赤いルーのかかった米を口に運んだクラリスが、ジトッとした視線を送ってきた。
「これ、ハヤシライスでしょ」
廃病院の待合室で、二十人ほどが集まって晩飯を食っていた。俺はクラリスから目を逸らした。
「ビーフシチューだと思えばビーフシチューなんだよ。仕方がねえだろ。牛肉ちょっとしかなかったし、管理者権限使って取り寄せるわけにはいかねえんだから」
隣に座っている七瀬がスプーンをクラリスに向かって突きつけた。
「別に食べなくていいんだよ? キミが兄さんのご飯に不満ならそれで。ボクの取り分が増えるからね」
「そ、そんなこと言ってないわよ」
椅子が余っているにもかかわらず、空気椅子で皿を抱えているウィンストンに俺は言った。
「なんか人数少なくないか?」
「一カ所に固まると危険だからな。今は分散して生活し、何か問題があれば我々が介入する形を取っている」
「そうか……」
まあ、妥当な判断だ。しかし、こいつらのコミュニティがぶっ壊されたのを突きつけられたみたいで、少し胸が痛んだ。
ずっとどこかに籠もっていたジョンがやって来た。徹夜した人間特有の輝きを瞳に宿している。俺もよくガラティアを調整している時にああいう顔をしていた。
ハヤシライスを口の周りにつけたエリが言った。
「ジョンさん遅かったね。ハヤシライス食べる?」
「いただくっす。ウィンストン、話があるっす」
ウィンストンが空気椅子のままジョンににじり寄った。ケツワープか何かか?
「ついにアレが完成したのか!?」
俺はハヤシライスを掻き込んだ。
「おい佐藤英二、アレってなんだよ」
「なんか呼び方に悪意を感じるんすけど……これまで、ガラティアの深層領域に潜る装置――エンパシーシートを開発してたっす。それを使えば、メインサーバーの位置もわかるはずなんすけど……」
「すけど?」
「一つ問題が発生したっす。消費電力が大きすぎて、ここの設備じゃ起動できないことがわかったっす」
「ガラクタじゃねえか」
眉間に皺を寄せていたウィンストンが、カッと目を開いた。
「名案を思いついたぞ!」
クラリスがスプーンをくわえたまま言った。
「何よ?」
「高城之男パークから非常電源を盗もう!」
ウィンストン、お前反乱軍降りろ。
翌日、俺は人混みの中を歩いていた。遠目に、高城之男の顔が貼り付けられた観覧車が回っている。ユキオカードマンがモチーフのジェットコースターが、絶叫を乗せて走っている。高城之男風船を持った男の子が、高城之男お面を被った女の子とそこら辺を走り回っている。
園内放送で、陽気なメロディと共にふざけた歌詞が流れた。
『タカギニアどこだって♪ 高城がいて♪ 之男がいる♪ みんなそれぞれ一致する♪ 偉大なイデア♪』
これが、体験型高城之男崇拝アミューズメントパーク、高城之男パークである。
「もはや不敬だろ」
高城之男キャップを被った七瀬が、俺のジャージの袖を引いた。彼女が指を指す先には、高城之男ポップコーンの屋台がある。
「兄さん兄さん、ボクあれ食べたい」
「どれどれ……1200高城ポイント!? たっか!? いらねえだろあんなもん」
こういうところの食い物って客をバカにしてるのかってくらいぼったくり価格なんだよな。買ったところでその場限りの物が多いし、金の無駄だろう。
「兄さんとの思い出を形に残したいんだよ。ねえ、良いだろう?」
七瀬が甘えるように掴んだ俺の腕を振ってくる。ちょっと前まで首を絞めてきたやつと同一人物だと思えない。
「ぷらぷら振り回してくんなうざったい。しゃあねえから買ってやるよ」
「それでこそボクの兄さんだよ」
「甥にポップコーン奢らせる叔母がどこの世界にいるんだよ」
「ん? なんか言った?」
「ナンデモナイヨ」
ジャケットに手を突っ込んだクラリスが、こちらを睨みつけてきた。
「ちょっとあんたたち、遊びじゃないのよ?」
「なーに? おばさん。もしかして羨ましいの?」
「違う!」
俺はポップコーンの列に並びながら、遠くのベンチで『週刊一致時代』を読んでいる変装したウィンストンに視線を送った。
「なあ、せめてこの二人別々にしろよ。このメンツでテーマパークを回るとか苦痛でしかないんだが」
