お誕生日おめでとうございます。
あ、今回のネタは誕生日とは無関係です。
珍しく、四人は少し背筋を伸ばしていた。
都心の高級ホテル、その最上階。
窓の外には、無数のビルが放つ光が広がっている。
普段なら配信だの研究だの、あるいは家でだらだら過ごしている四人にとっては、少しばかり場違いにも思えるような空間だった。
テーブルの上には白いクロス。
その上に、コース料理が一皿ずつ丁寧に並べられていく。
ナイフとフォークの位置まできっちりと揃えられ、グラスには料理に合わせた酒が少しずつ注がれていく。
「……こういう場所、来る機会あんまりないよね」
彩葉が周囲を見回しながら、小さく言った。
「研究所の授賞式の関係で、たまたま予約が取れてな」
隼斗が答える。
「授賞式って、こういうところでやるんだ……」
「まあ、全部が全部こういうわけじゃねえけどな」
「隼斗、こういうとこでもナイフとフォーク使い慣れてる感じするよね」
かぐやが感心したように言った。
「まあ、それなりに場数は踏んでるからな」
そう言いながら、隼斗は肉料理を切り分ける。
その動作は妙に自然だった。
「すご……」
「何がだよ」
「いや、なんか……隼斗がちゃんとオトナっぽい」
「アラサーだぞ、俺」
「普段はそう見えないから……」
「おいコラ」
くすくすと口元を隠して、彩葉が笑う。
「でも、確かにちょっと分かるかも」
「彩葉まで言うか?」
「だって普段、料理してるときなんてエプロン姿だし」
「それはそれでオトナっぽいだろ」
「だってもう見慣れてるし……」
「まあ、出会ったころからその恰好ではあるけどよ」
「かぐや、緊張する……」
少し離れた席を見ながら、かぐやが小声で呟く。
「気楽にして良いんだぞ。今日は普通に食事を楽しむ日だ」
「でも、なんか音立てちゃいけない感じする……」
「そこまで神経質にならなくていいって」
そんな二人のやり取りを横で聞きながら、ヤチヨは静かにグラスを傾けていた。
その所作は、四人の中でも特に自然だった。
「ヤチヨはこういう場所、慣れてる感じだね」
彩葉が言う。
「まあ、色々見てきたからね。実践は初めてだけど」
「色々、ねえ……」
隼斗が意味ありげに呟く。
「八千年分?」
「そういうこと」
ヤチヨが微笑む。
「……すげえ経験値だよな」
「ふふっ」
そんな他愛のない会話をしながら、コースはゆっくりと進んでいった。
前菜。
スープ。
魚料理。
そして、メインの肉料理。
料理が運ばれてくるたびに、かぐやが小さく感想を漏らし、彩葉がそれに答える。
隼斗は料理の味を確かめるように黙々と食べ、ヤチヨは時折そんな三人の様子を眺めながら、楽しそうに笑っていた。
普段はキッチン担当の三人が作る料理を食べることが当たり前。
四人でこういう場所に来ること自体が、少し新鮮だった。
メインの肉料理が運ばれてきた、その時だった。
「失礼いたします」
ソムリエが、一人のスタッフを伴って現れた。
その手には、一本のワインボトル。
ただ、それまでの料理と一緒に運ばれてきた酒とは、明らかに雰囲気が違った。
ボトルを見ただけで、隼斗の視線が止まる。
「……ん?」
「こちら、本日のお食事に合わせまして」
ソムリエが恭しくボトルを掲げる。
ラベルを確認した隼斗が、少しだけ眉を上げた。
「……これ、結構なやつじゃねえか?」
「え?」
彩葉がメニューを見る。
「私たち、これ頼んでないですよね?」
「はい」
ソムリエは穏やかに答えた。
「こちらは、あちらのお客様からのご厚意です」
「……え?」
かぐやが固まる。
「誰?」
ソムリエが視線を向けた先。
少し離れたテーブルに、一人の老齢の白人男性が座っていた。
年齢は、かなり高齢。
白髪。
仕立ての良いスーツ。
そして、深い色の帽子。
男性は一人で食事をしていた。
