今日も世話を焼く   作:ディアーリーズ

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行きたいなぁ……JRAコラボ……。


Ex.競馬場に行ってみたいろかぐヤチはや

十月某日、土曜日の朝。

 

府中本町駅のホームに降り階段を上ると、人の流れは自然と同じ方向へ向かっていた。

中央競馬の開催日に開く臨時改札へと、人が流れていく。

 

「これ、全員競馬場に行く人かな」

「まあそうだろ。全員、臨時改札に流れてくし」

 

隼斗が、前を行く人波を見て呟く。

きっかけは、数日前に届いた一通のメールだった。

JRAからのコラボの打診。

 

『俺、競馬のことなんてほとんど知らねえぞ』

 

最初にそう言ったのは隼斗だった。

そして続けて、こうも言った。

 

『でも、知らないまま話を受けるのは失礼だろ。せめて一回、現地を見ておきたい』

 

その場にいた三人は、迷わず頷いた。

 

「賛成。ミリしらで『コラボやります』って言うのは、確かに違うよね」

「かぐやも行きたい!競馬場、おっきいんでしょ?」

「いいねぇ。ヤッチョ、そういうの大賛成~♪」

 

ちょうど東京競馬の開催時期だったこともあり、話はとんとん拍子に進んだ。

立川から行きやすいという理由で、行き先は東京競馬場に決まった。

 

運の良いことに、その週末は東京で重賞が行われない日だった。

それもあってか、四人分の指定席を無事に確保できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅から競馬場へは、専用のコンコースが続いている。

 

「ねえ見て見て!」

 

かぐやが、壁沿いに足を止めた。

通路の壁には、歴代の日本ダービー優勝馬のパネルがずらりと並んでいる。

 

「全部ダービー馬なの!?すごい、こんなにいるんだ!」

「かぐや、立ち止まると後ろがつかえるよ」

「だって、年ごとに全部違う馬なんだよ!?ほら、この子!この名前、かぐやでも知ってる!」

 

彩葉が苦笑しながら、かぐやの腕を引く。

 

「帰りにもう一回見られるから」

「ほんと?じゃあ、帰りにちゃんと見る!」

 

そう言いつつも、かぐやの首は最後までパネルの方を向いたままだった。

 

係員にQRコードを提示して入場ゲートを抜けると、視界が一気に開ける。

おりしも空は雲一つない秋晴れだった。

 

 

 

 

「……うわあ~~~!」

 

 

 

 

かぐやが、声を失った。

目の前に広がっているのは、見渡す限りのコースと、その向こうの空。

そして、巨大なターフビジョン。

 

「おっっっきい……!ねえ隼斗、これ何人入るの!?」

「知らねえけど、相当だな。写真で見るより、実際はこんなにでかいのか」

 

隼斗も思わずスタンドを見上げた。

隣で彩葉も、同じようにスタンドを見上げた。

 

「想像してたスケールと違うね」

「でしょ?ほら、あそこがゴール板で、あっちが~……うぇえええ!コースの内側にも行けるの~!?」

 

かぐやは、あちこちを指さしては、そのたびに歓声を上げている。

 

その横で。

 

「…………」

 

ヤチヨの姿が、いつの間にか消えていた。

 

「あれ、ヤチヨは?」

「あそこ」

 

彩葉が指さした先で、ヤチヨは売店の前に立っていた。

手には、買ったばかりの競馬新聞。

耳には、いつの間にか赤ペンが挟まっている。

 

「えっ、もう買ってる」

「準備、早……」

 

ヤチヨは新聞を広げ、すでに何かに印をつけていた。

 

「ヤチヨ、ガチだね」

「ガチでしょ。……あの顔、見たことある。新曲のミックスを詰めてる時の顔だ」

 

彩葉が、ぼそりと言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、とりあえず朝ご飯にしない?」

 

彩葉が、時計を確認して提案した。

 

「まだレースまで時間あるし、先に食べとこうよ」

「いいな。電車でそのまま来たから、腹が減ってた」

 

隼斗がすぐに乗る。

 

「かぐやも賛成!」

「ヤッチョも~。……あとで、って言いたいところだけど、新聞は持ったままで食べられるからね」

「それはどうなんだ」

 

四人は、フジビュースタンドの中にあるパン屋へ向かった。

ショーケースには、サンドイッチや焼き立てのパン、揚げ物系の惣菜パンが並んでいる。

 

