Supersonic Derby   作:七つの混沌

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第25話 ジャパンカップ、世界が知る絶望

東京レース場を埋め尽くす十万人超の大歓声が、秋の冷気を震わせていた。

ジャパンカップ。日本最高峰の国際競走であり、世界の強豪と日本のトップウマ娘が激突する夢の舞台。

しかし今年の熱狂は、例年とは明確に異なっていた。観客の視線、そしてメディアのフラッシュが集中するのは主に二人のウマ娘だった。

 

一人は、凱旋門賞で日本の怪鳥エルコンドルパサーと死闘を演じ、史上初の「同着優勝」をもたらした欧州最強のウマ娘、モンジュー。

そしてもう一人は、宝塚記念での敗北を乗り越え、天皇賞(秋)で圧倒的な力を見せつけて再び頂点に君臨した日本の総大将・スペシャルウィークである。

 

スタンドのVIP席。そこには、凱旋門賞を終えて帰国したばかりのエルコンドルパサーと、有記念に向けて静かに牙を研ぐグラスワンダーの姿があった。

エルの表情は、いつもの底抜けに明るいそれとは違い、どこか陰を帯びていた。

 

「……モンジューの強さは、ワタシが一番よく知っていマース。彼女の領域は、相手の心をへし折るほどの威圧感と、どこまでも伸びる末脚……まさに欧州の頂点に立つにふさわしい化け物デス」

ターフを歩くモンジューを睨みつけながら、エルはポツリとこぼした。

「でも……」

「でも、今のスペシャルウィークさんに敵うかどうかは、わからない、ですか?」

グラスワンダーが、穏やかながらも鋭い声でエルの言葉を引き継いだ。エルは苦く笑い、手すりを強く握りしめる。

 

「……ワタシは凱旋門賞で、命を削ってようやくモンジューと同着になりマシタ。世界最強の称号を半分手に入れた……はずなのに、ちっとも嬉しくなかったんデス。だって、ワタシの頭の中にはずっと、あの圧倒的なピッチで全てを置き去りにするスペちゃんの姿があったから」

エルの声に、微かな震えが混じる。

「あんなモンジューとギリギリで同着になった程度の自分じゃ、今のスペちゃんには絶対に届かない。……次元が違いすぎる。ワタシは、それが恐ろしいんデス」

 

グラスは何も言わず、ただ静かにターフを見つめた。彼女自身も、宝塚記念の後にその「次元の違い」に絶望しかけた一人だ。だからこそ、エルの痛いほどの焦燥感が理解できた。

 

一方、パドックを歩くモンジューの胸中は、揺るぎない自信と高揚感に満ちていた。

(エルコンドルパサー。私と肩を並べた、極東の誇り高き怪鳥。彼女が私との死闘の最中、常に背後にある「幻影」を恐れていたことは気づいていたわ)

モンジューは、優雅な足取りでゲートへと向かいながら、前方に見えるスペシャルウィークの背中を見据えた。

(スペシャルウィーク。あなたがその幻影の正体ね。良いわ、ヨーロッパの誇りにかけて、私がそのメッキを剥がしてあげる)

 

ファンファーレが鳴り響き、大歓声が最高潮に達する。

ゲートが開き、各ウマ娘が一斉に飛び出した。

 

「さあ、ジャパンカップのスタートです! 注目は中団につけたスペシャルウィーク! そしてそれをマークするように、欧州最強のモンジューがピタリとつけています!」

 

実況の声が響く中、レースは淡々と進んでいく。

スペシャルウィークは、実に落ち着いていた。沖野トレーナーやゴールドシップから厳命されたのは、『夢の中で掴んだ新しい力の封印』。

秋天で見せた『七煌の連星』とソニックブーストまでは使っていいが、その先にある「扉の奥の力」はURAファイナルズ決勝まで絶対に見せない。その強い意志が、彼女の走りに研ぎ澄まされた安定感をもたらしていた。

 

(大丈夫。焦らない。私の力は、私が一番信じてる)

いつものように、少しピッチの速い走法でリズムを刻む。

 

そして、レースは最終第4コーナーから、府中の長い直線へと差し掛かった。

ここで、先に動いたのはモンジューだった。

 

『行くわよ、極東の勇者!』

モンジューの瞳が鋭く発光し、彼女の全身から圧倒的な威圧感を伴うオーラが放たれた。

 

 

 

「Le Gardien de fer」

 

 

 

 

彼女の領域。並のウマ娘であれば、その重圧だけで足がすくみ、息が詰まるほどの覇気。

 

「モンジュー、ここで仕掛けた! 一気に先頭集団を飲み込みにかかる! まるで他を圧殺するような力強い踏み込みだぁっ!」

実況には領域の幻視は見えないが、モンジューが放つ絶対的な強者のオーラと、それに呑まれて失速していく周囲のウマ娘たちの変化を的確に捉えていた。

 

(どう!? これが世界よ! さあ、重圧にもがきなさいスペシャルウィーク!)

