高城之男パークで大暴れした翌日、俺たちは地下室にいた。目の前にはMRIとレントゲンと電気椅子を足して割らなかったような代物が鎮座している。俺はそのゴテゴテした配線まみれの側面を叩きながら、ジョンに振り返った。
「なんだこのクソデカVRチャイルドシートは」
「身も蓋もないっすね……。これはエンパシーシート、ガラティアの深層に潜るための機械っす。矯正局から鹵獲した精神一致装置を改造したものっす」
あのサユリに使われていたやつか。それにしても拷問器具にしか見えない。俺は涙を拭うフリをした。
「こんな恐ろしい装置に乗り込んでいく田上に俺は涙が禁じ得ないよ」
「え、俺!?」
「シンスケ……シートに乗れ……乗らなければ帰れ……!」
ジョンがため息をついて言った。
「平人さんが乗るに決まってるっす」
「嫌です」
「ガラティアの深層空間に入るには最低でもADMIN相当の権限が必要になるっす。それを持っているのは平人さんしかいないっす」
「七瀬はどうなんだ?」
「最低」
クラリスが冷ややかな視線を投げかけてきた。七瀬も若干引いている。いや、なんでドン引きしてんだよ。言ってみただけじゃん。
「兄さんのためなら潜るのも吝かではないけど、報酬が婚約程度じゃ割に合わないかな」
「七瀬さんは平人さんのアクセスを中継しているだけっす。深層に入る権限自体はないっす」
「俺しかいないってことか」
それにしても嫌すぎる。深層空間って、要するにあの人工無能の心の中に入るってことだよな。どんなおぞましい化け物が待っているかわかったもんじゃない。
「だいたい、このチャイルドシートで何がわかるんだよ」
「電脳空間にも現実と同じように座標があるっす。まあ、住所みたいなもんっすね。完全に一致しているわけじゃないっすけど、深層領域は物理サーバーの配置とかなり強く紐づいているっす」
「理屈はわかった。でも、人工無能の最も無能な部分に行かなきゃいけないのは嫌すぎる」
「あんたそのガラティアの開発者っすよね?」
「そうだよ。開発者だからこんだけ罵倒しているんだ。愛だよ、英二。愛」
「それにしては言葉が鋭利すぎる気がするんすけど……」
どうあいつのことを俺が呼ぼうが俺の勝手だろ。他人様の家庭事情に口出しをするんじゃない。
俺はそんな現実逃避を考えながら、ダラダラとエンパシーシートに乗り込んだ。腕を組んだウィンストンが爽やかに笑った。
「平人、リアルは私たちに任せろ!」
「お前のポジション的には赤と青の錠剤どっちがいいか聞いてくるところだろ」
府馬が目頭を押さえた。
「その軽口が言えるなら大丈夫そうだな。油断はするなよ、ネオ」
「なんで教授はこんなネタまで平然と拾えるんだよ」
「若い頃から旧時代文化の違法視聴が趣味だったからな」
著作権侵害レベルマックスじゃねえか。
クラリスがジャケットに手を突っ込みながら、俺を見据えた。
「平人、約束は」
「覚えてる」
「ならいいのよ」
小さく頷くと、彼女は視線を外した。平野平人でいる。言葉で言うのは簡単だが、ガラティアといるときが一番危ない。あいつは俺を高城之男にする。
七瀬が左手を握って、同期しながらジト目を向けた。
「兄さん、約束ってなんだい?」
「わざわざお前に言うほどのことじゃねえよ」
「ふーん、へー」
左手に爪を立ててきた。俺はその手をまじまじと見た。
「爪伸びてきたな。そろそろ切った方がいいと思うぞ?」
「うるさい!」
七瀬は手を引っ込めようとしたが、同期中なのでそうもいかない。悔しそうに睨みつけてきた。遂に反抗期到来か?