『高城七瀬は君の権限に必要だし、いざという時に前衛を張れるクラリスも欠かせない。良かったじゃないか平人、両手に花だぞ?』
一方は棘だらけのバラで、もう一方に至ってはひっついてくる食虫植物だけどな。
俺がいがみ合っている二人を死んだ目で眺めていると、同時に彼女たちが振り向いた。
「平人、あんた失礼なこと考えたでしょ」
「ひどいよ兄さん。こんなかわいい妹に向かって」
「急に団結するな。俺の内心の自由はどこにいった」
「何を言っているんだい? タカギニア憲法第11条で国民の基本的人権は停止されているんだよ?」
「終わった」
この国の法律が法律の体をなしていない。これを制定した野郎は何を考えてやがったんだ。
買ったポップコーンを愚妹に与えながら、俺はおもむろに立ち上がったウィンストンの背を追った。あの筋肉と田上、ついでに真打が裏で非常電源のパーツをこれから盗みに行く。その間、せいぜい俺たちは派手に暴れて警備の連中を引きつけていればいい。
田上が「良かったな平野。お前の得意分野だぞ」とかほざいてきた時ははっ倒してやろうかと思ったが、まあ隠密行動とかストレスが溜まるだけだから不満はない。
あの三バカが配置に就くまで、しばらく暇だ。待機時間とも言う。
三人で終わっている園内を散策していると、七瀬が俺の手を取って引っ張った。
「あれ乗ろうよ!」
ユキオカードマンジェットコースター。ちょうど気になっていたところだ。
「よし、乗るか」
「ちょっと平人」
「どうせしばらく暇だし良いだろ」
こめかみをクラリスがひくつかせた。
「フン、そんなにそいつと乗りたいなら乗ってくれば?」
「なんでそうなるんだよ」
「ほら、おばさんもこう言ってるし早く乗ろ?」
七瀬に押されるまま、俺はジェットコースターの列に並んだ。運が良かったのか、すんなり乗り場まで通される。コースターはぶら下げられて乗るタイプだった。安全バーで身体が固定される。右腕は斜め下、左手は腹へ。強制高城式敬礼かよ。
ゆっくりとジェットコースターが動き始めた。どんどん高度が上がっていく。地上で一服している田上が見えた。おい、別働隊。
ニコチン中毒者を眺めている間に、ジェットコースターはレールの頂点に達していた。ガコンと止まったかと思えば、矢庭に高速で動き出した。右隣の七瀬が満面の笑顔で叫んだ。
「高城之男へ一致せよおおおおおお!」
「ギャアアアアアアアア!?」
俺はシンプルに絶叫した。身体全体を浮遊感が襲い、内臓が掻き回される。気持ち悪い。
その数分間はただただ苦痛だった。地上に着くと、俺はふらふらとベンチまで歩いていき、倒れ込んだ。あー、吐きそう。
少し黒髪の乱れた七瀬が俺の背を叩いた。その衝撃で胃酸が迫り上がってくる。
「楽しかったね。もう一回乗ろうよ」
「オデ、コレ、キライ」
「ちょっとだけ! ちょっとだけだから!」
「ジェットコースターにちょっともクソもあるかよ!」
「おーねーがーいー!」
俺は吐きそうな身体を揺すってくる七瀬の手を振り払った。
「揺らすな! リバースするぞ! これも高城家の伝統だと思って諦めろ!」
七瀬はため息をつくと、広場に立っているベレー帽を被った男の像を見上げた。台座には『タカギニア中興の祖』と書かれている。
「確かに高城
「誰だよ」
「高城家の第五代当主さ。一致維持法を制定したことで知られているね」
「暴君じゃねえか!」
「それを言うなら四代
七瀬がジト目を向けてくる。俺はあくびを手でさっと隠した。
「聞いてる聞いてる。七代目は女の当主だったんだな」
「そうだよ。ボクの七瀬って名前も、七代目の彼女にあやかって父さんがつけたんだ。じゃあ、ボク一人で行ってくるから」
俺のクローンの子孫、外れが多すぎるだろ。
下手くそなスキップをしてジェットコースターの列に向かう七瀬を見ていると、クラリスがこちらにペットボトルの水を差し出した。
「これでも飲んで落ち着きなさい」
キャップを開ける。冷たい水を飲んだら幾分マシになった。俺はチラチラと高城之男メリーゴーランドを盗み見ているクラリスに顔を向けた。
「この際だ。お前にも付き合ってやるよ。乗ろうぜ、あれ」
「あたしは良いわよ。子供じゃあるまいし」
「そう遠慮すんな。ほら行くぞ」
