アン・シャーリーという名の、ちょっと様子がいい男子 作:るきのるき
ここはグリーン・ゲイブルズ。
19世紀末風の台所の、秘密の扉の奥には21世紀のキッチンがあり、マリラは冷蔵庫を開けて紙パックのアイスコーヒーを出した。パッケージは白と黒のチェッカー模様になっていて、シロネコとクロネコがシャンチー(中国将棋)で遊んでいる絵、それに日本語の文字が書かれていた。その名前にはおれも見覚えがあった。
「口に合うといいんだけどねえ。って、ああもうこれは中身がひとり分ないかな」と、マリラは紙パックに口を、腰に手をあててぐびっ、と飲んだ。確かに、ぐびぐびと飲めるほどにはなかったようである。
そして、別の、筑波山と利根川っぽい絵が畫いてある、やはり日本語の紙パックから、コーヒーを出して、白い厚手のカップに移し、電子レンジにセットした。
「2分ぐらいあればできるよ」と、マリラは言った。
「コーヒーメーカーも、ドリップコーヒー用の道具もあるのに、それを使わないの」と、おれは聞いた。
「洗うのが面倒なんだよ。あんたが道具を洗ってくれるならいいけどね」
「これから毎日洗うんだから、別にそんくらいしてもいいよ。と思ったけど、確かにこれ、洗うの面倒くさそうだ」と、おれは道具を見て言った。なんでこういうの作るメーカーは、あとで洗う人のことを考えていないのか。特にソーダメーカー作ってる会社には強く主張したい。コスト的にはともかく、ペットボトルの炭酸水買ったほうが楽である。
「カップのほうはどうするのさ」と、おれは聞いた。
「ここに積み上げとく」と、マリラは勝手口のドアを開けて外を見せた。山盛りになった使い終わったあとの白いカップが、たまごの殻のように、おれの背丈ぐらいの高さに積んであって、おれは驚いた。
「仮想世界なのに、すぐに消したりはしないんか」
「まあ、半年に一度ぐらいかな。すぐに消す必要もないしねえ」
言われてみたらそのとおりである。
*
2分ぐらいしたら、あつあつのホットコーヒーができあがった。こんな夜には氷入りのアイスコーヒーでもよかったんだけど、お腹が冷えるといけないから、とのことである。
「コーヒーにはなにか入れるかな」
「えーと、別にブラックでいいです。ミルクも砂糖も抜きで」
「あいにく、ミルクが切れちゃっててねえ。クリーム抜きのコーヒーじゃ駄目かな」
おれはどんな顔をしたらいいのかわからなかった。なお、これはエルンスト・ルビッチ監督の映画『ニノチカ』で、グレタ・ガルボが大笑いしたジョークなので、ブラックコーヒーを頼まれる側は覚えておくといい。おれも行きつけの珈琲舎で教わった。
そんじゃ、私はちょっと食卓を片づけてくるから、と言ってマリラは出ていき、おれはキッチンの狭いテーブルでコーヒーを口にした。
「な、な、な、何じゃこりゃあ」
おれはテレビドラマ『探偵物語』OPの、松田優作がコーヒーを吹くのと同じぐらいの勢いで吹いた。
「こりゃまずいよ。よくこんなもん商品として売るどころか、カナダにまで輸出したな」
しょうがないので、勝手に冷蔵庫を開けて口直しを探していると、炭酸水といっしょにいいものが見つかったので、おれはスプーンを出してそのいいものを口にした。日本と同じソフトプリンである。
「ふむ。これはいけますね。もぐもぐ。あ、これはいいな」と、3口ほど食べたら、マリラが戻って来た。
「あーっ、何食べてんの。だめじゃん、それはマシューのプリンだよ」、と、マリラは両手を腰に当てて言った。
「ごめん、本当にごめん。ひと口食べたところで気がついたんだけど、ひと口食べるのも全部食べるのも同じだと思って」
プリンの容器には「○/○」(○月○日)「マシュー」とはっきり書いてあった。日本語で。
書いておくなら、蓋のところにお願いしたかったところである。
「マシューが知ったら激おこだよ」
「原作では激おこのマシューって見たことないけど、あったっけ」とおれは聞いた。
「あんた一度マシューに殺されたほうがいいね。どうせ実際に死ぬわけじゃないんだから」と言ってマリラは、キッチンの窓のシラカバ林を指差した。
「あの樹が一本、叩き切られてるの見えるかな。あれは、私が間違ってマシューのプリンを食べたとき、マリラの野郎ぶっ殺してやる、と泣きながらマシューがやったんだ」
「素手……で」
「いや、一応、斧使って。あんただって、妹にプリン食われちゃったら、怒るだろ」
たしかに怒るな。それもたしかに激おこ。妹がいない奴にはわからないだろうけど、時をかける女子高生だって怒ってた。
「しょうがないなー、肉と一緒にプリンも配達してもらうよう頼むけど、日本からだから時間かかるかもねー、あと、これは別料金だから」と、マリラは言った。
料金は、コンビニでちょっと高めのリアルプリンを買えるぐらいの値段。