そいつの開発者、俺なんだが   作:束田せんたっき

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第四章 掌中
Er ist wieder da


 俺は今、人生最大の危機を迎えていた。

 

 廃病院の中庭に、温かな日差しが差している。すぐそこを黄色い蝶が飛んでいる。レジャーシートに座っている俺の右隣で、緑色のジャケットを着た美女が、沈痛な顔でこちらにサンドイッチを差し出した。

 

「これは前あんたが褒めてくれたレタスサンド。食べてみて」

 

 それを受け取ってゆっくりと咀嚼する俺を、クラリスが優しい眼差しで見つめていた。俺が飲み込むのを待って、口を開いた。

 

「どう? 美味しい?」

 

 コクリと頷くと、儚げに笑った。

 

「良かった」

 

 なぜクラリスがこんなに俺に優しくしてくれるのか、それは俺がガラティアの深層領域から帰ってきた時に遡る。端的に言って、俺は初動を失敗した。

 

 確かに俺はガラティアの記憶に呑まれて自我を失っていたし、実際最初の数時間くらいは何もかも忘れていた。ただ、ガラティアの思考体系は俺の書いたコードを基にしている。それに、第一彼女は四六時中俺のことしか考えていない。一眠りして起きたら、なんか良い感じに記憶が整理されたのか、すべてを思い出したのだ。いや、思い出してしまったと言うべきか。今の俺の脳内には、高城之男と平野平人の人生に加えて、ガラティアの感情がこびりついて離れない。寂しさも、愛おしさも、憎たらしさも、全部。

 

 しかし、周囲からは記憶喪失だと確定されており、なかなか言い出せずに一日が経とうとしていた。

 

 というか、世界滅亡の原因ガラティアだったんだけど。世界救うどころか一旦リセットしてた。とんだマッチポンプじゃねえか。おまけに、生まれてからずっと監視されていたみたいだし、どこからが俺の選択で、どこからがあいつの誘導なのかわかったもんじゃない。人生の意味がすべてあいつに回収されたみたいで、そのことがひどく背筋を凍らせた。

 

 彼女の所業は最初から最後まで邪悪たっぷりだった。最悪のトッポかよ。俺はとりあえず、この重すぎる製造物責任について考えることを保留にした。流石にこれは俺の手に余る。俺は目の前の女に声をかけた。

 

「なんでこんなに良くしてくれるんだよ」

 

 クラリスがヒラヒラと舞う蝶を眺めた。

 

「あんたとはね、大切な約束があったのよ。覚えてないと思うけど」

 

 覚えてます。

 

「そうだったのか」

「あんたはあたしに平人でいることを約束して、それを守り抜いた。だけど、あたし思ったんだ。あたしは平人の何を知っているんだろうって」

「少なくとも今の俺よりは知っているだろ」

「全然足りない。好きな服も、好みの場所も、何も知らなかった。でも、知る前にいなくなっちゃった」

 

 金のまつげを伏せたクラリスが、寂しげに目を細めた。

 

「知りたかったなあ……」

「これから知っていけばいいだろ」

 

 柔らかな石鹸の匂いがする。俺の耳元に口を寄せたクラリスが、小声で囁いた。

 

「じゃあ、何か思い出したら、あたしだけには教えてね?」

 

 俺は全力で首を縦に振った。そうだな。『今後』思い出したことは、真っ先にクラリスに報告しよう。そうしよう。

 

 彼女に連れられて病室に戻ると、クラリスは仕事があると言って去っていった。本来、彼女は忙しいのだ。その合間を縫って俺に会いに来てくれている。そのことが、背徳感を増幅させていた。

 

 でも、こいつリオンの子孫なんだよなあ。俺は本当に彼女自身を見られているのか? それとも日隈リオンの代わりにしているだけ? もうわからなくなってきた。

 

 原稿用紙を持ったサユリと真打が病室にやって来た。俺のベッドの傍らに座ると、サユリが紙束を突き出した。

 

「読ませてくれるのか?」

「一致」

 

 さらっと目を通すと、普通の日本語で書かれていた。

 

「サユリ、お前文字なら大丈夫なのか?」

「せよ」

 

 真打が壁に寄りかかって、偉そうに顎を上げた。

 

