狭い客車じゃ分が悪い。俺たちは元の列車から装甲車両の屋根を伝って貨物車に飛び降りた。前方には西条と壬生の二人が警棒を構えている。
西条は、俺から数歩先に立ち止まると、感情の見えない視線を俺に向けた。
「D503、この先を直進した線路上では五人の反一致分子が、分岐した線路上では一人の反一致分子が奉仕業務に従事しています。さて、この列車がこのまま停止せずに進んだ場合、何人があなたのせいでひき殺されるでしょうか」
「五人に決まってんだろ」
「不正解です。あなたが乗り捨てた車両は、まだ複線ドリフトを続けています。装甲列車がどちらの線へ進もうとも、あの車両が直進側と分岐側の双方を巻き込み、六名全員が死にます」
トロッコ問題かと思ったら足し算だった。
壬生がへらへらと言った。
「猊下、ここは私の昇進、いえ国民の命のためにどうかお願いします」
「はい停車ボタンポチー」
俺が端末を操作しようとした瞬間、西条の鋭い蹴りが右手に突き刺さった。銀の板が宙を舞い、そのまま西条の手へと吸い込まれた。西条が光る板を軽く振る。
「交換条件です。投降しなさい。そうすればこの列車を止めて差し上げます」
「ふざけんじゃねえ! だいたい、秩序とか抜かしときながら人質取ってくるとか矛盾しているだろ!」
「最大多数の最大秩序ですよ。数人の反一致分子と引き換えに、高城之男を保護できるのなら十分に一致的です」
もうだめだこりゃ。クラリスが自分の端末を俺に突き出した。
「平人、あたしの端末使って!」
「いや、この規模じゃ専用のやつじゃないと多分無理だ」
「なんなのよもう!」
「ほんとだよ」
ウィンストンが俺の前に進み出た。その青い瞳が西条を捉えた。
「新、君に愛する人はいるか」
「……は?」
何やってんだよノンデリ筋肉。西条にまで恋バナを振るんじゃない。ちょっと気になるけど。
わずかに糸目を開いた西条は、取り繕うように咳払いをした。
「私が愛するのは秩序のみです」
「あくまで秩序、か。哀れだな。寄る辺がそれしかないというのは」
「どういう意味ですか?」
「歯車であることは楽だ。人間であることは苦しい。しかし、苦しみを捨てた人間には何も残らない。西条、君はその人生に価値があると本気で思っているのか?」
「挑発のつもりでしょうか。愛、人生、人間性、実に結構。私はそれが秩序に奉仕するのなら欣然として歓迎します。しかし、得てしてそれら『人間的』なものは、秩序を乱す大義名分として使われる。無秩序は伝染します。さながらカビの生えたオレンジのように。結果、私たちはかつて同胞だった人間を執行せざるを得ない。慙愧の念に堪えません。歯車であることも楽ではないのです」
西条は端末を壬生に投げて渡すと、腰に差していた二本目の警棒を装備した。
「管理番号03-B-255-G079、ウィンストン・ゴールドスタイン。あなたは秩序に従い、妻を執行した。そこまでは一致していた。しかし、あなたはその後、苦しみに耐えきれず無秩序へ逃げた」
ウィンストンも警棒を構えた。統制官の象徴である白銀のロッドを。
「そうだ。私は逃げた。だが、逃げて初めて、何を殺したのかわかった」
「ただの不具合ですよ。ガンもバグも、切除しなければ全体を蝕み、ついには取り返しがつかないことになってしまいます。あなたは妻という個人的な存在を執行したことを、少々大げさに捉えているようですね。見知らぬ反一致分子と妻、そこには何の違いも存在しません。あるのは、どれだけ
「西条ォ——!」
ウィンストンが咆哮しながら、西条に警棒を振り下ろした。西条が右の警棒でそれを受け、左を即座にウィンストンの横腹に叩きつけた。ウィンストンは苦痛に顔を歪めながら、左手でその警棒を掴むと、ねじ折った。西条は舌打ちをすると折れた警棒を投げ捨てる。
激しい打ち合いが続いた。電撃が空気を焼く音が響く。その音はまるで、アブの羽ばたきのようだった。西条が突然、フォースの導きとか言い出してもおかしくない迫力だった。
両者の距離は近く、クラリスも七瀬も撃てないようだった。下手をするとウィンストンに当たってしまう。端末を没収された俺にできることはない。ただ、二人の戦闘を見守ることしかできなかった。
いや、まだあった。端末を握った壬生が青い顔で線路の先を見つめていた。俺は声を張り上げた。
「壬生! その端末をこっちに!」
ウィンストンと鍔迫り合いをしている西条が叫ぶ。
「いけません壬生統制官! 列車の後方まで退避してください!」
ウィンストンがパワーで西条の警棒を押し込んだ。
「秋成! 君はまだ戻れる!」
七瀬が口に手を当てて呼び掛けた。
「T800! 投降するなら今のうちだよ!」
ついでにクラリスも叫んだ。
「おっさん! 早く!」
いや、お前はあんま壬生と絡みなかっただろ。
壬生は俺たちを一人ずつ見比べて立ち尽くした。腰の後ろに手を滑らせた西条が怒鳴る。
「壬生統制官!」
肩を跳ねさせた壬生が、端末を抱えたまま後方車両へ脱兎のごとく逃げ出した。あの野郎!
