Supersonic Derby   作:七つの混沌

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第4章 不可能を超える流星
第24話 七煌の連星


秋の冷たい風が、トレセン学園のターフを吹き抜けていく。

天皇賞(秋)の激闘から数日。チームスピカの空気を支配していたのは、勝利の余韻ではなく、重く沈殿したような停滞感だった。

 

「……タイム、落ちてるわね」

ストップウォッチを見つめるダイワスカーレットが、隣のウオッカに聞こえるか聞こえないかほどの声で呟いた。ウオッカもまた、ターフを走るスペシャルウィークの姿から目を逸らすように俯き、「ああ……」とだけ返す。

トウカイテイオーもメジロマックイーンも、無言のままトラックを見つめていた。

 

走るスペシャルウィークのフォームは、素人目にはいつも通りに見えるかもしれない。しかし、極限の世界で削り合う彼女たちには痛いほどに伝わっていた。

迷い。焦燥。そして、深い絶望。

彼女の足取りには、以前のような「未来を信じて疑わない力強さ」が欠落していた。

 

その様子をフェンス越しに見つめる沖野トレーナーは、奥歯をギリリと噛み締めた。

(俺のせいだ……俺が、あいつを焚きつけたから……)

湊――ブルーブラーの正体と、彼女が背負っていた孤独。それをスペシャルウィークに打ち明け、二人で同じ次元に立つことを目指した。因子継承という奇跡に一縷の望みを託し、見事に天皇賞(秋)で領域を進化させるまでに至った。

だが、その先に待っていたのは、「発動条件:発動できない」という、システムそのものに拒絶されるような絶対的なロックだった。

 

ブラーの言葉が、沖野の脳裏をよぎる。

『私が本気を出したらどうなるか、知ってるくせに! スペに、そんな叶わない夢を追わせるなんて……無責任じゃない!?』

あの時、彼女はそう言った。自分がスペシャルウィークを深い絶望の淵に突き落としてしまうのではないかという危惧は、最悪の形で的中してしまったのだ。

 

「あーあ、湿っぽいねぇ」

突如、フェンスのパイプに逆立ちしながら器用にバランスを取っていたゴールドシップが、間の抜けた声を上げた。

「ゴルシ、あんたねぇ……スペがあんなに悩んでるのに!」

スカーレットが窘めるが、ゴールドシップは逆立ちのまま器用に首を傾げた。

「悩んで扉が開くなら、アタシも一日中ウンウン唸ってルービックキューブを全面揃えてやるよ。でもな、鍵穴がない箱ってのは、見つめてても開かねえんだわ」

「じゃあ、どうしろって言うのよ」

「決まってんだろ。裏口を探すか、ヒンジごとぶっ壊すか、だ。まあ、うちの大将なら、誰も思いつかねえようなトンチキな方法で壁ぶち抜くさ。トレーナーがシケたツラしてたら、伝染るぜ?」

その言葉はデタラメのようでいて、奇妙な真理を突いていた。沖野はハッと息を吐き、両頬をパチンと叩いた。そうだ、自分がここで折れてどうする。

 

「それに、『あのヒーロー』が、悲しんでる女の子をこのまま放っておくとも思えないしな!」

「「「は??」」」

 

 

●三 ●三 ●三

 

 

その日の夜。

スペシャルウィークは、深く、冷たい夢の底に沈んでいた。

 

天皇賞(秋)の直後に直感した、あの光景。

目の前にそびえ立つのは、見上げるほど巨大で、重厚な鉄の扉だった。扉には赤錆の浮いた冷たい鎖が幾重にも巻き付けられ、中央には絶対に開くことのない巨大な南京錠が鎮座している。

これが、お姉ちゃんから受け継いだ領域の「真の力」を封じ込めるロック。

 

(どうして……どうして開いてくれないの……?)

