ノーブレス・オブリージュ   作:護身用の道具

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第一章 虚実皮膜のカルネヴァーレ
第1話 『変革の風は突然に吹く』


あの青空の下での昼寝から、数日が経った。

 

そよ風のヘイヴンの穏やかな風とは対極にある、リナシータが誇る壮麗な水の都――『ラグーナ』。

迷路のように入り組んだ水路を、音骸のゴンドラがせわしなく行き交う。

 

オレと違って、どいつもこいつも実に働き者だった。

 

「頼まれた買い出しのリストは持っていますね? ぼさっとしていて水路に落ちても、わたしは助けませんから」

 

隣を歩くフィービーが、教団の白いローブの裾を揺らしながら振り返った。

 

「わかってるって。だいたい、どうしてオレまで『隠海教団』の雑用に付き合わなきゃいけないんだ」

 

「怠惰な君に労働の美徳を教えるためです。ほら、行きますよ」

 

「……教団の美徳には、隣人を愛せよって文字があったはずだが」

 

「歴代首座の教えでは、勤勉で怠らず、歳主に仕えなさい、ともあります」

 

漏れそうになる舌打ちをどうにか抑え込んだ。

深く息を吐く。これは、買い出しという名の、強制労働だ。

 

ラグーナ城中央の噴水広場を抜けようとした時だった。

城門の方へと駆けていく、二体の警備用音骸とすれ違う。

 

「……トラブルでしょうか」

 

「見なかったことにしろ。買い出し中だ」

 

「困っている方がいたら、見過ごせません」

 

「今全力でオレが困っているんだが」

 

「君は後で助けます」

 

「後回しにしないでくれないか?」

 

制止する間もなく、フィービーは駆け出していた。

……教団の侍祭にとっては、慈善事業は義務なんだろうか。

 

彼女に追いつくと、二人の侍祭に入国を阻まれている一人の男が見えた。

 

見慣れない服装だ。

ネオユニオン、いや瑝瓏?

 

既にフィービーが間に入り、生真面目な顔で仲裁を始めている。

……どうやら、無事に入国は認められたらしい。

 

少し安堵した様子の彼が、フィービーに案内されながらこちらへ歩いてきた。

ふと、黄金の瞳と視線がぶつかった。

 

心臓が、どくん、と大きく跳ねる。

冷たい海水が耳の奥に満ち、無機質なささやきが、脳に響く。

 

責任を果たせ。

 

「――この道に沿っていけば、すぐ中枢信号灯に着きます。ラグーナ人にとって歳主は崇高なる神様。歳主を信じれば灯台の如く行く道が照らされることでしょう」

 

硬直するオレの傍らで、フィービーがいつもの恭しい声で案内を始めていた。

我に返ったオレは、冷や汗の滲む掌を隠すように握りしめる。

 

――こいつは、多分。ただの旅人じゃない。

 

「ティコくん、お客様の前で固まっていないで挨拶をしてください」

 

フィービーの催促にオレは、使い慣れた外行きの仮面を張り直し、姿勢を正す。

 

「……すみませんお客様、ようこそラグーナへ。ティコと申します、よろしくお願いいたします」

 

「漂泊者だ。よろしく頼む」

 

短く、やけによく通る声音だった。

 

フィービーの案内を聞きながら、城の中央に続く石畳をオレ達は三人で歩き出す。

目指すは広場の中心、中枢信号灯。

 

 

「わたしたちは歳主と歳主が授けてくださったすべてを愛しています。だから音骸もまた、教団と民にとって大切な隣人なのです」

 

目的地に辿り着き、フィービーが誇らしげに語る。

直後に、漂泊者の手の甲にある音痕から小さな、羽の生えた生物が飛び出した。

 

「うわ~あれって全部音骸なのか?」

 

「……っ!」

 

突然喋り出した謎の生物、いや音骸に、フィービーの呼吸が一瞬止まった。

この真面目な侍祭が、音骸に対して猛烈な思い入れを持っていることを、オレは知っている。

 

理由も、まぁ、知っている。

 