「うわ、全部おいしそ~……!」

「選べないやつだ、これ」

「ヤッチョはね、決まってるよ。大穴ドーナツと、チュロス」

「即決だな」

「頭を使うから、糖分が要るんだよ~」

 

それぞれがトレーにパンを乗せ、ドリンクを選んだ。

 

彩葉は照り焼きチキンサンドと、ドリンクは迷わず生ビールを注文。

隼斗はホットドッグとコーヒー。

かぐやはチキンのサンドイッチと、大穴ドーナツ。

ドリンクはカフェラテ。

 

各々の朝食を手に、四人は指定席へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

指定席に着くと、目の前の景色がまた違って見えた。

コースがまっすぐ視界に収まり、遠くの芝が朝の光で白く光っている。

 

「はい、じゃあ乾杯!」

 

彩葉が、生ビールのカップを掲げた。

 

「…………」

 

三人の視線が、彩葉の手元に集まる。

 

「……朝だぞ」

「朝だね」

「朝からビールなのぉ!?」

 

かぐやが、ドーナツにかぶりつきながら声を上げた。

 

「だってここ、そういう場所でしょ。開放的じゃん」

「理由になってない」

「照り焼きチキンとビール、最強だよ?」

 

彩葉は、まったく悪びれずにサンドイッチにかぶりついた。

 

「……うまい!」

「感想が完全に居酒屋なんだけど!」

 

かぐやのツッコミを聞きながら、隼斗は呆れ顔でコーヒーを啜った。

 

「なにやってんだ、お前は……」

 

そう言いつつも、ホットドッグを一口齧る。

 

「……いや、でもこれ、うまいな」

「ほらぁ~隼斗も食べたら分かるでしょ?」

「ビールは関係ねえだろ」

 

そこへ、ヤチヨがすっと手を伸ばした。

 

「ねえかぐや、ドーナツ、ちょっと借りてもいい?」

「え?いいけど、かじっちゃったよ?」

「だいじょ~ぶ、だいじょ~ぶ」

 

ヤチヨは、かぐやの大穴ドーナツと、自分の大穴ドーナツを一つずつ手に取った。

そして、くるりと三人に背を向ける。

 

「…………?」

 

三人が首を傾げた、その時。

 

「見てみて~。ツクヨミのヤッチョ~」

 

振り向いたヤチヨの後頭部には二つの大穴ドーナツが、お団子のようにちょこんと広がっていた。

ヤチヨはご丁寧に首を左右へ傾げてみせる。

 

「ぶっ……!」

 

彩葉が、生ビールを吹き出しかけて、慌てて口を押さえた。

 

「あははは!それほんとにアバターみたい!」

 

かぐやが、ドーナツを持っていた手を叩いて笑う。

 

「でしょ~?二つないと再現できないから、貸してもらったんだよ~」

「食いモンで遊ぶな」

 

隼斗は、呆れ交じりに眉を寄せた。

 

「ドーナツが落ちたらどうすんだ。あと、かぐやのは一回かじってんだぞ」

「ちゃんと返すよ~。はい」

 

ヤチヨは、あっさりとドーナツを外し、かぐやに返した。

そして、自分の分には、何事もなかったかのように手をつける。

 

「ごめんごめん。でもちょっと思ってたでしょ?」

「…………黙秘する」

「思ってたんだ」

 

彩葉が、肩を震わせながら呟いた。

 

「ほら、遊んでねえで食え。冷めるぞ」

「は~い」

 

ヤチヨは、返してもらった自分のドーナツに、ぱくりとかぶりついた。

一口、二口、三口。

大穴ドーナツは、あっという間に穴だけになった。

続けて、チュロスも口へ運ぶ。

気づけば袋だけが残っていた。

 

「ごちそうさまでした~」

 

両手を合わせたヤチヨは、脇に置いていた競馬新聞を手に取り、耳の赤ペンに指をかけた。

 

さっきまでのとぼけた笑顔が、すっと引いていく。

赤ペンの先が、新聞の紙面をなぞり始めた。

 

「……ヤチヨ、さっきと顔つき変わってない?」

 

彩葉が、小声で言った。

 

「え?うん。ヤッチョ、予想には脳を使うからね。糖分は補給したので~」

 

そう言いながらも、ヤチヨは赤ペンで新聞に何かを書き込んでいる。

 

