俺は回れ右をすると、平政の手を取って全力で逃げ出した。
俺と並走する七瀬が目を剥いた。
「えええええ!? 兄さん何してんの!? 本当に何してんの!?」
「あんな大人数に勝てるわけないだろ!」
「でも、あそこはかっこよく戦闘開始の流れだったじゃん!?」
「かっこよさだけで勝てたら世話ねえわボケ!」
エントランスから階段に逃げ込もうとするも、そこから統制官の集団が現れた。後ろからも矯正官たちが追いついてくる。まずい、挟まれた。
俺は覚悟を決めた表情を浮かべて、端末を構えた。隣のクラリスが呆れたような視線を向けてくるが気にしない。
手始めに、俺は消火設備を起動した。壁からノズル付きの太いホースが飛び出した。俺はそれを構え、水を射出する。水流が統制官の群れを押し流した。
「イドンプじゃおらあ!」
流石は威力110、命中80だ。火力は申し分ないが、普通に何人も打ち漏らした。クラリスが拳銃と足技で無力化し、七瀬が敵の狙撃手を次々と撃ち倒した。俺たちは追ってくる敵を水流と弾丸でいなしながら、エントランスを縦横無尽に逃げ回った。
しかし、いかんせん多勢に無勢である。こちらは非戦闘員の平政も庇いながらだ。俺たちは徐々に押され、ついには壁際に追い詰められた。クラリスが統制官に蹴り飛ばされ、七瀬が矯正官に取り押さえられた。
「お前ら!」
俺は平政を背に庇いながら、右に左にとノズルを向けて雑兵を吹き飛ばした。影打が目を充血させながら、ケースから取り出した白い錠剤を噛み砕いた。突如、水流の勢いが止まった。
ノズルから、ぽたりぽたりと水滴が溢れるほかには、何も出ない。俺が首を捻って叩いていると、腕時計を構えた影打が悠然とやってきた。邪悪な笑みを浮かべる。
「僕こそが高城之男だ」
> External Administrator: 02-A-269-R101... [DETECTED]
> Signature History: ABANDONED_HOSPITAL... [MATCHED]
> Command Route: D503 -> R101... [OVERRIDDEN]
> GALATEA Signature Analysis... [IN PROGRESS]
> Water Supply... [SHUTDOWN]
02-A-269-R101。影打の管理番号だ。病室で俺の命令に割り込んだ正体不明の署名と一致している。あの時、テレンスを中継器にしていたのはこいつだったのだ。
まあ、まだやりようはある。俺はエントランスの隅に停止していた清掃ロボットを影打に突っ込ませた。
> ./dispatch_unit --target R101 --unit CLEANER_04
> Target: R101 -> 11-B-251-R815... [REWRITTEN]
> CLEANER_04... [DISPATCHED]
ところが、端末上のターゲット表示がR101から平政の管理番号へ書き換わる。そのまま清掃ロボットは急旋回し、平政を撥ね飛ばした。
「おい影打! てめえ何しやがった!」
「これが完成したAlignment Enhancer……神へと至るために、僕が開発した薬の力だ……!」
「一致度向上とかいうただのジョークグッズだろ!」
「そんなものは副作用ッ! この神の薬の真価とは、管理者権限の簒奪にあるッ!」
やつの言っていることなどハッタリだ。冷や汗を流しながら、俺は震える手で端末を操作した。ドローン、影打を拘束しろ!
> ./restrain --target R101 --units NEAREST
> Target: R101 -> D503... [REWRITTEN]
> Restraint Units... [DISPATCHED]
しかし、影打に向かっていたドローンは途中で進路を変え、俺を捕縛した。俺は空中に吊り上げられた。影打が狂ったように笑い声を漏らす。
「君は僕に勝てない! 君こそ僕の偽物だからだ! さあ、その身体を寄越せ!」
ジャージの襟首が喉を絞め、呼吸ができない。俺はあらん限りの力で手足をばたつかせたが、何の意味もなかった。影打のおぞましい目が俺を見る。俺の手から、端末が零れ落ちた。
その時、エントランス正面のガラスの割れるけたたましい音が響き渡った。灰色のバンが白と黒の人垣を撥ねながら突っ込んできた。フロントガラスは砕け散っており、田上の絶叫が聞こえた。
「ぎゃあああああああ!」
いや、どういうこと?
