ノーブレス・オブリージュ   作:護身用の道具

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第7話 『偽りの聖歌、海の誘惑』

オレ達は障壁が消え去った雲中庭園へと進む。

目の前に広がっていたのは、海上に浮かぶ満天の夜空のような静謐な空間。

 

「綺麗……」

 

境界の先にある光景は、不穏な気配を一瞬忘れさせるには十分すぎるほどだった。

 

それが、致命的な隙となる。

 

空間を震わせる、強烈な周波数。

同時に放たれた弾丸に反応が遅れる。

 

だが、眼前に到達するよりも早く、漂泊者の刃が走った。

 

金属の弾ける硬質な音。

ただ一人油断なく構えていた彼の一撃が、殺到する弾丸を強引に砕いた。

 

「偽りの歌……歪んだ解釈……許さない……!」

 

空間そのものが震える怨嗟の声。

 

「どうやら、お気に召さなかったみたいだね。――来るよ!」

 

ザンニーの鋭い警告が飛び、ローレライから凶悪な周波数が膨れ上がる。

視界を埋め尽くすほどの水泡の群れが、一斉に牙を剥いた。

 

思考するより早く、オレとフィービーは左右へ跳んだ。

しかし、漂泊者は水の砲弾をすり抜けるように、黒い片羽を羽ばたかせ飛翔していく。

 

その背を追うように、ザンニーも水の砲弾を真っ向から引き裂いて突撃。

 

「勝負だ……!」

 

漂泊者が低く声を放ち、大鎌を振るう。

ローレライの首元に吸い込まれていく凶刃。

 

だが、奴は流体そのものの挙動で後方へと滑るように身を躱し、そのまま反撃の体勢へと移った。

ローレライの中心に、恐るべき密度で水が圧縮されていく。

 

「まずい、爆発が来ますッ!」

 

広範囲への攻撃を予感し、冷や汗が頬を伝う。

その刹那、ザンニーが漂泊者の前へ滑り込み城壁のような大盾を構える。

 

「フッ!間に合った!」

 

大盾に激突する、水の暴力。

凄まじい衝撃波を受け止めながら、大盾の裏でザンニーが不敵に笑った。

 

奴の追撃を遮断するため、オレは『遺物』の引鉄を絞る。さらに重ねるように放たれる、フィービーの光線。

白と黒――二条の輝きがローレライを大きく揺るがした。

 

一度体勢を立て直すべく、一歩退いた漂泊者の音痕から焦りきったアブの声。

 

「お前が今歌ったの、何て聖歌だ?めちゃくちゃ怒ってるぞ!!」

 

「『聖女のアリア』で、間違いないはずです……っ」

 

「答え合わせは後だ!」

 

吐き捨てると同時に、オレは『遺物』を構える。

 

――ローレライの中心部に、先ほどよりも遥かに膨大な周波数が圧縮されていく。

 

距離を取ろうとするオレ達に、回避を許さない無数の水の弾丸が、奴から一斉に放たれた。

 

「わたしが防ぎます!光の加護よ!」

 

フィービーが経典から一枚のカードを取り出し、空へと放つ。

一瞬にして、オレ達を覆う白い光の結界。

 

降り注ぐ水の弾丸が結界を叩く。

畳みかけるようにローレライの中心で圧縮されていた周波数が弾ける。

 

巨大な爆発が、白い守りを揺るがした。

フィービーの足元がわずかに沈む。

 

だが、結界は破られない。

 

「――ッ!今だ!」

 

大規模な攻撃後の隙。

それを逃がさず漂泊者とザンニーが突貫する。

 

オレも彼らを援護するべく『遺物』の照準を――。

 

冷たい海水が耳の奥に満ちる、あの感覚。

いつもの耳鳴りが訪れるよりも先に、なぜかその先のことがわかってしまった。

 

ローレライは、迫っているはずの二人を見ていない。

奴が見ているのは、猛烈な攻撃を防ぎきって動きの止まったフィービー。

 

責任を、果たせ。

 

自分の意志だったのか、それとも別の何かに突き動かされたのか。

判断する暇はなかった。

 

