クラリスが使い込まれた腰のホルスターに手を伸ばし、小声で囁いてきた。
「あたしが足止めする。あんたはエリと逃げて」
「了解」
俺はエリをクラリスに預け、五本指を立てて前に進み出た。
「8秒、いや、5秒だ。5秒以内にお前らを片付けてやる」
なぜなら、俺のスマホの充電があと1パーセントしかないからである。モバイルバッテリーを持っていないのが悔やまれる。
銃のグリップに手をかけた手崎が小馬鹿にしたように大口を開けた。
「こりゃあ傑作だ! そんな貧相な身体で三人に勝てるわけないだろ!」
エリを背負ったクラリスが、目を丸くして叫んだ。
「何が了解、よ!? あんた正気!?」
「俺がエリ背負って逃げ切れると思うか?」
「それはそうだけど……」
さっき拾ったオンボロの端末を左手にかざすと、微かに発光した。ギリギリ使えそうだ。
世界が俺に味方する。
> Privilege Level: ROOT
> Login: 11-F-283-D503 / HIRANO_HIRATO
> Local Nanomachine Sync... [OK]
> Terminal Integrity: LOW
> Urban Maintenance Override... [OK]
手崎の取り巻きが腰を落とした。ナイフが鈍く光る。
俺は一本目の指を折る。
> Streetlight #L-044... [OVERDRIVE]
「クラリス、目ェ閉じろ」
「え?」
「バルスってな」
俺が自分とクラリスの目に手をかざすと、頭上の街灯が白く弾けた。破滅の閃光が降り注ぐ。下っ端どもが目を押さえて呻いた。
「目が、目があああ!」
「ベタなリアクションどうも」
二本目。
> Vending Machine #V-119... [ACTIVE]
路地の端に置かれた自販機が、鼓膜を殴るような警告音を発した。大量の缶やペットボトルが吐き出され、路地裏に散らばった。赤いランプが回り、電子音声がわめく。
『高城之男へ一致せよ。高城之男へ一致せよ』
「うるせえ!」
クラリスに預けられたエリは、むにゃむにゃと何か言っただけで起きなかった。こいつ、肝が据わっているのか疲れ切っているのかどっちだよ。
三本目。
> Parking Lock #P-032... [DEPLOYED]
放置されていたバイクの盗難防止ロックが跳ね上がり、支えを失った車体が横倒しになった。踏み込んできた男の足首にハンドルが引っかかり、そいつは見事に顔面から転んだ。
四本目。
> Waste Compression Box #W-008... [ACTIVE]
路地脇のゴミ収集ボックスが口を開いた。さながら獲物を待つワニのアギトだ。二人目が、自販機から転がってきた一致ソーダを踏んだ。勢い余ってそこへ突っ込み、腰から上を挟まれて情けない悲鳴を上げる。
焦った手崎が銃を向ける。
「てめえ、何しやがった!」
五本目。
> Delivery Drone #D-771... [DIVING]
上空から小型配達ドローンが墜落する勢いで突っ込んできた。鈍い音。手崎の銃が弾き飛ばされ、その身体が壁にぶつかって滑り落ちる。
> K.O.
> YOU WIN
「はい、5秒。知らんけど」
俺は折った指を開き、クラリスを振り返った。
クラリスは銃を構えたまま、ぽかんと口を開けていた。
「……あ、あんた、今の、何?」
「ラッキーだったな。あいつらが自滅してくれて」
「いや、あんたさっき絶対何かして――」
ポンッ! と破裂音が俺の持っていた古い端末から鳴った。煙が吹き出し、焼けるような熱が右手を襲う。どうやら負荷に耐えきれなかったらしい。俺は慌てて端末を放り投げた。
「あっつ!? なんじゃこりゃ!?」
「ああもう火傷してるじゃない! 手、出しなさい!」
言われたとおりにすると、クラリスは自分の水筒の中身を俺の手にぶちまけた。ふわりと銃油と石鹸の匂いがする。ジーパンから取り出したハンカチを湿らせると、丁寧な手つきで俺の手に巻いてくれた。
「あ、ありがとう」
「フン、かっこつけるなら最後までしなさいよね。5秒どころか多分8秒も超えてるし。それで、さっきのことなんだけど――」
「とりあえず、こいつらが目を覚ます前にずらかるぞ!」
「ちょっ、待ちなさい!」
やっべ、言い訳考えてなかった。俺は醜態をさらして伸びている三人組を踏み越えて、クラリスから逃げ出した。
「待てって言ってるでしょ!」
三歩目で襟首を掴まれた。エリを背負いながら捕まえてくるとかどんな運動神経してんだよ。逃げることは不可能。観念するしかない。
「ああもうわかったから! だからその手を離せ!」
