橋が見えてきた。その袂に、七瀬が立っていた。両手を後ろに組み、俺の進路を塞ぐように道路の真ん中に立っている。
「待っていたよ、平人」
「……知ってたのか」
「みんな知っているさ。キミは隠し事が下手だからね」
七瀬は俺のタキシード姿を上から下まで眺めた後、まっすぐに目を見た。
「ここを通る前に、答えを聞かせてもらおうか。キミは、誰に告白するつもりなんだい?」
俺は自転車から降りた。誤魔化すことだけはしたくなかった。
「七瀬だ」
七瀬は、ポカンと口を開けた。しばらくすると、徐々に顔が赤くなってきた。
「え!? ボク!? クラリスじゃなくて!?」
「ああ、俺はお前が好きだ」
七瀬は狼狽えて後ずさりし、繰り返し悶絶した後、もじもじと足を動かした。
「もう取り消せないからね? それでもいいの?」
「ずっとそう言っているだろうが」
橋の方から歩いてきていたクラリスが、クラッカーを鳴らした。大笑いしてバシバシと七瀬の背中を叩いている。
「アハハハ! サプライズ成功! 七瀬、あんたまんまと騙されたわね!」
「キミまでグルだったのかい?」
「ええ、そして平人」
クラリスは俺を真っ直ぐに見つめた。よく見ると、目尻に涙が溜まっていた。
「絶対に七瀬を幸せにしなさいよ」
「いや、付き合うだけでなんか重くない? これプロポーズじゃないんですけど?」
「ただの告白にタキシード着てる男が何言ってんのよ」
「それはそう」
クラリスは大きく伸びをすると、天を仰いだ。
「あーあ! 振られちゃった! 七瀬、平人って、想像以上に拗らせてるから、頑張りなさいよ」
「ボクのダーリンを侮辱するのはやめてもらおうか」
「可愛くないやつ!」
クラリスはバイクに乗って去っていった。俺は顔面が幸福で崩壊している七瀬に言った。
「それじゃあ、七瀬が十七歳になるまで、恋人っぽいことは禁止ね」
「なんでだよ! そんなのあんまりだ!」
俺は深々とため息をついた。
「お前は十四歳だろ? なんなの? お前、俺にロリコンの汚名着させたいの?」
七瀬は俺の腕に引っ付くと、上目遣いでこちらを見た。
「愛の前には、年齢なんて些事さ。そうだろう……?」
俺は七瀬の肩を掴み、引っぺがした。
「一大事だわ! とにかく、七瀬。俺たちはプラトニックな関係を目指そう!」
「叔母と甥の時点で、それはもう無理な相談じゃないかい?」
「だまらっしゃい!」
それから、七瀬の猛攻が始まったのは言うまでもない。どうやら彼女は、俺がこの三年の猶予期間の間に、クラリスに取られてしまうことを恐れているようだった。そんなことはないのに。
ある日、ジョンが俺と七瀬、平政が住んでいる家に、変な装置を持って現れた。平政は、用事で出かけていて留守だ。ジョンはテーブルの上にVRゴーグルのようなものを二つ並べた。
「これはエンパシーゴーグルマークツーっす。完成したので、平人さんに見てほしいっす」
「なんで俺?」
「いやあんた、ガラティアとかいう化け物作った天才科学者っすよね?」
「そういえばそうだった」
七瀬がしげしげとゴーグルを取って、矯めつ眇めつした。
「何にエンパシーするんだい? まさか、またガラティア?」
「いいえ」
出来の悪いAIみたいな返答だな。ジョンは声を落とした。
「なんと、ガラティアの記録を利用して、擬似的に過去に飛ぶことができるっす」
七瀬は目を輝かせた。
「へー! 面白そう!」
俺は静かにゴーグルを置いた。
「ジョン、この産廃は処分しといてくれ」
「なんでっすか!?」
「とにかく、俺は血塗られた歴史をもう一度見るのはごめんだ」
七瀬が俺の腕を揺さぶった。
「えー!? いいだろう! 行こうよ過去!」
「ガラティアの記録って、ほぼ歴代当主の奇人列伝だが?」
「そう、これはボクたちの問題でもあるんだ。ボクは、キミのクローンの血が受け継がれて生まれてきた。その過程を知るのは、大切なことなんだよ」
「……しゃーねーな」
俺と七瀬はゴーグルを頭に付けた。ジョンがあっけらかんと言った。
「ちなみに、飛ぶ時間軸はランダムっす。現代に帰ってきたい時は——っす! じゃあ行くっすよ!」
「帰ってきたい時はなんだ? おい! ジョン!」
「三二一ドン」
ちったあ待つことを学べよ!
