Supersonic Derby   作:七つの混沌

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第10話 夏の合同合宿と、砂浜の軽い足跡

照りつける真夏の太陽。どこまでも続く青い空と、打ち寄せる真っ白な波。

トレセン学園の夏休み。海辺に併設された総合トレーニング施設にて、チームリギルとチームスピカによる合同夏合宿が開催されていた。

 

本来、チーム所属ではない個人契約のスペシャルウィークと湊は、この合宿とは無関係の立場にある。しかし、「せっかくの夏だし、同世代の強い奴らと揉まれるのも悪くねぇだろ」という沖野トレーナーの粋な計らいにより、特別枠としての参加が許可されていた。

 

「スペちゃん、体力オバケすぎデース……!」

「ううぅ……エルちゃん、まだ自転車残ってますよー……!」

 

水泳、自転車、そして長距離のランニング。ウマ娘の基礎体力と精神力を限界まで引き出すための、過酷なトライアスロン・メニュー。

エルコンドルパサー、グラスワンダーといった同世代のライバルたち、そしてチームスピカの面々が荒い息を吐きながら汗を流す中、スペシャルウィークは持ち前の無尽蔵のスタミナで先頭集団に食らいついていた。

 

「あのホイール特訓に比べれば、景色が変わる分だけ全然楽しいです!」

 

明るく笑いながら自転車のペダルを漕ぐスペ。その視線の先には、透き通るような美しいフォームでペダルを回すサイレンススズカの背中があった。

スズカがチームリギルの徹底した管理体制から離れ、自らの「先頭の景色」を求めてチームスピカへ移籍して数ヶ月。少しずつ新しい環境に馴染んできた彼女とスペは、この合宿を通じてさらに親交を深めていた。

 

「スズカさん! バイクが終わったら、ランは一緒に走りましょう!」

「……ええ。でも、前は譲らないわ」

「望むところです!」

 

並走しながら言葉を交わす二人。スズカの表情は、以前の張り詰めたものから、純粋に走ることを楽しむような、どこか柔らかなものへと変わりつつあった。スペはその隣に立てることに、純粋な喜びを感じていた。

 

午後。合宿の目玉とも言える、深い砂浜での走り込み特訓が始まった。

ターフやダートとは違い、柔らかく深い砂はウマ娘の強力なキック力を容赦なく吸収する。力強く踏み込めば踏み込むほど足が深く沈み込み、筋力とバランス感覚、そしてスタミナを同時に削り取っていく過酷なメニューだ。

 

「ううっ……足が、抜けないべ……!」

「スペちゃん、腰が高くなってるデース! もっと重心を下げるデース!」

エルコンドルパサーからの的確なアドバイス。しかし、当のエルも砂に足を取られ、かなり苦戦している。

その横を、グラスワンダーが一定のリズムを保ちながら、淡々と駆け抜けていく。

「グラスちゃんはなんでそんなに涼しい顔してるの……!?」

「足元ばかり気にしてはダメですよ、スペちゃん。目線はまっすぐ、前です」

 

スペも例外ではなく、砂の蟻地獄に捕まって上手く前に進めない。

もがく妹を見かねて、少し離れたパラソルの下でタイムを計っていた湊が歩み寄ってきた。

 

「スペ。力任せに砂を蹴っちゃダメだよ。それだと余計に深く沈むだけだから」

「お姉ちゃん……! でも、どうすれば……」

「砂浜を走る時は、接地時間を極端に短くするんだ。砂が沈み込む前に、次の一歩を前に出す。足の裏全体じゃなくて、つま先で軽く弾くようなイメージ。……ちょっと場所貸して」

 

湊はスペの隣に立ち、軽くアキレス腱を伸ばした。

照りつける太陽の下、黒い帽子とサングラス、そして首元までしっかり閉めた長袖のジャージという、およそ海辺には似つかわしくない完全防備の姿だ。

 

「見ててね」

 

湊が、砂浜を駆け出した。

 

タタタタタタッ!

