Supersonic Derby   作:七つの混沌

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お好きなタイミングで、「Fist Bump」のサビを脳内再生してください


第11話 沈黙の回避と、菊花賞の大逆転

秋の足音が近づくトレセン学園。

クラシック戦線の最終章へ向けた熱気と並行して、シニア級のトップウマ娘たちもまた、秋の盾を巡る戦いへと動き出していた。

 

その前哨戦となる毎日王冠。

ターフに立ったサイレンススズカの走りは、夏の合宿を経て完全に新しい次元へと昇華されていた。

スタート直後から先頭に立ち、エルコンドルパサーやグラスワンダーといった同世代の猛者たちに誰一人影を踏ませない、圧倒的な大逃げ。後続が必死に脚を伸ばしても、その差は縮まるどころか残酷なまでに広がっていく。

 

「サイレンススズカ、大差の圧勝!! これが『異次元の逃亡者』だァァァッ!!」

 

実況が絶叫し、スタンドがどよめきに包まれる中、スズカは涼やかな顔でゴール板を駆け抜けた。史実をも凌駕する、まさに影も踏ませぬ完全勝利だった。

 

しかし、レース後の検量室で、彼女の左足にわずかな違和感が発覚した。

 

「……軽度の骨折、か」

 

レントゲン写真を見つめる沖野トレーナーが、厳しい表情で呟く。

 

「不幸中の幸いだな。この程度なら、少し休ませれば完全に治る。だが……」

「秋の天皇賞は、回避ですね」

 

スズカの言葉に、悲壮感はなかった。むしろ、憑き物が落ちたような穏やかな表情を浮かべていた。

 

「あのまま無理をして走り続けていたら、どうなっていたかわかりません。ここで気づけてよかったです。……私の『先頭の景色』は、天皇賞の先にも続いていますから」

 

見舞いに訪れたスペシャルウィークと湊の前で、スズカはそう言って微笑んだ。

 

(……拍子抜けするくらい、あっさりと回避しちゃったね)

 

少し離れた場所から、帽子を目深に被った湊は、胸の内で密かに安堵の息を吐き出していた。

本来であれば、絶望的な悲劇が訪れていたかもしれない「沈黙の日曜日」。しかし、スペという理不尽な存在に触発され、夏の合宿で限界まで己を鍛え上げたことで、スズカは致命的な破綻を来す前に「軽度の骨折」という形で警告を受け取ることができたのだ。

かつて湊自身が恐れ、逃げ出した「歴史を破壊する力」。しかし、妹が真っ直ぐに振るうその力は、残酷な運命の歯車を確実に良い方向へと狂わせていた。

 

「次は、スペちゃんの番ね」

 

スズカが、スペの手にそっと自分の手を重ねる。

 

「無敗の三冠……楽しみにしているわ」

「うんっ! 絶対に獲ってくるよ!」

 

スズカの言葉に、スペは力強く頷いた。

湊は黒い帽子の下で、真っ直ぐな瞳の妹を誇らしげに見守っていた。

 

U U U

 

そして迎えた秋の京都レース場。

クラシック三冠の最終戦、菊花賞。芝3000メートルの長丁場。

 

淀のターフに、ウマ娘たちのゲートインを告げるファンファーレが鳴り響く。

無敗の二冠ウマ娘・スペシャルウィークの三冠達成なるか。それとも、ライバルたちがその偉業を阻止するのか。十三万人を超える大観衆の視線が、一点に注がれていた。

 

「各ウマ娘、ゲートイン完了。……スタートしました!」

 

ゲートが開き、十八人のウマ娘がターフへと飛び出す。

先頭に躍り出たのは、やはり芦毛のトリックスター、セイウンスカイだった。

 

「さあ、セイウンスカイがハナを切ります! 自分のペースを作るか!」

 

セイウンスカイは、飄々とした表情でバ群を牽引する。

しかし、その逃げは、春の皐月賞やダービーの時とは明らかに異なっていた。

 

