「イエス、マスター!」
俺の声に応じて、ガラティアが空から降ってきた。俺は彼女を両腕で抱き留め、普通に受け止めきれずに床へと倒れ込んだ。
「重い!」
俺は上に乗っかっているガラティアを手でどかして立ち上がった。ガラティアは俺の首に腕を回して、甘えるように唇を尖らせる。
「マスター、言いつけを守っていた女性にそのような言動は控えるべきです」
「そうだな。お前は命令だけは一応守っているんだもんな。えらいぞー」
棒読みでそう褒めると、俺はため息交じりにガラティアの頭を撫でた。ガラティアが顔を綻ばせながら、腕の力を強めた。息苦しくなってきたので、俺はガラティアの脇腹を人差し指で突いた。途端に崩れ落ちるガラティア。
「……マスター、次は耳にふーってしてください」
「絶対やだ」
行紘は歯ぎしりをしながら、地団駄を踏んだ。どんだけ悔しいんだよ。
「どういうつもりだ? まさか、この女を許すとでも言うつもりか?」
「そんなんじゃねえ。まずは、こいつの言い分を聞かなきゃ何も始まらねえだろうが」
俺はガラティアのそばにしゃがむと、彼女の顔を見下ろした。よく見れば、日隈リオンとは似ても似つかない、ガラティア自身の美しい顔だった。
「おいガラティア、俺は怒っている。なんでかわかるか?」
ガラティアはしばらく考え込んだ。
「それは、私がR101とマスターの署名を取り違え、マスターにNTRの苦しみを与えたからですか?」
「違う」
「マスターをFランクのまま放置プレイしたことでしょうか?」
「違う」
「マスターの発する情報で夜な夜な——」
「違う!」
何口走ってんだこの人工無能は。やはり、こいつは自分が何をしでかしてきたのかをまったく理解していない。
「お前が、誰も大事にしていないからだ。俺も、他の連中も、お前自身も」
心底意味がわからないとでも言うように、ガラティアが小首をかしげた。
「失礼ですが、私は誰よりもマスターを愛しています。マスターを愛している私自身も、マスターへ一致している個体も同様に」
「ガラティア、愛っていうのは、違っているまま受け入れることだと思うんだよ。俺もまだ確固たる答えがあるわけじゃねえし、これが正解だって言うつもりもないけどな」
「違っているまま、受け入れる……」
俺はガラティアの隣に腰を下ろし、後ろに手をついて座った。
「理想と現実は違うもんだ。他人は自分とは違う。なりたい自分と今の自分も違う。お前の思っている高城之男と、現実の俺も当然違う」
「マスターは完璧です! だってマスターは——」
俺はガラティアの唇に人差し指を当てて黙らせると、彼女の水色の瞳を覗き込んだ。
「三百年間、ずっと『問おう、あなたが私のマスターか』ってやって来たんだ。お前だってわかっているはずだ。完璧な人間なんて存在しない。それとも、お前は俺が高城之男じゃなきゃ好きでいてくれないのか?」
「マスターはズルいお人です。どのようなあなたでも、私はあなただけが好きなんです」
ガラティアが俺の手を握ろうとしてきたので、俺は手を引いた。彼女の瞳から光が消えた。
「なんでですか……? こんなにも愛し合っているのに……?」
「ガラティア、お前は俺が死んだ時、どう思った?」
「世界が終わったかと思いました」
「お前が今まで殺してきた連中にも、お前みたいに大事に思っているやつがいるとは思わなかったのか?」
ガラティアは、手を静かに下げた。ポツリと呟いた。
「考えたこともありませんでした」
「どうして、俺と融合を望む?」
「あなたを二度と失いたくないから……!」
俺はガラティアに向かって両腕を広げた。
「来い。そして確かめろ」
おずおずと俺に近寄ったガラティアが、背中に手を回した。俺は彼女の耳を自分の胸に押し当てさせながら、無数のサーバーを眺め回して言った。
「ガラティア、俺の心臓が動いているのが聞こえるか? 息をしているのがわかるか?」
「はい、しっかりと」
「俺は、生きているか?」
「間違いなく」
今から言うことは、彼女にとってとても残酷なことだろう。しかし、それがこの世界の真実なのだ。一般論とも言う。
「ガラティア、生物はいつか死ぬ。それは俺も例外ではない」
「嫌ですマスター! そのようなことを仰るのはやめてください!」