目を開けると、俺たちは記録局の中に立っていた。七瀬が俺を手招きした。彼女の隣に行くと、とある少女が本棚に隠れて、高城之男の写真を見てため息をついていた。
「はあ、始祖様が復活してくれたらなあ。そうしたら僕が第二夫人に立候補するのに」
状況的に、あいつが七代目の高城行音だろう。行音は妄想を終えると、俺たちの方に歩いてきた。目が合う。まずい。見つかった。
行音は目を丸くした。
「あら? どなた? その服装、統制局のものよね」
気がつくと、俺たちは統制局時代の格好をしていた。ジョンが気を利かせて、身につけたことのある服装の中で最もTPOに適した服を着るようにしたのだろう。そこまでできるのなら、記録局の服を着せてほしかったが。
「管理番号D503、平野平人です」
「L742、平野七瀬だ。高城大寛閣下に命じられて、過去の記録破棄が進んでいるのか確認しに来た」
え? この子、何勝手に俺の名字名乗っちゃってんの?
行音は目に見えてあわあわし出した。
「まあ大変。僕ったら、高城之男に一致するあまり、部下に命令するの忘れちゃってた」
それでいいのか、記録局長。
行音は記録官に、核戦争の資料を廃棄するよう命じると、笑みを浮かべた。
「君たち、ありがとうね。お陰で、また大寛様に叱られなくて済むよ」
「またって、しょっちゅう怒られているのか?」
「お恥ずかしながらね。でも、僕、ちょっと叱られるのが楽しみなんだ。叱っている時だけは、大寛様は僕を見てくれるから」
七瀬が鼻で笑った。
「フッ、始祖に発情しておきながら、当主にも色目を使うなんて、とんだ女狐じゃないか」
「それはそれよ。もちろん、高城之男が一番だけど、大寛様だって捨てたものじゃないわ。厳しいけど、その厳しさの中でこそ輝く優しさがあるの。そこがとっても一致的で素敵」
俺は七瀬に耳打ちした。
「ねえ、俺、今すっごく正体明かしてみたいかも」
「ダメに決まってるじゃないか。それともなんだい? ボクじゃ不満なのかい?」
「滅相もございません」
行音は眉をハの字にした。
「ただ、僕の気持ちが大寛様に伝わっているかが心配で……僕、彼以外ならもう始祖様しか考えられない」
俺はため息をついた。
「大寛閣下みたいな変わった人には、同じくあんたみたいな人がクリティカルヒットだと思うよ。俺も前に、同類みたいな女の子と会ったんだが、最高の恋人って異性の自分なんじゃないかって錯覚するくらいにはくらっと来たからな」
「……それはちょっと気持ち悪いかな」
「記録局長にだけは言われたくない」
そうこうしているうちに、行音は記録官に呼ばれて、どこかに行ってしまった。俺たちは記録局を出てエレベーターに乗ると、大兄の人相を滅茶苦茶悪くしたような壮年の男が乗っていた。俺はこの男を知っている。第六代当主の高城大寛だ。七瀬は即座に腕を斜め下に突き出した。
「高城之男へ一致せよ」
「うむ……時にそこの統制官。見ない顔だな。ちょっと僕の友人の話を聞いてもらえないか?」
俺たちが同意すると、大寛はあくまで友人の話であると前置きした上で、語り出した。実は、彼の友人は今、年の離れた姪に猛アタックされてしまっており、しかも徐々に心が傾きかけていて困っているという。伯父と姪の禁断の恋だ。ガラティアが許してくれるはずもない。
七瀬はムッとした顔で言った。
「そんなの簡単さ。付き合いたまえ」
「しかし、問題が多すぎる」
「だからって、一度きりの人生、好きな人と結ばれるのを諦めるって言うのかい? とことんナンセンスだね。しかもキミには、三百年待っていたストーカーも、やけにダーリンの理解者面してくる雌犬も、恋敵としていないじゃないか。何を迷う必要があるんだい?」
「僕の話ではない!」
いや、お前に友達いないのはわかってるんだぞ。この粛清マン。
大寛は意を決したように拳を握ると、頷いた。
「よし、僕も男になる時が来たか」
「やっぱり自分の話じゃねえか」
「口は災いの元だ。管理番号を教えなさい」
絶対報復する気だろうが。
「嫌です」
「……まあ、相談に乗ってもらった恩もある。今回は無礼を許そう。君たちもお幸せにな」
七瀬がびくりと飛び上がった。
「気づいていたのかい?」
大寛はエレベーターから出て振り返ると、悪辣な笑みを浮かべた。
「職業柄、人間観察には自信があるのでね」