「秒だったな」

「秒で消えたね」

「ヤチヨ、新聞に穴が開きそうだよ?」

「ふふ、集中してるからね~」

 

ヤチヨの目は、新聞の同じ頁を何度も往復していた。

隼斗が、そっと彩葉に耳打ちする。

 

「……下見のつもりで来たんだよな、俺たち」

「うん。でも、一番本気なのがヤチヨになるとは思わなかった」

「あの目、コラボ企画のときより真剣じゃねえか?」

 

その横顔を眺めながら、かぐやは楽しそうに笑った。

 

「でもさ、なんか楽しいね。かぐや、競馬のことはまだよく分かんないけど、ここ好きかも!」

「……そうだな」

 

隼斗は、コーヒーを置いて空を見上げた。

 

「ちゃんと知ってから、ちゃんとコラボやろう」

 

その言葉に彩葉も、かぐやも静かに頷いた。

ヤチヨだけは、新聞から顔を上げないまま、「うんうん」と返事をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝ご飯の袋が片付いたころ、スタンドにアナウンスが流れた。

 

『まもなく第1レースの出走馬がパドックに登場します』

 

「お」

 

隼斗が顔を上げる。

 

「そしたらパドック行ってみようぜ」

「パドックって、馬が歩いてるとこだよね?」

 

かぐやが、ドーナツの最後の一口を飲み込んで首を傾げた。

 

「見て分かるのぉ?隼斗、お馬さんの見方なんて知らないでしょ~?」

 

からかうような声に、隼斗は肩をすくめた。

 

「知らねえよ。でも、見てやってみねえと分かんねえだろ」

「えー、そういう理屈?」

「そういう理屈だ。ミリしらのまま話を受けない、って言い出したのは俺だしな」

 

そう言って、隼斗は紙コップのコーヒーを飲み干した。

 

「それもそっか。うん、じゃあかぐやも行く!」

 

かぐやが、勢いよく立ち上がる。

 

「ヤチヨ、行く?」

 

彩葉が振り向くと、そこにヤチヨの姿はなかった。

 

「あれ?」

「もう立ってるぞ」

 

隼斗が指さした先で、ヤチヨはすでに席を立っていた。

競馬新聞を畳み、小脇に抱えている。

耳には相変わらず赤ペンが挟まっていた。

いつでも出発できる姿勢だった。

 

「準備、早すぎない?」

「ヤッチョはいつでも行けるよ~」

「新聞を持ったまま朝メシ食って、そのままパドックも行くのか……」

 

隼斗が、感心とも呆れともつかない声を漏らす。

 

「それじゃ、私も」

 

彩葉も立ち上がった。

その両手にはいつの間にか、から揚げの入った容器と飲み物のカップを持っていた。

 

「……お前、それ、いつ買った?」

 

隼斗が、足を止めて彩葉の手元を見つめた。

 

「さっき。みんなが食べ終わるのを待ってる間に、ちょっと売店を覗いてきたの」

「待ってる間に、から揚げと酒まで買ってきたのかよ」

「だって、おいしそうだったんだもん」

 

彩葉は平然と答えて、から揚げをひとつ頬張る。

 

「どこで買ってきたんだ、それ」

「階段上ったところの売店。ベストオブラックって名前のハイボールらしいよ。リンゴ風味で美味しい」

「酒は何だ、それ。ビールでもレモンサワーでもねえな」

「だから、ハイボールだって。ちょっと飲む?」

「今はいらん」

 

隼斗は首を振ってから、カップに視線を戻した。

 

「……名前はゲン担ぎに良さそうだな」

「でしょ?Best of luck(幸運を祈る)だよ。縁起良さそうじゃない?」

「アルコールで判断鈍りそうだが」

「大丈夫。私は見るだけだから。面白そうだったら買ってみるけど」

「見るだけの人間の飲み方じゃねえだろ」

「ねぇ~パドック行こ~」

 

かぐやが、隼斗の袖をぐいぐい引っ張った。

 

「ほら、早く行かないと、馬が行っちゃうよ!」

「別にどこも行かねえよ、本馬場入りはするだろうが」

 

苦笑しながら、隼斗は席を離れた。

その後ろで、ヤチヨが新聞をぱらりとめくった。

 

「う~ん、1R目はダートかぁ」

 

赤ペンを指先でくるりと回しながら、ヤチヨは新聞の紙面を指でなぞる。

 

