影打という指揮系統を失ったことで、統制官と矯正官は戦闘を続行すべきか判断がつきかねているようだった。敵味方の視線が交差し、嫌な静寂が辺りに満ちる。
そこへ、大量の金品を持った壬生が階段から駆け下りてきた。後から、鬼のような形相をした川口が追いかけている。
「待ちなさいT800! それは猊下の財産です!」
壬生の前に俺が立ち塞がると、壬生は声を漏らした。
「やべ」
俺は壬生に詰め寄り、肩を揺すった。
「お前まさか、火事場泥棒してたんじゃねえだろうな!?」
「ししししてないですよ! そんなことよりほら! 矯正局長死にましたよ! もう戦う必要はありません! さあさあそんな物騒なもの降ろして! 邪悪なる影打局長がため込んでいた財宝を正義の統制官である私が押収してきましたから! みなさんで山分けしましょう!」
絶対影打のものじゃなかっただろ。さてはこいつ、体制崩壊を予見して堂々と盗みに入りやがったな。
川口は壬生を睨みつけた。しかし、武器を構えたままの統制官と矯正官を見回すと、壬生から金品を一つひったくり、高々と掲げた。
「臨時ボーナスへ備えよ!」
「常に一致!」
川口が音頭を取った。そのまま、壬生が金目の物をばら撒き始めると、敵味方も関係なく連中は武装解除し、掴み取りに参加した。田上と殴り合っていた屈強な矯正官は、肩を組み合ってその俗物の祭典に加わっていた。
川口は俺に向かって頭を下げた。
「猊下、すみません。高城家の財産を勝手に分配してしまいました。どうぞ処罰を」
「いやいいよ。結果として丸く収まったし」
「寛大な処遇、感謝いたします」
「代わりと言っちゃなんだが、一致省の連中が暴れないように制御してくれ」
川口は高城式敬礼をし、壬生の財宝を掴むと、綺麗なフォームで投げた。
俺は人間の醜い欲望から目を逸らし、軽トラから降りたウィンストンに話しかけた。腹にはあり得ない量のテーピングを巻いている。
「ウィンストン、怪我の具合は大丈夫なのか?」
「ああ、こうして今もピンピン……あいたたたた」
ウィンストンは軽トラを持ち上げようとして、腹を押さえた。軽トラが横転し、騒がしい警告音が鳴り響く。マジで何やってんの?
俺はジョンの肩を叩いた。
「ジョン、お前の造った装置すごいな。滅茶苦茶役に立ったよ」
ジョンは後頭部を掻きながら、赤面して笑った。
「えへへ、平人さんに褒められるなんて、技術者冥利に尽きるっす」
「顔赤らめんな気持ち悪い」
「ひどいっすー!?」
ジョンに背を向け、俺は荷台のエリの額を小突いた。
「おいお前、何来てんだよ。危ないじゃねえか」
「サユリンがいるんだからいーじゃん」
「あいつは頭がおかしいだけなの」
その時、首筋に刃が当てられたかのような寒気が走った。とっさに伏せると、すさまじい速度の手刀が俺の頭上を掠めた。サイドテールが殺意に揺れる。俺が立ち上がりながら振り返ると、サユリが真顔で俺を見上げていた。
「ほら、やっぱり頭がおかしい」
「高城之男へ……」
サユリはいつもの定型文を口に出しかけて、首を振った。ひどく吃りながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「ひ、らと……あり、がとう」
サユリがシャベッタアアアアアアアア!? 俺は彼女の肩を掴み、がくがくと揺さぶった。
「おい、しゃべれたじゃねえかサユリ! お前、お前……!」
いかん、涙ぐんできた。言葉を奪われたサユリが、まさかここまで回復するとは。俺がサユリに何か他の変化がないかじろじろ見ていると、テレンスがやって来た。
「平野平人、お陰で影打に一矢報いることができた。礼を言おう」
「報いるって言うか、お前誤射してただけだろ」
「それを言わないのが情けというものだろう! まったく、姉さんはこのような男のどこに惚れたのやら」
テレンスは苦笑すると、俺に手を差し出そうとして高城式敬礼をした。ばつが悪そうにぷるぷると震えながら、俺を見据える。
「とにかく、お前の行動によって我々は救われた。ありがとう」