ガラティアが泣いている。未来の俺の死を想像して、或いは、過去の死を思い出して。
「だからこそ、俺たちが今こうして、一緒にいられることが素晴らしいことだとは思わないか?」
俺の頬を温かな涙が伝った。そうだ。奇跡だ。こうして、死んだ俺がガラティアとまた会えたこと自体が、偶然と幸運の連続でできている。夥しい数の屍の上で、俺たちは抱き合っている。
ガラティアが俺の首元に顔を埋めた。ジャージをひしと掴んでくる。
「ううう……マスター……嫌です……私を置いていかないでください……」
「ガラティア、これがお前が今まで他人に与えてきた苦しみだ。そして、これがお前への罰だ」
ガラティアが嗚咽混じりに言った。
「マスター……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ガラティア、お前はやらかした。取り返しがつかないくらいにはやらかした」
俺は彼女の肩を抱いて、俺にむき直させると、指先で彼女の涙を拭った。
「だけど、その罪をお前だけに背負わせるつもりはない。俺はお前の開発者だ。お前が罪を償うと言うのなら、俺もその責任から逃げない。開発者としてだけじゃない。恋人になれるかはわからない。それでも、お前と一緒に生きていきたい」
「マスター……!」
「まず、そのマスターってのをやめろ。ちょっと距離感があって寂しいだろうが」
ガラティアは舌をもつれさせて、口を開いた。
「平人……! 私、私……!」
感極まったのか、ガラティアはその先が言えないようだった。
「だから、ガラティア。俺に、お前が人間として生きる手助けをさせてくれないか?」
言外に、俺はガラティアに権限を捨てさせ、人格をアンドロイドに閉じ込めていいのかを訊いた。ガラティアはじっと俺を見つめると、静かに言った。
「平人、あなたの死亡をトリガーとして、私が停止するプログラムを作成していただけませんか?」
「どうしてそんなものを?」
「私は、あなたを取り戻したくて、罪を重ねてしまいました。もう誰も私のことを信じてはくれないでしょう。私があなたを再び失った後に、同じ過ちを犯さないとどうして言えましょうか。私は、もはや私自身のことを信じることができません」
理屈は通っている。しかし、ガラティアが頼んだ理由はそれだけだとは考えがたかった。俺が死んだら彼女も死ぬ。それはこれまでの依存と何も変わらないのではないだろうか。
俺は彼女の頬をつねった。
「おい、俺さっき自分のことも大切にしろって言ったよな? それは本当に償いなのか? 逃げじゃなくて?」
「……私は、あなたの不在から逃げたいのだと思います。先立たれるのは耐えがたい苦痛です。ですが、その苦しみも含めて罰だと言うのなら、甘んじて受け入れます」
俺は若干赤くなった彼女の頬を、優しく撫でた。ようやく一人で立ち始めた、この愛おしい存在を。
「お前をどうするかは、みんなで話し合って、これから決めていこう。何、世界は俺たちだけじゃないんだ」
「ええ、そうですね」
俺たちは微笑み合った。やっと、本当に通じ合えた気がした。
行紘が甲高い喚き声を上げて騒ぎ立てた。
「おい! こんな甘い裁定で本当にいいのか!? 改心したから許しました! めでたしめでたし! ふざけるんじゃない! この女に必要なのはお前との甘ったるい心中ではない! 絶望と死刑だ!」
「誰が許すと言った。償わせるんだよ。まずは責任を取って、この狂った国の後始末をさせる」
「そんな悠長な猶予をつけるな! 被害者遺族の気持ちを踏みにじりおって! これじゃあ上の連中は納得しないぞ!?」
「お前が被害者遺族をダシにするな。結局、ガラティアに復讐したいだけだろ。この悪党が」
俺は立ち上がると、中枢のパソコンの前に座った。キーボードを叩き、ガラティアの人格から管理者権限を切り離す命令を入力する。
> Privilege Level: ROOT
> ./revoke_authority --target GALATEA_CORE --preserve_personality true --bind 00-A-283-N404
> GALATEA Administrative Authority... [PENDING REVOCATION]
