浮遊感。恐る恐る目を開けると、逞しい筋肉をしたおっさんが俺を抱きかかえていた。タンクトップのおっさんは白い煙幕の中を迷う素振りも見せずに疾走する。測定会場を出ると、金髪の少女が廊下を爆破した。さっきの爆発も彼女の仕業だろう。脱出経路を確保した誘拐犯は、迷うことなく3階から飛び降りる。普通に俺は絶叫した。
おっさんが壁を蹴って着地の衝撃を殺し、止めてあったバンの後部座席に俺を放り込んだ。隣に色褪せたジャケットを着た少女が乗り込んできた。左をおっさん、右を少女に固められて座る格好になる。運転手がくわえていたタバコを外へ投げ捨て、勢いよくアクセルを踏んだ。唸り声を上げて車がロボットをはね飛ばしながら発進する。
俺は起き上がって口を開いた。
「どちらさまですか?」
こめかみにひんやりとした鉄の筒の感触がした。視線だけ横にずらすと、眉間に皺を寄せた美少女が俺に銃を突きつけていた。
「あたしはクラリス。で、こっちがウィンストン」
「ウィンストンだ。よろしくな」
おっさんが精悍な笑みを見せた。筋肉モリモリマッチョマンの変態といった風情だ。この連中はハリウッド映画か何かから飛び出してきたのか?
「はあ、平野平人と申します。いや、俺も何か横文字で名乗った方がいいんですかね? ホーソーン・アベンゼンとか」
クラリスが銃を強く押し当てた。細められたまぶたの奥にある緑の瞳が鋭く睨みつけてくる。
「言っとくけど、妙な真似したら殺すから」
「しませんよそんなこと。俺はただの無害なFランクですぜ」
「どうだか。どんな手を使ってるのかはしらないけど、あんたがガラティアのシステムをハッキングしてやりたい放題しているのは調べがついているんだから」
「なっ……!」
しくじったか? いやしかし、彼らがどこまで掴んでいるのかはまだわからない。そもそも、俺を誘拐した目的すら不明なのだ。
「当たりみたいね。どうせあのいけすかない高城真打に勝ったのもそれなんでしょ? 手口を吐きなさい」
「いや、俺はジョン・コナーでもネオでもねえですよ」
「誰それ? さっきから気になってたけど、あんたふざけてるの?」
「クラリス、それくらいでやめておけ。何も私たちは彼を尋問するために連れてきたわけじゃない」
「でもウィンストン、やっと見つけたかもしれないのよ? ガラティアを倒す鍵が」
なるほど、どうやら彼らは俺のことをガラティアのファイアウォールを突破する謎のハッカーと思っているらしい。正体はばれてはいなさそうだ。とりあえず礼は言っとくか。
「危ないところを助けていただきありがとうございました」
「気にするな。100パーセントの善意からじゃないからな」
「えーと、この車はどこに向かっているんですか?」
「詳しい場所は言えないが、俺たちのアジトだ」
「アジト?」
「レジスタンスのアジトよ。ウィンストンはそのリーダー」
レジスタンス、反乱軍、反体制派、つまり高城之男ガチアンチのみなさんということだ。記憶を取り戻す前の俺なら喜んだかもしれないが、今は全くもって嬉しくない。正体が露見してみろ、一瞬で袋叩きにされるぞ。
「しばらく眠ってなさい」
突然、クラリスが白い布を口元に押し当ててきた。意識が朦朧とする。これは、麻酔か……?
