Supersonic Derby   作:七つの混沌

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第14話 確信に変わる違和感

ジャパンカップでの圧倒的な勝利により、スペシャルウィークの名は名実ともに世界中に轟いた。

無敗の三冠、そしてジャパンカップ制覇。

その完璧な戦績を引っ提げ、彼女は一年の総決算――有記念の舞台へと足を踏み入れた。

 

中山レース場、芝2500メートル。

ファン投票によって選ばれた、真に「今年一番」を決めるための夢の祭典。吐く息も白くなる冬の寒さを吹き飛ばすように、スタンドを埋め尽くした十数万人の観衆の熱気は、スタート前からすでに最高潮に達していた。

 

「さあ、いよいよグランプリ、有です! 全ての注目は、無敗の至宝・スペシャルウィーク! 今日勝てば、間違いなく真の『日本一』、最強ウマ娘の称号を手にするでしょう!」

 

パドックから地下バ道、そしてターフへと向かう道のり。

スペの胸中には、ジャパンカップの後に芽生えた「小さな違和感」が、未だにチクチクと居座り続けていた。

 

(日本一……私が、一番速い……?)

 

スペは、観客席の遠く、いつも湊がいるであろう関係者席の方角をちらりと見上げた。

あのジャパンカップの日。世界の強豪を退けた自分を見て、優しく拍手をしてくれた姉の姿。

その時感じた「遥かに遠い」という感覚の正体を、スペはまだ言語化できずにいた。

 

「スペちゃん」

 

ふと、横に並んだグラスワンダーが声をかけてきた。

秋口まではどこか精彩を欠いていた彼女だったが、今日のグラスワンダーは違った。その瞳には、かつての迷いは一切なく、静かで、しかし鋭利な刃物のような闘志が宿っている。

 

「今日の私は、最高に仕上がっています。ジャパンカップのあなたの走りを見て……私の燻っていた闘争心は、完全に研ぎ澄まされました」

「グラスちゃん……」

「全力でいきます。あなたの無敗、私がここで止めますよ」

 

グラスワンダーの静かな、しかし絶対的な宣戦布告。

スペはコクリと頷き、自身の内にある違和感を一旦心の奥底へと押し込んだ。

 

(今は、目の前のレースに集中しなきゃ。グラスちゃんは、本気だ)

 

ゲートが開き、冬の中山を舞台にした激闘が幕を開けた。

先頭に立ったのは、やはりセイウンスカイ。菊花賞でスペの絶対的な速度に粉砕されながらも、彼女は自身の逃げを貫き、再び完璧なペースメイクでバ群を先導していく。

 

「セイウンスカイが逃げる! 後続はひたひたと追走! スペシャルウィークは中団、そして……おっと、グラスワンダーがスペシャルウィークをピッタリとマークしている!」

 

実況の言葉通り、グラスワンダーはスペの斜め後ろに陣取り、その一挙手一投足を完全に視界に収めていた。

スペが動けば動き、息を潜めれば潜める。まるで自身の影のように張り付くグラスのプレッシャーは、これまでにスペが経験したどんなマークよりも重く、鋭かった。

 

(すごい……グラスちゃん、私の呼吸まで読んでる……!)

 

レースは第3コーナーから第4コーナーへ。

中山の短い直線に向け、バ群が一気に固まり、激しいスパート合戦が始まる。

先頭のセイウンスカイを捕らえるべく、スペが外へ持ち出して加速を開始した、まさにその瞬間だった。

 

「――っ!」

 

スペの真横を、恐ろしいほどの殺気を纏ったグラスワンダーがすり抜けていった。

世界が反転する。

ターフの上に、無数の青い蝶が舞い散り、薙刀の一閃が空間を切り裂くような幻視。

 

 

 

「精神一到、何事か成らざらん」

 

 

 

グラスワンダーの領域の発動。極限の集中力と、スペを打ち負かすという強烈な執念が、彼女の肉体に史実全盛期の圧倒的な推進力を与えていた。

 

「グラスワンダー、抜け出した! スペシャルウィークを置き去りにして、一気に先頭へ躍り出る!」

 

完全に裏をかかれた。

マークされていたはずが、最もスペの隙が生まれる一瞬を突いて、グラスが先に仕掛けたのだ。

その完成されたスパートの美しさと速度に、スペのウマソウルが激しく共鳴する。

 

「負けないっ……!!」

 

 

 

「シューティングスター」

 

 

 

スペもまた、自身の領域「シューティングスター」を発動させる。

夜空を駆ける流星の幻視と共に、湊直伝の高速ピッチ走法が火を噴いた。

中山の急坂。前を走るグラスワンダーと、それを猛追するスペシャルウィーク。

二人の領域が激突し、ターフの熱気が弾け飛ぶ。

 

(届かない……! グラスちゃんのスパート、完璧すぎる!)

 

シューティングスターの速度をもってしても、グラスワンダーの背中は遠い。

戦術、仕掛けのタイミング、そして「相手を倒す」という執念。今日のグラスワンダーは、ウマ娘としての完成度において、間違いなくスペを凌駕していた。

 

だからこそ、スペは深く息を吸い込んだ。

自分の中にある、理不尽で、圧倒的な「外部のエネルギー」の封印を解き放つ。

 

 

「ソニックブースト!!!」

 

 

残り10秒。

明るい紫色のオーラが爆発し、スペシャルウィークの身体が砲弾のように前へと射出された。

 

「くっ……!?」

 

先頭を走っていたグラスワンダーが、背後から迫る「異常な気配」に目を見開く。

領域の力同士の純粋な削り合いだったはずの空間に、突如として「異次元の速度」が割り込んできたのだ。

 

「グラスちゃぁぁぁんっ!!」

 

