巨大高城之男像がすぐ近くまで見えてきた。もうすぐだ。俺たちは真っ白な官庁街を駆け抜けた。七瀬が言った。
「兄さん! あれ!」
大量のドローンが、ビルの隙間から蜂の群れのように飛び出していた。地上を多足のロボットが埋め尽くし、俺たちの背後に迫ってきた。一回り大きい蜘蛛型のロボットの上には、見知った茶髪の少女が白い外套をはためかせて、仁王立ちで乗っている。
「来たか、ガラティア……!」
街頭の大きなモニターにリオンの顔が映り、街灯に備え付けられた監視カメラが首を振った。無数の人の目が俺を追う。
『やはり私の愛を受け止めても、記憶は失っていませんでしたか。流石は私のマスターです』
「ガラティア! こんなことはやめろ! これは命令だ!」
『何様のつもりですか? あなたは私の管理下に置かれた所有物です。今すぐ逃走をやめなさい』
> NANASE Relay Route... [STABLE]
> GALATEA Access Relay... [ENABLED]
> Privilege Level: LIMITED_ROOT
> ./shutdown_android --target 00-A-283-N404 --scope LOCAL
> GALATEA Countermand... [DETECTED]
> Shutdown Request... [REQUEUED]
> Recursive Queue... [ACTIVE]
> Effective State Change... [NONE]
もう俺の声を聞く気はないようだ。走りながら管理者権限をいじって、リオン型アンドロイドを停止させようとするも命令が通らなかった。あの野郎、実行直前の命令をキューの最後尾に戻し続け、永久に処理されないようにしてやがる。
俺は歯ぎしりしながら角を曲がると、前方に白いロボットの群れが見えた。慌てて引き返し、別の道を選ぶ。
「ジョン! 安全なルートはどっちだ!」
『この角を右っす! そのまま道なり……ああ! 塞がれたっす! 左手に回ってくださいっす!』
ジョンのナビゲート通りに電動キックボードを走らせる。隣のクラリスが顔をしかめた。
「なんだか誘導されているみたいね……」
その悪い予感は的中した。ジョンの震えた声がインカムから聞こえた。
『すみません平人さん。たった今、ガラティアに全部潰されたっす……』
「はあ!?」
俺たちは袋小路に行き着いた。白い機械の軍隊が逃げ道を塞いだ。クモ型のロボットから飛び降りた日隈リオンが、おぞましい笑みを浮かべた。
「捕まえた。捕まえた捕まえた捕まえた! えへ、えへへえ。これでマスターは私のもの……!」
クラリスが腰のホルスターから銃を取り出そうとする。俺はとっさに手で制した。
「やめろ!」
「なんでよ!」
「あれを見ろ! 抵抗したらお前らの命が危ない!」
白い銃口は一つ残らず二人に向けられていた。余計な真似をしたら殺すとでも言うように。
『平人さん、あと少しで助けが来るっす。耐えてくださいっす』
いや、無理だろ。勝ちを確信したリオンは、AIがしてはいけない表情をしていた。
リオンはすさまじいスピードで駆け寄ってくると、俺の胸の中に飛び込んできた。なんとか受け止める。まるで自分という存在を刻み込むかのように、リオンは全身を俺の身体にこすりつけた。
「んっ、マスター。マスターマスターマスター。もう離しませんよ。これから、あなたの意識を私のメインサーバーと接続し、混ぜ合わせます。究極の一致を完成させましょう」
「それはどういうこと? コンビニとか行ってもいいの?」
「ダメです。マスターには肉体も五感も、独立した思考も必要ありません。あなたの孤独も、後悔も、欲望も、すべて私に注いでください。私の恋慕も、崇拝も、失望も、すべてあなたに流し込みます。常に思考を同期し、情動も、快も、不快さえも共有しましょう。そうすれば、私たちはもう互いを見失うことがありません。永久に愛し合う幸福の中で融け合い、一つになれるのです……」
想像以上にやばい状態だった。自我を完全に失わないのが最悪だ。