 

その瞬間、周囲で苦戦していたウマ娘たちの動きが止まった。

 

「……えっ?」

 

スペが目を丸くする。

湊の走りは、ウマ娘の圧倒的なスピードと比べれば、あくまで「人間としての小走り」の範疇に収まっている。

しかし、そのピッチが異常だった。

まるで水面を跳ねる水切り遊びの小石のように、足が砂に触れた瞬間に跳ね上がり、次の一歩を踏み出している。足を取られるどころか、砂の上を滑走しているようにすら見えた。

 

数十メートルを軽く流して戻ってきた湊は、息一つ乱していない。

 

「とまあ、こんな感じ。今のピッチの感覚、ウマ娘の脚力ならもっと自然にできるはずだよ。試してみて」

「は、はいっ! やってみます!」

 

スペが湊のアドバイスを胸に、再び砂浜を走り出す。確かに、先ほどよりも足が抜けやすくなり、リズムが生まれ始めた。

 

「おおー! 日高トレーナー、すごーい!」

「人間なのに、あんなに足が速く回るなんて……」

「さすが無敗の二冠ウマ娘のトレーナーさんです!」

 

周囲のウマ娘たちが感嘆の声を上げる。

トレセン学園のトレーナーは、ウマ娘の過酷なトレーニングに付き合うため、常人離れした体力を持つ者が少なくない。そのため、ウマ娘たちにとっては「運動神経が良くて、理論を体現できるすごいトレーナー」という認識で済んでいた。

 

しかし。

少し離れた場所で、サングラス越しにその光景を見ていた沖野トレーナーだけは、顔から血の気を引かせていた。

 

「…………」

 

沖野の視線は、湊のフォームではなく、彼女が走った後の「足跡」に釘付けになっていた。

ウマ娘たちが走った後には、砂が深く抉れ、ボコボコとした深い轍ができている。

だが、湊が走った軌跡には――足跡が、ほとんど残っていなかったのだ。

表面の砂をわずかに払った程度の、極端に浅いくぼみが点々と続いているだけ。

 

人間であろうとウマ娘であろうと、体重がある以上、砂の上を走れば必ず沈む。沈まないためには、重力が作用するよりも早く足を弾き続けるしかない。

つまり、あの「人間の小走り」に見えたものは、極限まで手加減された上での、デタラメなピッチ走法のほんの欠片に過ぎない。

 

(相変わらずデタラメな脚してんな……)

 

沖野は冷や汗を拭いながら、大きくため息をついた。

いくらトレセン学園の人間トレーナーが頑丈だと言っても、物理法則まで無視していいわけではない。

 

(ウマ娘のあいつらには『運動神経のいいトレーナー』で誤魔化せてるみたいだが……隠す気あんのか、アイツ?)

 

ヒヤヒヤしながら湊を睨みつける沖野だったが、当の湊はどこ吹く風で、スペのタイムを計り続けていた。

 

 

U U U

 

 

厳しい練習を終え、夕日に染まる海辺。

合宿の一日目が終わり、波の音だけが静かに響く砂浜を、スペとスズカは並んで歩いていた。

 

「スズカさん、今日は一緒に走れて楽しかったです!」

「ええ、私も。スペシャルウィークさんと走ると、不思議と体が軽くなる気がするわ」

 

夕日を受けて、スズカのオレンジ色の髪が淡く輝いている。彼女は静かな微笑みを浮かべ、遠くの水平線を見つめた。

 

「秋……天皇賞で、私の最高の景色を見つける。それが私の目標」

「私も負けません! お姉ちゃんに、もっともっと強い私を見てもらうために、秋も全部勝ちます!」

 

秋のターフでの再会と、さらなる飛躍を誓い合う二人。

その真っ直ぐな背中を、湊は少し離れた防波堤の上から、静かに見守っていた。

妹がライバルたちと切磋琢磨し、着実に強くなっていく姿。自分がターフから逃げ出したことで失われたはずの時間が、スペの手によって新しく紡がれていく。

 

(……秋、か)

 

湊は帽子を目深に被り直し、静かに波の音に耳を澄ませた。

秋の激闘が、もうすぐそこまで迫っていた。

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