ウィンストンが西条を貨物車の連結部まで押し込んだ。西条の踵が宙に浮く。
「平人! 追え!」
「おう!」
俺が西条の横を通り抜けた瞬間、銃声が鼓膜をつんざいた。振り返ると、ウィンストンが腹から血を流してうずくまっていた。開眼した西条の左手には、白い拳銃が握られている。
「やはり秩序……! 秩序がすべてを解決する……!」
「ただの銃じゃねえか!」
クラリスが悲鳴を上げた。
「ウィンストンッ!?」
「気にするな……! 致命傷だ……! 平人、行け……!」
致命傷なのかよ。
「そうは秩序が許しません!」
目を血走らせた西条がこちらに銃口を向けた。まずい——!
次の瞬間、西条の左手が砕け、片膝が弾けた。七瀬が狙撃銃の銃口を跳ね上げて反動を逃がし、クラリスがリボルバーの煙を吹き消した。
「A632、ちょっとよそ見が過ぎたようだね」
クラリスがリボルバーを再び構えた。
「西条はこのクソガキとあたしに任せなさい!」
「うん、こいつはボクとおばさんが抑えとくから、早く行きたまえ」
「お前らこんな時まで喧嘩すんな!」
俺は背を向けて後方車両に走った。背後から銃撃音が聞こえてくる。手負いとはいえ、相手は西条だ。みんな生きててくれよ。心からそう思った。
壬生は列車の最後尾にいた。俺に背を向けて、遠ざかる線路を眺めている。俺は数歩前で立ち止まった。
「ここにいたか、壬生」
「D503……」
壬生が振り返った。その顔は青ざめ、冷や汗をかいていた。俺は右手を差し出した。
「その端末を寄越せ」
その手が震えた。壬生は端末を握りしめたまま、声を絞り出した。
「……しかし、西条特務統制官に——」
「西条は関係ない」
「一致維持法の——」
「法律も知らん。壬生、お前はどうしたいんだ? 六人見殺しにするか、俺に端末を返すか」
「わ、私は——」
その時、上空を複数の戦闘機が通り過ぎていった。戦闘機の集団が、一機を追跡し、機関銃を発砲している。街頭放送の実況が聞こえた。
『頭上をご覧ください! 猊下対川口長官率いるタカギニア空軍! 壮絶なドッグファイトが繰り広げられています!』
真打、お前マジで何やってんだよ。
壬生が肉づきのいい顔を歪ませた。
「私は、あまり一致的な人間ではありません。しかし、それなりにここまで、統制官として働いてきました」
「普通に不真面目だろ」
「ははは、そうですね。猊下に言われちゃあおしまいですよ」
やっぱこいつ俺のこと舐めてるよな。
「猊下を保護して昇進したくないと言えば、まあ嘘になりますが、私にも譲れない一線があるのです。私は、誇れる父であり、夫でありたい」
壬生が全力で目を逸らしながら、端末を俺に手渡してきた。
「これは不可抗力です。私はあなたに脅されて、仕方がなかったのです」
「もうそれでいいよ」
「……高城之男へ一致せよ」
壬生は左手を腹に当て、右腕を斜め下に突き出した。忠誠心なき服従を、俗物がわずかに打ち破った瞬間だった。
俺は小太りの中年統制官に背を向けて、管理者権限を発動させた。
> Cached Relay Session... [ACTIVE]
> Privilege Level: LIMITED_ROOT
> ./emergency_stop --target ALL_ACTIVE_TRAINS --scope LOCAL
> Rail Control... [SEIZED]
> Emergency Brake... [EXECUTED]
> Predicted Casualties: 6 -> 0
二本の列車が、軋みを上げ、やがて止まった。俺は元来た道を引き返した。
前の貨物車では、クラリスと七瀬が、顔や身体に痣を作り、肩で息をしていた。隅に座り込んだウィンストンが浅い呼吸で、俺に言った。
「平人……逃げろ……」
その手前で、血塗れの白い詰襟がまだ立っていた。左腕は砕け、片膝は潰れている。しかし、最小限の動きでクラリスや七瀬の銃弾を避け続け、一歩一歩二人との間合いを詰めていた。
思わず俺は一歩前に出た。靴先に、西条の血がべっとりとこびりついた白い拳銃が当たった。
クラリスの六連射を完璧に回避した西条は、右手の警棒を七瀬に向かって振りかざした。大上段に構えられた白銀のロッドが、死の電光を帯びる。
考えるよりも先に、俺の身体は動いていた。銃を拾い、白い詰襟に銃口を合わせ、引き金を引いた。悲鳴のような銃声が轟いた。
西条の背中に赤黒い染みが広がった。振り向いたやつは、俺の姿を認めると口角を歪めた。
「素晴らしい。この場において、統制官として限りなく一致的な動きです」
俺は白煙の昇る銃口を、油断なく向けたまま言った。
「お褒めに預かり光栄だよ。西条主任」
糸が切れたように西条が倒れ伏した。仰向けのまま、平坦な声で業務連絡のように言った。
「やはり、壬生統制官は裏切りましたか」
「あの野郎は、よくわからん概念よりも、家族を取った。お前の負けだ。西条」
「……そのようですね」
血だまりが広がっていく。西条は激しく咳き込んで、血を吐いた。
「D503、あなたの父親が、高城影打矯正局長に連れ去られました。一致省のどこかに囚われているはずです。これは明確な権力濫用、秩序を私物化する行為です。全力で妨害しなさい」
……は?
