Supersonic Derby   作:七つの混沌

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閑話 青い閃光を呼ぶための盤面

冬の柔らかな日差しが、トレセン学園の最上階にある理事長室の広大な窓から降り注いでいた。

最高級のアンティーク家具が並ぶその空間の主役は、重厚なマホガニーのデスクでも、壁に飾られた数々の栄光のトロフィーでもない。部屋の中央で、小柄な身体から途方もない熱気を発している一人の女性――秋川やよい理事長である。

 

「熱望!!」

 

パァン! と、威勢の良い音を立てて扇子が広げられた。

秋川理事長は、目を輝かせながらデスクの前に立つ秘書、駿川たづなに向かって熱弁を振るっていた。

 

「トゥインクルシリーズの現役ウマ娘と、ドリームトロフィーリーグに所属する歴戦のレジェンドたち! 世代も、現在の所属も超えて、真の『最強』を決める究極の舞台! これこそが、私が温めに温めてきた一大プロジェクト、『URAファイナルズ』であるッ!」

 

息をつく間もなく語られる壮大な構想。

それは、学園の歴史に新たな1ページを刻む、とてつもない熱量を持った計画だった。

 

「素晴らしい理念ですね、理事長。ウマ娘たちにとって、これ以上ない目標になるはずです」

 

たづなは、いつものように穏やかな微笑みを浮かべ、理事長の言葉に丁寧な相槌を打った。手元には、URAファイナルズの開催要項をまとめた分厚いファイルの束が抱えられている。

 

「うむ! このレースの開催によって、ウマ娘たちの闘争心はさらに燃え上がり、ファンたちにもこれまでにない熱狂を届けることができるはずだ! すでに各所への根回しは順調! あとは細かなルールの策定を残すのみである!」

「はい。出走条件や、選考基準については、おおむね先日お話しした通りで問題ないかと存じます。……ただ、一点だけ。理事長にご提案がございます」

 

たづなは、声のトーンを一切変えることなく、さらりと言った。

 

「提案? うむ、申してみよ!」

「はい。このURAファイナルズ、せっかくの『垣根を越えた夢の舞台』ですから、出走の門戸をもう少しだけ広げてみてはいかがでしょうか」

「門戸を広げる? 今でも十分すぎるほど広いと思うが……。具体的には?」

 

たづなは、静かに言葉を紡いだ。

 

「『現役トレーナー二名からの強い推薦』。この条件を満たした場合に限り、すでに引退し、ターフを去ったウマ娘であっても、特例として出場枠を与える……という裏ルールを追加するのはいかがでしょうか」

 

その言葉に、秋川理事長はピタリと動きを止めた。

扇子を持ったまま、目を細めてたづなを見つめる。

 

「……引退したウマ娘、だと? たづなよ、一度ターフを降りた者が、現役のトップ層やレジェンドたちに混じって最高峰のレースを走るなど、常識的に考えてあり得ない話だ。それに……」

理事長は、試すように言葉を継いだ。

「現役トレーナー『二名』の推薦。……ずいぶんと、ピンポイントでニッチな条件だな? まるで、最初から『特定の誰か』をターフに引きずり出すために用意したようなルールに聞こえるが?」

 

鋭い指摘だった。

しかし、たづなの微笑みは1ミリも崩れない。

 

「奇遇ですね、理事長。私もそう思います」

 

悪びれる様子もなく、たづなはふわりと笑った。

その深淵を覗かせるような緑色の瞳の奥に、ある種の「熱」を見つけた秋川理事長は、ハッと息を呑んだ。

 

秋川やよい。彼女自身もまた、「ノーザンテースト」というウマソウルを持つ特別な存在だ。しかし、人間名を選び、人間として学園を束ねる彼女には、たづなが誰のことを言っているのか、すぐにピンときた。

 

9年前。

当時クラシック戦線を席巻していた皇帝・シンボリルドルフを、全く相手にせず置き去りにした幻のウマ娘。

限界を持たない圧倒的なスピードを持ちながら、突如として不可解な「故障」を理由にターフから姿を消した、青い閃光。

 