田上に続いて、原付に乗ったチンピラや電動キックボードの黒装束が雪崩れ込んできた。似内司教が鎖付きの鉄球をぶん回して、俺を拘束していたドローンを叩き潰した。尻もちをついて落ちた俺に、つぶあんの饅頭を差し出した。
「高城之男と相違せよ! 信徒平人! 新しい饅頭ですよ!」
「愛と勇気だけが友達ってか!?」
俺は足元に落ちていた端末を拾い上げた。俺が受け取った饅頭にかじりついたところで、バンは高城之男の像を戴く噴水に激突し、ようやく停車した。
「なんとか間に合ったぜ……!」
乱闘が始まった。雑多な混成軍と詰襟の軍隊が戦っている。体勢を立て直したクラリスが、七瀬に背を預けて撃ち合っていた。戦場の中心では、似内司教が鉄球を振り回していた。敵が怯んだ隙に、控えていた相違教徒が袋叩きにしていた。強い。
チンピラの集団が影打に向かっていった。影打は舌打ちをして、残っていたドローンとロボットで連中を蹴散らすと、こちらにけしかけてきた。
俺はなぜか一服を始める田上の襟を掴んで揺さぶった。
「田上どうしよう! 影打来るって! あいつなんか俺の権限乗っ取ってきてやばいんだよ!」
田上はニヤリと不敵な笑みを浮かべると、バンからスーツケース大の装置を引き出した。
「安心しろ平野。ジョンの最終兵器を持ってきた」
スイッチを田上が入れると、家庭ゲーム機のような起動音の後、ドローンとロボットが停止した。俺は歓声を上げた。
「ナイス! どうやったんだ!?」
「知らん!」
清々しいまでの思考停止だった。しかし、その単純さが戦局を打開したのだ。少し複雑である。
端末を見ると、俺と七瀬の同期が切られていた。おそらく廃病院で俺のチートを封じた時と同じ装置なのだろう。ここから予測するに、影打は俺の権限をまるごと奪ったのではなく、俺から七瀬、そしてガラティアへと繋がる権限リレーのどこかに介入し、命令を上書きしていたと見るのが自然か。
何はともあれ、今の影打は手薄だ。周囲に護衛はおらず、やつのイカサマも止まった。絶好のチャンスである。俺と田上は頷き合うと、影打めがけて駆け出した。俺は義手を握りしめ、田上は拳に火のついたタバコを握った。
「田上アタック!」
「ニコチンパンチの間違いだろ!」
影打はサイレンサー付きの拳銃を取り出すと、無表情で連射した。俺たちは必死で噴水の陰まで撤退する。俺は叫んだ。
「拳銃はズルいだろ!」
田上がタバコをくわえ直し、応戦射撃しながら言った。
「卑怯者のお前が言うな!」
「黙れ前途多難!」
「文句言ってねえで、ちったあ銃の一つでも撃ったらどうだ!」
「持ってねえよそんなもん!」
「スマホ一つで一致省乗り込んでんじゃねえ!」
影打が右から噴水を回り込もうとするので、俺たちは中腰になって左手に移動した。弾丸が噴水の縁を砕く。影打が苛立たしげに吐き捨てた。
「避けるな贋作めらが! 真実からは逃げられないということがまだわからないか!」
おめおめと射殺されるバカがどこにいるんだよ。俺は思わず頭を出して反論した。
「何が贋作だ! お前が本当に真作なら、俺の身体なんか必要ないだろ!」
「盗人猛々しい! 所有権の問題だ! 少しは論理的に思考できないのか!?」
「ブーメラン過ぎる!」
銃弾が頬を掠めた。俺は冷や汗を流して再び伏せた。正論言われて鉛玉を返してくるんじゃねえよ! こいつってもっと冷静キャラじゃなかったっけ!?
田上の拳銃が影打の乱射に当たって弾き飛ばされた。田上がマヌケな声を上げた拍子に、くわえていたタバコが噴水に落ちる。
「ああ!? 俺のタバコが!」
「気にするとこそこかよ!?」
いつの間にか、屈強な矯正官が俺の背後に回り込んでいた。警棒を振りかぶった時、田上がとっさに携帯灰皿を投げつけた。ヤニで顔を覆われ、矯正官がうめいている隙に田上が横っ面をぶん殴った。矯正官は血の混じった唾を吐くと、田上に殴りかかった。ラウンドワン、ファイッ!
「助かったぞ田上!」
「命の恩人田上様ありがとうございますだろ!」
注意を逸らしている間に、影打の銃口が俺を捉えた。俺は飛び上がってなんとか銃弾を避ける。二発目を放たんと影打が引き金を絞るも、乾いた作動音が鳴るだけだった。歯ぎしりをしながら弾倉を交換しようとするも、別の静かな射撃音がそれを妨害した。ずぶ濡れのテレンスが、サユリと真打を連れて駆けつけた。
「影打ィ! お前だけはぶっ殺して高城之男へ一致せよ!」
まずい! 一番決めなきゃいけない場面でテレンスの持病が発症した!
