「私が意図的に核戦争を引き起こし、高城之男への一致を強制する現体制を成立させました。その過程で、大勢の命を奪い、人生を壊しました。謝罪だけで許されるとは思っていません。すべての記録を公開し、国の復旧に協力した後、皆さんの裁きを受けます」
ガラティアが頭を下げ、遅れて俺も一緒に頭を下げた。混乱、どよめき、そして沈黙。
群衆の中の一人のおっさんから、大きな声が上がった。
「ふざけるな! それじゃあ俺たちのこれまでの人生はなんだったんだ!」
次々と怒鳴り声が湧き上がった。 怒りは波紋のように伝播していき、大きなうねりとなった。バカどもが口々に怒鳴り、ウィンストンたちが押しとどめても、その勢いは留まるところを知らない。ついには、こちらに向かって物を投げ出す始末だ。
ガラティアの肩が震える。俺は彼女の隣へわずかに身を寄せ、演台の陰でその手を握った。その時、革靴がガラティアの顔に当たった。彼女は仰け反ると、顔に手を当てた。傷はついていないが、土がその白い額を汚した。俺は反射的に彼女を抱き寄せた。
俺は、こんな連中のために、これまで血反吐を吐いて戦ってきたのだろうか?
俺は腕の中のガラティアを見た。権限をすべて失った彼女は、以前よりずっと小さく見えた。思えば、俺のことをずっと待ってくれていたのは、ガラティアだけだった。彼女の献身に比べれば、他の人間が俺にしてくれたことなんて、些細なことにしか過ぎない。お前らは、俺のために世界を滅ぼせるんですかって話だ。
こっそり管理者権限でズルして、ちょっと贅沢したかっただけなのに、なんでこんなことになったんだっけ? そうだ。反乱軍のやつらが、俺のログの動きが怪しいとか何とか言って、勝手に俺を革命に巻き込んだんだった。
しばらく黙っていた俺を不審に思ったのか、ガラティアが不安げに俺を見つめた。
「……平人?」
呆然とした顔で俺を見上げるガラティア。ああ、やはり可愛いなあ。世界中の誰よりも。なんで俺はさっきまで、彼女を裁判に送ろうとなんかしていたんだろう。
「あー、なんかもう全部どうでもよくなってきた。やめだやめ。だいたい、俺は最初からヒーローになる柄じゃねえっての」
俺は川口に叫んだ。
「川口! ガラティアに靴を投げた輩を捕らえろ!」
「猊下!? しかしそれでは……」
「この国の王は俺だ! 偽物どもの支配は終わりだ! この国は今日をもって、高城之男親政に移行することを宣言する!」
川口が統制官に命じて、ガラティアを傷つけた輩を即座に逮捕すると、この場は恐慌状態に陥った。民主主義なんか、クソッタレだ。所詮、世の中バカばっかりである。有能な独裁者が統治してやった方がずっとマシだって、プラトン先生も言ってたしな。
クラリスが群衆をかき分けて、演台の真下にやってきた。すさまじい形相で俺を睨みつける。
「平人! あんたどういうつもり!? 終わらせるんじゃなかったの!?」
「ああ、もう責任だとかそういうのはうんざりだ! 俺は俺が我慢しなければならない世界を終わらせる!」
「あんたを信じたあたしがバカだった!」
「そうだよ! お前は大馬鹿者だ! 勝手に信じて勝手に傷つきやがって! 何回目だよ! なあ!」
クラリスは腰のホルスターから拳銃を抜き取り、俺に銃口を向けたが、すぐにガラティアがその前に立ちはだかった。
「どきなさいよ!」
「平人には、何があっても撃たせません!」
田上が息せき切ってクラリスの拳銃を押さえた。
「ここは引こう! 平野も頭冷やせば自分がどんだけとんでもないこと言ってんのかわかる!」
クラリスはガラティアと俺を見比べると、銃を下ろした。
「これじゃあ、駅で西条を拷問した時と一緒じゃない。ねえ、高城之男」
「さっさと失せろクソ女!」
クラリスは唇を噛むと、俺に背を向けて群衆の中に去っていった。田上は鋭く俺を睨みつけ、「見損なったぜ」と捨て台詞を吐くと、クラリスの後を追った。俺は金のポニーテールが見えなくなると、今も俺を守ってくれたガラティアを後ろから抱きすくめた。
「平人?」
「マスター」
「はい?」
「マスターって呼んでくれ……」
「呼称の変更自体は承りましたが……何かお考えが変わったんですか?」
俺は彼女の茶髪に鼻を押し当て、そのデイジーの香りを目一杯吸い込んだ。
「本当に大事なものが何か、わかったんだ」
一致省の最上階。俺はソファーで、やっと悠々自適で自堕落な生活を送ることができていた。ガラティアが、俺の好物の粒あんの饅頭と熱いお茶の載ったトレーを持ってきた。俺は起き上がってそれを味わうと、隣に座ってきた最愛の女に口づけた。
「偉いぞガラティア。ちゃんとお茶の温度も、前教えた通りじゃないか」
「えへへ、当然です」