俺の思考が止まっている間も、西条の顔の血の気はどんどん引いていく。見ると、左胸を銃弾が貫通していた。
俺はやつの襟首を掴んで揺さぶった。
「おい! どういうことだよ!」
「あなたは秩序の破壊を選んだのです。やり遂げなければ許しませんよ」
「西条!」
西条は動く右手で、血だらけの左手を白い制服の腹へ引き寄せた。それから震える右腕を、機械的に斜め下へ突き出した。
「高城之男へ……一致せよ……」
その糸目から徐々に光が失われていった。静かに右手が落ちた。死んでいる。
「クソッ!」
しばらく、俺は西条の屍の傍で立ち尽くしていた。父親が連れ去られたという西条の言葉が、何度も鳴り響き、俺の耳を聾した。頭から血が引いていき、全身から冷や汗が吹き出してきた。
たった今、俺が殺したのだ。この手で。
視界から色が失せた。いつの間にか隣に来ていた七瀬が、震える俺の手を握った。
「兄さん、その、大丈夫かい……?」
「なんとかな。お前らも、まだ戦えるか?」
俺は今、自然な表情を浮かべられているのだろうか。
七瀬が親指を立て、クラリスが控えめに頷いた。俺はウィンストンのそばでしゃがんだ。
「ウィンストン、立てるか?」
「……ああ」
俺とクラリスがウィンストンに肩を貸して、列車から降りた。線路のフェンスにもたれたウィンストンが、インカムでクラリスを交えてジョンと何事か相談している。
ぼんやりと線路の先を見つめていると、七瀬に袖をちょいちょいと引かれ、列車の陰まで連れて行かれた。何事か聞こうとすると、俺の襟を引き寄せた七瀬が背伸びをして、俺の頬に唇を押し当てた。柔らかい。カフェオレの匂いに当てられて固まっていると、七瀬はゆっくりと小さな唇を離し、顔を綻ばせた。
「ありがと、兄さん」
こいつを失いたくない。でも、できれば殺したくなかった。気づけば、俺の頬を何かが伝っていた。
七瀬は人差し指で涙をすくい取ると、ぺろりとそれを舐めた。いたずらっぽく微笑む。
「これでボクも共犯だ」
俺は彼女を抱きしめ、嗚咽を漏らした。柔らかな黒髪が指に絡みついた。俺の頬に、彼女の熱い耳が当たった。腕の中の薄い身体から、少し速い鼓動が伝わってくる。
俺たちは生きている。そのことが、どうしようもなく嬉しかった。
「畜生……七瀬……七瀬ぇ……」
「仕方のない兄さん。ボクはここにいるよ」
西条との記憶が、俺の脳裏を駆け巡った。意味不明な罪状で俺の逮捕を言い渡す西条。俺に警棒を振りかざしてくる西条。七瀬のクソみたいな命令を俺に伝えてくる西条。……碌な思い出がねえ。
七瀬は、優しく背中をさすってくれた。乱れた呼吸が徐々に彼女のリズムに合わせられ、やがて落ち着いた。
ようやく身体を離した時、七瀬は見たことがない顔をしていた。彼女の頬は上気し、目元が心地よさそうに緩み、俺を安心させるように優しげな笑顔を浮かべていた。一瞬その姿に心臓が跳ねるも、その潤んだ漆黒の瞳に映った俺のひどく情けない顔で、一気に頭が冷えた。
年下の女の子に慰めてもらうとか、ダッサいなあ。俺。
俺は彼女の頭を撫でようと手を浮かせかけて、降ろした。もう、そうするのは良くない気がした。
「ありがとう七瀬。落ち着いた」
七瀬は俺の手を一瞥し、意地悪く目を細めた。
「それはよかった」
二人でウィンストンたちのところに戻ると、クラリスが黙って俺にハンカチを渡しながら言った。
「ジョンに連絡したから、もうすぐ来るわ」
「わかった」
クラリスは悲しげな微笑みを浮かべた。迷うように手を右往左往させた後、思いっきり俺の背中を叩いた。
「ほらっ、シャキッとしなさい! あいつにも言われたでしょ! やり遂げろって!」
「そうだな……やるしかねえよな」
特大の置き土産を遺して逝きやがって、あの秩序バカが。
