厳つい顔の老人は、印象に反して柔和に微笑んだ。
「僕は
は? え? マジで困惑なんだが。背反で処刑されるかと思ったら、いきなりタカギニアの頂点に引き合わされて、なんかご先祖様扱いされ始めたんだけど。絶対これ認めたら面倒なことになるだろ。
「いやだなあ、からかわないでくださいよ大兄様。俺は管理番号11-F-283-D503で特務統制官の平野平人ですよ」
大兄が瞠目し、ゆっくりと大きく息を吐いた。
「……なるほど、長いこと我々が見落としていたのも無理はない」
「どういうことですか?」
七瀬が隣で頭を抑えながら、口を開いた。
「高城家の一門がボクと言っているのは、始祖がそう言っていたという記録があったからだ。ところが、キミは自分のことを俺と呼んでいる。ボクたちのこれまでの涙ぐましい努力は、たった今粉砕されたというわけさ」
「お前のボクってただ痛いやつだからってわけじゃなかったんだな。いや、だとしても何でお前らだけ僕なんだよ。みんなに強制させるのがタカギニアだろ」
影打が乾いた視線を送ってきた。
「真の一致とは平等に与えられるものではない。選ばれた者だけに許されるものだ。それが統治を円滑にし、我らの理想を守る」
七瀬がちょいちょいと俺の袖を引っ張った。
「ねえねえ、じゃあこれからボクはオレに変えた方が良いのかな? オレ、高城七瀬! これからよろしくな!」
「お前はボクで良いよ。慣れたから」
「ふふふ、そうかい」
大兄が黒檀の机の上で手を組んだ。
「猊下、僕たちにはあなたを高城家にお迎えするご用意、いえ、義務があります」
「ちょっと待ってください! 俺、ゴミカス底辺のFランクですよ! そんなクズが高城之男とかおかしいでしょう!?」
大兄が不意に、改まった口調で言った。
「……すべてのモデルは間違っている。ただし、役に立つものもある」
「それは『高城之男語録』ですか?」
言ってないけどな。
「ええ、第9章22節です。元はジョージ・ボックスの言葉ですが、フォードもフロイトも同じようなものでしょう? 猊下は一致度について少し思い違いをしておられるようですね。一致度とは、確かに高城之男にどれほど接近しているかを測る指標です。しかし、そのモデルが根本的に間違っていたとすれば、その値は何の意味も成さないのですよ」
つまり、こいつらの信じていた高城之男と、本物の高城之男、つまり俺があまりにも違いすぎた結果が俺のFランク落ちということらしい。いや、マジでふざけんなよ。
「じゃあ俺が高城之男だと言える証拠はあるのかよ証拠は!?」
「いくらでも出せますよ。ガラティアの異常な反応、あなたの強大な権限、桁外れの高城因子、時折口にする猊下が生きていた時代の流行語。すべてがあなたを高城之男だと証明している」
「でも、俺は高城家の血縁じゃないパンピーですよ? そんなのがユキオ・タカギだったら困るのはそっちでは?」
「付け加えておきますと、猊下は僕の孫にあたります」
「は?」
端末を手にした影打が淡々と読み上げた。
「猊下の母は、大兄様の娘だ。Dランクの男と駆け落ちしたため、すでに両名とも執行されている。その子供は長らく行方不明だったが、養父の平野平政に預けられていたことが判明した」
実感はなかった。両親についての記憶はないのだから。しかし、身内も平然と切り捨てるこいつらの価値観が理解できなかった。
終わった。大兄は丁寧に俺の逃げ道をすべて潰してきた。というかこいつら、俺の親戚だったのかよ。がっくりと項垂れる俺の肩に、七瀬が手を置いた。
「猊下、もう認めちゃいなよ」
いや、待て。大兄の娘が俺の母親で、七瀬も大兄の娘なら、七瀬は俺の叔母になるのか。
「七瀬叔母ちゃん、その呼び方やめてね」
「二度とそう呼べなくしてあげようか?」
ああ、もうどうでもいい。正体を隠すのも疲れた。かくなる上は、俺を呼び出したことを後悔させてやる。
> ./deploy_furniture --target Alignment_Minister_Room --type sofa --size oversized
> Existing_Seating_Hierarchy... [IGNORED]
> Sofa_Unit... [DEPLOYED]
俺は管理者権限を起動し、大兄が座っているものより遙かにデカい牛革のソファーを召喚した。
天井から降臨したソファーの上に俺は立ち上がった。七瀬が口の端を引きつらせ、影打が微かに目を見張った。大兄は穏やかな笑みを崩さず、口を開いた。
「猊下、それはいかなる趣向ですかな?」
「ふ、ふふふふふ……」
俺は一頻り空虚な笑みを零した後、天を仰いで叫んだ。
「そうだよ! 俺が! 俺こそが! てめえらのアイドル! 高城之男だよ!」