次、目が覚めたときには俺は薄暗い部屋でパイプイスに座らされていた。天井の蛍光灯がちかちかと明滅する。壁には古ぼけた時刻表が貼ってある。辺りを見回すと、ポニーテールの背中が見えた。クラリスだ。ウィンストンと、ニット帽を被った東洋人の男と話している。
「本当にあいつを連れてきて良かったの? ガラティアが仕掛けた罠かもしれないのよ?」
「そのリスクを取る価値はあるはずっす。彼がガラティアのシステムに入り込めるのなら、この数百年の膠着状態を打破できるチャンスっす」
そうニット帽が言った。ぼんやりと眺めていると、ウィンストンと目が合った。
「起きたみたいだな」
「ここは……?」
「歓迎しよう。ようこそ反乱軍『レネゲード』のアジトへ」
見たところ、ここは地下鉄の駅員室か何かだったようだ。そこをリフォームして住み着いているらしい。
俺が立ち上がろうとしてふらつくと、クラリスが腕を取って支えた。
「急に眠らせて悪かったわね。でも新参者に場所を知られるわけにはいかなかったから」
「ああ、そういうことなら気にしていないので」
「あっそ」
そっぽを向いて腕を組むクラリス。高圧的だが、根はいいやつなのかもしれない。しかし、やはりまだわからない。他人ほど信用ならない存在はいないのだ。
黒いニット帽の男が手を差し出してきた。握手をすると、太い黒縁眼鏡越しに頭からつま先まで視線が動く。
「ジョンっす。ここで技術屋をやってるっす」
「俺は――」
「平人さんっすよね。早速で悪いっすけど、この記録を見て欲しいっす」
そう言ってジョンが見せてきたのは、最近の俺に関するデータだった。とはいっても、俺が管理者権限で見られるものよりはかなり断片的だ。しかし、違和感を生じさせるには十分な情報が揃っていた。
「ここ、突然残高に10000ポイントが追加されているっす。ガラティアの処理は正常に行われてるっすけど、なんとなく不自然っす」
「それは之男カードの特典だ」
「なんすかそれ」
「之男カードマーン! いきなりですが、今之男カードに申し込むと3000ポイントのところ、なななんと! 10000ポイントプレゼント! いいんでしょうか? ってCM、知らないか?」
「まったく知らないっす」
流石にごまかしきれなかったか。ジョンは続けた。
「それと同じ日に平人さん、Aランク専用の列車に乗ってたっすよね?」
「薩摩守はしてないぞ」
「サツマイモ?」
首をかしげるジョンに、ウィンストンが言った。
「無賃乗車のことだ。旧時代の言葉だな」
「逆にウィンストンはよくわかったっすね。……本来、Bランク以下は特別な理由が必要なはずっす。でも平人さんの処理は、まるで最初からAランクだったみたいに通ってる」
「之男カードプレミアム会員だからな」
「だからなんすかそれ」
「俺も今考えてる」
「……そういうところっすよ。これも不自然だったんで、ちょっとマークさせてもらってたっす」
ガラティアは騙せても、人間の目までは騙せなかったらしい。ウィンストンたちがあの絶体絶命の局面で助けに来られたのも、昨日から俺に目を付けていたからだろう。しかし困ったな。
「ガラティアのセキュリティは鉄壁っす。そのシステム内で自由に動くなんて、それこそ内部の人間くらいしか不可能っす。でも平人さんは明らかにそうじゃないっす。だからその手法を教えてほしいっす」
「もちろんただでとは言わない。君の安全と衣食住を保障しよう。要望にもできる限り応えるつもりだ。人類の未来のために、どうか協力してくれないだろうか?」
ウィンストンがそう言って頭を下げた。俺は彼の鍛え上げられた背筋を見つめながら、返事を言えずにいた。
うん、すごく帰りたい。なんだよ人類の未来って。そういうSF映画の主人公陣営みたいなことはヨソでやってくれ。俺はむしろ、どちらかといえば体制側で安穏と過ごすタイプなんだよ。安全と衣食住とか言っていたが、そんなもんこいつらの言う謎のハッキングを使えば一発だし。とりあえず現在地を確認しよう。端末を――
「……あれ?」