無意識のまま、手の中の『遺物』を投げ捨て、地面を蹴る。

直後、猛烈な水の斬撃がフィービーへ殺到する。

 

「……夜礼、空殻、虚ろ船よッ」

 

左腕の音痕が、冷たい光を帯びた。

共鳴能力を解放した瞬間、世界の輪郭が薄くなる。

 

水の斬撃を構成する周波数が、はっきりと見えた。

 

見えるなら、薄められる。

薄められるなら、飲み込める。

 

『希釈』と『吸収』。

 

だが、これは能力なんて綺麗なものじゃない。

ただの呪いだ。

 

荒れ狂う、エネルギーと衝撃。

その全てをオレの中に溶かした。

 

――此方に来い。

 

「グッ……――うるせぇ!」

 

耳鳴りが響く。

左腕から、全身の血液が冷たい海水に置き換わっていくような錯覚。

 

「アアアアアッ!」

 

オレの苦悶をかき消すようなローレライの悲痛な叫び。

ザンニーと漂泊者の痛烈な一撃が決まる。

黒く染まりかける視界の先で奴が大きく崩れ落ちた。

 

「――!――――っ!」

 

杖を放り出して駆け寄るフィービー。顔を顰めた漂泊者。

二人が何かを語り掛けてくるが、頭を割るような耳鳴りと荒れ狂う水流の音に遮られ聞き取れない。

 

だが、ローレライは沈まなかった。

 

奴の身体を、水泡が包み込み、爆ぜる。

脚部は魚の尾鰭のように変化し、頭上には紫色の光輪が浮かんでいた。

 

歪んだ周波数が空間を狂わせ、水流となって唸りを上げる。

より悍ましい姿となったローレライが、姿を現した。

 

「まだ来る」

 

漂泊者が大鎌を構え直す。

 

「……チッ、ここからが本番ってことか。とんだ残業の時間だよ」

 

ザンニーは鋭い舌打ちと共に、首元のタイを解いた。

羽織っていたスーツが、内側から溢れる周波数に弾け飛ぶ。

白く猛烈なエナジーが噴き上がり、彼女の持つ大盾が、無骨な大剣へと姿を変えた。

 

本気のザンニーと大鎌を構えた漂泊者が、再びローレライに向けて地を蹴る。

 

だが、変貌を遂げたローレライは、その超人的な連撃すらも嘲笑うように激しく空間を跳んだ。

地を蹴り、宙を舞い、水面を滑る。

 

……捉えきれていない。

 

荒れ狂う水の弾丸が、確実に二人を削っていく。二人の超人が、奴の速度にじわじわと翻弄され始めた。

 

――ズンッ。

ザンニーの大上段が空を斬って地を叩く。

 

それを躱したローレライの視線が、オレとフィービーを射抜いた。

脳に刺さる、はっきりとした囁き。再び、次にどこへ斬撃が来るのか、分かってしまった。

 

オレは、背後で叫ぶフィービーへ掠れた声を絞り出す。

 

「フィー……ビー。お前の力で、奴の動きを、止めろ!」

 

迫り来る水の斬撃に左腕を再び突き出す。

 

「お前への攻撃は全部オレが飲み込む……!」

 

回帰……吸収……同化……。

 

頭が割れそうだ。

 

「……っ。はい!」

 

祈るように、願うようにフィービーが詠う。

 

彼女の杖に、周囲の周波数が収束していく。

 

「――星灯る浜辺、寄せては返す波の調べ。祈りは灯となり、灯は導となる。聞いて!扉は既に開かれました!」

 

「……まだかッ!」

 

「さぁ、出発の時です! 歳主インペラトルの御名において。聖光よ、顕現せよっ……!」

 

呼び声に応えるように、現れた【鏡の環】。

それは、跳ね回るローレライの軌道を先回りするように展開した。

 

ローレライの身体が、完全に停止する。

 

「――今です、漂泊者さん、ザンニーさん!」

 

「静寂に……沈め!」

 

「塵と化せ!」

 

大鎌と大剣、二つの凶刃が同時に閃く。

それぞれの全力の一撃が、奴の身体へと、深く、深く叩き込まれた。

 

そこから先の記憶はない。

オレの意識は、冷たい深海へと静かに沈んでいった。

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