夢の中で、スペシャルウィークはその扉の前にへたり込み、冷たい鉄に額を押し当てた。

押しても、引いても、叩いても、びくともしない。自分の全存在を否定されているような、冷酷な拒絶。

 

「……夢でまで、見せなくてもいいのに……っ」

止めようとしても、涙が次から次へと溢れ出した。

お姉ちゃんは、あの誰も手の届かない遠い景色の中で、ずっと一人で走り続けてきたのだ。その孤独を分け合いたい。隣に立ちたい。そう願ったのに、自分にはその資格すらないというのか。

 

『諦めるのか?』

 

不意に、背後から声がした。

「……え?」

涙で視界を滲ませながら振り返る。そこにいたのは、奇妙な存在だった。

青い……ハリネズミ?

二足歩行で立ち、赤い靴を履いたその不思議な生き物は、腕を組みながら真剣な顔でスペシャルウィークを見上げていた。

全く知らない生き物のはずなのに、なぜかスペシャルウィークの魂の奥底で、強烈な「繋がり」を感じる。まるで、お姉ちゃんの走りの根源そのものが具現化したような……。

 

『お前の願いは、これで砕ける程度のものだったのか?』

青いハリネズミは、挑発するように、だがどこか期待を込めたような瞳で問いかけてきた。

その言葉に、スペシャルウィークの心の中で、燻っていた火種が弾けた。

 

「諦めたくないよ!!」

彼女は滂沱のように涙を流しながら、子供のように叫んだ。

「諦めたくない! でも、でも……もう、お姉ちゃんの隣に立つ方法なんて、わかんないよぉ……っ!」

 

泣きじゃくるスペシャルウィークを前に、青いハリネズミは「やれやれ」と肩をすくめた。そして、少しだけ口角を上げて笑う。

 

『……しょうがないなぁ。ちょっとだけ、力を貸してやるよ』

ハリネズミは、スッと右手をかざした。

『俺はあんまり好きじゃない技なんだけど……カオスコントロール!』

 

その瞬間、弾けるような閃光が夢の世界を真っ白に染め上げた。

「きゃっ!?」

強烈な光に目を閉じ、再び恐る恐る目を開けた時、スペシャルウィークは息を呑んだ。

自分の前には、さっきまでと同じように、青いハリネズミ。しかし、ハリネズミの背後には、自分の背後にあったはずの――さっきまで自分の前に立ちはだかっていた、あの巨大な鉄の扉があった。

 

「えっ!?」

『ちょっと反則して、扉の中に連れてきてやったぜ』

ハリネズミは、ウインクをして親指を立てる。

「と、扉の中……?」

『後ろを見てみな』

 

促されるままに振り返ったスペシャルウィークは、その荘厳な光景に心を奪われた。

そこには、神聖な空気を纏う祭壇へと続く、長い石階段があった。

誘われるように、二人はゆっくりと階段を上っていく。

 

祭壇の頂上に祀られていたのは、目を開けていられないほど美しい輝きを放つ、7つの宝石だった。

赤、青、黄、緑、紫、白、水色。

それぞれが独立した強い光を放ちながら、宙に浮遊している。

そしてその中央には、それらを束ねるかのように、巨大な翡翠色の宝石が鎮座し、脈打つように淡い光を放っていた。

 

(この7つの宝石の色……)

スペシャルウィークはハッとした。

(私の領域で出てくる星と色が似てるべ……え、ううん、違う。色はまったく同じ……?)

 

天皇賞(秋)で発現した『七煌の連星』。あそこで自分を導いてくれた7色の流星たちと、目の前にある宝石たちの色は、完全に一致していた。

 

『もう、俺のアドバイスはいらないな?』

青いハリネズミの声に、スペシャルウィークは顔を上げた。

「え?」

『Good luck!!!!』

 

爽やかな風と共に、青いハリネズミの姿が光の粒子となって消えていく。

それと同時に、7つの宝石と巨大な翡翠の宝石が眩い輝きを放ち、スペシャルウィークの身体を暖かく包み込んだ――。

 

 

●三 ●三 ●三

 

 