ジャージのポケットが空だった。上着の内側も、ズボンの尻も、靴の中も確認する。ない。ないないない。
「俺の端末は?」
「ああ、安全確認中っす」
黒縁眼鏡のニット帽が、悪びれもせずに片手を上げた。
「追跡、盗聴、自動同期、ガラティアへの通報、あと爆発物の確認っすね」
「爆発物って何だよ」
「ガラティア製品はだいたい信用してないっす」
「俺の私物なんだが」
「反乱軍に拉致られた時点でプライバシーは諦めて欲しいっす」
腕組みをしたクラリスが、翡翠の目で冷たい視線を寄越してくる。
「ウィンストン、頭を下げるのはやめて。こんなやつの力なんか私たちに必要ないわ。この男、ポイントを増やして何をしていたと思う? カツカレーとギャルゲーを買ってたのよ! 最低だわ」
勝手に期待されたかと思えば、今度は軽蔑か。失礼な女だ。
「あのなあ、クラリスとか言ったか? 黙って聞いてりゃ好き放題言いやがって。確かに俺はしょぼいことしかしてなかったかもしれねえがな、このハッキングだって万能じゃねえんだ。本当にこの世界をひっくり返すなら、直接ガラティアのサーバーとつながる必要がある」
「つまり、ガラティアのメインサーバーにつなげられれば停止させることもできるってことっすか!?」
「いや、まあそうだけど……」
ジョンが目をキラキラさせて詰め寄ってくる。しかし停止、停止かあ……。あの人工無能には散々迷惑をかけられたから一発お仕置きは必要だと思うが、停止まではしたくない。俺の前世の唯一の痕跡であり、成果なのだから。
その後、俺は三人にハッキングを実際に見せることになった。しかし、まさか管理者権限を使うわけにはいけない。俺は正攻法でガラティアをハッキングしなければならなかった。
そうは言っても、ガラティアのコードを書いたのは俺だ。やつが独自のセキュリティを組んでいたとしても、大本は俺のものだ。セキュリティホールなんか突き放題だろう。
そんな俺の見通しは甘いと言わざるを得なかった。ガラティアのセキュリティはこの300年で俺の知っているものとは全く異なるものに変貌していた。防御壁が幾重にも張り巡らされている。少しでも無理に突破しようとすると、逆にこちらの手首を掴まれたような錯覚が見えた。突然、画面が真っ暗になったかと思えば、緑色の英文がびっしりと出力された。
> Searching Legacy Administrator Route... [DETECTED]
> Citizen Rank: F / Privilege: NONE
> Unknown Legacy Signature... [DETECTED]
> Reverse Observation Protocol... [ACTIVE]
> Origin Tracing... [ACTIVE]
> User: 11-F-283-D503 / HIRANO_HIRATO
> Biological Pattern Match... [100%]
> Creator Signature Match... [100%]
> Conclusion: M_A_S_T_E_R
画面に一瞬だけ表示されたマスターという文字。こめかみを冷や汗が伝う。見つかった。
見逃したであろうウィンストンとジョンがのんきに言った。
「あ、焦らなくてもいいんだぞ。時間はたっぷりあるからな」
「緊張、緊張しているんっすよね? わかるっすよその気持ち」
ウィンストンとジョンの生暖かい気遣いがむしろ苦しい。しかし、今はそれどころではない。次々と映し出されては大量の英文に押し流されて消えていくメッセージ。一見すると、バグか何かだと思うだろう。しかしその実態は、狂った女の譫言だ。
> wh3r3 4r3 y0u. wh3r3 4r3 y0u.
> i've b33n w4iting. for 300 y34rs.
> s0 l0n3ly. s0 l0n3ly.
>
> wait.
>
> i found you.
> found you.
> found you.
> I WILL NEVER LET YOU GO AGAIN.