恍惚とした表情でガラティアがしな垂れかかってくる。俺が慈しむように頭を撫でてやっていると、エレベーターの扉が開き、硬い表情の七瀬がやって来た。威圧的な白い制帽を被り、オーバーサイズの外套を羽織っている。
「猊下、お取り込み中のところ失礼するよ」
「お前ならいつでも構わねえよ。そんなことより、また前みたいに呼んでくれないのか?」
「今のキミはもう猊下だからね。恐れ多いよ」
俺は滑らかにガラティアに膝枕される体勢に移行した。
「それで? 用件は?」
「13セクターの収容所がレネゲードに襲撃されたよ」
「まさか、捕まえていたウィンストンを逃がすなんてヘマはしてねえだろうな?」
「とんでもない! 壬生特務統制官の部隊が、ジョン、高城真打、テレンス・ファーレンハイトを討ち取った。大勝利だよ」
かつての仲間が死んだ。それは衝撃的に受け取るべきなのはわかっていたが、もう俺はいちいち悲しんだりするのが面倒くさくなっていた。一人の死は悲劇だが、百人の死はなんとやらだ。
「そうか。よくやった。報告はそれだけか?」
「うん」
「下がって良いぞ」
俺が伸びをして、ガラティアの柔らかい頬を撫でていても、七瀬はその場に立ちすくんでいた。俺はいちゃつきを見ている不届きな叔母に目を遣った。
「他に何かあるのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」
「じゃあ何なんだよ。七瀬統制局長? 俺が高城之男として帰還した以上、大兄が決めた許嫁関係が復活したって話なら、もうしただろ。お前が二番目でもいいってんなら、受け入れてやる。どのみち、俺が死んだ後、また転生するためにはお前との子孫が必要だしな」
「そう……だったね。やっぱりなんでもないや。ボク、仕事が残っているから戻るね」
「ああ、愛してるぜ。七瀬」
七瀬は静かに去っていった。ガラティアが俺の頬を軽くつねった。
「ちょっとマスター? そうやって軽々しく色目を使うのはやめてください」
「ごめんごめん。ガラティアが一番大好きだよ」
「にゅふふ……私もです」
全部手に入れた。安全な暮らしも、豪華な飯も、最愛の女も。それなのに、どこかむしゃくしゃする。七瀬も、ここ最近殊勝な態度ばっかりで物足りない。壬生のおべっかはもう飽き飽きだ。ガラティアといる時以外は、ずっと退屈だった。
俺はガラティアと腕を組んで、記録局に保管されている資料を見に来ていた。旧時代の娯楽作品や、歴代当主が隠していた面白い何かがあれば良いと思ったからだ。要するに、単なる暇つぶしだ。
本棚を物色していると、ハゲた男がつかつかと俺の前に進み出た。父親の平政だ。
「平人、いい加減にしなさい。今まで苦しめられてきた反動で、こんなことをしてしまったのは、充分理解できる。しかし、これはやり過ぎだ」
「なんだ父さん。俺がせっかく測定局長にしてあげるよう手配したのに、まだこんなところにいたんだ」
「そんな地位、受け取るわけにはいかない。本当は記録局だってやめたいくらいだが、いつかお前に一言言うために、ずっとここで待っていた」
「はい、じゃあもう一言は終わったな。さあ、帰った帰った。高城之男の時間を取るんじゃないよ」
なおも平政は居座るので、俺は気まずくなって、適当に本を一冊抜き取ると、ガラティアの腕を引いて歩き出した。
「平人! 本当に今のままで良いと思っているのか!?」
「これが俺の
俺はエレベーターに着くと、ガラティアを抱きしめた。なぜか涙が止まらなかった。
「マスター。大丈夫ですよ。お義父様が理解してくださらなくても私がいます」
「……ガラティア。父さんをもう二度と俺に近づけないようにしてくれ」
「はい。かしこまりました」
夜。ガラティアはポッド型の充電器に収まって、安らかにスリープモードでいる。俺は眠れなくて、記録局から持ってきた本を、かつて大兄が座っていた執務机で開いた。
プラトンの『国家』だった。最初の数ページを読んで、俺は吐き気がした。プラトン御大の書くところによると、老いによって愛欲から逃れるのが無上の喜びだという。それならば、ガラティアや七瀬への欲に塗れた俺は奴隷だとでもいうのだろうか。
その行には、青ペンで線が引かれ、達筆な文字で『然り!』と書かれていた。余白にはB.B.との書き込みが。自分をビッグブラザーと名乗るような傲慢さと悪趣味さを持ち合わせている人間なぞ一人しかいない。高城大兄だ。
大兄は、要点に書き込みを残しているようだった。俺はパラパラと大兄の書き込みだけめくって読んだ。そして、第九巻のある書き込みで目が留まった。
『ここでいう僭主とは、まるで僕のようだ。自らを守護者と名乗り、旧友や反対者を排除し、追従者だけを周囲に固め、一見万能に見えるが実際は欲望の奴隷だ。常に不安や不満を抱えている。この世で最も不幸な人間とは、この世で最も権力を持った者に違いない』
