アン・シャーリーという名の、ちょっと様子がいい男子 作:るきのるき
「よいしょっ、はぁっ、うーん、えいこら。はあはあ」
グリーン・ゲイブルズに来た最初の夜。
消防団のみなさんが帰ったあと、マリラが閉めていったおれの部屋 (スペア・ルーム)の窓を、おれの力で開けられるかどうかさんざんためしたあげく、今のおれ (アン・シャーリー)ではとうてい無理だということがわかった。とはいえ、原作では苦労しながらも開けて、朝のグリーン・ゲイブルズの花の匂いとか嗅いだりするんだっけ。
おれは、いったんあきらめて、マッスル・トレーニングをすることにした。とりあえず、腕立て伏せと腹筋、屈伸ぐらいか。反復横跳びは夜にやるものじゃないだろう。
寝間着に着替えて、腕立て伏せをやってると、マリラがやってきたので事情を説明したら、そんなんじゃ全然だめ、と言って、おれの倍ぐらいの早さで、おまけに腕と体を上げると同時に手拍子を打つという、映画『タクシードライバー』のトラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)がやってたのと同じことをやってみせた。
「両足を椅子の座るところに置いて。そのくらいの圧がないとトレーニングにならないよ」と、マリラはおれが脱ぎ散らかしていた昼の服を、椅子の背当てのところにきれいにかけ直しながら言った。
「…………」
一回もできないうちに、声も出なくなった。
「あんねえ、明日の朝までに、わたしが苦労して開けた窓をアンがなんとかできるとか思われても困るな」
「ですよねえ」と、おれは同意した。
「この窓の下の、ここんところに、緑と赤のボタンがあるだろ。これを押すと自動で動くんだよ」
たしかに、緑のボタンには「O」、赤のボタンには「C」って書いてあった。
「オープンとクローズか。でもOとCって間違えやすくないかな」
「漢字の「開」と「閉」だって、どこが違ってるのか欧米人にはわかりにくいやん」
そうだね。
ユニバーサル・デザインの、三角がふたつずつ組み合わさってる図だってわかりにくい。誰かが急いで乗ろうとしているエレベーターのドア、「開」ボタンと間違えて「閉」を押しちゃうのもよくあることである。
「だったら、なんで最初からマリラは使わなかったんだよ」
「火事のときにそんなの使うわけないだろ」
要するに演出、か。
「明日の朝から毎日特訓だよ。トネリコの枝とミトン手袋を用意しておくからね」
ミトン手袋は小手の代わりらしい。
*
「寝る前に、ちゃんと神様にお祈りしときな。自己流でいいから」と、マリラは言った。
「えーと、大地と空と海の恵みに感謝します、みたいな奴ね。自己流のアンのお祈りは、ずっとグリーン・ゲイブルズで暮らせるように、と、美人になれますように、っていう、自分勝手な奴だったっけ」
ここで、日本語訳の最後では、「アーメン」のかわりに「かしこ」って言ってたりするんだけど、気になりませんか、この「かしこ」っての。だったら、「アーメン」の代わりに「南無阿弥陀仏」でもいいのでは、とか。
元の英文は、
'yours respectfully' (ユアーズ・リスペクトフリィ)
つまり、「敬意を表して」。「敬具」「敬白」みたいに、昔の手紙のきまり文句だな。リスペクトフリィ・ユアーズでもいいね。今のビジネス英語なら「sincerely(シンシアリィ)」だけど、メールのやりとりでそんなの使うかなあ。
「雨がふっても」と、マリラは言った。
「サンサンサン」と、おれは答えた。
「風が吹いても」
「サンサンサン」
「そんなネタ、わかる奴がいるかー」と、マリラはツッコミを入れた。
これは大阪・千日前に昔あった、大人の社交場のCMソングである。
「あんねえ、いくら作者が「?」「!」テキストに入れるの嫌ってるからって、神様に祈るときぐらい使えよ」と、マリラはおれと作者に怒った。こんなに登場人物に怒られてばかりいる作者は少ない。
「じゃあ、やり直し。雨がふっても」
「雨(アーメ)ン!」
「風が吹いても」
「雨(アーメ)ン!」
「腹が減ったら」
「救世主(メシヤ)!」
「裏の食堂は」
「裏救世主(ウラメシヤ)!」
「毎日雨が続いて鬱陶しいわねえ。でも、そのおかげであなたとしっぽり……やらずの雨だよぉ」
「ハレルヤ!」
だいぶわかってきたじゃないか、と、マリラはおれの頭をなでた。