物理法則を嘲笑うかのような紫の光の矢となって、スペがグラスワンダーに並びかけ、そして、風圧でその小柄な身体を吹き飛ばさんばかりの勢いで抜き去っていく。

 

「スペシャルウィークッ!! 凄まじい末脚! グラスワンダーの猛追をねじ伏せ、一着でゴールイン!! 文句なし、これが現在の日本一! 日本一のウマ娘、スペシャルウィークです!!」

 

大歓声が中山レース場を包み込む。

無敗の有制覇。その圧倒的な勝利劇に、十数万人のファンが熱狂の渦に巻き込まれていた。

 

U U U

 

(……日本一。私が、日本一のウマ娘……)

 

ウイニングランへと移る最中。

息を弾ませながらターフをゆっくりと歩くスペの耳に、スタンドからの「日本一!」という歓声が何度も、何度も降り注いでいた。

誰もが、彼女こそが最強だと、日本で一番速いウマ娘だと認めてくれている。

 

そのたびに。

スペの心の中で、ジャパンカップの時から燻っていた違和感が、明確で冷たい「確信」へと変わっていった。

 

(本当に……私が日本一なのかな?)

 

実況は言った。この場にいる全員が、自分を一番だと言っている。

世界も、シニアのトップも、そして今日、誰よりも完璧な走りを見せた最高のライバルも、最後は自分の「ソニックブースト」で置き去りにすることができた。

 

けれど。

 

(『ブースト』を使っている私でも……。本気で走っているお姉ちゃんには、一歩も届く気がしない)

 

スペは、脳裏に「日高湊の走り」を思い描いていた。

自分と同じ紫色のオーラではない。青い衝撃波のようなオーラを纏ったときのあのスピード。

自分が今日見せた全力のソニックブーストは、お姉ちゃんが北海道で時折見せてくれた走りの足元にも及んでいない。

 

自分が三冠を獲った時も、世界を制した時も、お姉ちゃんは「よくやったね」と笑ってくれた。

でも、その笑顔の奥にある次元の違い。自分がお姉ちゃんを追いかけて、どんなに必死に足を回しても、お姉ちゃんはいつも、どこか遠くの景色を見ているような気がした。

 

(もし、私が本当に今のウマ娘の中で『日本一』なら……。その私ですら、本気で走っても背中に触れることすらできないお姉ちゃんは、一体何なの?)

 

「怪我で引退した普通のウマ娘」。

それが、お姉ちゃんがトレセン学園の皆に、そしてスペ自身に語った過去だ。

だが、そんなはずがない。

怪我でターフを去らなければならなかったウマ娘が、現役の、完成された世界トップのウマ娘たちよりも、遥かに上の次元にいるなどということがあり得るだろうか。

いや、あり得ない。絶対に。

 

思考が深まるほどに、スペの表情から「勝利の喜び」が急速に色褪せていく。

観客席に向けて振っていた手は力なく下ろされ、歓声に応えていたはずの瞳は、どこか遠くの虚空を……決して手が届かない、得体の知れない絶対的な『壁』を睨みつけるような、険しく、底冷えするような色を帯びていた。

 

口元は固く結ばれ、紫色の瞳は歓喜の光を失い、微かに見開かれている。

それは、栄光を掴んだ勝者の顔ではなかった。

自分の立っている足元の地面が突然崩れ落ち、遥か底知れぬ深淵を覗き込んでしまった者の、畏怖と疑念に満ちた横顔だった。

 

「スペシャルウィークさん」

 

ふと、横に並んだグラスワンダーが声をかけてきた。

完璧な戦術を練り上げ、持てる力の全てを出し切り、それでも理不尽な速度の前に敗れたはずの彼女の方が、勝者であるはずのスペよりも、よほど穏やかですっきりとした表情をしていた。

 

「……どうしたのですか? そんな、とても勝者とは思えないような顔をして。私に勝ったのですから、もう少し誇らしげにしてもらわないと困ります」

 

グラスワンダーの、心配と少しの悔しさが混じった声。

その声にハッとして、スペは自分がひどく強張った顔をしていたことに気づいた。慌てて表情の筋肉を緩め、いつものような無邪気な笑顔を顔面に貼り付ける。

 

「あ、あはは……ごめんね、グラスちゃん。ちょっと、これまでのレースを思い出して、感極まっちゃって……。えへへ、日本一、嬉しいなぁ!」

「……そうですか? 嬉し泣きというよりは、何か恐ろしい敵でも見つけたような、そんな顔に見えましたが」

 

グラスワンダーの鋭い観察眼に、スペは心臓が跳ねるのを覚えた。

 

「そ、そんなことないよ! ほら、皆が呼んでるし、行こう!」

 

スペは強引に話を打ち切り、ファンの声援に応えるために再び手を振って歩き出した。

グラスワンダーはそれ以上追及しなかったが、少しだけ不思議そうな視線をスペの背中に向けていた。

 

スペは、満面の笑みで歓声に応えながら、心の中で固く決意していた。

 

(世間が認める『日本一』。でも、本当の日本一は……私のずっと先にいる)

 

その「日本一」という頂のさらに遥か上、雲に隠れた場所で、お姉ちゃんはたった一人で走り続けているのだ。

なぜ、お姉ちゃんは引退したのか。

なぜ、あんなにもデタラメに速いのに、ただの人間として振る舞っているのか。

 

(お姉ちゃん……。あなたは、本当に怪我で引退したの?)

 

大歓声に包まれる中山レース場で、スペシャルウィークの闘志は、別の方向へと明確に舵を切った。

この違和感の正体を、突き止めなければならない。

たとえそれが、大好きなお姉ちゃんとの平和な日々を壊すことになったとしても。

 

「日本一」という栄光の裏側で、姉妹の運命を決定づける真実への扉が、静かに開こうとしていた。

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