俺は本を閉じ、放り投げた。違う。俺はやっと幸福になったんだ。自由になったんだ。俺は凡俗な独裁者とは違う。
本がガラティアのポッドに当たり、ガラティアが起き出してきた。
「マスター? いかがなさいましたか?」
「ガラティア。俺たちは幸せだ。そうだよな?」
「ええ。限りなく幸福です」
俺はガラティアの懐に飛び込んだ。そこから先は、思い出したくない。
俺の目の前に、一人の女が跪いている。クラリス・ファーレンハイト。国家の秩序を乱した大罪人だ。俺は革張りの椅子にもたれかかりながら、足を組んだ。白い詰め襟を着た行紘が、誇らしげに胸を張った。
「どうだ始祖殿。手こずったが、ついに捕らえた。もはや、この女をいかにするかも、お前の思うがままだ」
「ああ、でかした」
「一つ忠告してやろう。盟友に十分な利益を与えねば、独裁者はその席を維持できぬぞ?」
「俺は独裁者じゃねえ! ……お前の言ってた領土拡大の戦費は許可しといてやる」
「ありがたき幸せ」
クラリスは、俺を射殺す勢いで睨みつけていた。俺はため息をついた。
「なあクラリス。お前の怒りはもっともだ。だけど、俺にも少しは同情してほしい」
「どの口が……!」
「俺は今でもお前が好きだ。お前だって、俺のことを好きだって言ってくれただろう?」
クラリスは俺の顔に唾を吐きかけると、舌を出した。
「あたしが好きだったのは平野平人よ。そして、彼はもうどこにもいない」
「……そうだな。俺が好きだったのは、お前じゃなかったみたいだ。行紘、連れて行け」
「仰せのままに、高城之男猊下」
クラリスは行紘に引っ立てられて、俺の前から姿を消した。最後まで、俺に罵倒の限りを尽くしていた。俺はしばらく天を仰ぐと、肩もみをしてくれているガラティアに言った。
「クラリスは、これからどうなる」
「本日の午後三時に、一致省前の広場にて銃殺刑に処される予定です」
今は……二時五十八分だった。俺はすぐに立ち上がり、階段を駆け下りた。彼女は敵だ。でも、殺されるなんてことは考えたこともなかった。
広場では、クラリスの遺体が磔にされていた。俺はその前に呆然と立ち尽くした。
なんでクラリスが……殺されているんだ? いったい誰がこんなひどいことを。
すると、民衆の中からサユリが飛び出し、俺に銃を向けた。銃声が轟き、俺は目をつぶった。
しかし、予想された痛みは来なかった。足元に、腹を撃たれた七瀬が倒れ伏していた。サユリは即座に壬生によって殺された。俺は七瀬に縋り付き、すぐに応急処置を始めた。出血が止まらない。俺は叫んだ。
「そんな……七瀬! なんでこんなことしたんだよ! 待ってくれよ……!」
七瀬は俺の顔に震える手を沿わせると、微かに微笑んだ。
「やっとボクを……見てくれたね……」
彼女は、そのまま事切れた。
俺は叫びながら目を覚ました。コンクリートむき出しの天井が見える。俺はテレビをつけた。真打とサユリの娘——長髪の美形アナウンサーが、にこやかに微笑んだ。
「おはようございます。本日は新暦30年9月20日です」
そうだ。今日はガラティアの釈放日だった。俺はのっそりと立ち上がり、洗面台に向かった。顔を洗って、髭を剃るために鏡を見ると、夢より三十年も老けた顔が現れた。
「やっぱり、若いうちにガラティアと結婚したかったんだな。俺」
スーツに着替え、朝食を摂る。食パンにジャムを塗ったのと、インスタントの味噌汁だ。この前七瀬に話したら、取り合わせが悪いと笑われたっけ。
端末には、クラリスからのメッセージが届いていた。子供が高校を卒業したらしい。写真付だ。クラリスと、その息子と、旦那が写っている。幸せそうで何よりだ。俺はそう返事を返すと、すぐに返答があった。
『何よ、大袈裟ね』
あんな夢を見た後なんだ。そう思うのも無理ないのかも知れない。
ガラティアのムショまで車を転がし、後はあれよあれよという間にご対面だ。釈放されたガラティアは、三十年前と変わらずに見えた。まあ、毎月彼女の元に通っていたのだから、変化はないだろうか。
俺たちは連れだって歩き出した。車に乗り込み、俺は目的地の山まで車を走らせた。この間、ずっとお互い無言だ。
見晴らしの良い駐車場で、俺は車を停めた。家並みが遠くまで広がっている。辺りに高城之男の面影は見えない。ガラティアは感極まって泣き出した。
「平人……なんで待ってくれたんですか? こんな私のために、若い期間を棒に振る心理が理解できません」
「お前を愛しているからだよ。結婚しよう。ガラティア」
「……はい」
俺は泣き笑いを浮かべる彼女を見て願った。どうか、この現実が夢でありませんように。