「ダートなら、前目で上りが使えるこの子からかな~」

「……何を言ってるのか、さっぱり分からん」

「分かんなくていいんだよ、隼斗。ヤッチョが勝手に喋ってるだけだから」

「勝手に喋るにしては、確信に満ちてるな」

 

階段を降りるころには、スタンドの喧騒は少し遠くなっていた。

代わりにパドックの方から、人のざわめきと馬の蹄の音が聞こえてくる。

 

「あ、ほんとだ。馬の音がする!」

 

かぐやが、目を輝かせて駆け出した。

 

「走るな、迷惑だぞ」

「だって、早く見たいんだもん!」

 

三人の後を、ヤチヨが新聞を抱えたまま、のんびりと歩いていく。

その最後尾を、彩葉がカップを片手に追いかけた。

 

「あ、待って。お酒がこぼれちゃう」

「歩きながら飲むからだ」

「早く飲まないとぬるくなっちゃうじゃない?」

 

隼斗は小さくため息をつくと、彩葉に歩調を合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パドックは、思っていたよりも静かな場所だった。

 

周囲を人の輪が囲み、その内側を、馬が一頭ずつ、ゆっくりと歩いている。

引き手に連れられた馬たちが、一定のリズムで蹄を鳴らしながら歩いていた。

 

「ほぉ~、パドックってこんな感じなんだな」

 

隼斗が、柵に手をかけて身を乗り出した。

 

「思ったより、近いな」

「みんなお行儀よく並んで歩いてかわいい~♪」

 

かぐやが、目を輝かせて馬たちを目で追う。

 

「ねえ見て、あの子、耳がぴくぴく動いてる!」

「こっちの子は、ずっと首を振ってるね」

 

彩葉も、から揚げの容器を片手に、馬の動きを目で追っていた。

その隣で。

 

「ま~、正直なところ、パドック見ても分かんないよぉ」

 

ヤチヨが、新聞を抱えたままあっけらかんと言った。

 

「身も蓋もねえな~」

 

隼斗が、横目でヤチヨを見る。

 

「さっきまであんなに真剣に新聞を読んでた奴の台詞じゃねえぞ」

「だって、パドックを見ただけで勝ち負けが分かるわけじゃないって、調教師さんや騎手さんたちも言うし」

「そうなんだ」

 

彩葉が、感心したように頷いた。

 

「じゃあなんでやってるんだろ。意味ないってこと?」

「意味がないわけじゃないよ~」

 

ヤチヨは、赤ペンの先をくるりと回した。

 

「来る子は分かんないけど、来ない子は分かる時があるからね。汗を掻いてたり、毛艶が良くなかったり、歩き方に違和感があったり、ゲリピーだったりするかな~」

「ゲリ……」

「ばっちぃ~」

 

かぐやが、顔をしかめて半歩下がった。

 

「馬もお腹壊すの?」

「壊すよ~。そういう子は、大事なレースの前だと、やっぱりしんどそうだからね」

「ばっちぃのは、レースに向かないんだね」

「うん。そういう言い方でも間違いじゃないかな~」

 

ヤチヨは、苦笑しながら柵の中の馬たちを指さした。

 

「あとは、筋肉のハリとか?トモ……お尻から太ももにかけての筋肉の状態とか、お腹周りがぽっこりしてないか、逆に痩せすぎてないか見たりかな~」

 

隼斗は、じっと馬の後ろ姿を見つめた。

 

「……トモ、って、あそこか」

「そうそう。後ろ脚の付け根のあたり」

「確かに、馬によって筋肉の付き方が違う気がするな」

「でしょ?」

 

隼斗は、しばらく無言で馬を目で追っていた。

そして、ぽつりと呟いた。

 

「でも、その辺は比較対象がねえと分かんねえな」

「比較対象?」

「良い状態を見てねえと、悪いかどうか判断できねえわ」

 

隼斗は、柵から手を離した。

 

「パッと見て『痩せすぎ』とか『腹が出てる』って言われても、基準がねえとただの感想だろ」

「確かに、それはそうかも」

 

彩葉が頷く。

 

「写真だけ見て、肌の調子がいい悪いって言われても、普段の状態を知らないと判断できないのと似てるね」

「そういうことだ」

「そこがパドックの難しいところだよね~」

 

ヤチヨは、楽しそうに笑った。

 

「だから、何回も見て、自分の目を作っていくしかないんだよ~」

「何回も見て、か……」

 