水を打ったような静けさが長官室を包んだ。数秒後、かすかにこめかみを痙攣させた七瀬が言った。
「……きゅ、急に認めたね。キミ」
俺はどっかりとソファーに腰を下ろすと、不出来な子孫どもに順番に指を突きつけた。
「お前ら、そこに直れ」
「ええ……?」
「早くしろ! 正座だ正座! 今からご先祖様が直々に説教してやる!」
偉そうなジジイと陰険眼鏡とクソガキが、困惑しながら目の前のカーペットに正座した。
俺は詰め襟を着崩し、ソファーの上であぐらをかいた。さて、と。
「おいお前ら、統治すんの下手くそかよ! なんじゃこのディストピアは! 一般人の気持ち考えたことあんのか!? アアン!?」
正座したまま、大兄が沈痛な表情を浮かべた。
「ええ、猊下のご懸念については、僕も胸を痛めております。しかし、これこそが秩序を保つ最良の道なのです」
「間違った情報で俺を猿まねすることがか? それとも、その猿まねができなかった連中を弾圧することがか?」
「低一致者を出してしまうのは僕の不徳の致すところです。謝罪いたします」
「もっと謝るべきところがあるだろうが! ビッグブラザーでも気取ってんのかクソ野郎!」
大兄は堂々と背筋を伸ばしたまま、穏やかに微笑んだ。
「なかなか面白い喩えをされますね。無論、僕はビッグブラザーでも、世界統制官でも、《恩人》でも、二足歩行の豚でも、ギレアデの司令官でもありません」
「ディストピアのハッピーセットじゃねえか。いずれにせよ独裁者だろ」
「……少々言葉遊びが過ぎましたね。これではベイティー隊長だ」
いや誰だよ。引用の反省を引用でするな。
「要するに、僕は猊下の末裔として遺産を保全しているだけの老人ですよ」
「ちょっと待て、お前ら俺の子孫を名乗っちゃいるが、俺は子供を作らずに死んだはずだ。どういうことだ?」
大兄が顎を引いた。その目元に影が落ちる。
「……それをお尋ねしますか」
「そりゃあ気になるからな」
「僕らの第二世代、つまり猊下の子として扱われる世代は、猊下の遺伝子から生み出されたクローンでした」
「は?」
「したがって、我々は猊下の血を受け継いだ紛れもない子孫なのですよ」
いや、その理屈はおかしい。
つまり、真打も、こいつらも、俺のクローンの子孫だというわけか。ガラティア、流石にドン引きだぞこれは……。
「なんでそのことを隠しているんだよ」
大兄がゆっくりと口髭を撫でた。
「不都合な真実は、都合の良い神話で覆い隠すのに限るのです。高城之男は二人の子供を残したということになっています。まあ、この神話は駄作でしたね。人口を増やすためには、最低でも三人にしなければなりません」
「俺を再誕させるなら、なるべく正確な情報を流すべきだろ」
「プロールやデルタに期待しろと仰るのですか? それは僕らが代々担ってきた家業ですよ。そして、ついに事は成った」
後世において、俺に関する情報が錯綜しているのは当然だったのだ。断片的な真実、ガラティアの勘違い、現体制の支配を正当化するための欺瞞、誤読した大衆が広めた幻想、それらが複雑に絡み合い、超人・高城之男という偶像を結んでいたというわけだ。
現実逃避気味に、俺は管理者権限でオレンジジュースを呼び出した。即座に高城家のバカどもがメモを取り始める。俺は七瀬のメモ帳を取り上げた。
「おい、こんなことまでメモを取るな! くだらない!」
「あ、ああ。返してくれよ。大事なものなんだから」
笑顔の七瀬がメモ帳に手を伸ばすが、全く取り返そうという気概が感じられない。なんでちょっと嬉しそうなんだよ。
パラパラとメモ帳をめくると、そこには高城之男情報がびっしりと書きこまれていた。最近のメモには「高城之男は一致ソーダが好き」と丸っこい文字で書かれ、赤丸で囲まれていた。
「おい七瀬。いつから気づいていた?」
「ずっと疑ってはいたよ。でも、確信したのはこの間キミの部屋で話した時だ。本能にピーンと来たね。ああ、この人がボクのご先祖様で、運命の人なんだって」
図らずも、俺の言葉が決定打になっていたらしい。最悪だ。
七瀬が俺の隣に座り込み、足をぶらぶらさせた。
「それで証拠を集めている最中に、あんなわかりやすい旧時代のネタを披露してくれるんだから。記録局のアーカイブを照会したら一発だったよ。あまりにもあっさりと尻尾を出してくれて、ちょっと拍子抜けだったけどね。キミはああいうアニメが好きなのかい? 今度一緒に見ようよ」
「あれ全五十話だぞ」
「じゃあキミを主人公にして三話構成で作り直させよう」
「忙しい人向け『ディストピアはスマートフォンとともに』やめてね」
畜生、迂闊だった。どうせ誰もわからんだろと調子乗って旧時代ネタを乱発しすぎた。府馬教授の時点で自重しておけば良かった。まあ、もうバレちまったからやめるつもりはないけど。