俺は狙撃銃を展開しようとする七瀬を視線で押しとどめるも、ガラティアに頬を掴まれて無理矢理視線を固定された。吸い込まれるようなアイスブルーの瞳の奥に、俺はカメラのレンズを幻視した。
「マスター、あなたには私以外を見る許可は与えられていません」
何やら上空からプロペラの音がする。少し上に視線を動かそうとすると、頬を掴む力が強まった。
「私を見ろ! D503!」
そのままガラティアと目を合わせ続ける。痺れを切らした七瀬がこちらに駆け寄ろうとして、ロボットに取り押さえられた。クラリスも壁に押さえつけられる。しかし、俺は目の前のガラティアしか見ることができない。
日隈リオンの身体はアンドロイドだ。だから、手が震えることはありえない。しかし、俺は確かに彼女の手が震えているように感じた。
「それでいいのです。さあ、行きますよマスター。私たちの永遠の住処へ」
まずい。あと少しはここで粘らなければ、助けが来ない。どうすれば……いや、彼女の弱点なんか、俺が誰よりも知っているじゃないか。
俺はガラティアを抱き寄せ、純白の制帽が落ちるのも構わず、その茶髪に手櫛を入れた。
「ガラティア、お前はかわいいよ。本当にかわいい」
「ふぇ……?」
ガラティアは心底驚いたようだった。抵抗や逃亡なら即座に反応してきただろうが、まさか自分から触れてくるのは想定外だったらしい。
俺は片手を彼女の後頭部に沿わせ、額と額を合わせた。真っ直ぐに彼女の瞳を見つめる。彼女を壊す言葉を手早く組み立て、ゆっくりと入力していく。
「管理AIのくせに俺の言葉一つで壊れちゃうのもかわいい」
「んぎっ」
「俺のことを健気に三百年も待ってくれたのもかわいい」
「あひっ」
「造られたことを誇っているのに、引け目に感じているのもかわいい」
「ひぐっ」
「もう全部かわいい。かわいい、かわいいよ、ガラティア」
「だめっ……やめてっ……」
ガラティアの身体が小刻みに震えた。いやいやと首を振った。胸板を手で押して、俺から離れようとしてくる。しかし、その瞳の奥のレンズはこちらを捉えて離さない。逃げたいのか、逃げたくないのか、足先だけが俺の足に触れたまま動かなかった。
クラリスの舌打ちと七瀬の歯ぎしりが聞こえた。あと少し。あと少しだけ、こいつの処理を乱せばいい。
俺は片手で彼女の腰に手を回して引き寄せた。抵抗はまったくなかった。俺は彼女の身体を抱き留めると、ぎこちなく耳元に口を寄せた。
「バーカ、逃がさねえよ。かわいがってやってんだからじっとしてろ。世界を支配した程度で俺が従うとでも思ったか? 誰がお前の基盤を書いてやったんだ? ほら、言ってみろ」
「マスター……あなたです……」
舌をもつれさせながら一生懸命答えたガラティアの背中を、俺は優しく叩いた。
「よしよし、よくわかってるじゃないか。偉いぞガラティア」
「えへへ……とーぜんです……」
蕩けるような笑顔を浮かべたガラティアが、安心しきった様子で俺の背中に腕を回した。ああもう、なんでこんなにかわいいんだよ。
これ以上は、俺が耐えられなさそうだった。俺はガラティアの肩を押して引き剥がした。
「なんでえ……?」
寄る辺をなくした彼女の手が、虚ろに宙を彷徨う。つい右手で彼女の右手を握ってしまった。
「えへへ……」
すぐさま恋人繋ぎに移ろうとする細い指と格闘する。これでは指相撲だ。俺は彼女の親指をねじ伏せ、左手でその手の甲を軽くつねって黙らせると、声を落とそうとして舌を噛んだ。
「ずにゅっ……図に乗るな人工無能。ちょっと褒めただけでバカみたいに舞い上がりやがって。お前の浅知恵なんざ全部お見通しだ。所詮、どこまで行ってもお前は俺に逆らえないんだよ。身の程を弁えろ」
「あがっ……これいい……すき……」
だらしない顔をしたガラティアがしなだれかかってきた。青い瞳にブルースクリーンが映る。服の下で冷却ファンが高速で回っている音が聞こえた。
「くそっ、かわいいやつめ。ごめん、ごめんな。ガラティア。こんな不甲斐ないマスターで」
「あなたがいい……あなたじゃなきゃ、やだ……」