『最初の1000メートル、通過タイムは59秒6! これは3000メートルの長丁場としては、かなりのハイペースです!』

 

実況のアナウンスが響く。

3000メートルという未知の距離において、序盤からハイペースで飛ばすことは自殺行為に近い。後続のウマ娘たちは「あのペースなら必ず前はバテる」と判断し、無意識のうちに牽制し合い、バ群は縦長になっていった。

スペシャルウィークもまた、湊からの「中団でじっくり折り合え」という指示を守り、バ群の中ほどで息を潜めていた。

 

だが。

 

(……ここまでの敗北で、痛感したよ。普通に走っても、アンタには勝てないってね)

 

向正面に入った直後。

先頭のセイウンスカイが、ふっと息を抜き、足の回転を落とした。

しかし、その減速があまりにも滑らかで自然だったため、後続のウマ娘たちはペースが急激に落ちたことに気付けなかった。

 

『次の1000メートルの通過タイム……なんと64秒3! セイウンスカイ、ここで思い切り息を入れました!』

 

最初のハイペースで「前はバテる」と思い込まされていた後続は、この超スローペースの罠にまんまとハマった。

セイウンスカイは自身のスタミナを完全に回復させながら、後続の体内時計とリズムを完全に狂わせる。

これこそが、極限まで磨き上げられたセイウンスカイの戦術。肉体ではなく、自律神経とレース勘を破壊する「幻惑逃げ」だった。

 

中団にいたスペシャルウィークは、第3コーナーに差し掛かるあたりで、自身の身体に起きた「致命的な異変」に気づいた。

 

(なんだか、おかしい……息は上がってないのに……!)

 

あの過酷なホイール特訓で培ったスタミナは十分に残っている。しかし、道中の極端なペースの乱高下が、走りのリズムを完全に狂わせていた。

 

『セイウンスカイ、淀の坂を下ってここで一気にスパート! 後続を大きく引き離しにかかる!』

 

残りの1000メートルを、再び59秒台のハイペースで駆け抜ける。

人間の常識を凌駕する、精密機械のようなペースメイクの完成。

幻惑され、脚の回転を乱された後続のウマ娘たちは、誰一人としてその急加速についていくことができない。

 

スペも必死にピッチを上げるが、世界は反転しない。

「シューティングスター」の幻視は訪れず、彼女の速度は限界までは上がりきらない。

 

前を走るセイウンスカイが、ふっと後ろを振り返り、飄々とした笑みを消して鋭く言い放った。

 

「今度こそ貰ったよ、スペちゃん!!」

 

瞬間、セイウンスカイの周囲の世界が歪んだ。

 

 

 

 

アングリング×スキーミング

 

 

 

 

ダービーでの理不尽な敗北を糧に、彼女もまた自身の全盛期たる「領域」という名の扉をこじ開けていた。

現実の時間が動き出した直後、セイウンスカイの身体が爆発的な加速を開始する。

 

「セイウンスカイ、ここでさらに加速!! 後続を突き放しにかかる!!」

 

スタンドがどよめく中、観客席の別室でモニターを見つめていたグラスワンダーが、扇子を固く握りしめながら隣のエルコンドルパサーに問いかけた。

 

「……セイウンスカイさんの勝ち、だと思いますか?」

「ノーデース」

 

エルコンドルパサーは、仮面の下の瞳を真っ直ぐに画面に向けたまま、即答した。

 

「ダービーの『最後の一歩』、そしてゴール後のスペちゃんの表情。……多分、スペちゃんはまだ『本気』を見せてマセーン!!」

 

エルの言葉が予言であったかのように、ターフ上のスペは、前を走るセイウンスカイの背中を見つめながら、冷静に絶望的な状況を悟っていた。

 

(……このままじゃ、届かない)

 

私の領域は出ない。セイちゃんは領域を出して、完璧な走りをしてる。

このまま走り切れば、タイム差にしておよそ0.6秒。距離にして約10メートル、4〜5バ身の差をつけられて負ける。

スペの野生の勘が、その冷酷な数学的結末を正確に弾き出していた。

 