「どうだか、これっぽっちも信用できないわ」
「お前はいつも信用してねえだろ!」
「かもね」
ぱっと手を離され、首回りをさする。睨みつけると、逆に翡翠の瞳で睨み返された。
「で、あれは何?」
クラリスからエリを預かりながら、頭を回転させる。管理者権限とバカ正直には言えない。でもあからさまな嘘もつけない。
「拾った端末で周辺機器をちょっといじった」
「ちょっと?」
「街灯、自販機、バイク、ゴミ箱、ドローン。動きそうなものを動かしただけだ」
「それだけであんな簡単に三人がやられるの?」
「タカギニアのインフラが優秀なんだよ」
「フン、この国のインフラが本当に優秀なら、あたしたちはもっとまともな生活してるわよ」
不愉快そうにクラリスは鼻を鳴らした。それはそう。
「その仕組み、ウィンストンとジョンの前で話してもらうから」
「無理です」
「嫌なら今ここで話して」
「あのなあ、拉致してからずっと根掘り葉掘り聞いてきますがねえクラリスさんよ。あんたはそれに見合うだけの情報を渡しているんですかい?」
「安全確認よ」
「知らん。とにかく不公平だろ。なんか教えろよ。例えばそうだな、黒歴史とか」
クラリスがぽかんと口を開けた。
「はあ? なにそれ?」
「恥ずかしい過去だよ。生きてりゃなんかあんだろ一個ぐらい」
「最低。なんであたしがまだ会って間もないガキにそんなこと教えなきゃいけないのよ」
「二つしか変わらねえだろ。ま、言いたくなきゃ言わなくていいぜ。その代わり、今日のことは黙っててくれると助かる。あの筋肉とニット帽に見つかったら、絶対碌なことにならないからな」
緑色の上着のポケットに手を突っ込んだクラリスは、ジトっとした視線を向けてきた。
「なんでそんなに隠したがるのよ。何でもないなら堂々と使えばいいじゃない。きっと人気者になれるわよ。……さっきは、少しだけ見直したし」
「面倒ごとはまっぴらごめんなんだよ」
「でも、ウィンストンが言っていたわ。力は自分じゃなくて他人のために使って初めて意味があるんだって」
「大いなる力にはってやつか? どこの蜘蛛男だ。散々人のこと疑ってくるみみっちい連中に言われたかねえよ」
「悪かったわね、あたしたちが清廉潔白じゃなくて。でも、もっとちゃんと説明してくれれば、あたしだってあんたをいちいち疑う必要もなくなるのよ?」
だーかーらー、俺はお前らの大嫌いな高城之男だからそんなこと言えないんだって。
俺はクラリスの鼻先に指を突きつけた。
「この際はっきりさせておく。俺は人類救済なんかどうでもいい。好き勝手して生きていきたい。けどまあ、目の前で胸糞悪いことが起きてたら寝覚め悪いだろ」
「あんたって本ッ当に最低ね」
心底軽蔑した表情を向けてくるクラリス。それでいい。変に期待されると、それを裏切った時の失望も大きくなる。それなら、最初から見放されていた方がいい。
クラリスはひそめていた眉をフッと元に戻すと、力なく微笑んだ。
「でも、ちょっと羨ましい。その身勝手な無責任。あたしには真似できないわ」
「それは褒めてんのか? 貶してんのか?」
「どっちもよ。だけど、あんたって人間がちょっとはわかった気がしたわ」
「ああそうですかい」
俺はハンカチに包まれた右手をさすった。待てよ。あのオンボロを分解すれば、修理の部品が揃うかもしれない。俺は慌てて古い端末をつまみ上げると、ジャージの上着に包んだ。
駅に戻ると、入り口で田上がタバコを吸っていた。今日の見張りはこいつらしい。
「こんばんはクラリスちゃん。今日もかわいいね。おうエリ、相変わらずのクソガキっぷりだな」
反乱軍のアジトでは、普通にこんばんはと言っていいらしい。すばらしい。人類にはまだ希望があった。
俺が地味に感動していると、田上がつまらなそうに言った。
「ん? 新入り、お前もいたのか。クラリスちゃんに変なことしてたらただじゃ置かねえぞ」
「俺だけ対応が違いすぎだろ」
「当然だ」
なぜか誇らしげな顔で言い放つ田上の横を、目覚めていたエリが通り過ぎた。
「田上、禁煙は?」
「うっせ。今日はチートデーだ」
「それじゃ意味ねえだろ」
俺が呟くと、田上は目を細めて言った。
「いいやあるね。何せ俺は五十回も禁煙に成功しているんだ」
「ダメじゃないの」
クラリスに突っ込まれて、ちょっと涙目になった田上がタバコを地面に落として踏み消した。
エリがからかうように田上の脇腹を肘で突っついた。
「田上は前途多難だねー」
「ガキには田上様の大人の駆け引きがわからねえか」
「うかうかしてると平野っちに盗られちゃうよ?」
「盗られねえよ。俺のじゃねえし」
「うわあ、弱気。じゃ、あたしはウィンストンさんに顔出してくるから」
「クソガキが。さっさと行け」
