きっかけは、小さな相談だった。
「教室に通えない子たち向けに、授業をやれないかな」
言い出したのは彩葉だった。
理由は人それぞれでも、教室に行けない、学びたくても学べない子供たちは大勢いる。
ツクヨミなら、顔を出さなくても、アバターのままで参加できる。
声を出さなくても、コメントだけで質問ができる。
「……東大現役合格者が二人もいるんだ。やらねえ理由はねえな」
隼斗は、少し考えてから頷いた。
そうして始まったのが、いろPとジュンヨウによる、中学・高校の授業内容を扱う配信企画。
会場は、
生徒役として、ヤチヨとかぐやも参加する。
配信タイトルは、【授業配信】ツクヨミ夜空教室 第1回【いろP×ジュンヨウ】
「いろPです。今日から、ツクヨミで授業配信をやっていきます」
「ジュンヨウだ。最初に言っとく」
ジュンヨウが、黒板の前でチョークを持ったまま、画面の向こうに話しかけた。
「教室に行けねえ理由は、人それぞれだと思う。ここには来ても、来なくてもいい。途中で抜けてもいいし、寝転がって聞いてたっていい。分からなかったらコメントしてくれ。分からないことは、恥ずかしいことじゃねえからな」
「私も、昔は分からなくて悩んだ時期があります。だから、分からないところから始められる授業にしたいと思います」
「コメントじゃなくて、実際にツクヨミに来て参加したいってやつも歓迎するぞ。但し」
ジュンヨウの目が鋭く光った。
「
「はーい!かぐやは一番前の席!」
「ヤッチョは窓際でお願いしま~す」
教室の最前列と窓際に、アバター姿のかぐやとヤチヨがちょこんと座っている。
「かぐやが一番前なのは助かるね」
「100
「なんだと!?!??!?」
第一回の科目は、古典だった。
担当は、いろP。
「今日は『竹取物語』をやります。冒頭の『今は昔、竹取の翁といふ者ありけり』の『いふ』は、何形か分かりますか」
「連体形~」
「正解。ヤチヨ、よく分かったね」
「だってリアタイ勢だもの~」
いろPが指を鳴らすと、教室の景色が一変した。
壁が消えて、足元に竹林が広がる。
竹の中で、淡い光がひとつ、きらりと灯った。
「『もと光る竹なむ一筋ありける』。ここの『なむ』は、係助詞です。強調の意味で、文末が連体形になります。これが『係り結び』です」
竹の光が、教室に流れ込む。
文字がゆっくりと浮かんで、竹の節に沿って並んだ。
「覚えにくいなら、竹の光り方で覚えてください。『なむ』が出たら、竹がきらっと光ります。結びの言葉も、一緒に光ります」
「わあ、きれい!」
「分かりやすい」
「もうひとつ、竹取物語で大事な助動詞があります。『す』『さす』『しむ』です」
黒板に、三つの文字が浮かび上がった。
「『す』『さす』『しむ』は、基本的には使役を表します。ただし、敬語として使われる場合もあります」
いろPは、黒板に二つの例文を書いた。
「たとえば、『誰かに何かをさせる』という意味なのか、それとも身分の高い人の動作を敬って表しているのか。主語や前後の文章、ほかの敬語表現も手がかりにして判断します」
「形だけで決めちゃだめなんだね」
「そう。文法の知識は大切だけど、文章全体を読むことも同じくらい大切です」
いろPはさらに黒板にチョークを走らせる。
「もちろん、使役だからといって、必ず本人の意思に反しているわけではありません。でも、物語の中では、自分の意思だけではどうにもできない状況に置かれる人もいます」
竹林の景色が、月を見上げるかぐや姫の姿へと変わった。
「竹取物語を読むときは、誰が何をしたのかだけでなく、その人が自分で選べたことと、選べなかったことにも注目してみてください」
「かぐや、も~無理くり帰らされるのは、やだ~!」
「そうだね。自分では望んでいなくても、どうしても避けられないことがある。物語を読むと、そういう場面にも出会います」
窓際でヤチヨが、ほんの少しだけ視線を落とした。
