ノーブレス・オブリージュ 作:護身用の道具
現時点で2話までを修正しました。
身内の恥をモンテリの連中に押し付けた後。
オレ達は漂泊者を追い、なんとか雲中庭園の目前で合流を果たした。
……ここに来る途中で、視界の端で赤い外套が揺れたような気がする。
「お待たせしました、漂泊者さん。……どこぞの赤い女狐に、余計なことを吹き込まれたりしませんでしたか?」
漂泊者が一瞬だけ戸惑う。反応を見るに、図星か。
どうせ『モンテリは解放を重んじる一方で、フィサリアは伝統に囚われ悪と手を結びました』などと好き勝手言っていたのだろう。
「まさか、あれほど美しかった旧神学校がこんな姿になっているなんて……。雲海に呑まれ、教団に見捨てられた場所がこんなことに……」
「来たことが、あるのか」
「教団で、旧神学校の絵を見ただけです。尖塔やドームが、とても壮麗に描かれていました」
フィービーの悲しげな声に、言いかけたモンテリへの悪態が喉の奥で止まる。
こういう時の慰め方を、オレは昔から少しも知らない。
オレ達は、雲中庭園の奥へ歩き出した。
道の先には、淡い光の膜が揺らめいている。
「行き止まりか。どうやら、この障壁を消さないとローレライに会えないみたいだね」
「そのようだ。周囲を探ってみよう」
漂泊者の言葉で、侵入を拒む障壁に背を向けた直後。
降って湧いたように、仮面をつけた異様な雰囲気の信徒が立ち塞がった。
「あなた方も……懺悔と許しを求めてここにいらしたのですか?神は、我々が誘惑や堕落から逃れられるよう、道をお示しくださっています。全てをローレライにささげる限りは……」
「いえ、わたしたちはローレライに会いに来ました」
「ラグーナの人間は、誰しもが仮面を付けて生きています……。あの狂気的でおかしな仮面をつけた入信者も同様に……。ああ、邪念に苦しめられている彼らがローレライの元で救いを得られればよいのですが……」
信徒はフィービーの言葉など聞いていなかった。
ブツブツと呟かれる言葉の羅列。オレには、ただの狂人の寝言にしか聞こえない。
だが、漂泊者だけは違ったようだ。「狂気的でおかしな仮面」という言葉に、明らかに反応している。
「私たち、今すぐローレライに謁見したいんだけど?」
「それは……すぐには無理です。ローレライは今、荒れ狂っており謁見の道は封鎖しているのです」
「ご説明、どうも」
仮面の信徒を睨みつけ、ザンニーがさらに踏み込む。
「だけど私たちはね、ローレライに危険が迫ってると聞いて助けにきたんだ。ローレライの力を悪用しようとしてる奴らがいてね。道をあけてくれない?」
「謁見の道は既に封鎖しました。お引き取り願います」
聞く耳持たず、か。
ザンニーは鋭い視線を向けたまま、諦めたように大きなため息をついた。
じわりと、手詰まりの空気が漂い始める。
「……話にならない。別の方法を探そう」
その時、物陰の方からウー……という声。
物陰からこちらをじっと見つめている音骸の姿が目に留まる。
「ミスティン!?ミスティンじゃない!ここにいたのね!」
「おい、フィービー……!」
制止する間もなかった。
戸惑いながらも、慌てて彼女の後を追いかける。
「ミスティン、ローレライのいる場所に行く方法を知らない?」
「フィービーさん、音骸がここの開け方を知っているわけがないんだから、今はそんな時間は……」
ザンニーが呆れたようにぼやいた瞬間、その音骸――ミスティンが、喉の奥から「ウウー……」と声を発した。
「……ある特定の歌を歌えば障壁が開くと言っていますね」
こいつ、音骸と会話を……!?
両親を失い、天涯孤独の身になってから音骸たちと身を寄せ合って生きてきた彼女だ。
音骸を愛しているのは知ってはいたが、会話できるまでとは。
今日一番の衝撃だ。
「と、特定の歌か……有力な手がかりではありますが……」
あのモンテリの社員ですら、目の前の音骸と会話し始めた少女という光景に、明らかに困惑している。
「この子たちと心を通わせれば、きっと皆さんも話せるようになりますよ」
「怖い事を言うな」
「……フィサリアと教団では、そういう教育もするわけ?」
「しない。するわけがない。……少なくともオレは知らない」
「……あの障壁の基部に刻まれていた。『我々は聖女の殉教を受け、悲しみに暮れる』……何か、手がかりになりそうか?」
オレが未知の光景に固まっている間も、一人真面目に辺りを探っていた漂泊者が口を開いた。
聖女の、殉教。
「たしか、フィサリア本邸にあった古い文献で見た記憶があります。ローレライは歳主から知性と役割を与えられたと。あそこに据えられている歳主らしき像といい、まず間違いないでしょう」
「歳主、特定の歌、聖女ね……。条件を満たす聖歌が、障壁を開ける鍵ってことか」
「聖女の殉教……。『聖女のアリア』でしょうか。もう長らく歌われていない聖歌ですが……」
腑に落ちたようにザンニーが頷き、腕を組み直しながらフィービーへと視線を向ける。
「フィービーさん、歌ってください。障壁を開ける鍵になるかもしれません」
「わ、わたしがですか?」
隠しきれない緊張を指先に滲ませるフィービーが、唐突にオレの方を向いて柔らかく微笑んだ。
「ティコくん。昔、わたしがまだ侍祭見習いだった頃のこと、覚えていますか?」
「……おい。こんな時に何の話だ」
「君がわたしに会いに来てくれた時。一度だけ聖歌隊と間違われたことがあったじゃないですか」
……そんなことも、あったような。
「忘れた」
「嘘ですね」
即答された。
「わたしに嘘をつくとき、君は一瞬だけ目を逸らします。……背筋も伸びていますし」
「降参だ、勘弁してくれ」
「あの時の君の歌声、本当に綺麗でしたから……だから、もしわたしの隣で、また一緒に歌ってくれたらすごく、心強いのになって」
「……オレは『聖女のアリア』を知らない。それに今じゃ、まともな聖歌なんて逆立ちしても歌えない」
口にした言葉で、胸の奥が少し軋む。
それをごまかすように視線を逸らすと、フィービーはふふ、と悪戯っぽく笑った。
「冗談はここまでですね。……いきます」
フィービーが胸の前で手を組み、瞳を閉じる。
そして彼女から、澄んだ美しい聖歌が紡ぎ出された。
雲海に、清廉な声が響き渡る。
――彼女が最後の音節を歌い終えた途端。
オレ達を頑なに拒んでいた障壁は、嘘のように綺麗に消え去った。