そう言ってテレンスは、張り詰めていた表情を解いて微笑んだ。俺は顔を逸らそうとしかけてやめた。真正面から彼に向かい合う。
「ま、良いってことよ」
サユリは何事もなかったかのように、階段の方を指さした。影打の死体の側に、静かに真打が佇んでいる。
「行ってこいってか?」
「一致」
俺は彼女に促されるまま、真打の隣に立った。影打の死に顔は、マヌケなものだった。自分が死ぬとはまったく思っていない表情だ。前世の俺がアパートの階段に頭を打った時も、こんな感じだったのかもしれない。
真打は白ジャージの上着を脱ぐと、影打の顔に被せた。
「兄上は、貴様が羨ましかったのだと思う」
真打がポツリと言った。
「僕にはわかる。兄上はすべてを切り捨てて、高城之男へ一致しようとしていた。かつての僕もそうだった。しかし、僕には貴様がいた。兄上には、貴様が見えていなかった。僕と兄上の違いは、たったそれだけだったように思う」
「真打……」
真打は前髪をキザったらしくかき上げると、不敵な笑みを浮かべた。
「平野、いや、平人と呼んでもいいか」
「それはちょっと違うかも」
「なんでだよ!」
俺は真打に左手を差し出した。真打は、信じられないものを見るように俺の顔と差し出された手を見比べた後、しっかりと手を握った。
「お前が俺の代わりをしてくれたお陰で、なんとかここまで来られた。ありがとう」
「貴様……意外と普通に感謝するんだな」
「俺のことをなんだと思ってんだ!」
真打は愉快そうに高笑いすると、不遜に両目を閉じて天井を仰いだ。いちいち仕草が鼻につくなこいつは。
「感謝するのは僕の方だ。認めたくはないが、貴様は確実に僕を変えてくれた」
「いや、お前あんま最初と変わってねえだろ。変わったと思ったんならそれはお前の努力だよ。もしくは錯覚」
「フッ、とことんひねくれた男だ。……なあ、さっきからこちらを窺っているあのハゲは誰か知り合いか?」
真打の視線を辿ると、平政が財宝の掴み取りに沸く群衆の中で、所在なく佇んでいた。俺は真打の手を精一杯握った。
「俺の親父だよ! このナルシスト!」
やつも全力で手を握りつぶしてきた。
「平野貴様ァ!」
「否定できてねえじゃねえか!」
しばらく睨み合っていたが、真打は急に手の力を抜いた。心底疲れたとでも言うように、ため息をついた。
「貴様も変わらんな。さっさとあのハゲのところへ行ってこい」
「だからハゲ言うな」
「……少し、兄上と二人きりにさせてくれないか?」
俺は乱暴に手を振りほどくと、真打に背を向けた。ったく、どこまでも自己中な男だ。
平政の元へ歩いて行くと、彼は目尻に皺を作って微笑んだ。
「大きくなったな、平人」
「まあ、いろいろあったからね」
平政は感慨深げに俺を見つめた。
「前に、『お前は父さんの誇りだ』と言っただろう? あれは、お前が特務統制官になったからというだけじゃない。平人が何者でも、父さんは誇りに思うよ」
「父さん……ありがとう」
平政は、俺が近づくと、おずおずと腕を伸ばした。中空を中年男の手が揺れる。撫でたいのか、抱きしめたいのか、よくわからない。ほとほと、父親としては頼りない男だ。
俺から行くしかないか。俺はため息をつくと、平政の胸に跳び込んだ。平政はしっかりと俺を抱きしめた。懐かしい匂いに混じって、加齢臭がした。俺はそっと離れた。
平政がはにかんだ。
「どうした平人、恥ずかしくなったか?」
「いや、そうじゃないんだけど……」
「そう遠慮せずに、父さんに言ってみなさい」
「……その、加齢臭が」
平政はショックを受けたように目を剥くと、あからさまに項垂れた。だから誤魔化してたのに。
それから、平政と階段に座ってしばらく昔話をした。初めて平野家に俺が引き取られた日のこと。俺は覚えていなかったが、一緒に高城之男パークに行ったこと。平政が作ったカレーが最悪に不味かったにもかかわらず、俺が全部平らげたこと。話が十歳の測定に移ると、平政は眉を下げた。
「お前がFランクになった時、何もしてやれなくてすまなかった」
「いや、いいよ。父さんも立場上いろいろ大変だっただろうし」
「そ、そうか……」