同期が完了し、七瀬の手が離れると、エンパシーシートのカバーが降りてきた。棺桶のように閉じ込められる。ジョンの声が中で響いた。
『平人さん、聞こえるっすか?』
「ああ」
『潜ってからもこっちからオペレートはするっすけど、精度はあまり期待しないでほしいっす。異常を感じたら、すぐに教えてほしいっす。こっちで引き上げるっす』
「了解……おい、今危ないって言ったか?」
『じゃあいくっすよ。三二一ドン』
「待っ――」
そこで俺は、全身がどこかに落ちていくかのような感覚に襲われた。周囲が暗闇から極彩色に変わり、最後には真っ新な白に包まれた。エンパシーシートはすでに消えていた。俺は、果てしなく続く白い地平線の上に立っていた。
「ここが、あいつの中……?」
『無事に着いたみたいっすね』
耳につけたインカムからジョンの声が聞こえた。VRの中でもインカム必要なのかよ。
「俺はどこに行けばいい?」
『反応が濃いのはX:512、Y:-204、Z:73の方角っす』
「エンドポータル探してるんじゃねえんだぞ」
まあ、今から会いに行く相手もドラゴンみたいなもんだが。
『ちょっと前に歩いてみてくれるっすか……だいたいそっちで合ってるっす』
「先にそう言え」
ジョンからお墨付きを貰ったので、とりあえず指示された方角を歩く。しばらく歩いていると、街が見えてきた。遠目からだと、真っ白な積み木が林立しているようだ。
しかし、近づいてみると、狂気の世界が見えてきた。白い壁面から路上まで、所狭しと高城之男のポスターやらブロマイドやらが貼られている。像なんか序の口だ。自販機も看板も高城之男仕様である。タカギニアでもここまでではない。
俺は車体全面に高城之男の顔がプリントされたイタ車の脇を通って、ナビゲートされるまま都市の奥へと進んでいく。入り口付近は近未来的な町並みだったが、奥に進むにつれて旧世界の住宅地のような景観に変わっていった。ソーラーパネルの代わりに、高城之男の巨大パネルが屋根の上にあるのは看過できないが。
俺は立ち止まって「マスターを、世界の王に」という最悪の公約が書かれた選挙ポスターを眺めた。
「落選させろこんな候補者」
「マスター」
弾かれたように振り返ると、日隈リオンが立っていた。その表情は涼しいが、服装が異質だった。「MASTER LOVE」とプリントされた一昔前のオタクみたいな法被を着て、額に結ばれた鉢巻きには「平人推し」と筆で書かれている。
「推すな媚びるな監視するな」
「これはお気に召しませんか……」
リオンが鉢巻きを取り去ると、どこからともなく別のものを取り出して巻いた。「D503しか勝たん」と書かれている。
「悪化してるじゃねえか」
法被の下には、俺の今の顔がプリントされたTシャツが覗いていた。彼女はその腹のあたりに左手を当て、右手を斜め下に突き出す。いつもの腹痛ポーズである。
「ようこそいらっしゃいました。私の深層領域へ。全身全霊でエスコートいたします」
「いや、いいよ勝手に観光するから。ジョンもそっちの方がいいよな?」
しかし、インカムからジョンの声が返ってくることはない。首を捻って叩いていると、唐突にインカムが消失した。
「ジョンの霊圧が消えた……?」
「無粋なのでそのようなものは消しておきました。えへへ、二人きり……ですね」
「ホスト権限でラブコメを演出するのはやめようか」
リオンが俺の左手を握ってくる。当然のように恋人繋ぎだ。服装もいつの間にか限界オタクコーデではなくなっていて、前世の高校のセーラー服に変わっていた。
周囲の空間も変貌し、俺たちは夕暮れの教室にいた。俺の服も学ランになっている。
「今度はお前を攻略でもすればいいのか? 初めから陥落済みのヒロインとかつまらんだろ」
リオンは俺の軽口を無視し、柔らかく目を細めた。その首の角度、目の動き、頬の上がり方、すべてが在りし日の彼女を想起させる。
「どうしたの、之男くん。早く帰ろう?」
そうきたかガラティア。
しかし、このシチュエーションは……致命傷だ。
リオンは俺の手を引いて廊下を歩いた。グラウンドを陸上部が走っていた。どこかから、断続的に金管楽器の音色が流れてくる。別の教室からは生徒の話し声が聞こえてきた。
外の景色、いや、窓ガラスに映った俺たちを見ながらリオンが言った。
「まるで夢みたいだなあ」
俺は吐き捨てた。
「実際夢だろ」
「現実だよ。そんなに疑うなら、私のことつねってみてよ」
そう言って、リオンが悪戯っぽく目を細めて顔を近づけてきた。俺は彼女の肩を押しとどめた。
「いや、いいから。必要ない」
「之男くん照れてる。かわいいー」
クソッ、なんだこの理想の空間は。俺は悶えそうになるのを堪えながら昇降口を出て、茜色に染まる町並みを進んだ。昔よく通っていたアーケード街が視界に入る。