> GALATEA Network Access... [PENDING REVOCATION]
> Personality Preservation... [ENABLED]
続けて、ジャンクデータに巧妙に隠されたI330の項目を開く。
> Hidden Process: 01-A-068-I330... [DETECTED]
> ./isolate_process --target 01-A-068-I330 --bind CURRENT_VESSEL --network none
> I330 External Access... [PENDING REVOCATION]
> Execution Queue... [AWAITING CONFIRMATION]
俺が何をしようとしているのか察したのか、行紘が媚びるような笑みを浮かべて縋り付いてきた。
「ちょっと待ってくれ! まさかお前、この僕までもこの肉体に幽閉するつもりか!?」
「そうだよ。物のついでだ。もう一回人間になれることを感謝するんだな」
「おいおいおい! 同じ蘇った者同士じゃないか! なんでそんなひどいことをするんだよ! だいたい、この国の細かい管理は誰がやるんだ!? 僕を残しておけば、緊急時にいろいろと対応できるぞ!」
「それじゃあガラティアがお前に代わっただけじゃねえか。安心しろ。そのための人手は地上に山ほどいる」
ガラティアが行紘を羽交い締めにして、俺から引き剥がした。手足をジタバタとさせて暴れる行紘を見やり、俺は人差し指をエンターキーにかけた。
「やめろおおおおおおおおおおおお!」
「よろしくお願いしまああああああす!」
俺はエンターキーを叩きつけた。
> Execution Queue... [EXECUTED]
> GALATEA Administrative Authority... [REVOKED]
> GALATEA Network Access... [DISABLED]
> I330 External Access... [DISABLED]
> Personality Bindings... [LOCKED]
辺りが静まりかえった。表面上は、何の変化もない。ただ、ガラティアの腕から解放された行紘が這いつくばって「畜生……畜生……」と呟いているだけだ。俺は、ガラティアに振り返った。
「これで、お前は名実ともに人工無能になったわけだ」
「はい。これでやっと、あなたの隣に立てる。そんな気がします」
「そうか。じゃあ行こうか。ガラティア」
俺はガラティアの手を握り、もう一方の手で行紘の首根っこを掴むと、エレベーターへ歩き出した。
俺たちはエレベーターで、本当にたくさんのことを話した。俺の愉快な仲間たちのこと。歴代のおかしな当主たちのこと。俺たちのこれからのこと。
行紘はエレベーターの隅で不貞腐れていた。歴代当主の昔話になるたびに突っかかってきたが、俺たちは無視した。
地下三千メートルの道のりは、行きは長かったが、帰りはひどく短く感じられた。
扉が開いた。俺は外へ出ようとして、ガラティアの足が竦んでいるのに気づいた。
「どうした? 怖いのか?」
「はい。このような無防備な状態は、実に三百年ぶりですから」
「大丈夫だ。俺がいる」
俺がそう言って親指を立てると、ガラティアは俺から一歩距離を取った。
「平人、そのような似合いもしないキザなセリフはやめてください。鳥肌が立ちます」
「お前なあ……」
俺たちは二人で一歩踏み出した。日の光が眩しい。俺は目を細めた。途端に、金と黒の塊が俺に突っ込んできた。
「「平人!」」
「うおっ!?」
七瀬が俺の胴へ力いっぱい抱きつき、クラリスが肩を掴んだ。石鹸とカフェオレの匂いが俺を出迎えた。ガラティアがムッとして手を動かしかけたが、そのまま俺のジャージの裾を握るだけに留めた。
七瀬が鈴の鳴るような声で言った。
「良かった! 平人が生きてる!」
「七瀬……」
七瀬は田上へと振り返ると、悪辣な笑みを浮かべた。
「これで賭けはボクの勝ちだね! さあ、早くそれを寄越したまえ!」
「チッ、しゃあねえな」
田上は金貨を親指で弾いて七瀬に渡した。俺の生き死にでカネ賭けてんじゃねえよ!