ふと前を見ると、柱の裏から七瀬がじっと俺のことを見つめていた。目が合うと、どこかぎこちない笑みを浮かべて、こっちへ来いと手招きした。俺は立ち上がると尻の埃を払って、平政を見下ろした。
「それじゃあ、ちょっと七瀬に呼ばれたから行ってくるわ」
「平人、たまには私にも顔を見せてくれ」
「うん」
俺は平政と別れて、七瀬のところへ行った。
「七瀬、どうしたんだ?」
「父さんの遺体を整えるのを、手伝ってほしいんだ」
あの後に異常事態がいくつも起こって気を取られていたが、大兄も死んでいたのだ。
「任せろ。俺も一応孫らしいしな」
七瀬は固い笑顔を見せた。
「ありがとう。それじゃあ行こうか」
七瀬は俺の手を引いて、金品をばら撒いている川口の元へ歩いて行った。
「川口、父さんを迎えに行く。手を貸したまえ」
「高城之男へ一致せよ」
川口が壬生に、担架とブルーシートを持ってくるよう指示した。俺と七瀬は先に、いくつかあるエレベーターの一つに乗り込んだ。七瀬が65階を押した。
扉が閉まり、狭い箱で二人きりになる。七瀬が、低い声で言った。
「兄さん。父さんは、どんな風に死んだんだい?」
「影打に撃たれて死んだよ。最後までグレトキンがなんとか、意味わかんねえこと言ってた」
「……そうかい」
俺は、自作したアンドロイドに首を絞められたくだりを割愛した。武士の情けである。
「父さんは、暇さえあれば本を読んでいたよ。前は、どうして本なんてつまらないものを読んでいるのかわからなかったけど、今なら理解できる気がする。きっと父さんは、このつらい現実から、ほんの少しでも離れたかったんだろうね」
「確かに、あいつはこの国を誰よりも深く知っていた。そのくせ、笑顔でカスみたいな提案をしてくるからタチが悪いけどな」
「ふふふ、父さんは昔から変わらないね。でも、そういうキモいところが面白いんだ。ボクは、そんな父さんに認められたくて、統制局長なんてものをやってたんだよ」
エレベーターが着いた。大兄は、あの時のまま倒れ伏していた。血だまりが広がっている。七瀬は死体に駆け寄ると、手が血で汚れるのも構わずに、大兄を仰向けにした。
大兄の顔面は蒼白だったが、その瞳は遠いどこかを見つめ、口元には自嘲的な笑みが残っていた。大粒の涙が七瀬の白い頬を伝い、大兄の顔に落ちた。七瀬は、静かに大兄の両目を閉じさせた。
「父さん、おやすみなさい」
気づけば、俺は両手を合わせていた。七瀬がキョトンとまばたきをした。
「キミは何をしているんだい?」
「弔ってんだよ。三百年前は皆こうしてた」
「ふーん、変なの。高城式敬礼みたいなものかな」
「そっちの方が変だろ」
壬生と川口がやって来た。二人は、揃って高城式敬礼をして、黙祷した。それが済むと、皆で大兄の遺体をブルーシートでくるみ、担架に乗せた。壬生がため息をついた。
「死者を送り出すのは、あまり嬉しい役回りではないですな。平野統制官、高城局長、後のことは我々がやっておきます」
「ボクらはもうそんなんじゃないよ」
「最後くらい口に馴染んだ呼び方で呼ばせてくださいよ」
「……それじゃあ、壬生統制官、君に父さんは一任するよ」
壬生は疲れ切った笑みを浮かべた。
「こういうのは、大人に任せておけばよいのです」
大兄が運び去られると、俺たちはトイレで汚れた手を洗った。男子トイレから出て、七瀬が出てくるのを待つが、なかなか出てこない。
微かに涙声が聞こえた。俺は反射的にトイレに駆け込んでいた。
「七瀬、大丈夫か!?」
呼び掛けると、個室から伸びた手に引きずりこまれた。七瀬が、俺の背中に顔を埋めていた。小刻みに肩を震わせ、嗚咽を漏らしている。
「ごめんね、兄さん……少しだけ、ここにいてくれないかい?」
「それくらいお安いご用だ」
大兄もこう言っていたっけ。あいつは、どんな気持ちで俺や七瀬を見ていたのだろうか。最期まで煙のように掴み所のないクソ野郎だった。
俺が彼女の手を握ると、七瀬は決壊したようにすすり泣いた。その間、俺はしばらく壁を見つめていた。俺の顔のポスターが貼ってある。正面からこちらを見据える高城之男の下には、『偉大なる高城之男があなたを見ている』という一文が書かれていた。例のアレのパクリじゃねえか。こういうのは大兄の趣味だろう。本当に性格が悪い。