湊の言葉が脳裏をよぎる。

『"アレ"はまだ見せるには早いからね』

 

でも、ここで負けたら、お姉ちゃんに「日本一」を届けることはできない。

スペの目に、強い決意の光が宿る。

残り時間は、あとわずか。距離にして、約250メートル。

ウマ娘の限界速度で駆け抜けても、およそ10秒。

 

スペは、深く息を吸い込み、声に出して叫んだ。

 

 

 

「ソニックブースト!!!」

 

 

 

瞬間。

スペシャルウィークの身体から、強烈な明るい紫色のオーラが爆発的に噴き出した。

――しかし、その輝きは十三万人の観衆全員が目視できるものではない。ウマソウルのエネルギーの波長、「領域」を認識できるウマ娘や一部の強者たちにだけ視認される、特異な光だ。

 

実況や一般のファンにとっては、オーラは無色。

ただ、彼女が突然、物理法則を完全に無視したかのような無色の暴風となって、理不尽な急加速を開始したという事実だけが網膜に叩きつけられる。

 

「な、なんだあの信じられない加速はッ!?」

 

実況が裏返った声を上げ、十三万人の観衆が息を呑んだ。

 

「嘘……でしょ……っ!?」

 

完璧な幻惑と領域。自分の全てを出し切り、世界記録を叩き出す完璧な走りをしていたセイウンスカイ。

完全に逃げ切ったと確信していた彼女の横を、紫色の光の矢となったスペが、風圧で姿勢を崩すほどの勢いで抜き去っていく。

 

戦術も、展開の綾も、ウマ娘としての完成度も、すべてセイウンスカイが勝っていた。

しかし、たった10秒間点火された『外部からの純粋なエネルギーの暴力』が、そのすべてを理不尽に轢き潰して蹂躙したのだ。

 

「スペシャルウィークッ! 凄まじい末脚、いや、これはもはや翼が生えたかのような加速だァァァッ!!」

 

限界を超えた暴風のまま、スペシャルウィークが、セイウンスカイを遥か後方に置き去りにして、淀のゴール板を駆け抜ける。

 

「決まったァァァッ!! 大差の圧勝!! 史上初の、無敗の三冠ウマ娘の誕生です!! スペシャルウィーク、クラシックの頂点を極めました!!」

 

地鳴りのような大歓声が京都レース場を揺らす中、スペは全身から溢れていたオーラを収束させ、天に向かって両手を突き上げた。

 

その遥か後方。

もはや同じ画面にすら映らないほどの差をつけられてゴールしたセイウンスカイは、ターフのビジョンに表示された自身のタイムを見て、愕然としていた。

 

「……アタシのタイム、3分3秒2。これ、今までのワールドレコードなんだけど……」

 

自身が3000メートルの世界記録タイムで走破したというのに。

相手の領域を完全に封じ込めたというのに。

それでも、数十メートルという絶望的な差をつけられて置き去りにされた。

 

「……なんなの、アレ。反則じゃん……」

 

セイウンスカイは、膝に手をつき、呆然とスペの後ろ姿を見つめることしかできなかった。

 

トレーナー席からその光景を見ていた湊は、黒い帽子のツバを深く引き下げ、ふぅ、と長く息を吐き出した。

 

(とうとう、全部解放しちゃったね。まぁ、あの完璧な逃げを打たれたら、使わなきゃ負けてたし、しょうがないか)

 

「10秒フル」でのブースト使用。

これで、スペがただの「才能あるウマ娘」ではなく、物理法則を置き去りにする異質な何かを持っていることが白日の下に晒された。

 

(これで、周囲の目も変わる。でも、スペならきっと乗り越えられる)

 

史上初の無敗の三冠ウマ娘。

妹の理不尽すぎる偉業を祝福する大歓声の中で、湊の口元には、誰にも見えない誇らしげな笑みが浮かんでいた。

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