「じゃあ、使役と尊敬はどうやって見分けるの?」
「主語や文脈、ほかの敬語表現を手がかりにします。たとえば、誰かが別の人に何かをさせているのか、それとも身分の高い人の動作を敬って表しているのか。文章全体を見て判断するんです」
いろPは、黒板を指しながら説明を続けた。
「助動詞は、形だけ暗記するのではなく、文脈と一緒に考えること。これが古典を読むときのコツです」
第二回は、ジュンヨウの物理だった。
「今日は物理の『斜面を転がる球』を、重力加速度を変えながらやってみる」
「ツクヨミの機能で、実際に重力を変えられるんだよね」
「ああ。まずは地球」
教室の中央に、傾斜のついた台が現れる。
球が転がり落ちるたび、床に速度のグラフが描かれていく。
「次は、月の重力。地球の約六分の一だ」
球が、ふわり、ふわりと、ゆっくり転がっていく。
かぐやが、身を乗り出した。
「これ、かぐやが昔いたところに近い!」
「そうだな。これが、重力が小さい環境」
「そんで次は」
「なになに~?ぐえっ!?」
「これが木星の重力。一般的に地球の約2.5倍と言われてるな」
「んぎぎぎぎぎぎなんではやとはへいきなかおしてるのぉおおおおお」
「いや平気な顔してるだけ。俺も脚プルップルよ今」
「やせがまんんんん」
かぐやが床にべったりと貼りついている横で、ジュンヨウは直立のまま膝だけが震えている。
いろPに至っては、椅子になんとか座っているありさまだ。
窓際のヤチヨだけが、涼しい顔でお茶をすすっていた。
「ちなみに、質量が増えたわけじゃねえぞ。体重計に乗ったら数字は増えるけどな。重力が大きくなって、体にかかる力が増えてるだけだ」
「ついでに言うと、木星に地球みたいな地面はねえ。ガス惑星だからな。今は重力だけを再現した仮想環境だ。惑星そのものを再現してるわけじゃねえし」
「はやくもどしてぇええええ」
「ほいっと。重力リセット~。体験したい人はツクヨミに来てみてね~」
「仮想環境じゃねえとこんな実験危なっかしくてやってられねえしな」
「…………重力室みたいなのって作れるかな」
「やばい彩葉の研究スイッチはいりそう!!」
「疑似重力には遠心力が使われがちだけど、もっと他のアプローチが出来るなら……」
「はいそこまで。今日の教師は俺。いろPは大人しく授業を受けててくださ~い」
第三回は、いろPの化学。
テーマは、炎色反応だった。
「ナトリウムは黄、リチウムは赤、銅は青緑、カリウムは紫です。語呂合わせは、リアカー無きK村。覚えにくいなら、実際に見ましょう」
バーナーの炎が、一つ、また一つと色を変える。
教室の暗闇に、鮮やかな炎が揺れた。
「きれい……」
「これが花火の大本になるわけだ」
「ヤッチョ、これ好き~」
「全部混ぜるとどうなるんだろ」
「絶対だめ」
第四回の数学では、いろPが少しだけ自分の話をした。
「私は、もともと文系でした。途中から理系に変えたので、つまずく気持ちは分かります。だから、『なんで分からないのか』から説明します」
「理転して現役か……」
「ジュンヨウ、そこは言わなくていいでしょ」
「事実だろ」
「うるさいな。で、その理転した私に理系科目を教えてくれたのがジュンヨウです。なので、理数系はジュンヨウにも手伝ってもらいます」
「
「事実でしょ」
第五回は、ジュンヨウの現代文だった。
「現文、苦手って人は多いよな。先に言っとく」
ジュンヨウは黒板の前で、ぱん、と教科書を閉じた。
「現文なんて、問題文読みゃ答え書いてあんだろ」
教室の空気が固まった。
「ジュンヨウ。それだと、分かんない人が置いていかれちゃう」
「……そうか」
「ジュンヨウは自然にできるタイプということなので、頭の中でやっていることを、手順に分解してもらいます」
「分解、なぁ」
「はい。まず、傍線部の前後を見るところから」
ジュンヨウは少し考えてから、黒板に向き直った。
「傍線部は、ここ。理由を聞かれてる。なら、前後を見る。筆者は同じことを別の言葉で説明している場合がある」