七瀬は一頻り泣くと、俺の身体から顔を離した。
「ありがとう。ボク決めたよ。兄さん、いや、平人」
「は、はい」
思わず背筋が伸びる。七瀬は俺の腕を掴んで、自分と向き直させた。涙の跡が残る顔が薄暗い個室の中ではっきりと見えた。彼女は俺の瞳をまっすぐに見上げ、掠れた声で言った。
「今日をもって、ボクはキミに一致することをやめます」
「……どういうこと?」
俺がポカンとしていると、七瀬は早口で捲し立てた。
「いつまでもキミに寄りかかっているわけにはいかないだろう? それに、このままじゃあいつらにも勝てない」
「つまり、適切に距離を取ろうってこと?」
「違う!」
七瀬はビシッと俺に人差し指を突きつけた。
「高城七瀬として、キミを落としてあげるから、覚悟しろってことさ」
胸が高鳴った。俺は、七瀬のあどけない笑顔の中に、確かに彼女の芯を見たような気がした。七瀬は、俺と似ているが、俺ではない。彼女もまた、一人の人間なのだ。
「七瀬……」
「返事を今すぐ寄越せとは言わないさ。時間はボクの味方だ」
俺が言いよどんでいると、七瀬は扉を開けて外へ出た。眩しい光に、俺は目を細めた。七瀬は両手を後ろに組み、逆光を背に振り返った。
「行こう平人。みんな待ってるよ」
「……ああ、そうだな」
まだ最後にやるべきことが残っていた。ガラティアのメインサーバーに行かなければ。俺はエレベーターに向かって足を踏み出した。
俺たちはエレベーターに乗り、一階へ戻った。扉が開くと、エレベーターの周りには、エントランスにいた連中が勢揃いしていた。反乱軍、一致省、そして……相違教。似内司教が滝のような涙を流し、跪いた。
「うおおおおおおおおお! 信徒平人おおおおおおおお! なんという聖なる! 聖なる試練なんでしょうかああああああ!」
田上が司教を殴って黙らせた。
「うるせえよ! 平野、シャキッと決めてこいよ!」
俺はしっかりと頷いた。ウィンストンが口を開いた。
「それにしても、本当に一人で行くのか? 誰か連れて行った方が良いんじゃないか? 田上とか」
「なんで俺!?」
焦ってくわえようとしていたタバコを取り落とす田上。こんな時でも吸おうとするんじゃねえよ。
「いや、これは俺とあいつの問題だ。最後は俺一人で行かせてくれ」
「そうか、なら良いんだ。平人! 君ならできる!」
俺はおもむろに周りの連中を見回した。平政、七瀬、ウィンストン、ジョン、田上、エリ、サユリ、真打、テレンス……それから、クラリス。
クラリスは俺と視線がかち合うと、静かに言った。
「平人、あたし、待ってるから」
「夕飯には間に合うようにするよ」
「冗談でも変なこと言うんじゃないわよ!」
怒られてしまった。七瀬が頬を引きつらせて、ため息をついた。
「あえて言わないでおくけどさ、それはないよ。流石に」
「うるせえ! そもそも、こんな大々的に送り出してくんな! 俺、死ぬのか!? 死んじゃうのか!?」
「そうは言ってないだろう! まったく、平人はまったく!」
田上が小さく吹き出したのを呼び水にして、次々とその場のやつらが笑い出した。俺も笑った。一頻り笑い終えると、俺はエレベーターに乗り込んだ。
> Local Nanomachine Sync... [OK]
> Cached Relay Session... [ACTIVE]
> Privilege Level: LIMITED_ROOT
> ./override_elevator --target MOA_ELEVATOR_01 --destination B666
> Hidden Floor: B666... [FOUND]
> Destination Lock... [BYPASSED]
> Descent Route... [ACTIVE]
管理者権限を起動し、エレベーターの降車場所を、隠された地下666階に設定する。
扉が閉まる間際、真打が叫んだ。
「平野! がんばれよ!」
「ああ!」