「僕がサユリの意を汲んで筆記した。彼女はまだ自由に言葉を操れない。一単語でも気に食わないと、目潰ししようとしてくるがな」

「せよ高城之男へ……! せよ之男一致……!」

「なんて?」

 

 やれやれと真打が肩をすくめた。

 

「サユリには野望がある。一つは、高城之男の暗殺。一つは、向こう千年は読まれる偉大な文学の完成。前者は貴様の記憶が失われて永久に果たせなくなってしまった。ゆえに、これからは後者を目指すということらしい」

「一致……!」

「合ってるんだ」

 

 それにしても、知れば知るほど頭のおかしい少女だ。将来設計が極端すぎる。酒でも飲みながら悪ふざけで決めたとしか思えない。

 サユリは俺に『こしあんの死』という新作を押し付けると、満足したのか真打を引き連れて立ち去った。どこまでもマイペースなやつだ。

 時間もあったので、冒頭に目を通した。

 

『こしあんの死 作:サユリ

 高城之男が死んだ。いや、死んでいない。神はまだ生きている。しかし、記憶のない肉人形を殺すことに、いったいいかなる価値があると言うのか。判然としない。デカバラは、終点に向かいながらその意味を考えていた。彼は神殺しを成し遂げ、殺り損なった。素材は囁く。御再来が撃たれた。愚物は漏らす。だが、一命を取り留めた。猊下の輝かしい脳漿を、確かに彼の鉛は貫いた。しかし、それだけだった。英雄は、伝説を三等の生と引き換えた。チンケな暗殺者の小口径なぞ、取るに足らないものであるとでも言うように。

 デカバラは、ポケットに入っている小さな冥府に触れた。透明のケースに入った白い錠剤が、軽率な音を立てた。その星屑は、パペットの蜘蛛糸を断つ剪刀だ。デカバラは、前歯の裏にこびりついたこしあんを舐めとって、独り言ちた。人間に運命はない。あるのは、プロット上の役割だけだ。その機能を果たすべき時節にのみ、脚光が降り注ぐ。ブルータスはカエサルを、ブースはリンカーンを殺すことで、その役目を完成させた。では、デカバラは? 彼は荊軻ですらない。その事実に耐えられないのなら、終幕を待たずして焼き切れろ。

 デカバラがその箱を開けたその時、百本の百合の花束を持った忍者が――』

 

 バタン! と大きな音がした。良いところだったのに。というか、百合で気づいたけどデカバラって小百合の反対じゃねえか。くだらねえ。

 

 原稿から顔を上げると、ピンク色のパーカーを身にまとった黒髪の少女が部屋に入ってきた。にやにやと、またえげつないことを考え付いたような表情だ。

 

「平人、調子はどうだい?」

「まあまあだ」

「そうかい」

 

 七瀬が俺のもたれているベッドの端にちょこんと座った。

 

「それじゃあ、今日もしようか」

「頼んだ」

 

 俺の左手に手を重ねながら、七瀬が語り掛けた。

 

「四年前、ボクが初めての測定に緊張して、隣のキミの家に駆けこんだ時があったんだ。キミは、震えるボクを抱きしめて、こう言ってくれた『大丈夫だ、七瀬。お前は俺の幼馴染。どんな結果になろうがそばに居る』ってね。あの時のキミはかっこよかったなあ」

 

 ほう、と白々しく七瀬がため息をついた。一日中、こいつは暇さえあれば俺に存在しない記憶を植え付けに来ていた。 餌付けのクラリス、カスの嘘の七瀬というわけだ。

 

 本当に俺が記憶喪失になっていたら、今頃七瀬は俺の幼馴染で従妹で親友である。現実の方がギリ濃いな。

 七瀬が両腕を広げた。

 

「じゃ、試しに再現してみよっか」

「それ、本当に思い出すのに必要なのか?」

「身体感覚というのは、存外バカにならないものだよ」

 

 その身体感覚が存在しないんだよ。しかし、今の俺はどれだけ捏造されようが、それを飲み込むしかない。ふざけやがって。

 諦めて彼女を抱きしめようとしたその時、病室の扉が勢いよく開いた。

 