エリはひらひら手を振りながら先にホームへ駆けていった。
その背中を睨みつけていた前途多難の男が、気を取り直したように口を開く。
「ああそうだクラリスちゃん、さっきつぶあん派のやつらが来てたよ」
「うげえ。また来たの?」
「連中は懲りないからね」
地下鉄の階段を下りながら、俺はクラリスに声をかけた。
「つぶあん派ってなんだ?」
「知らなくていいわ。それこそ、あんたの嫌う面倒ごとだから」
「ふーん」
ホームに降りると、面妖な黒装束の集団がなにやら配っていた。それを見たクラリスが忍び足で逃げようとしていると、一際目立つ男が妙に綺麗なフォームで走ってきた。神父のような黒いローブの上に、女子高生が履くようなスカートを巻いている。端的に言って変質者だ。
「ここにいてはりましたか信徒クラリス。高城之男と相違せえ」
そう似非関西弁を言って高城式敬礼をする不審者。しかし、手の位置が逆だ。左腕を斜め下に、右手を腹に当てている。
「なんで関西弁なんだよ」
「関西弁ではありません。高城之男が用いなかったとされる尊き相違言語です」
「関西弁に謝れ」
クラリスが心からうんざりした表情を浮かべた。
「
「なぜですかいな信徒クラリス? 対象の指定が相違には必要です。ともすれば、無意識に高城之男と一致してしまうやもしれません。これは大事なことなのです」
「似ないようにしているのが一番意識してる感じがして嫌なの」
クラリスの言っていることが理解できないという風情で、司教と呼ばれた男は首を傾げた。その目線が俺の左手に向く。
「あ、あんさん!? その左手の聖印、まさかFでございますか!?」
大げさに膝をつき、司教は俺の手を捧げ持つ。このまま口づけでもしそうな勢いだ。俺はその手を振り払って一歩後ろに下がった。なんだこいつ!?
「そうだけど、だとしたらなんだよ?」
司教は、目から滝のような涙を溢れさせ、地面に跪いて天を仰いだ。
「なんという福音! なんという祝福! この末世に、かくも尊き不一致者が現れはるとは!」
クラリスがあちゃーという感じで顔を手で覆った。司教は俺の手を固く握りしめ、顔を覗き込んだ。圧が凄い。
「あんさん、お名前は!?」
「平野平人です」
「平野平人!? 素晴らしい、素晴らしいです信徒平人。名前までも高城之男の反対やなんて! なんという恩寵! なんという寵愛なんでしょう!」
またまた大盛り上がりで頭を抱えて司教は絶叫した。こいつ頭おかしい。
助けを求めてクラリスを見ると、死んだ目をした彼女が言った。
「こいつは似内、相違教の司教よ」
「相違教?」
「なんでも例のクソ野郎の反対に行こうとするから相違教。つぶあん派とも呼ばれているわね」
「つぶあん派って……まさか高城之男がこしあん好きだったからってこと?」
「そういうこと。よくうちにも布教するために配りに来てるわよ」
一頻り発狂した似内が、突然落ち着いて上体を起こした。懐から饅頭を取り出して俺の手に捻じ込んでくる。
「こちら、お近づきの印の饅頭です。つぶあんですさかい、どうぞご心配なく」
「どうも、というかさっきから気になってたんだが、その……スカート? はなんで巻いてるんだ?」
「ああ、これですか。反一致的実践です。高城之男が着たことのないであろう衣服を身に着けることで、一致度を下げているんですわ」
「おお」
それは合理的……なのか? 不明だ。そもそも、ガラティアの一致度判定が当てにならない。俺なんか本人なのに最低ランクにぶち込まれて、七年間放置されていたからな。
俺が好物のつぶあんを食っていると、ショートパンツの少女が駆けてきた。エリだ。
「平野っちー! ウィンストンさんがクラリス姉と会議室に来てだって!」
「わかった」
「おお、信徒エリ! しばらく見ないうちに一段と高城之男から離れはりましたね!」
「げ、司教様」
「それじゃあ、またな司教。あとはエリが相手するから」
「あ、平野っちひどい!」
司教をエリに押し付けて、俺はウィンストンのいる会議室に向かった。あの筋肉、今度は何の用だ?
会議室に入ると、ウィンストンとジョンがすでに待っていた。田上も壁際に立っている。珍しく真剣な面持ちだ。
「遅かったな」
「司教に捕まってた」
「ああ……それは災難だったな」
ウィンストンは同情するように頷いたあと、机の上に地図を広げた。
「明朝、先生……府馬教授を救出する」
「誰?」
俺の問いに、ジョンが眼鏡を押し上げた。
「ガラティアのコアシステムを知る、旧世界研究の第一人者っす」
ウィンストンが低い声で続けた。
「そしてガラティアが君をなぜ通すのか、その理由を知っているかもしれない男だ」
知らなくていいよ。そんな理由。