 

だが、モンジューが背後を視線で制圧しようとしたその時、彼女の横を一条の光が通り過ぎていった。

「なっ……!?」

驚愕するモンジューの視線の先。そこには、威圧感を意に介する様子もなく、涼しい顔で前方を駆け抜けていくスペシャルウィークの背中があった。

 

『世界最強……でもっ! 私が追いつかなきゃいけない背中は、もっとずっと先にありますっ!!』

 

 

 

〈七 煌 の 連 星〉

 

 

 

赤、青、黄、緑、紫、白、水色。七色の流星が彼女の周囲に顕現し、一つに集まってターフの先に眩い道を作り出す。威圧でねじ伏せようとするモンジューの覇気を純粋な「光」で切り裂き、圧倒的な速度差をもって一瞬で置き去りにしていく。

 

 

現実のターフでは、実況が驚愕の声を上げていた。

「スペシャルウィーク、モンジューの気迫を全く歯牙にもかけない! 凄まじい末脚で単独先頭に躍り出た!!」

 

(嘘でしょ……追いつけない!? 極東のバ場で、これほどの……っ)

並走する間すら与えられない絶対的な速度差に、モンジューの表情が初めて焦りに歪む。

だが、世界最強への絶望的なオーバーキルは、そこで終わらなかった。

 

残り400メートル。すでに決定的なリードを広げていたスペシャルウィークが、心の中で静かにトリガーを引く。

(いくよ。お姉ちゃん……!)

 

――ドンッ!!

 

空気を切り裂くような、鈍い破裂音が府中のターフに響いた。

直後、領域を認識できる者たちの目にのみ、スペシャルウィークの身体を明るい紫色に輝く強烈なオーラが包み込むのが見えた。

『ソニックブースト』。

 

「え……?」

モンジューの口から、間抜けな声が漏れた。

ただでさえ追いつけない速度差から、突如として追加の20kmという異常な加速。

必死に手を伸ばそうとしていたモンジューの視界から、スペシャルウィークの姿が文字通り「瞬きする間」に遥か前方へと消え去ったのだ。

 

「ここで爆発だぁっ!! スペシャルウィーク、お馴染みの異次元の末脚!! 完全に速度が違う!! 世界最強のモンジューを全く相手にしないっ!!」

 

実況には紫色のオーラは見えていない。ただ、突如として物理法則を無視したような急加速を引き起こし、無色の暴風となって突き進む「結果」だけを目の当たりにし、狂乱したように絶叫する。

 

モンジューは必死に脚を回した。だが、遠ざかる紫のオーラは、絶望的な速度で小さくなっていく。

(……これが、極東の……幻影……!?)

全く衰えないトップスピード。

モンジューの誇りも、世界最強という自負も、その圧倒的な「次元の違い」の前では、ただの紙切れのように粉砕された。

 

「強すぎる! スペシャルウィーク、大差! 大差です! モンジューを、世界を全く寄せ付けない! 日本総大将、堂々の1着でゴールイン!!」

 

10バ身以上の大差。

ゴール板を駆け抜けたスペシャルウィークは、オーラを散らしながら、観客席に向かって満面の笑みで手を振った。

その後方で、モンジューは完全に心が折れたような虚ろな瞳でゴールインし、膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪えていた。

 

「……ハハッ」

VIP席。静寂に包まれた関係者の中で、エルコンドルパサーの乾いた笑い声が響いた。

「……笑えマース。笑うしかないデスね、これは」

 

エルの瞳から、先程までの陰りは完全に消え去っていた。

自分と死闘を演じたモンジューが、併走すら許されず子供扱いされるという現実。それはエルが恐れていた「絶望」そのものだった。しかし、いざその究極の絶望を目の当たりにして、エルの心の中で何かが吹っ切れた。

 

「あんなの、まともに相手にしてたら心がいくつあっても足りないデース」

エルは立ち上がり、手すりに身を乗り出した。その顔には、獰猛なまでの勝負師の笑みが浮かんでいた。

「でも……だからこそ、倒し甲斐があるってモンです。次元が違うなら、ワタシもその次元に無理やりねじ込んでやるだけデース!!」

 

グラスワンダーも、そんなエルを見て小さく微笑んだ。

「ええ。URAファイナルズ……最高の舞台になりそうですね」

 

同じ頃、地下の控え室モニターでレースを見ていたチームスピカの面々は、一様に安堵の息を吐いていた。

「や、やりやがった……完璧だ」

沖野は壁に手をつき、心底ホッとしたように呟いた。

「ああ。秋天で見せた『七煌の連星』とソニックブーストだけで、世界最強のモンジューを完封しやがった。夢の中で掴んだ新しい力の片鱗すら見せてねえ」

 

「ヒャハッ! これでうちの大将の手札は、誰にもバレてねえってわけだ!」

ゴールドシップが嬉しそうにルービックキューブを放り投げる。

「ええ……本当に、恐ろしい子ですわね」

マックイーンも、震える手で紅茶のカップを持ったまま呟いた。

 

そして、トレセン学園の片隅。

一人でスマートフォンの画面越しにレース中継を見ていた黒髪の新人トレーナー――日高湊は、ふっと涼しい笑みをこぼした。

 

「……やるじゃん、スペ。相変わらず凄い脚」

画面の中で歓声に応える義妹の姿を見つめながら、ブラーはコンタクトレンズの奥で、生粋のランナーとしての闘争心を燃やしていた。

「でも、まだまだだよ。URAファイナルズ……楽しみにしてるからね」

 

彼女はまだ知らない。

最愛の妹が、自分すらも知らない「超常の力」をその身に宿し、虎視眈々と自分を撃ち抜く瞬間を狙っているということを。

日本の、いや世界の頂点を決する狂騒は、次なる有記念、そして最高峰の舞台へと向かって、さらに熱を帯びていく。

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