隼斗は、改めて馬たちに視線を戻した。

 

「じゃあ、今日は『良い状態』を探すつもりで見てみるか」

「うん、それがいいんじゃないかな。ヤッチョも、たまに外すし」

「たまに?」

「……ちょいちょい」

「正直でよろしい」

 

かぐやが、ふたりのやりとりを見ながら、くすくす笑った。

 

「ねえ隼斗、あの子かわいくない?」

「どれだ」

「あの茶色い子!ほら、こっち見た!」

「大体茶色いんだが」

「鹿毛の子が多いね~」

「もう、そうやって細かいところにこだわる!」

 

かぐやに腕を引かれ、隼斗はもう一度、柵に身を乗り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

発走十五分前。

 

パドックでの周回が終わり、馬たちは本馬場へ向かっていた。

スタンドは、少しずつ人で埋まり始めている。

 

第1レースは、ダート1400メートル、十四頭立ての2歳混合未勝利戦。

 

「よし。決めた」

 

席に戻ったヤチヨが、ぱたんと新聞を閉じた。

耳の赤ペンを抜き取って、ふふんと笑う。

その赤ペンで、マークシートに書き込んだ。

 

「ヤッチョ、買ってくるね~」

「もう買うのか?」

「うん。今日の運と予想の精度を確かめたいから。さっき言ってた、前目で上りが使えるあの子で行くよ~」

 

ヤチヨは、人差し指を立てて説明した。

 

「単勝と複勝、それから、その子を軸にした三連複。複勝だけでも当たれば勝ちになるように、資金配分しておこっかな~」

「勝ち筋まで逆算してるのかよ」

「ふふ~ん、負けないことが大事なので~。負けなければトータルで勝ち~」

 

ヤチヨは、軽い足取りで階段を上っていった。

 

「かぐやも買ってくる!」

 

かぐやもマークシートを掲げた。

そのシートには既に対象のレースと馬番、金額に印が付いている。

 

「かぐやね、名前が気に入った子と、パドックで一番かわいかった子を買うんだ!」

「予想の根拠が、ほぼ感情だな」

「いいの!応援したくなった子に買うんだもん」

 

かぐやは五百円玉を二枚握りしめて、ヤチヨの後を追いかけていった。

隼斗は、手元のスマホと新聞を交互に見ていた。

 

「さて……」

 

彩葉が、横からそれを覗き込む。

 

「どう組むの?」

「パドック見て、来なさそうだと思った馬は消す。残りで組む」

 

隼斗は、画面の数字を指でなぞった。

 

「汗掻いてたのとか、歩き方が気になったのとかは、外してみた。それ以外の馬で、馬連のボックスだ。残ったのが五頭だから……」

「十点?」

「十点。低い方が当たると、収支で赤字……トリガミって言うんだっけ?になるけどな」

「それでも買うんだ」

「当たらないよりはマシだと思ってな。これが当たりゃ俺の目も捨てたもんじゃない」

 

彩葉は、くすっと笑った。

 

「じゃあ、私は買わずに見てるね」

「買わねえのか?」

「うん。わかんないし1R目は見学しとく」

 

彩葉は、から揚げをひとつ口に放り込んだ。

 

「ハイボール片手に、みんなのレースを観戦する係」

「いい身分だな」

「所長ですから~」

 

彩葉に笑いを零しながら、隼斗も階段を上って行った。

 

 

 

 

 

 

 

『ただいまよりファンファーレです』

 

スタンドに、ファンファーレが鳴り響く。

手拍子が、波のように広がった。

 

「始まる始まる!」

 

かぐやが、手を叩きながらぴょんぴょん跳ねる。

 

「ゲートに入ってるよ!みんな、ちゃんと入ってる!」

「静かに見ようね、かぐや。……あ、入った」

 

彩葉がささやいたその時だった。

ガコン、と大きな音を立てながらゲートが開いた。

 

『スタートしました!』

 

馬たちが一斉に砂を蹴って飛び出した。

横一線に並んだ綺麗なスタート。

 

「あ、一頭、前に出た!」

「逃げ馬だな。ハナを主張するやつ」

 

隼斗が呟いた。

 

「ヤチヨ、あの子は?」

「ヤッチョの子は……あ、いるいる。二番手、三番手くらいの位置だよ~」

 

ヤチヨは、新聞を握りしめたまま、身を乗り出していた。

 