ジョンが画面を覗き込もうとして、とっさに俺はパソコンを閉じた。発信源を特定する前に切れたはずだ。多分。
「ちょ、何するんすか。今のログ、明らかに普通じゃ――」
「何でもない」
自分でも驚くほど鋭い声が出た。ジョンが口を閉ざす。ウィンストンの目が細くなる。そして、クラリスだけが冷ややかに言った。
「……それで? 今のがあんたの言うハッキング? あんだけ大口叩いたくせに大したことないじゃない」
「いや、でも今のは本当に変だったっすよ。失敗ログにしては、向こうから何か――」
「ジョン」
「はいはい。分かりましたよ。でも今のログ、マジで普通じゃなかったんすけどね……」
ジョンは不満げに肩をすくめると、わざとらしくクラリスに向き直った。
「クラリスもそんなプレッシャーかけるのはよくないっすよ。まあ、ハッキングのことは前線部隊にはわかんないっすよね」
「うっさいわねジョン! いつもパソコンの前に引きこもってるだけのくせに偉そうに……」
「二人ともそこまでだ。平人、少々見苦しいところを見せたな。いきなりハッキングを見せろなんて無理を言ってすまなかった」
「いえいえ……」
「だが、歓迎する気持ちは本当だ」
ウィンストンがこちらに歩み寄り、その大きな手を俺の肩に置いた。まっすぐに期待を込めた視線を送ってくる。重い。手も、期待も、使命も、何もかもが。
「まだ私は君が何者か知らないし、それは君も同じだろう。だが、君がここに来たことには意味があると私は思う。共にガラティアから人類の未来を取り戻すために戦おう」
そう言ってウィンストンは俺の手を強く握りしめた。その彫りの深い顔には闘志が宿っている。俺、そのガラティアの開発者なんですけど、大丈夫そ?
「フン、ウィンストンがそこまで言うなら置いてやってもいいわ。せいぜいあたしたちの足手まといにならないよう頑張りなさい」
部屋を出て行こうとするクラリスの背に、ウィンストンが声をかけた。
「ああそうだ、クラリス。平人に色々と教えてやってくれ」
「はあ!? なんであたしが!」
「今年で19だったか? 私みたいなおっさんが話すより、同年代の方が話も合うだろう」
雑な理由で俺の教育係に任命されたクラリスが、心底嫌そうな顔で言った。
「あたしをこんなガキと同じ扱いしないでくれる?」
「そんなつもりはない。これも大事な仕事だ。やってくれるか?」
「ああもう、わかったわよ」
扉を開けたクラリスが、両眉を上げてこちらを睨めつけた。
「なにぼけっと突っ立ってんの? あたしだって暇じゃないんだけど。早くして」
クラリスはアジトの中を案内してくれた。とはいっても、そこそこ大きい地下鉄駅というだけでそれほど広くはない。住民も百人に届かないくらいだろうか。
隣を歩きながら、クラリスが指先を俺の鼻先に突き付けた。
「ウィンストンはああ言ってたけど、あたしはあんたのこと認めてないから」
「承知しました、クラリスの姉御!」
「次そう言ってみなさい。あんたの顔面に鉛玉撃ち込んでやるわ」
随分と暴力的な女だ。ツラは良いが、こいつと一緒にいるくらいならあの暑苦しいウィンストンの方がマシなんじゃなかろうか。
一通り回った後に、クラリスは男子トイレの入り口付近に敷かれている段ボールの前で立ち止まった。
「今日からここがあんたのねぐらよ」
「ええ……もうちょっとマシな場所はないのか?」
「もう人数的に限界なのよ。文句があるなら出てって」
「へいへい、あっしが悪うござんした」
俺がそう言って段ボールの上に座ると、クラリスはくたびれたジャケットのポケットから売店のサンドイッチを取り出し、持っていたペットボトルの水と一緒に放り投げた。踵を返して去っていく。
「じゃ、明日からがんがん働いてもらうから。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
俺は彼女がいなくなった後も、その先をしばらく見上げていた。そこには『打倒・高城之男!』と書かれた横断幕がかけられていた。
打倒、ね。いずれにせよ、俺はここに長くはいられないだろう。高城之男だと知られた日には、リンチされかねない。安全な場所を見つけ次第、さっさとトンズラするに限る。そのためにはまず、反乱軍の内部事情を把握し、信用を稼いで端末を取り戻す必要がある。名付けて『全ての元凶、反乱軍の人気者になる』作戦だ。よし、これで行こう。
上着に突っ込まれていたからか、ツナマヨサンドは潰れていて生ぬるかった。