テレンスは拳銃を乱射しながら高城式敬礼をした。斜めになぎ払うように銃弾が発射される。ジョンのジャミング装置に穴が開き、ぶっ壊れた。真打が半泣きでサユリと射線を逃れた。
「貴様もう銃を握るな!」
影打は弾をこめ終えると、真打を冷めた視線で見やった。
「O655、君はこんな所で何をしているんだ? さっさとそこの贋作を捕らえろ。不良品が」
真打が反応するよりも先に、サユリが駆け出していた。黒光りする銃口がその矮躯に向けられる。サユリの血の気が多すぎるのを忘れてた!
その瞬間、影打の左肩が弾けた。後ろを見やると、七瀬が遙か遠くから狙撃銃を構えていた。影打が肩を押さえた瞬間、サユリのつま先が正確無比に股間を蹴り抜いた。
「痛い!」
どっちが!?
脂汗を浮かべた影打は、膝を震わせながらサユリを右手で拘束し、こめかみに銃を突きつけた。
「僕に従えD503! でなきゃ撃つ!」
サユリは影打の手を噛みまくり、足をバタつかせて大暴れだが、手を離す気配はない。汚い流石影打汚い。
真打が必死に言いつのった。
「兄上! こんなこともうやめましょうよ!」
「真打風情が高城家第十代当主であるこの僕に意見をするな!」
「冷静に考えてください! そんな空虚なものにしがみついても何にもならないでしょう!?」
「この出来損ないが! 測定で高城家の権威に泥を塗るには飽き足らず、反一致思想に毒されるとは! D503が片付いたら、真っ先に矯正してやる!」
真打はショックを受けたように立ちすくんだ。口をパクパクとさせるも、何も言えない。
影打はジリジリとエレベーターの方まで後ずさる。形勢の不利を悟って逃げようというのか。俺が歯噛みしていると、ついにサユリが影打の傷口に指を突っ込んで、拘束を振りほどいた。やっぱサユリえげつねえ!
「痛っ!? この、小娘がァ!」
影打が再度サユリに銃を向けると、今度はクラリスが影打の銃を撃ち落とした。激高した影打はクラリスの襟首を掴むと、そのまま床に投げ飛ばした。
> Local Nanomachine Sync... [UNSTABLE]
> Privilege Level: ROOT?
> ./deploy_cushion --target F451_LANDING_POINT --count 1
> Output Count: 1 -> 64... [OVEREXPANDED]
> CUSHION_UNIT x64... [DEPLOYED]
しかし、クラリスは柔らかなクッションに着地した。俺がうっかり不安定な管理者権限でクッションを落下点に召喚してしまったのだ。そのまま大量のクッションがクラリスを埋もれさせた。
「加減しなさいよ!」
「できねえんだよ!」
影打がほくそ笑んだ。即座に俺の権限が乗っ取られる。あ、ミスったかも。
「散々虚仮にしてくれたなあ偽物共! 始祖の力を思い知れ!」
> ./force_pain --target D503 --scope LOCAL
> Target Scope: D503 -> LOCAL_NANOMACHINE_SUBJECTS... [OVEREXPANDED]
> Command Originator: R101... [EXEMPT]
> Pain Feedback: 0% -> 55%... [SPASM]
左手が疼いた。神経まで届いているナノマシンの痛覚装置に、影打が干渉してきたのだ。見ると、同じくナノマシンを摘出していない真打や七瀬、サユリも左手を押さえていた。徐々に痛みが強まっていく。まずい!