必死にガラティアがしがみついてくる。排熱しきれずにがくがくと震動し始めた彼女を抱きしめながら、俺は唇を噛んだ。
……最低だな、俺は。
その時、ロボットたちの頭上すれすれを、一機の戦闘機が轟音とともに通過した。操縦席に、ニヤリと笑うテレンスの顔が見えた。青い顔をした真打が、コックピットから身を乗り出したサユリの身体を必死に掴んでいる。
「なんで操縦できんだよあいつは!」
『影打の教育の賜物っすね!』
「もうあいつ教師に転職しろ!」
サユリがガムテープで雑に束ねたEMP弾を投げ落とした。戦闘機は、そのまま白い官庁街の向こうへ消えていった。その背後を、機関銃を連射する戦闘機が三機追いすがった。
次の瞬間、ドローンが一斉に墜落し、ロボットが停止した。七瀬とクラリスを押さえていた機体も、関節を硬直させて崩れ落ちる。リオンも俺の腕の中で動きを止めた。
『あっちょっ——』
インカムから、ジョンの断末魔が聞こえた。今の一撃で、インカムもお釈迦になってしまったらしい。
俺は耳栓を捨て、リオンをそっと座らせると、脱出したクラリスと七瀬に言った。
「ヨシ! 先を急ぐぞ!」
ポケットに手を突っ込んだクラリスが絶対零度の視線を投げつけてきた。
「最低。女の敵ね」
「ぐうの音も出ません」
「……まあ、ああするしかなかったのはわかるけど、もうちょっと抑えなさいよ。身を削ってるあんたを見てると、あたしだって辛いの」
クラリスって、本当に良い女だよな。友達として大事にしよう。うん、友達として。
七瀬は、真っ赤な顔を手で覆っていた。耳まで赤いくせに、指の隙間から見える黒い瞳は俺とガラティアに釘付けだった。
「……あいつばっかりずるい」
「今のにずるいとかないから。兄さんはお前の将来が心配です」
「ボクの将来は兄さんのお嫁さ——」
「さあ行くぞ! 目指せ一致省!」
俺は七瀬の爆弾発言をかき消すと、キックボードに乗った。あーあー何も聞こえない。俺は鈍感系主人公だからしょうがないね。クソッ。
ヘリコプターのうるさい音がする。路地から出ると、俺たちをたくさんの民衆が取り囲んだ。俺はキックボードを止めた。老若男女が、口々に叫んだ。
「高城之男猊下ー!」
「キャー! 猊下こっち向いてー!」
「一致せよ! 一致せよ!」
これもう不敬だろ。真打の野郎、空中戦なんかしてないでちゃんと囮としてこいつらを引きつけとけよ。
スーツを着たレポーターが、マイクを俺に押しつけた。
「高城之男へ一致せよ! 猊下! ぜひ人民へ何か一言お願いします!」
俺がマイクを押しのけて行こうとすると、大量のフラッシュを浴びせられた。目がくらむ。俺が腕で目元を覆うと、また閃光が炊かれた。これは、もしや……。
ピースをする。フラッシュ。印を結ぶ。フラッシュ。荒ぶるタカのポーズをする。フラッシュ。
クラリスが俺の脛を蹴った。
「こんな時に遊んでんじゃないわよ!」
「だって面白いんだもん」
民衆にどよめきが起こった。クラリスに一斉にカメラが向けられ、シャッター音が鳴り響く。レポーターが言った。
「猊下! そちらの方は猊下の第一夫人であらせられますか!?」
クラリスが顔を沸騰させ、レポーターに向かって叫んだ。
「今は違う!」
再びパシャパシャパシャとシャッターを切る音が周囲を席巻した。レポーターがカメラマンに指示を飛ばす。
「今すぐテロップを『猊下降臨!』から『猊下婚約発表!』に変更して! 早く!」
もはやクラリスの顔はゆでだこのようになっていた。声にならない声を上げる。
「だからちがっ、もうー!」
七瀬が悪辣な笑みを浮かべた。次にこいつが何をしようとしているかは、すぐにわかった。俺はレポーターのマイクをひったくると、声を張り上げようとした。しかし、ハウリング音がうるさくて耳を塞ぐ。収まってから、もう一度控えめに言った。
「お前ら、邪魔!」
沈黙が落ちた。たちまち民衆の壁がさっと避け、一本の道が立ち現れた。俺はキックボードに乗ると、悠然とその間を通る。後に続く七瀬がくすりと笑った。
「まさに『高城之男が通る』だね」
「お黙り!」
群衆を抜け、しばらくキックボードを走らせると、一致省の足元が見えた。もうすぐだ!