「ペースは……そこまで速くならなさそうだね。前のポジション取り次第かな~」

 

馬群は、一団のまま第三コーナーへ向かっていく。

ヤチヨの読み通り、ペースは落ち着いたまま、レースが進んでいった。

 

第四コーナーを回る。

直線に入った。

 

「来た来た来た来た!」

 

ヤチヨが、立ち上がった。

 

「よしよしよしよし差せ差せ差せ!」

「熱量すっご」

 

彩葉が、ハイボールを片手に呆気にとられた。

 

「ヤチヨ、さっきまでと別人だ」

「ヤッチョは、いつでもこうだよ!」

 

直線で、ヤチヨの馬が内側から伸びてきた。

先頭を走る逃げ馬との差が、じりじりと縮まっていく。

 

だが。

 

「あれ?」

 

隼斗が、眉をひそめた。

 

「あの逃げ馬、思ったより脚が止まらねえぞ」

「すっごく粘る!」

 

かぐやが、柵に両手をついて叫んだ。

 

「残り二百ないよ!ねえ、逃げ切っちゃうんじゃない!?」

「うわーすっげえ粘るな」

 

隼斗は、双眼鏡を下ろした。

 

「汗掻いてたから、消しちまったんだよな、あの馬」

「え、隼斗が消した馬なの?」

「ああ。パドックで、結構汗が出てたから、これは無理だろと思って」

 

その横では、ヤチヨがもう叫んでいた。

 

「うわあああ差して差して残さないでりゅうせえぇえええ!」

「ヤチヨ、声おっきいって!」

「だって、だって!」

 

馬群が、ゴールへと近づいていく。

ヤチヨの馬は、確かに差し脚を見せていた。

隼斗が消した逃げ馬も、必死に粘っている。

 

残り、百メートル。

 

その逃げ馬が、後続に捉えられた。

 

「あ」

 

ヤチヨの声が、小さく漏れた。

 

ゴール板を、馬たちが次々に駆け抜けていく。

先頭でゴール板を駆け抜けたのは、ヤチヨが狙っていた馬。

そのすぐ外から差してきた一頭が二着に入った。

 

そして、三着には。

 

「……残ったな」

 

逃げた馬が、しっかりと残っていた。

 

「うわ、ほんとだ」

「ヤッチョの三連複、入ってない馬だぁ……」

 

ヤチヨは、ぺたんと席に座り込んだ。

 

「三連複は外れかぁ。……でも」

 

ヤチヨは、すぐに顔を上げた。

 

「単勝と複勝は、当たってるよ!」

「あ、本当だ」

「複勝だけでも当たれば、勝ちにしてあるからね。うん、ちゃんと勝ってる!」

 

ヤチヨは、ぐっと拳を握りしめた。

 

「予想も、悪くなかったってことだよ!」

「いや、悪くなかったどころじゃないだろ。1、2着当ててんだし」

 

隼斗はスマホの画面を確認して、ふっと笑った。

 

「……俺の馬連ボックスも、当たってるな」

「えっ、ほんと?」

「ああ。トリガミは回避した」

 

隼斗は、画面を彩葉に見せた。

 

「低い方だと赤字だったが、そうじゃなかった。2着が人気薄だったわ」

「すごい。当たってるじゃん」

「たまたまだ。逃げ馬を消したのは、ミスだったしな」

 

隼斗は、小さく肩をすくめた。

 

「パドックで汗掻いてたから消したんだが、あそこから粘るのかよ。発汗って判断材料にならねえこともあるんだな」

「判断材料にはなるよ~。ただ、汗を掻いてるから絶対ダメってわけじゃないの。気温やその子の体質もあるし、ほかの様子と合わせて見ないとね~」

「なるほどな。ひとつの特徴だけで消すのは早計だったか」

「そういうこと~」

 

ヤチヨが、うんうんと頷く。

 

「で、かぐやは?」

 

彩葉が尋ねると、かぐやはしょんぼりと肩を落とした。

 

「名前が気に入った子は四着、パドックで一番かわいかった子は五着だった……」

「両方、掲示板の中じゃない」

「でも、当たってないもん」

 

かぐやは、頬を膨らませた。

 

「みんな、頑張ったのに」

「頑張ったんだよね。ちゃんと応援したのは偉いと思うよ」

 

彩葉が、かぐやの頭を撫でた。

 

