アン・シャーリーという名の、ちょっと様子がいい男子   作:るきのるき

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59話 アン・シャーリー、水中を泳ぐ

 橋桁につかまっているおれ、アン・シャーリーを、伯爵令嬢で船会社を所有しているリリちゃんと、おれをおもしれー奴枠に入れているギルバートは、GPS情報と、おれの最後の通話をもとに救いに来てくれた。

 

 ギルバートは基本的にいい奴なのに、どうしてアン・シャーリーが認めていないのかというと、認知的不協和という心理があるんじゃないかと思う。

 

 広い意味では、世界で起きる悪意と自分自身の善なる心とが食い違っている場合、悪いのは世界で、自分ではない、という感覚。狭く語るなら、自分がひどい目に会うのは世界が間違っているから、という解釈で納得しよう・させようという心理ですね。

 

 わかりやすい例としては「陰謀論」にもとづく世界観。

 

 信長を殺したのは明智光秀なんだけど、その結果一番得をしたのは豊臣秀吉だから、本能寺の事件は豊臣秀吉のせい、とかね。

 

 つまり、アン・シャーリーが屋根から落ちたり、川で溺れそうになったり、髪の毛の染色でしっぱいしたり、その他もろもろはギルバートが悪い。私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い、みたいなもんだな。

 

 屋根から落ちるように仕掛けたのも、舟が沈むようにしかけたのも、ギルバートのせい。

 

 本当は、作者であるモノゴメリのせいなんだろうけど。

 

     *

 

 アボンリーの川や湖を通って、近くの港まで行く舟は、もっぱら農作物を運んだり、肥料や生活必需品を運んだりするために使われている。観光のための小型船もあるけど、一般的になったのは『赤毛のアン』が世の中に知られるようになってからだと思ったほうがいい。

 

 リリちゃんがへとへとになっていたのは、荷物運搬用の中型船をオールで漕いでいたためで、ギルバートにやらせなかったのは、舳先をどこかにぶつけるとまずいことになると思ったからだろうな。

 

 とりあえず、橋から30メートルぐらいの距離になると、ギルバートは飛び込むためにパンツひとつになり、準備体操というか、筋肉体操をはじめた。

 

 引き締まって無駄な肉がない、21世紀のアメリカ人には見かけないナイス・ボディだ。文武両道っぽい、スクールカースト上位っぽいところはあるな。

 

 そして、20メートルぐらいのところで、かっこよく飛び込んで、リリちゃんの舟よりずっと早い速度で泳いで、おれのところに近づいた。

 

「すこし待ってろ、アン。落とした携帯端末を拾ってやる」

 

 なるほどね。

 

 いくらギルバートでも、アンを背中に乗せてリリちゃんの舟まで戻る、みたいなアホなことは考えないだろうな。

 

 潜ったギルバートは、しばらくすると浮かんできた。いつもと違う、赤いフレームの色つきメガネをしていたんだけど、浮かんできたギルバートは、メガネがなかった。

 

「メガネを落とした。だから潜って拾ってきてくれ、アン」

 

 メガネの人にとって、メガネがどこにあるかをちゃんと知るためには、メガネが必要なのは言うまでもない。つまり、メガネを探すためのメガネと、メガネを探すためのメガネを探すためのメガネ……が、いや、それは表現過剰だな。

 

 とにかく、せっかく溺れたり服を濡らさないでがんばってきたのに、ひどい目に会うのはやはりギルバートが悪い。

 

「そんなこと言われても、わたしは泳いだことないよ、ギルバート」

 

「あのねえ、それは作者のモンゴメリが泳げなかっただけだろ。車を運転したことがないとか、乗馬したことがないとか、人を殺したことがないとか、そういう人間にはそういう描写ができないのと同じなんだ」

 

 そうなんですか、ミステリー作家のみなさん。ニワトリやウサギを殺したこともない人間が、殺人とか死体とか出すのはむずかしいけど、読者のほうも、本当の殺人現場を見たことはないから適当にごまかせるんだろうな。

 

「リアル世界のお前は、泳げるわけだから、この世界に「泳げるアン」がいてもおかしくない。水の中は気持ちいいぞ!」

 

 この夏の盛りに、水遊びは確かに気持ちいい、かもしれない。物語の中ではね。

 

 ただ、リアルでは着替えとか、海で遊ぶ場合は砂がじゃりじゃりして、もーいや、という心理にはなります。

 

 おれは白い服をきたまま、すいすいと水中を泳いだ。

 

 架空補正がなされているため、息継ぎはそんなに必要としないようである。

 

 おれは、自分が落としたうす黄色の携帯端末を、比較的簡単に見つけることができ、やった、と思いながら水面に片手を上げて知らせた。

 

 しかしギルバートは満足しなかった。

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