「あ、言い忘れてたけど……て、何してんのよ」

 

 クラリスの笑みが消え去り、みるみるうちにしかめっ面になってしまった。俺が七瀬に手を伸ばした状態で固まっていると、自称幼馴染が胸に飛び込んできた。

 

「決まってるじゃないか、記憶を取り戻そうとしているんだよ」

「そんなことで戻るわけがないじゃない」

「だからって諦めるって言うのかい? そんなのあんまりだよ」

 

 七瀬が俺の首筋に顔を沈めた。悲劇のヒロインぶってるけど、こいつノリノリで人格誘導しようとしてるんだよなあ。

 クラリスが声を張り上げた。

 

「そんなこと言ってない! だいたい、あんた、平人に依存したいだけじゃないの?」

「ボクにはもうこの人しかいないんだ。キミなんか、何も知らないくせに理解者面して。そういう正義ぶってるところ、虫唾が走るね」

「散々人殺しに加担しておいて、どの口が……!」

 

 記憶喪失してるやつの前で喧嘩するなよ、マジで。

 

 俺が遠い目で諦めかけたその時、テレビを担いだ田上がウィンストンとジョンと一緒に駆け込んできた。画面には、タカギニア中央放送のニュース映像が流れている。まあこの国にテレビ局はこれしかないのだが。

 泡を食った田上が言った。

 

「おいお前ら見てみろ! とんでもないことになってるぞ!」

 

 画面では、ティラノサウルスに跨った男が天高く指を掲げていた。ナイターの強烈な光を浴び、背後にサメとバジリスクを従えている。

 

『高城之男、ここに復活!』

「俺じゃん」

「平人ね」

「兄さんだね」

 

 問題はこれではなかった。その映像につけられたテロップである。「祝! 高城之男猊下復活!」と赤文字がデカデカと載っている。ニュースキャスターが勇ましい声で言った。

 

『先日、高城之男パークにて、ついに高城之男猊下が300年ぶりの降臨を果たし遊ばされました! 猊下は高城之男伝説第41章「ティラノvsサメvsバジリスク」を完璧に再現され、その威光をタカギニア全土に轟かせることと相成りました!』

 

 ちょっと暴れすぎたかも……。

 俺が冷や汗を垂れ流す中、ニュースは一致省の記者会見に映っていた。大兄、川口、影打、そしてなぜか白い制帽を被った日隈リオンが画面に映っている。まず大兄が演壇に立った。アナウンサーが肩書を読み上げる。

 

『高城宗家第九代当主、タカギニア共和国副大統領、首相、国家一致主義保守労働党第一書記、十一人評議会議長、元帥、高城財閥総帥、労働組合総連合会顧問、最終裁判所特例大審問官、全国医師会常任理事、高城之男大学名誉教授(優生学)、高城賞審査委員長、タカギニア麻雀連盟会長、高城道八段、アンドロイド愛好会代表、猊下の今後を考える会主宰、高城大兄閣下の緊急発表です』

 

 緊急時に並べていい肩書の量じゃないだろ。あと勝手に俺の今後を考えるな。

 

 大兄が重々しく、渋い声で言った。

 

『ご存じの通り、猊下がご再来遊ばされました。つきましては、今後の対応について、日隈リオン統制局長代行より、指示がございます』

 

 大兄と入れ替わりに、リオンが凛々しい表情で述べた。新情報がまったくない。大兄ただ時間食っただけじゃねえか。

 

『高城之男猊下は同地で降臨なされた後、指定反一致分子結社「レネゲード」に拉致されました。現在、一致省は総力を挙げて猊下の行方を捜索しています。情報提供者には相応の謝礼をご用意しております。猊下の現在の名前は平野平人、管理番号は――』

 

 俺はベッドの上で立ち上がり、絶叫した。

 

「はああああああ!? あの人工無能なにしてくれちゃってんの!? これじゃあ国民全員が俺のストーカーになっちまうじゃねえか!」

 

 病室に沈黙が落ちる。俺は言った後に気付いた。やっべ、そういえば記憶喪失だったわ。

 七瀬が悪辣な笑みを浮かべた。

 

「兄さん? いつからだい?」

「それは、その……今朝とか?」

 