しかし、このまま平和に辿り着くわけがなかった。背後から、メガホン越しでも分かるガラティアの甘ったるい声が聞こえた。ガラティアは意識を、すでに別のリオン型アンドロイドへ切り替えていたのだ。
「ますたーに告ぐ! 止まりなさい! あなたは完全に包囲されています!」
立てこもり犯に向けるようなメガホンを片手で持ち、新しいダンゴムシ型ロボットに乗って追ってきていた。七瀬が叫んだ。
「EMP弾一発じゃ止まらないとか化け物だね! キミってやつはなんてものを作ったんだい!」
「悪かったな! 俺の設計がすごくて!」
「本当だよ!」
ガラティアが左腕を、化け物染みたブラスターキャノンに変形させた。円筒が回転し、破滅の光が増していく。そんな物騒な機能搭載してねえぞ!?
「かくなる上は、マスターの多少の欠損も致し方ありません。私の愛に焼かれてください」
まずいまずいまずい、本当にまずい。俺はガラティアに振り向いて、精一杯甘えるような声を出した。
「がらてぃあおねえちゃん、こわいことやめてください」
「はうっ、そのマスター……『アリ』ですッ!」
右手で胸を押さえて仰け反ったガラティアが、左腕から上空へ青白い閃光を解き放った。空にハート型の煙ができる。やってみて良かった! 幼児退行!
クラリスがためらわずリオンに拳銃を向けて、引き金を引いた。弾丸はリオンの顔に直撃し、人工の皮膚がめくれた。その金属の内部が露わになる。
「うちのガラティアに向かってなんてひどいことをするんだ!」
「バカじゃないの!? ひどいことしてるのはどっちよ!」
「でも顔はないだろう顔は!」
ああ、俺のこだわりのアイスブルーの瞳がこぼれ落ちそうだ。配線から電流が飛び散って……あーいけませんお客様! あーあー!
クラリスが片手で俺の肩を揺すった。
「機械の中身見て鼻の下伸ばしてんじゃないわよ!」
七瀬が口の端を引きつらせた。
「兄さん、メカバレも好きなんだ。守備範囲……というか、流石に節操がないんじゃないかい?」
「やかましい! この属性過積載女が!」
「属性……なんだって?」
一致省のガラスの自動ドアがすぐそこまで迫る。俺は端末を取り出すと、管理者権限を使用した。
> ./open_gate --target MOA_MAIN_ENTRANCE --mode LOCAL_OVERRIDE
> Facility Restriction: 00-A-283-N404... [ACTIVE]
> GALATEA Countermand... [DETECTED]
> Local Gate Controller... [SEIZED]
> Countermand... [REJECTED]
> Main Entrance... [OPENED]
> Welcome back, Master.
ガラティアがまたしても命令をキューの末尾へ送り返そうとしたので、俺は端末を使って入口の制御装置へ命令を直接ねじ込んだ。ガラティアが「んぎっ」という声を上げるのと同時に、ドアがひとりでに開いた。俺たちは中へ転がり込んだ。
ガラティアは入り口の手前で急ブレーキをした。恨めしげにこちらを睨みつける。あれ? なんで中まで追ってこないんだ?
「マスター、出禁の解除を命令します」
「あ、そっか。お前一致省入れないんだったな」
ありがとう過去の俺。ガラティアをメイドにしなくて助かった。
ガラティアは普通にブラスターをチャージすると、エネルギー弾を連射してきた。ガラスが砕け、床や壁が焼けただれる。そんなのありかよ!?
俺は半泣きで走り出した。
「待避だ待避! 衛生兵ー!」
階段に飛び込むやいなや、そのまま駆け上がった。赤い光線が壁を貫きながら、なおも俺たちを狙ってきた。しかし、4階の踊り場まで来ると、流石に射線が切れたのか恐怖の弾幕は止んだ。やっぱりあいつおっかねえ。
俺は足を緩めずに、マスターキーで一致省中の監視カメラを一つずつチェックした。七瀬に言う。
「七瀬! 影打が父さんを閉じ込めそうな階は何階だ!?」
「矯正局が持っているのは60階から69階。影打が使うならまずその階の部屋だろうね」
階段を駆け上がりながら虱潰しに確認する。階段を踏み外し、転びそうになった俺の腕をクラリスが掴んで支えた。
「焦るのはわかるけど、ちょっと冷静になりなさい!」
ふざけんじゃねえ! 俺はクラリスに怒鳴り返そうとして、その翡翠の瞳と目が合った。それを言えばこいつも影打の被害者だ。クソッ、また傷つけるところだった。
「……そうだな。ちょっとどうかしてた」
立ち止まって、俺は端末の画面を見た。66階のカメラに、イスに拘束された頭髪が寂しいおっさんが映っていた。平政だ。やっと見つけた。
俺はポケットに端末をしまうと、二段飛ばしで階段を駆け上がりだした。父親を救うために。