俺はこの連中が明日からオレンジジュースをありがたがるのが癪だったので、飲み物を纏めて給仕させた。
> Beverage_01-04... [SERVED]
> Mixture_Compatibility... [FAILED]
> Sacred_Beverage_Candidate... [CONTAMINATED]
オレンジジュースのカップにウーロン茶とブドウジュースとコーヒーをぶちこんだ。勢いよく呷る。
「だっはっは! これでお前らが俺を真似するときにクソ不味いジュースを飲まなきゃいけない呪いをかけてやったぜ!」
「キミは子供か」
勝手に正座を解いた影打が同じ配合のゲテモノを作ると、涼しい顔で飲み始めた。
「良薬と矯正は、口に苦しだ」
「ドリンクバーで作るようなクソジュースを薬扱いするな」
七瀬が影打を睨みつけて、同じ物を作り始める。そんなところで対抗心を燃やすんじゃない。
渋い顔でクソジュースを飲む七瀬に、俺はソファーの上に寝そべりながら言った。
「そういえば七瀬、お前無理してコーヒー飲んでたよな」
「む、無理なんかしてないよ」
「いや、お前ブラック好きじゃないだろ。別に好きなだけ牛乳と砂糖ぶちこめばいいんだよ。たまに俺もそうするし。極端すぎるんだよお前らは」
コップをぎゅっと握った七瀬が、赤い顔で俯いた。そんなにそのジュース不味かったのか。
「おい、なんとか返事しろよ」
「ご、ごめんよ。でも、本人直々に言われちゃうと、やっぱりクるものがあるね……」
うわ気持ち悪。こんなのが俺の子孫とか信じられない。
書記長のようないかつい顔をした大兄は、満足げに頷いた。
「夫婦仲も良好のようですね。それでは、今すぐにでも挙式をしましょう」
どこがだよ。ただの厄介オタクだっただろこいつ。そういう枠はガラティアだけで十分なんだよ。というかガラティアすら要らねえ。
「待て待て待て。七瀬、14歳。俺、17歳。ケッコンデキナイネ」
「年齢なんて些細なことです。愛さえあればどうにでもなりましょう」
「七瀬はそれで納得しているのか?」
七瀬が俺の両肩を掴んで、飛び跳ねた。
「ボクはもう準備万端だよ。よろしくねダーリン。いや、之男さんと呼ぶべきかな」
「どっちもやめて」
俺はおもむろに立ち上がると、管理者権限を発動した。
> Mahjong_Table... [DEPLOYED]
長官室の真ん中に、雀卓がせり上がってくる。
「どうしても俺と七瀬を結婚させたいというのなら、麻雀で勝ってからにしてもらおうか」
俺が雀卓に着くと、高城家の連中もそれに倣った。大兄が和やかに言った。
「その勝負、受けて立ちましょう」
人生の墓場にぶち込まれるかどうか。俺の未来を賭けた一局が開戦した。
俺は無難に点数を稼ぎ、二位についたまま、勝負は南四局に突入した。一位は千点差で大兄。親は俺だ。上家には大兄、下家には七瀬、対面には影打が座っている。配牌は良好、六巡目で俺はテンパイした。俺の手はタンヤオのみ。安い。あまりにも安い。だが、ここで和了れば勝ちである。
そこへツモってきたのは中だった。俺の手には不要の牌だ。俺はその中に指を伸ばしかけて、一度立ち止まった。
今回、子孫どもの動きはかなり怪しい。大兄はさっきから立て続けに白と發をポンしてるし、影打は早々にツモ切りを決め込んでいるし、七瀬は一度も么九牌を捨てていない。妙に嫌な予感がした。普通に考えたら、降りるべき盤面だろう。
しかし、ここからがマグマなんです! 危険牌を切れない男は、どんな状況でも勝てないのだ!
俺が中を切った瞬間、三方から一斉に牌が倒れた。
「「「ロン!」」」
「え?」
「大三元!」
「四暗刻単騎!」
「国士無双!」
「ほあああああああ!」
なお、タカギニア式麻雀では三家和は全員和了扱いである。ふざけんな。三人から役満を浴びせられ、絶叫して椅子から転げ落ちる俺に対して、影打が冷ややかに言った。
「十二万八千点です。払えますか?」
「払えるわけないだろ! いい加減にしろ!」
七瀬は自分の左手薬指に指輪を嵌めると、俺の金属混じりの左手を掴み、薬指にもう一つの指輪をねじ込んできた。
「では、ボクと結婚を」
立ち上がった俺は、指輪を引き抜いて床に叩きつけ、後ずさった。
「拒否する! そもそも三対一とか卑怯だろ!」
「キミのおふざけに乗ってあげただけ感謝してほしいけどな」
「俺は絶対に結婚しないぞ! 絶対にだ!」
そもそも彼女すらできたことがないのだ。いきなり嫁とか勘弁してくれ。
俺の決意が固いことを見て取ると、大兄は無表情で静かに言った。
「その言葉は、本心ですか?」
「そうだよ!」
「……仕方ありません。拘束しなさい」
次の瞬間、俺のうなじに電撃が走った。最後に見えた光景は、一致省長官の川口が警棒を持っている姿だった。
「あなたも『高城』だ」