俺はクラリスの手を取ってメリーゴーランドまで歩いて行った。中では高城之男の像に導かれるようにして、サメや大蛇が回っていた。取り合わせが意味不明である。
「どれに乗りたい?」
クラリスは無言で立ち尽くしていた。深呼吸をすると、俺をまっすぐに見つめた。
「この間のあたし、本当に最低だった」
「今更蒸し返すなよ。もう過ぎたことだろ」
「このままじゃあたしが自分を許せないの」
クラリスは勢いよく頭を下げた。ポニーテールが肩に落ちた。
「本当にごめんなさい。全部あんたのせいにして、銃を向けたりなんかして」
俺は彼女の肩を押して頭を上げさせた。
「だーもうわかったから! やり直そうって言ったのはお前だろうが! ほら! どれに乗りたいんだ!」
クラリスは進み出ると、二人乗りの白馬に跨がった。マジかよこいつ。
唇を噛んだ彼女が、俺に手を差し出した。
「何突っ立ってんのよ。さっさと乗って」
俺は彼女の手を取って、その後ろに跨がった。徐々にメリーゴーランドが動き始めた。上下に白馬がゆったりと浮き沈みする。
「お前って結構メルヘンだったんだな」
「こういうのが好きで悪い?」
「いや、意外ってだけだ。癪だけど、白馬と金髪も様になってるしな」
「あっそ」
彼女の表情はこちらからはよく見えない。白馬がゆっくり沈んだ拍子に、その背中がこちら側へわずかにもたれかかってきた。銃油に混じって、仄かに石鹸の香りがした。え? は? え?
しばらく、馬の軋む音だけが続いた。クラリスがぽつりと口を開く。
「ゲーセンであたしのことを捕まえようとしたやつのこと、覚えてる?」
「ああ、照井だろ。矯正官の」
なんか色々因縁があった気がしたが、俺が戦ってる時でも構わずサンドイッチ食い続けていた印象しか残っていなかった。
「照井……」
噛みしめるようにクラリスが名前を口に出した。
「あいつ、テレンス……あたしの弟にそっくりだった」
「え? 見間違いじゃないか?」
「あの目はテレンスよ。間違いないわ」
よくよく思い出してみれば、照井も緑色の目だったかもしれない。それでも信じがたい話ではあるが。
クラリスが身じろぎをすると、彼女のジャケットの背が俺のジャージとこすれた。
「あの時、何も考えられなかった。てっきり死んでしまっていたと思ってたから」
「そりゃあビビるわな」
「だからあんたが助けに来てくれた時、本当に嬉しかった」
クラリスがわずかに首を上に傾けた。エメラルドの瞳と目が合った。
「改めて言うわ。平人、ありがとう」
「そ、そりゃどうも」
さっきから心臓がうるさい。俺は彼女の視線から逃げるように顔を背けた。
「弟はなんで矯正局なんかにいるんだろうな?」
「わからないけど、あいつの意志じゃないのは確かよ」
「そりゃまたどうして?」
「姉の勘よ」
サユリにされていた再一致処理とやらが関係しているのだろうか。あの陰険眼鏡なら洗脳くらいやりかねないな。
やがて、メリーゴーランドの周回が止まった。俺は先に降りて、クラリスに手を差し出した。
「まあ、できたら俺がどうにかしてやるよ。できたらな」
俺の座右の銘は「行けたら行く」だ。逃げ道は残しておくに限る。
「期待しないでおくわ」
「おい」
隣に着地したクラリスがこちらを一瞥し、優しく微笑んだ。
「だって、その方があんたにとって嬉しいでしょ?」
思考が止まった。彼女は、今なんて言った?
クラリスが俺のジャージについている埃を取った。
「だらしないわねえ。非常時は頼りになるけど、普段はダメダメね」
陽だまりのような笑顔。思えば、クラリスは俺の情けないところを一番安心して見せられる相手なのかもしれない。ガラティアは肯定する。七瀬は傷を舐めあう。でも、クラリスは叱ってくれる。
金のポニーテールの向こうに、悪辣な笑みが見えた。
「に・い・さ・ん……?」
ベンチに座った七瀬が貧乏ゆすりをしながら、こちらを睨みつけている。俺は慌てて彼女の元へ歩いた。
「悪い七瀬、遅くなった」
「本当だよ。お詫びとして、ボクに洋服の一つでも買いたまえ」
七瀬がパステルカラーで塗りたくられた土産物屋を指さした。俺は脳裏に焼き付いたあの笑顔から目を逸らしたくて、その悪趣味な店に入っていった。