「……なるほど」

秋川理事長は、扇子をゆっくりと閉じ、口角を吊り上げた。

 

「誰も追いつけない孤独に耐えかねて、自分から歴史の裏舞台に降りたあの『幻』を……この最高の舞台で、もう一度走らせようというのだな?」

 

「あの子がこのまま、ターフの外で終わっていいはずがありませんからね」

たづなは、静かに頷いた。

 

「彼女の妹であるスペシャルウィークさんは、見事に今年の有記念を制し、黄金世代の頂点に立ちました。彼女ならきっと、あの子の心を縛っている『歴史を壊す恐怖』を……圧倒的な孤独を、打ち払ってくれるはずです。そして、あの子の元担当トレーナーである沖野さんも、必ずやその背中を押すでしょう」

「そのための、推薦枠『二名』というわけか。……くっ、くくくっ!」

 

秋川理事長は、たまらずといった様子で肩を揺らして笑い出した。

 

「痛快!! まさか私の秘書が、ここまで大胆な暗躍を仕掛けていたとはな! あの皇帝さえも届かなかった次元の走りを、この学園でもう一度見られるというのなら……これほど胸の躍る展開はない!」

 

バサァッ! と、再び扇子が力強く開かれた。

 

「承認!! その特例ルール、URAファイナルズの要項に正式に組み込むことを許可する! 存分に暴れ回ってもらおうではないか!」

「ありがとうございます、理事長」

 

たづなは、優雅に一礼した。

 

 

U U U

 

 

冬の静かな室内で、彼女は鍵のかかった一番下の引き出しを開けた。そこに入っているのは、トレセン学園の「人事担当」である彼女しか見ることのできないファイルだ。

 

たづなは、一人の教職員の履歴書を取り出し、机の上に広げた。

 

『氏名:日高 湊』

 

写真の欄には、黒いウィッグとカラーコンタクト、そして帽子でウマ娘としての特徴を隠し、「ただの人間」として微笑む新人トレーナーの姿がある。

しかし、その名前のすぐ横には、はっきりとこう記されていた。

 

『ウマ娘名:ブルーブラー』

 

たづなは、その文字を白魚のような指でそっと撫でた。

 

駿川たづな。彼女もまた、「トキノミノル」という伝説のウマ娘のソウルを宿しながら、人間名で活動している特異な存在だ。

 

(人間として生きることを選ぶウマ娘は、少なからずいます。……ですが、あなたの場合は少し事情が違いましたね、湊さん)

 

たづなは、赴任してきたばかりの湊と初めて言葉を交わした日のことを思い出す。

彼女からは、ウマ娘特有の「走りたい」という闘争心が、不自然なほどすっぽりと抜け落ちていた。自分の異常なスピードが周囲を絶望させ、歴史のバランスを崩してしまうことを極端に恐れ、自らの本能に重い蓋をしてしまったのだ。

 

たづなは、それを悲しいことだと思っていた。

ウマ娘の魂は、走るためにある。どれほど規格外であろうと、どれほど理不尽であろうと、風を切り裂き、前へ前へと進むことこそが彼女たちの存在意義なのだ。

 

だからこそ、たづなはずっと待っていた。

湊の閉ざされた扉をこじ開ける、特別な存在が現れるのを。

 

(スペシャルウィークさん。あなたは本当に、素晴らしいウマ娘に成長しました。あなたのその純粋な光が、ついにあの子の凍りついた時間を動かしたのですね)

 

沖野トレーナーが東条ハナのもとへ向かい、二人分の推薦状のサインを取りに行ったことは、すでにたづなの耳に入っている。

すべては、盤上の駒のように、たづなが思い描いた通りに進んでいた。

 

「ふふっ……」

静かな秘書室に、たづなの小さく、しかし熱を帯びた笑い声が響く。

 

「さあ、舞台の用意は整いましたよ。……もう一度、いえ、今度はあなたの『本当の走り』を見せてくださいな、ブルーブラーさん」

 

履歴書の上の「人間」に向かって、たづなはウマ娘としての熱い期待を込めて、優しく微笑みかけた。

次年度のトレセン学園を席巻するであろう、青い風の到来を待ちわびながら。

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