俺が座り込んで呟くと、クラリスはしゃがみ、叩いたところにそっと手を置いた。
「それでこそあんたよ」
不器用な励まし。きっとクラリスが襲われていても、俺は西条を撃っていただろう。
水筒の水で彼女のハンカチを濡らして、目に押し当てて待っていると、フェンスを越えた道路に灰色のバンが止まった。中から田上が声をかけた。
「ウィンストンの兄貴!?」
「信輔……私は大丈夫だ……」
「明らかにやばいでしょ!」
田上の乗ったバンが当然のようにフェンスに突っ込み、踏み倒した。窓から顔を出した田上が言った。
「お前ら乗れ!」
その時、西条の死体をどうするか考えていなかったことに気がついた。列車の方に視線を向けると、壬生がブルーシートをかけているところだった。俺は静かに息を吐くと、車に乗りこんだ。
すぐさま発進し、壬生の姿は見えなくなった。田上が医療キットをこちらに寄越した。
「いったい何があったんだ?」
「西条に撃たれた。そっちこそ、こんなところで何やってんだよ。真打のお守りはどうした?」
「あのアホはテレンスのナビで一致省が隠し持ってた戦闘機を盗んだ。一機しかなかったから俺たちは別れたんだよ。偽平野にはテレンスとサユリがついてる」
「絶妙に不安になる人選なんだが。それにしても、よくこっちに来られたな」
「ジョンに列車の停止位置を教えられてな。ウィンストンの兄貴がやられたって聞いて、こっちに回り込んだ。お前の服も持ってきてる。袋の中だ」
袋を開けると、いつもの白いジャージとスニーカーが入っていた。俺はタイツやスカート、ブレザーを脱ぎ捨て、ジャージに袖を通してスニーカーを履いた。これだよこれ。この着心地の良さだけを追求した感じが最高だ。
タオルで残っていた化粧を落としていると、田上がミラー越しにこちらを見た。
「ジョンが呼んでる。インカムをつけろ」
言われた通りにすると、いつもよりも低いジョンの声が鼓膜を震わせた。
『平人さん、ここからは自分が作戦指揮を引き継ぐっす』
「マジで!?」
『もちろん、自分がウィンストンの代わりになるとは思ってないっす。でも、今の彼には無理っすよ』
ウィンストンは脂汗を額に滲ませながら、クラリスの応急処置を受けていた。
「済まない。ジョン、後を頼んだ」
『っす。ということで、ウィンストンはこのまま田上さんのバンで廃病院まで離脱してもらうっす。平野さんたちには、新しい移動手段を手配したっす』
何やら外が騒がしい。見ると、電動キックボードに乗った黒装束の集団が、俺たちのバンを取り囲んでいた。先頭の似内司教が左腕を斜め下に突き出す。
「高城之男と相違せえ!」
「いやこれかよ!」
なんかもっと格好がつくものあっただろ。バイクとかさあ。いや、こいつらに言ってもママチャリとか持ってきそうだしもういいや。
空き地で車が停止した。俺は似内が乗っていたキックボードに乗る。クラリスと七瀬もそれぞれ自前のボードに乗った。ウィンストンが、バンの中から手を差し出してきた。その手を握ると、力強く握り返される。
「平人、人類の未来を……いや、違うな。とにかくケリをつけてこい!」
「ああ!」
それだけで俺たちには十分だった。俺は地面を蹴って進み出した。田上の車が走り去る音がした。遠くで、別方向に珍走していった相違教徒たちが大暴れしている声がする。俺たち三人は、人けの途絶えた道を選んで駆け抜けた。
角を曲がれば、糸目の白い詰襟が待ち受けている気がした。しかし、もうそんなことはない。西条は死んだのだ。あいつにはなんだかんだ毎回苦しめられたが、いなくなったらなったで、なんとなく物足りない気がした。
どのみち、影打も一致省にいる。まずは平政——父さんを救出しなければ。俺は電動キックボードのスピードを速めた。