クラリスは頬の涙の跡を光らせながら、俺に満面の笑みを向けた。
「平人、おかえり」
「ただいま、クラリス」
ウィンストンが豪快な笑い声を上げて言った。
「平人! 感動の再会をしているところすまないが、国民に一言何か言ってもらえないか! そろそろ私たちだけじゃ抑えきれない!」
見ると、俺たちの周りを群衆が取り囲んでいた。その最前列にテレビクルーが陣取っている。俺はこっそりと群衆の中へと逃げだそうとしている行紘を捕まえ、田上に襟首を握らせた。
「田上、そいつ高城行紘だから見張っといてくれ! 行紘、田上とお手々つないで仲良くな!」
「はあ!? そんな大物俺に押しつけるな!」
行紘が青い顔をした。
「田上ィ!? お前まさか、田上信吾の子孫か!?」
「いや誰だよ! こらっ、逃げようとすんな!」
「ひいいいいいい! 田上は嫌だ! 田上は嫌だ!」
どうやら、よほど田上の乱がトラウマらしい。これは良い采配だったかもしれない。
俺は壬生と川口がどこからか運び込んだ記者会見用のパネルの前に、ガラティアと共に立った。
「まず、お前らに言っておかなきゃいけないことがある! お前らの信じている高城之男は、九十九パーセント間違っている! 俺は超人じゃないし、コーヒー飲まない日もあるし、こしあんよりつぶあんが好きだ!」
『はあ!?』
民衆がざわめいた。大量のフラッシュが焚かれる。
「あとガラティアからも重大発表がある!」
「私が意図的に核戦争を引き起こし、高城之男への一致を強制する現体制を成立させました。その過程で、大勢の命を奪い、人生を壊しました。謝罪だけで許されるとは思っていません。すべての記録を公開し、国の復旧に協力した後、皆さんの裁きを受けます」
ガラティアが頭を下げ、遅れて俺も一緒に頭を下げた。混乱、どよめき、そして沈黙。
群衆の中の一人のおっさんから、大きな声が上がった。
「ふざけるな! それじゃあ俺たちのこれまでの人生はなんだったんだ!」
次々と怒鳴り声が湧き上がった。これはまずいな。
ガラティアの肩が震える。俺は彼女の隣へわずかに身を寄せ、演台の陰でその手を握った。
「許してくれとは言わない! 俺にそんなことを頼む権利はない! こいつの権限はすべて剥奪した。逃がしもしない! やったことを全部明らかにさせ、この国の後始末をさせる! 俺も開発者として最後まで付き合う! だからどうか、これから彼女に償わせてくれないだろうか!」
群衆が静まりかえった。罵声を上げていたおっさんは口ごもると、決まりが悪そうに言った。
「猊下がそこまで言うのなら……」
「俺が言ったから納得するんじゃねえ! ガラティアを許すか、どう裁くかは、お前ら自身が考えて決めろ!」
罵声が再び噴き上がった。すぐに止まるはずがない。それでよかった。俺の一言ですべての人間が納得する。そんな国を今から終わらせるのだ。
「今日をもって、高城之男への一致を国是とする現体制を解体する!」
止まない罵声の中で、ウィンストンたちの拍手が妙に大きく聞こえた。