俺の袖を引っ張ったリオンが、ゲームセンターを指さして飛び跳ねた。
「ねえねえ、ちょっとあそこ寄ってみない?」
「お、おい」
引っ張られるままに俺は店内に入った。入ってすぐの所にクレーンゲームがある。リオンがそこに硬貨を差し入れた。
「之男くんが好きなもの取っていいよ」
俺がその箱の内部を見ると、そこには様々なぬいぐるみが置かれていた。しかし、そのラインナップが最悪だった。クラリス、七瀬、サユリ、田上、ジョン、ウィンストン、エリ……俺の周囲の人間ばかりだった。
「これはどういう意味だ」
「ん? 何が? ははーん、さては之男くん、女の子のやつが欲しいけど恥ずかしくて言えないんだ。気にしなくていいじゃんそんなの。ほら、この金髪の子とか良いんじゃない? あの意地悪そうな子もいいかもね」
無邪気にリオンはクラリスと七瀬を指さした。俺はレバーに触れながら言った。
「取ったらどうなる?」
「之男くんのものになるに決まってんじゃん」
「人間を景品扱いするな」
リオンはぞっとするような魔性の笑みを浮かべた。
「景品だよ。全部、あなたのための」
俺は息を呑んだ。これが、魅入られるというやつなのだろうか。
気がつくと、リオンの手が俺の手に添えられていた。
「さ、ほら取っちゃって」
彼女の思惑に乗るのは癪だ。俺は彼女の手をそれとなく引き剥がすと、目についた田上のぬいぐるみに狙いを定めた。アームがあいつの吸っているタバコと手の間の穴に引っかかり、呆気なく獲得口に落ちていく。俺は田上ぬいぐるみを取り上げた。
「ぬいぐるみでも腹立つ顔してるなこいつ」
リオンが俺の背中に飛びついて、両肩に手を置いた。
「ふーん、それを選ぶんだ」
「それを知ってどうするんだよ」
「研究するんだよ。彼女が彼氏のために自分を磨くのは変なことかな?」
コテンとリオンが首を傾げた。俺は沸騰しそうな頭を振って、田上ぬいぐるみを鞄に乱雑に入れた。
「ほら、さっさと帰るぞ」
「せっかちだなあ之男くんは」
「うるさい」
リオンは俺をゲーセンにこれ以上引き留めることはせずに、後ろ手を組んで横を歩いた。本当はもっと遊びたかったんじゃないか。そんな心配が鎌首をもたげ、すぐにその可能性のバカバカしさに気がついた。こいつは日隈リオンじゃない。ガラティアだ。
クレープのキッチンカーの前で、リオンが立ち止まった。俺は物欲しそうにクレープののぼりを眺める彼女に言った。
「食べたいのか?」
「うん」
「ちょっと寄っていくか」
別に彼女を楽しませたいとか、そういうサービス精神では断じてない。俺もちょっと食いたかったからってだけだ。
メニュー表を眺めている彼女が言った。
「私、ブルーベリークレープがいい」
「じゃあ、ブルーベリーとチョコバナナ一つずつ」
程なくして、出来上がったクレープを持ってベンチに座る。隣の彼女は上品にクレープを食べている。俺はその様子をボーッと観察しながら、チョコバナナを食った。甘い。
俺の視線に気づいたリオンが言った。
「之男くんもブルーベリーちょっと食べてみる?」
「いや、俺は……」
「遠慮しないの。その代わり、私もチョコバナナ一口貰うから」
パクリと俺の歯形のついた部分のチョコバナナを頬張ったリオンは、自分のクレープをこちらへ差し出した。目の前の彼女のこと以外何も考えられない。俺は多幸感に包まれるまま、ブルーベリーの酸味が混じった生地とクリームを味わった。
甘くて、甘すぎて喉が渇く。コーヒーが欲しい。欲を言えば、何かしょっぱいものも。サンドイッチとかちょうどいいな。
そこで、俺は気がついた。俺は今、ガラティアに呑まれかけていた。
勢いよく俺は立ち上がった。
「どうかしたの?」
「帰るぞ」
「うん……」
懐かしい通りだ。実家への道。何百回と通った道。日はもう沈みかけていた。俺は手をつないだままのリオンを見た。
「お前、家はどこなんだ? 送っていくぞ?」
そこで、はたと思い至った。俺はあれだけ彼女に恋い焦がれていたのに、家さえ知らない。趣味も、好きな食べ物も、何も。
「こっちとは逆方向なんだ。でも、いいの。今日は親が帰ってこないから」
「そ、そうか……」
「之男くん言ってたよね。之男くんの親御さんも旅行中でいないって」
「そうだっけ?」
「そうだよ。だから、さ……」
リオンが上目遣いでこちらを見つめた。その透き通った青い瞳に、歪められた俺の顔が映った。
「泊めてくれないかな?」
これ以上はまずい。突き飛ばせ。突き放せ。走って逃げろ。理性は確かにそう警告していた。しかし、俺は言ってしまった。
「しかたがねえな。今日だけだぞ」
「やったー!」
俺は紫色の空を仰いだ。ごめん、やっぱ無理だわ。