「かわいい馬を選んで、名前も気に入ったんでしょ?それって、ちゃんと自分で決めたってことだから」

「……うん」

 

かぐやは、少しだけ顔を上げた。

 

「次は、もっとかわいい子を探す!」

「そこは変えないんだな」

「変えないよ!」

 

四人の笑い声がスタンドに響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第2レースは、芝2000メートル、十一頭立ての2歳混合未勝利戦。

 

四人は、再びパドックへ向かった。

 

「さっきはダートだったけど、次は芝か」

 

隼斗が、新聞のレース欄を見ながら呟く。

 

「ねぇヤチヨぉ」

 

かぐやが、ヤチヨの袖を引いた。

 

「芝とダートで、パドックの見方って変わる?」

「パドックのポイントは変わらないかな~。汗とか毛艶とか、歩き方とか、さっき言ったところは同じだよ」

 

ヤチヨは、新聞を脇に挟んで答えた。

 

「違うのは、そのあとの予想のほうだね。……あれ?彩葉は?」

 

気づけば、隣を歩いていたはずの彩葉の姿がない。

 

「あっこ」

 

隼斗が、顎で後ろを指した。

 

人混みの向こうから、彩葉がこちらへ歩いてくる。

片手にはビールのカップ。

もう片方の手には、ビニール袋とプラ皿。

 

「今度は何買ってきたの?」

 

かぐやが、目を丸くした。

 

「すぐ近くビール工場やし、呑まんと損や思て、生」

「方言出てんぞ。まだ午前中なのに」

 

隼斗が、呆れ顔で指摘する。

 

「……そのビニールと皿は?」

「牛すじ肉豆腐ともつ煮込み。皿は、もつ串の白と赤~」

 

彩葉はプラ皿を掲げてみせた。

串がきれいに並んでいる。

 

「マジで酒飲みじゃねえか」

「酒寄なので」

「俺らもそうだろ」

 

間髪入れない隼斗のツッコミに、彩葉は一瞬だけ固まった。

 

「…………」

 

そして、ごまかすように、生ビールをぐいっと煽った。

 

「彩葉、耳赤いよ?」

「呑んでるからだよ」

 

ヤチヨがニヤリと笑ってからかう。

 

「嘘吐き~。普段どんだけ呑んでも赤くならないくせに」

「ヤチヨ、細かい」

 

かぐやが吹き出し、ヤチヨもくすくす笑った。

 

「ほら、パドック始まるぞ」

 

隼斗が、柵のほうへ歩き出す。

 

「今度は、ちゃんと見てやるか」

「さっきは汗で外して、痛い目見たもんね~」

「うっせ、当たってはいるんだよ」

 

四人は、人の輪の中へ入っていった。

 

 

 

パドックの人の輪の中で、馬たちが一頭ずつ周回している。

隼斗は、柵にもたれながらヤチヨに尋ねた。

 

「芝とダートで予想の仕方変わるっつってたが、どう変わるんだ?」

「んー、開催日数が進んでるか、かな。ダートだと足元が土でしょう?」

「そりゃそうだが……ああ、そう言うことか」

 

隼斗の視線が、パドックの向こうのビジョンに映されている、コースの方へ流れた。

目がスッと細くなる。

 

「柵沿い……『ラチ』って言うんだったか。内側の芝、外に比べて荒れてるな」

「正解~♪やっぱり隼斗は目が良いね」

 

ヤチヨが、嬉しそうに手を叩いた。

 

「それ、なにか変わるの?」

 

かぐやが、首を傾げる。

 

「変わるよ~。足元がぼこぼこしてたら、かぐやだって走りにくいでしょ?」

「走りにくい!」

「お馬さんもそうなの。だから、ヤッチョはこういう時は外枠の差し馬をよく軸にするかな~」

「差しなの?」

 

彩葉が、もつ串を頬張る手を止めた。

 

「外なら、前の馬でも良いんじゃないの?」

「前に行って、直線で外に行こうとして斜めに走る方がロスになるからね」

「後ろを邪魔しちまうリスクもあるな。斜行だっけか」

 

隼斗が、記憶を探るように言う。

 

「進路を妨害したりすると、審議の結果、着順が変更されることもあるんだよ~。中々無いことだけど」

「それが降着ってやつか」

「そうそう。もちろん、斜めに走っただけで必ず降着になるわけじゃないけどね~。だからヤッチョは、最初から外でレースを進められて、かつ後ろから進路を選べるような子を選びがちなの」