俺は震える手で端末を操作するも、何度いじってもアクセスが阻まれる。このままじゃ埒が明かない。俺は天を仰いで叫んだ。
「おいガラティア! お前何勝手にNTRれてんだよ! マスターを取り違えるとか、お前の愛とやらはその程度だったのか!?」
痛みのあまり、俺は床に膝を着いた。天井からガラティアの憤慨した声が聞こえてくる。
『違います! それは大きな誤解です! 一度実行された、あなたの署名つきの命令を、私から取り消すことはできないんですよ!』
「でもそれは影打の命令になってるだろ! とにかくこの痛みを止めろ!」
『システム上無理です!』
影打が声高に笑い出した。
「アハハハハハハ! D503、これではっきりわかっただろう! どちらがガラティアの真の所有者か!」
「はあ……? 所有者……?」
いつの間にか、銃声は止んでいた。不安定な権限が影打の命令の範囲を見誤り、この場の統制官と矯正官にも適用していたのだ。味方を巻き込んだ全体攻撃とか終わってるだろ。
エントランスの全員の視線を感じる。俺はゆっくりと立ち上がると、影打の目の前まで行き、その伸びきった鼻っ柱に指を突きつけた。
「確かに俺も、ガラティアのことを自分のものだと思ったことは何度もある。お前が俺の身体を乗っ取って、あいつと融合しようとしていることがわかった時は、嫉妬で気が狂いそうだったよ」
『ええ!? マスター!? その嫉妬という感情について、詳しいご説明を要求します!』
「お前は黙ってろ!」
『はい!』
影打は俺を見下ろし、薄く笑った。
「結局、君は高城之男とは似ても似つかない醜い人間だということだよ」
「なあ、お前はなんでそんなにガラティアと高城之男にこだわるんだ?」
「ガラティアこそがこの国の王権であり、高城之男は人類の夢だからだ!」
「違うだろ」
俺は静かに影打を見据えた。俺のもう一つの可能性を。
「影打、お前も自分が嫌いで仕方なかったんだな」
影打が目を見張った。頬を引きつらせる。
「何を言っている? 僕は一致度Aで、最も高城之男らしいとガラティアに判定された男なんだぞ? そんな僕が、自己嫌悪だと?」
「だからこそだろ。お前はあらん限りの努力を尽くして俺になろうとした。だけど、ガラティアは振り向いてくれなかった。違うか?」
「そんなはずは……」
「俺さあ、人生経験そんなないけど、やっと気づけたんだよ。他人を愛するには、まずは自分からってな」
痛みがそろそろ限界だ。影打は階段の方へ後ずさりながら、こちらの声をかき消すように大声で言った。
「ふざけるな……ふざけるんじゃない高城之男! 君のチンケな小児病と、僕の偉大な計画を同列に語るな!」
「変わんねえよ。俺も、お前も」
> Pain Feedback: 55% -> 90%... [CRITICAL]
影打は腕時計型の端末を操作し、出力をさらに引き上げた。
「残念だったな! とにかくガラティアは僕を選んだ! 彼女は僕のものだ!」
俺は苦痛に顔を歪めながら、影打の肩に手を置いた。
「影打、愛することと、所有することは違う」
> GALATEA Signature Analysis... [COMPLETE]
> Creator Signature Emulation: ALIGNMENT_ENHANCER... [DETECTED]
> R101 Command Authority... [REVOKED]
> Spoof Immunity... [GENERATED]
> Pain Feedback Route: LOCAL_SUBJECTS -> R101... [REVERSED]
次の瞬間、痛みが引いていった。ログを見ると、ガラティアの解析作業が完了したらしい。アラインによる偽装の免疫ができたということだろう。
「ぐわあああああああ!?」
影打が左手を押さえながら、床に崩れ落ちた。白目を剥きながら絶叫を上げている。端末を見ると、俺たちに与えていた苦痛が逆流しているようだった。大勢の痛みが影打に流れ込む。
「なぜだ! なぜ彼女は君を優遇するんだあああああ!?」
俺はため息をつき、やれやれと首を振った。
「そいつの開発者、俺なんだが」
影打は一瞬絶望的な表情を晒すと、自嘲的な笑みを浮かべた。
「初めから、僕は彼女の眼中になかったんだな……」
やっと諦めたか。そう思った瞬間、影打が左手を押さえながら走り出した。一致省の出入り口へと。
「そんなこと最初からわかっていた! だからって諦めろと言うのか!? 冗談じゃない! 僕はどんな手段を使っても、何年かかっても彼女を手に入れる!」
俺が先ほど食らっていた数百倍の激痛が流れているにもかかわらず、影打は敏捷な動きで駆け抜けた。田上の弾丸も、七瀬の狙撃も、テレンスの誤射さえすり抜けていく。このままじゃ、あいつが逃げ切ってしまう!
次の瞬間、外から軽トラックが突っ込んできた。荷台のエリが笑顔で手を振った。
「平野っちー! 救援だよー!」
「バカ! 止まれ!」
軽トラックはそのままの勢いで影打を撥ね飛ばした。運転席のジョンが、助手席のウィンストンに話しかけた。
「あれ? なんか轢いたっぽくないすか?」
「気のせいじゃないか?」
階段まで撥ね飛ばされた影打は、一段目に頭を打って泡を吹いた。びくびくと痙攣し、やがて動かなくなった。恐る恐る近づいてみると、死んでいた。