれに深く身を預け、目を閉じた。隣で七瀬が動く気配がした。

 

「七瀬、お前は俺に少し似ているよ」

「それはどういうことだい……?」

「臆病なんだよ。だから支配しようとする。茶化す。自分が傷つくのが怖いんだ」

「バカにしてるのかい?」

「全然。逆に、ちょっと尊敬してんだぜ。お前は少なくとも立ち向かおうとしている。俺にはできなかったことだ」

「ふうん」

 

 俺の近くのソファーが沈み込んだ。どちらも何も言わない。規則的な息が聞こえるだけだ。俺はそのリズムに身を委ねながら、徐々に意識を落としていった。

 

 

 

 目覚めると、七瀬はもういなくなっていた。変わったことといえば、テーブルの上に一致ソーダが置いてあったくらいだ。俺が前飲んでいたのを見て、これが好きだと勘違いしたのだろうか。

 

 ラベルに印刷された七瀬が、不遜な笑顔で敬礼している。俺はそれをしばらく眺めて、キャップを開けた。

 

「やっぱり不味いな、これ」

 

 俺たちの関係なんて、こんなもんかもしれない。歯磨き粉みたいな味を飲み下した後で、ほのかにコーヒーの匂いだけが残った気がした。

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