「……っ!!」

スペシャルウィークは、バッと布団を跳ね除けて上体を起こした。

額にはびっしりと汗をかき、肩で荒い息をしている。窓の外はまだ薄暗いが、夜明けは近い。

「スペちゃん……? 大丈夫?」

視線の先には、心配そうにこちらを覗き込むルームメイト、サイレンススズカの姿があった。うなされているのに気づいて、起きてきてくれたのだろう。手には汗を拭くためのタオルが握られていた。

 

スペシャルウィークは、自分の手を見つめた。

夢の感触が、まだ手のひらに残っている。

「……いけるかも」

「……え?」

「スズカさん、私、いけるかもしれないです……!」

暗闇の底にいたスペシャルウィークの瞳に、確かな希望の光が宿っていた。

 

 

U U U

 

 

翌日の朝、チームスピカの部室は、数日ぶりの活気に満ち溢れていた。

「本当か!? スペ!!」

「はいっ! 発動の目途が立ちました!!」

満面の笑みで報告するスペシャルウィークを囲み、部室中が色めき立った。

「よかったわね、スペちゃん!」

「ええ、これでまた前を向いて走れますわね!」

ダイワスカーレットとメジロマックイーンが安堵の表情を浮かべ、ウオッカやテイオーも大喜びでハイタッチを交わしている。スズカも、少し離れたところから静かに微笑んでいた。

 

沖野は、興奮で震える拳を握りしめた。

「こうなっちゃいられねえ! さっそく実戦でテストだ! ジャパンカップで感覚を掴んで、有で完全に制御できるように調整する! これでURAファイナルズには万全の状態で……!」

 

「――ブッブー。その作戦、大減点だな」

 

突然、ホワイトボードの前に、どこから取り出したのかバインダーを持ったゴールドシップが割り込んだ。

「な、なんだよゴルシ。せっかくの完璧なスケジュールにケチつけるのか?」

「トレーナー、アンタ頭の回転は速いけど、時々ゲームの定石ってモンを忘れちまうよな」

ゴールドシップはバインダーで沖野の頭を軽くポンと叩き、ニヤリと笑った。

 

「いいか? その力ってのは、スペの最大にして最強の隠し玉(ジョーカー)だろ? それを、なんで最終ボスの目の前であるジャパンカップや有でチラ見せしなきゃならねえんだよ」

「あっ……!」

沖野はハッとして息を呑んだ。

 

「あのブルーブラーって化け物はな、ただ足が速いだけじゃねえ。自分の走りを隠し通すだけの狡猾さと、相手を観察する余裕がある。JCや有でその新しい力を発動してみろ。決勝戦のURAファイナルズまでに、確実に対策を練られるぜ」

ゴールドシップの真っ当すぎる正論に、部室中が静まり返った。

「じゃ、じゃあどうするんですの?」

マックイーンの問いに、ゴールドシップはスペに向き直った。

 

「決戦の時まで、その力は『封印』だ。テストは、アタシたちやスズカを相手にした、関係者以外完全シャットアウトの秘密トレーニングでのみ行う。世間にも、そして何よりあの大将(ブルーブラー)にも、スペは『秋天の時から進化していない』と思わせておけ」

「……なるほど。URAファイナルズの決勝、その最後の最後まで牙を隠し続けるってわけか」

沖野は腕を組み、深く頷いた。

 

「どうだ、スペ。やれるか? 大舞台で試せないのはプレッシャーになるぞ」

沖野の問いかけに、スペシャルウィークは一切の迷いなく頷いた。

「やります! 私、お姉ちゃんをびっくりさせたいんです。お姉ちゃんが想像もしてないような走りで、隣に並びたいから!」

 

その表情には、もう微塵の曇りもなかった。

絶望の扉を抜け、七つの星と巨大な輝きのイメージを胸に秘めたスペシャルウィーク。

青い閃光との決戦に向け、チームスピカの極秘プロジェクトが、今静かに幕を開けた。

 

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