黒板にチョークを走らせて、例文に印をつけた。
「『なぜなら』『つまり』『しかし』。こういう接続詞に丸をつけて、理由や言い換え、対比の関係を追っていく。答えを作るときは、本文の言葉を使いながら設問に合う形に組み立てるんだ」
文章の中の言葉が、淡く光って線でつながっていく。
言い換えの関係が一目で見えるようになった。
「この人の気持ち、かわいそう!」
「『かわいそう』だけじゃ答えの根拠にならねえ。自分がそう感じたことと、本文に書いてあることは別だ」
ジュンヨウは、文章を指で叩いた。
「問題にされてるなら、答えにつながる根拠が本文にあるはずだ。どこに書いてある?」
「えっと……ここ!」
「正解」
「やったー!」
授業は、少しずつ評判を呼んだ。
配信を見た学習参考書の出版社から、コラボ依頼が届いた。
受験情報の会社から、動画教材の提携依頼が来た。
文具メーカー、学習アプリの運営、教育系のNPO。
連絡は、毎日のように積み上がっていく。
「……通知が止まらねえんだが」
「私のところにも、研究所の広報から問い合わせが来てる」
「ふふ。人気者だね~」
そして、第十二回。
この日の担当は、かぐやだった。
配信タイトルは、【授業配信】かぐや先生のプログラミング講座【初心者向け】。
「かぐやっほー!今日はかぐやが先生だよ!」
「ジュンヨウだ。今日は生徒に回る。……大丈夫か」
「大丈夫!まず、『変数』っていうのは、箱だよ」
「そこまでは普通だな」
「その箱に、時間軸を三本入れて、ループの中で並列に回すの」
ジュンヨウの手が、止まった。
「……時間軸?」
「うん。で、ここで量子状態を同期させると、処理が一瞬で終わるよ」
「……」
「これが、月人が使っていた書き方なんだ!」
画面に、見たこともない文字列が、ずらりと並んだ。
「かぐや」
「なぁに、彩葉♪」
「それは、人類にはまだ早い」
「えー!でも便利なのに!」
「ヤッチョは分かるよ~」
「ヤチヨは分かるのか」
「うん。昔取った杵柄っていうか~宝塚っていうか~?」
第十五回の科目は、日本史だった。
担当はいろP。
ジュンヨウは、この日は生徒席に座っていた。
「今日は、源平合戦から鎌倉幕府の成立までです。最近の教科書だと、成立は一一八五年が主流です。『いい箱作ろう』ですね」
「ヤッチョは、
「そこは覚えなくて大丈夫です」
教室の景色が海辺に変わった。
壇ノ浦の波が足元で砕ける。
「源義経は平氏を滅ぼした後、兄の頼朝と対立します。最後は奥州の平泉に逃れますが、藤原泰衡に攻められて、衣川館で自害しました。一一八九年です」
いろPが黒板に年号を書き込む。
窓際でヤチヨが頬杖をつきながらボソッと呟いた。
「あ、そう言えばこの人、ここで死んだ事になってるんだよね~」
教室の空気が止まった。
「……ヤチヨ」
「なんだいなんだい?」
「今、なんて言った」
「え?あー……」
ヤチヨは、しばらく視線を泳がせた。
「歴史って~いろんな説があるよねって話~!」
「ヤチヨ、その話は、配信外で」
「後で聞かせてもらうぞ」
「て、てへ」
「かぐやも聞きた~い!」
「えー、続きまして、鎌倉時代の御家人制度についてです」
「授業続行するのか」
「いろP、強~い」
こうして、ツクヨミ教室は、今日も続いていく。
教室に通えない誰かが、どこかで画面を見ている。
その誰かがほんの少しでも、次の授業を楽しみにしてくれるなら。
学ぶことをもう一度楽しんでくれるなら。
それだけで、この教室を開く意味はあるのだから。
ゆうせい111111さん、評価いただきありがとうございます。
通りすがりの伐採者さん、感想いただきありがとうございます。
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活動報告の方でネタの募集も始めておりますので、ご一読いただければと思います。