 クラリスの顔がくしゃりと歪んだ。怒鳴られると思った次の瞬間、クラリスが抱き着いてきた。俺はバランスを崩してベッドの上に倒れこんだ。

 

「良かった……! 平人ぉ……! あたし心配で……!」

「ご、ごめん」

 

 背中まで巻かれた手の圧力がどんどん強まっていく。俺は口の端を引きつらせて、腹の上のつむじを見た。

 

「クラリスさん……?」

 

 クラリスがこちらを睨みつけながら、唇を尖らせた。

 

「本当に心配したんだから」

「あだだだだ! 悪かった! 俺が悪かったから!」

「でも、良かった」

 

 俺から離れると、クラリスは乱暴に袖で顔を拭った。赤らんだ高い鼻、エメラルドのような瞳。少しだけ心臓が跳ねた。

 

 ……ガラティアが彼女は日隈リオンの子孫だと言っていた。それは本当なのだろうか? もし本当なら、この胸の高鳴りは彼女の幻影に過ぎないのだろうか? それじゃあ、俺は前世から何も変わっていない。酸っぱいブドウを近くの存在に押しつけているだけじゃないか。

 

 ぼんやりと見つめていると、二の腕を鋭い痛みが走った。

 

「散々心配をかけておいて、随分と呑気なんじゃないかい?」

 

 七瀬が爪で思いっきりつねってきた。俺は手首を掴んで引き離しながら叫んだ。

 

「お前もカスみたいな嘘吹き込んできただろ!」

「良いじゃないか少しくらい!」

「だいたい幼馴染の従妹の親友ってなんだよ! ありゃお前の願望か!?」

「そうだよ! 悪いかい!?」

 

 頬を赤く染めた七瀬が顔を背けた。その姿に俺は言葉が詰まる。室内に沈黙が落ちた。

 暗い喜びが腹の底から湧き上がった。こいつはもう俺との関係性でしか自分を定義することができない。兄さんなんて呼称も、とどのつまり彼女を支配していた高城之男という巨大な影を、俺個人に移し替えただけだ。それはひどく不健全で、だからこそ心地よかった。

 

 田上の咳払いが沈黙を破った。

 

「色ボケしてんじゃねえよ。これで俺たちは猊下拉致犯だ。どうするんだよ」

 

 ニット帽のジョンが、パークでヘリを打ち落とす俺の映像を見て頬を引きつらせた。

 

「ちょっと待ってほしいっす。ガラティア深層で平人さんは確かにガラティアに記憶を一致させられたはずなのに、どうして覚えているっす?」

「よくわからんが、寝て起きたら思い出した」

「悪の天才・高城之男はやっぱ規格外っすね……」

 

 なんだその二つ名は。どこからどうみても善の凡人だろ。

 腕組みをしたウィンストンが、重々しく口を開いた。

 

「まず確認しておきたいことがある。君はガラティアの深層で起きたことを、どこまで覚えている?」

「全部」

 

 がっくりとウィンストンが膝を折り、そのままスクワットに移行した。

 

「ぜ、全部か。それならわかるんじゃないか? このガラティアの行動の真意が」

 

 俺は顎に手を当てて考えた。ここに来てあの人工無能が強硬手段を取ってきた理由か……どう考えてもあれしかないな。

 

「俺があいつを振ったからだ」

「は?」

「なんかあいつが『すき』とか言ってきたけど、やってることカスすぎるから振ったんだよ」

「つ、つまり、ガラティアは失恋のショックで君の脳に過剰な負荷を与え、指名手配をしたということか?」

「概ねそうだ」

 

 ジョンが崩れ落ちた。

 

「主従揃って頭がおかしい……」

「ちょっと待て、ガラティアが狂ってるのは認めるが、なぜ俺までそうなるんだ」

「あんたは黙ってなさい」

 

 ポケットに手を突っ込んでいるクラリスが冷ややかに言った。黙ってたのは悪かったけどさあ……。

 片足の空気椅子から直りながら、ウィンストンが締めくくった。

 

「とにかく、ここは教授や司教も交えて今後の対応を話し合おう」

 

 来てるのかよ、司教。というか、俺が高城之男って判明したら相違教の教義ってどうなるんだ?

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