騒ぐことも、周囲を気にする様子もなく。
ただ静かに、食事とワインを楽しんでいる。
「……知らない人……だよね?」
かぐやが小声で言った。
「私たちは知らないと思うけど……」
彩葉も戸惑ったように男性を見る。
「隼斗、知り合い?」
「いや。俺も知らねえ」
「じゃあ、なんでぇ……?」
かぐやの声が、さらに小さくなる。
ソムリエがワインを開ける。
コルクが抜かれる音。
そして、グラスへ。
深い色合いの液体が、ゆっくりと注がれていく。
「……これ、本当に頼んでないんだよな?」
隼斗が確認する。
「はい。間違いございません」
「そっか……」
隼斗はもう一度、男性の方を見る。
すると。
男性も、こちらを見ていた。
目が合う。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、男性が柔らかく笑みを浮かべた。
隼斗が軽く会釈する。
男性はそれに応えるように、被っていた帽子をゆっくりと外した。
そして、胸元へ帽子を添えるようにして、小さく礼をする。
言葉はない。
それだけだった。
男性は帽子を元に戻すと、何事もなかったように視線を料理へ戻した。
「…………」
かぐやが、ぽかんとしている。
「……なんか、かっこいい人だね」
「かぐや、そこ?」
彩葉が苦笑する。
「だって……あんなの初めて見た」
「まあ……確かに映画みたいではあるな」
隼斗も男性を見る。
その目が、わずかに細くなった。
「……」
何かが、引っかかった。
うまく言葉にできない違和感だった。
あの帽子の外し方。
胸元に添える、ほんの一瞬の仕草。
――前に、どこかで見たことがあるような。
「隼斗?」
彩葉が声をかける。
「……いや、なんでもねえ」
隼斗は小さく頭を振って、視線を料理に戻した。
思い出せない。
ただ、後頭部のあたりに、小さな棘のような違和感だけが残っていた。
「でも、どうする?」
「お礼、言いに行った方がいいんじゃない?」
恐縮している彩葉が言う。
「いや」
その彩葉に、隼斗は首を横に振った。
「向こうがそういう態度じゃねえだろ」
「……そうだね」
「それに、匿名で贈ったつもりなら、無理に聞くのも野暮だ」
「隼斗、こういうときだけ妙に分かってるね」
「こういうときだけって何だよ」
そんなやり取りをしている中。
一人だけ、何も言わない人物がいた。
ヤチヨだった。
「…………」
ヤチヨは、男性を見つめていた。
その表情から、先ほどまでの柔らかな笑みが消えている。
視線だけが、男性の顔に向けられていた。
白髪。
目元。
帽子。
そして――
帽子を外したときの、あの仕草。
「……もしかして……」
ヤチヨの口から、小さな声が漏れた。
「ヤチヨ?」
彩葉が気づいて振り返る。
「ヤチヨの知り合い?」
「……」
ヤチヨは、すぐには答えなかった。
もう一度、男性を見る。
男性は何も言わない。
ただ、静かにワインを飲んでいる。
その横顔を見ながら、ヤチヨはほんの一瞬だけ、遠い記憶を探るような目をした。
――極上のワインは、時間が経つほど深まる。
そんな言葉が、不意に頭の奥を掠めた。
「……」
ヤチヨが、わずかに目を細める。
けれど、次の瞬間には、いつもの笑顔に戻っていた。
「ううん」
静かに首を振る。
「勘違いだったみたい」
「そう?」
「うん。似てる人がいたなって、思っただけ」
彩葉はヤチヨの顔をしばらく見つめた。
けれど、それ以上は追及しなかった。
「……そっか」
「うん」
ヤチヨはグラスを手に取る。
「せっかくだから、いただこうか」
「そうだね」
四人がグラスを持ち上げる。
かすかな音を立てて、グラス同士が触れた。
「……美味しい」
彩葉が一口飲んで、目を丸くした。
「これ、相当良いワインだよね」
「だな」
隼斗も、もう一口飲む。