「これが音骸の国……。リナシータの音骸はさっきのやつみたいにみんな元気のない匂いがするのかと思ってた。ふぁ……どうも、我はアブだ!」

 

「……あっ、はい! わたしはフィービーです。こんにちは!」

 

フィービーの声がわずかに上ずる。

その時、小さな音骸――ミスター・マギアが、偶然トコトコと通りかかり、漂泊者へ小さなプレゼントを手渡した。

 

その様子を、フィービーが凝視していた。

 

「音骸、嫌いなのか?」

 

「そういうわけではないのですが、憎悪であれ愛情であれ聖職者は音骸に対して特別な感情を……」

 

「……フィービーは音骸が大好きですよ、漂泊者さん」

 

「ティコくん!?」

 

耳まで真っ赤にしたフィービーに、思いきり脇腹を小突かれた。

普通に痛い。聖職者のくせになんて力だ。

 

「……大好き、なのか?」

 

「違います。わたしは教団の侍祭として、歳主の恵みである音骸たちを正しく見守っているだけです」

 

「今すぐ撫で回したそうな顔で?」

 

「ティコくん」

 

声が低くなった。

 

「ストップ、冗談だ」

 

漂泊者が、ふっと口元を緩める。

 

「二人は、仲が良いんだな」

 

その一瞬だけ、彼の纏う張り詰めた空気が和らいだ気がした。

 

「……っ、こほん!ここがラグーナの中枢信号灯。またの名を起源信号塔と言います。情報を登録いただければラグーナの住民と同じようにすべての公共音骸を利用する権利を取得できます」

 

漂泊者が端末を操作し、フィービーがリナシータの起源について説明するのを眺めながら、オレはひとり考え込んでいた。

 

……やはり、オレの気のせいじゃない。

この瑝瓏からの旅人が『取り返しのつかないほどの大きな変化』なのだろうか。

 

耳鳴りは、止む気配がなかった。

 

フィービーの解説が終わったらしい。教団サマの教え通りの模範解答だろう。

 

「――フェンリコ様は歳主インペラトルの共鳴者で、リナシータでは神の代弁者と呼ばれています。それでは、ごゆっくりラグーナでの滞在をお楽しみください」

 

「あぁ、ありがとう」

 

漂泊者が礼を言い、踵を返し歩き出そうとした瞬間。

宙を舞っていたアブが、唐突にオレの目の前まで飛んできた。

 

「クンクン。……お前、なんか妙な匂いがするぞ?」

 

「アブ、戻れ。……すまない」

 

漂泊者が慌ててアブを呼び戻す。

 

妙な匂い……?

 

毎日欠かさず風呂には入っている。

ローズマリーの店の薬草の香りが移っているならともかく、そんな妙な匂いと言われることはないはずなんだが。

 

「は、はい、気にしてませんよ……。どうぞ、ごゆっくり」

 

漂泊者の背中が遠ざかり、完全に去ったのを確認する。

オレはどうしても気になって、隣の幼馴染を振り返った。

 

「なぁ、フィービー。オレってそんなに臭いか?」

 

「臭い? 別に臭くはありませんけど……! 」

 

「本当か? 気を遣ってるなら遠慮しなくていいぞ」

 

「わたしはそんなことで嘘をつきません」

 

「ならいいか」

 

「よくありません、さっきの件です! 音骸が大好きだなんて嘘を、お客様に吹き込まないでください!」

 

「嘘って、あの様子で隠せてるつもりだったのかよ」

 

「わ、わたしは聖職者として、しかるべき態度をっ!」

 

「はいはい。しかるべき態度な」

 

「……もう怒りました」

 

フィービーが、にこりと笑った。

……嫌な予感がする。

 

「今日は夕方までは、わたしの雑用を手伝ってもらいますからね」

 

「……瑝瓏の高名な思想家が言い残してるぞ、『過ぎたるは猶及ばざるが如し』と」

 

「知りません。わたしは隠海教団の侍祭ですので」

 

こうしてオレは、教団の侍祭による慈悲深い強制労働に連行された。

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