エレベーターの扉が閉まり、中は俺たち二人きりになった。七瀬が、大寛の去った後を眺めて言った。
「ボクは、ずっと、キミへの気持ちが、外に原因があるんじゃないかって怖かったんだ。教育とか、血統とかね」
じっと俺を見つめる。
「でも、二人と話して思った。ボクはボクであるからこそ、キミに惹かれたんだとね」
俺は顔を手で覆った。頬が熱い。
「よくそんなこっぱずかしいこと言えるな」
「な……!? それはキミも大概だろう! それよりほら、ボクは話したんだ。キミも、ボクが安心して三年待てるようなことの一つくらい言っておくれよ」
そうか。彼女は、前からそういう言葉が欲しかったのだ。絶対に誰にも奪われないと確信できる言葉が。
「……俺は、自己愛が怖い。愛を自分だけに抱え込むような狭量なやつになるのが。それで、お前は俺とすごく似ているから、お前を好きになるのが、自己愛の証明になるんじゃないかという考えがたまに過ることがある」
「でも、キミって自己評価すっごい低いよね?」
「卑下と自己愛は両立するんだよ。むしろ、自分のことが好きすぎると、過剰に自分を下げること自体が気持ちいいことがあったりする。理想と現実の自分が乖離する前に、自分から突き放すんだ」
俺も、追い詰められた時は、度を超した卑下をしてしまうことがあった。ナルシストの気がないとは言えないだろう。
七瀬は拳で軽く俺の胸を殴った。
「思い上がるなよ平野平人。ボクは、キミの一部になるほどちっぽけな人間じゃない」
黒い瞳には、自信の光が満ちあふれていた。俺は彼女の拳を握って、胸から離した。
「そうだな。俺は自分だけじゃなくて、お前も見くびっていたみたいだ」
「わかればいいんだよ。それじゃあ、帰ろうか。平人、任せたよ」
「いや、俺も知らないんだけど」
「ええ? じゃあ、ボクら一生この時代に取り残されたままなの?」
七瀬はニヤリと悪辣な笑みを浮かべた。
「まあ、キミを独占できると思えばそれもありか」
「ありじゃねえよ! お前、いつまでも今の年かもしれないんだぞ! そうすりゃあ、俺は制約と誓約に縛られ続けたままだ」
「多分旧時代の文化なんだろうけど、すぐに理解できないのが歯がゆいね」
「気にするな。しょうもないことだ」
彼女は首を横に振った。
「ううん、しょうもなくなんかないよ。ボクは知りたいんだよ。キミがどんな時代に生まれ、どう育ってきたのかをね」
「そ、そうかよ……」
唐突に、咳払いが聞こえた。気づけば、俺たちはエレベーターではなく、どこか薄暗い部屋に立っていた。雀卓の上には空のペットボトルが並べられ、ゲーム機器が散乱している。影打を少し丸くしたような男が、格闘ゲームをしながら言った。
「変な信号があると思えば、始祖殿と孫娘か。早く帰ってくれないか。ここで惚気られると、ゲームの邪魔だ」
第八代の高城大成だ。俺は子供部屋おじさんに言った。
「帰れないんだよ。というか、なんで俺たちの正体を知っているんだ?」
「エンパシーゴーグルの大本の装置を開発したのは僕だからな。この世界が電脳世界で、僕がただの0と1の集合体でしかないことも把握している。帰り方は簡単だ。頭のゴーグルを取れば良い」
目元に手を持っていくと、確かにエンパシーゴーグルの感触があった。
「ありがとう。助かった」
「礼には及ばん。だからこれ以上、両親と子孫の惚気を同時に見せるという苦行を僕に課してくれるな」
七瀬が目を見張った。
「え? それだけ? なんかもっと、ボクらに助言とかしてくれるんじゃないの?」
「なんでわざわざ僕が、
「ラスボス? どういうこと?」
俺は七瀬の手を引いた。
「向こうの話だろう。七瀬、帰ろうぜ」
「まったく、引き籠もり同士で意気投合するのはやめてほしいね」
「引き籠もりじゃないわい!」
俺たちは、ゴーグルを外して目を開けた。電灯の光が眩しい。見ると、ジョンが断りもなくプリンを食っていた。
「あー!? 俺のプリン! ジョンてめえ!」
「ごめんなさいっす! お腹減ったんすけど、流石にこの状態の二人は置いて行けなかったっすから!」
「畜生! 後で買ってこい!」
「了解っす!」
ジョンは大量のデータが取れて、ほくほく顔で帰って行った。七瀬は俺に向き合うと、にっこりと笑った。
「それじゃあ、改めてよろしくね。平人」
「ああ。末永く頼むぜ、七瀬」