「ワインに疎い俺でも分かるくらい違う」
「どんな感想よ、それ」
「美味いってことだよ」
「雑だなぁ」
かぐやはまだ少し落ち着かない様子で、男性の方をちらちらと見る。
「でも、本当にお礼言わなくていいのかなぁ……」
「向こうが匿名で、って態度だからな」
隼斗が静かに答える。
「そっとしておくのが礼儀だと思うぞ」
「……うん」
かぐやもようやくグラスへ口をつけた。
「……おいしい」
「だろ?」
「でも、なんか不思議」
「何が?」
「知らない人から、こんな良いワインもらうなんて」
「世の中、たまにはそういうこともあるさ」
運がよかったと思っとけ、と隼斗が肩をすくめる。
「……たまに、ね」
彩葉が苦笑した。
食事の後半。
最初こそ戸惑っていた四人も、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
料理の感想を言い合ったり。
普段なら頼まないようなデザートを眺めたり。
かぐやが「これ食べてみたい」と言えば、彩葉が一口もらったり。
隼斗が「それ、俺も気になる」と横から口を出したり。
いつもの四人らしい空気が、少しずつ戻ってくる。
ただ。
ヤチヨだけは、時折、ほんの一瞬だけ。
あの男性のテーブルへ視線を送っていた。
男性は、最後までこちらへ声を掛けることはなかった。
ただ静かに食事を続け。
時折、グラスを傾け。
帽子を被ったまま、ゆっくりと時間を過ごしていた。
そして、デザートが運ばれてくる頃には。
「……あれ?」
かぐやが気づいた。
「あのワインの人、もういないや」
彩葉が振り返る。
「本当だ」
男性が座っていた席には、もう誰もいなかった。
テーブルの上も綺麗に片付けられている。
「いつの間に……」
「静かに帰ったんだね」
彩葉が言う。
「……うん」
ヤチヨだけが、空いた席を見つめていた。
そこにはもう、何もない。
ただ、そのテーブルにグラスを置いていた跡だけが、微かに残っている。
「……ヤチヨ?」
「ううん」
ヤチヨが微笑む。
「なんでもない」
そして、自分たちのテーブルに置かれたワインを見た。
「美味しいワイン、ちゃんと味わおうか」
「……そうだね」
ヤチヨが、ゆっくりとグラスを傾ける。
口に含んだワインの味を、静かに確かめる。
「…………」
八千年分の記憶。
その中に残された、遠い昔の一人の男。
自分がまだウミウシの姿だった頃。
誰にも知られない場所で。
誰にも語られることのない形で、一つの約束を果たしてくれた人。
「……ふふ」
ヤチヨは、小さく笑った。
「何?」
彩葉が尋ねる。
「ううん」
ヤチヨは首を振る。
「……ちょっと、懐かしい言葉を思い出しただけ」
「ワインで?」
「うん」
そう答えて、もう一度グラスを見る。
「時間が経つほど、深くなるんだって」
「……?」
彩葉が首を傾げる。
「何それ?」
「さあ?」
ヤチヨは笑った。
「昔、誰かに聞いた気がするんだ」
その答えに、彩葉はそれ以上何も聞かなかった。
隼斗も、かぐやも。
ただ、それぞれのグラスを傾ける。
その夜、四人は結局あの男性が何者だったのか、確かなことは誰にも分からないままだった。
ただ、ヤチヨだけは知っていた。
あの笑い方を。
あの帽子の外し方を。
そして――
あのワインの味を。
これからも、忘れることはないだろう。
千本桜景厳さん、ひまじ~んさん、藤フィールドさん、たーきーさん、評価いただきありがとうございます。
お気に入り登録、ここすきをしていただいた方々もありがとうございます。
とても励みになります。
活動報告の方でネタの募集、こちらも活動報告でマシュマロ雑談の質問募集も始めておりますので、ご一読いただければと思います。
マシュマロ雑談の質問募集については期限を延長し10/25(日)とさせていただきます。