 

ヤチヨは、赤ペンの先で新聞の馬名を軽く叩いた。

 

「ほぉ……」

 

隼斗は改めてコースを見やり、それからパドックの馬たちに視線を戻した。

 

「さっきまでただの芝にしか見えなかったのが、急に違って見えてきたな」

「でしょ?見方が一個増えるだけで、全然違うんだよ~」

「ヤチヨ先生だね」

「ふふ、もっと褒めてもいいよ?」

「調子に乗るな」

 

かぐやと彩葉が笑い、隼斗も小さく口の端を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2R、発走十五分前。

 

「ヤッチョは、さっきと同じ買い方にするね」

 

ヤチヨが、新聞を畳みながら言った。

 

「芝でも予想の精度を確かめたいから。軸にする一頭の単複と、その子を軸にした三連複」

「芝でも同じ形か。ブレねえな」

「検証だからね~」

「俺は買い方を変えるか」

 

隼斗が、スマホの画面を見つめる。

 

「パドックでよく見えた馬のワイドを四点。今回は、少し厚めにいく」

「さっきは十点BOXだったのに、絞ったね」

「さっきは、汗をかいてたってだけで消しちまったからな。今度は気になるところを探すんじゃなくて、良く見えた馬を選んでみた」

「かぐやは、さっきと同じ!」

 

かぐやが、元気よく手を挙げた。

 

「名前が気に入った子と、パドックで一番かわいかった子。五百円ずつ!」

「ブレねえな、お前も」

 

発売所へ向かった三人が戻ってくると、ヤチヨが新聞を見て、ふと首を傾げた。

 

「あれ?かぐや、パドックで一番かわいかった子って、どの子?」

「あの子!ほら、9番の!」

「……えっ」

 

ヤチヨが、自分の新聞の印を見直す。

 

「ヤッチョの軸も、その子だ」

「えっ、被った!?」

「奇しくも、だね……」

 

かぐやとヤチヨは、顔を見合わせた。

 

「彩葉は、今回も買わないの?」

「うん。見る専」

 

彩葉は、にこにこと手元の紙皿をつついている。

 

「今度はなに呑んでるの?」

 

かぐやが覗き込む。

 

「一個下の階の立ち食いそば屋さんで買った手羽元玉こん旨煮を、日本酒でキメてる」

「その競走馬のカップ、日本酒なのかよ」

 

隼斗が、カップに描かれた馬の絵を見て呆れた。

 

「いいねぇ、楽しんでるね彩葉~。あそこのおそば屋さん、美味しいんだよね~」

「美味しそ~。ね、彩葉ぁ、ちょっとちょ~だい?」

「はい、あーん」

「ん~♪染み染み~♡」

 

かぐやが、頬を押さえてとろけた顔をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ファンファーレが鳴り終わり、馬たちがゲートに収まっていく。

 

最後の馬がゲートに収まって一瞬ののち、ゲートが開いた。

 

同時に、スタンドにどよめきが走る。

 

「あっ」

 

一頭が、大きく出遅れた。

他の馬との間に、はっきりと差がついていく。

 

「うそうそうそうそぉおおお!!」

 

ヤチヨが、新聞を握りしめて立ち上がった。

 

「あの子、ヤチヨの本命?」

「かつ、かぐやのパドック買い」

「うぇ~、頑張れぇ!!」

 

かぐやが、手すりにしがみつく。

 

「そんで、俺のワイドの一頭でもある」

「アンタら、よく被るね」

「全員ファクター違うはずなんだけどな」

 

隼斗が、苦笑して首を傾げた。

 

「だいじょうぶだいじょうぶ、あのこうしろからのこだから」

「だよね!?まだ間に合うよね!?」

「声震えてんぞ」

「ぎゃくにここまででおくれたなら、むりにおいあげないで、あしをためてぶちぬくしかなくなったし……!」

「あ、でもコーナーまでで、結構詰めたね」

 

彩葉が、双眼鏡を覗いて言う。

 

「えっ、それはそれで、あしのこってるかな、だいじょうぶかな」

「情緒よ」

 

隼斗の冷静なツッコミが、ヤチヨの耳に届いているかは怪しかった。

 

馬群が、直線に入る。

 

馬が芝を蹴り上げるほどの勢いだった。

指定席まで距離があるというのに、蹄の音がここまで響いてくる。

 

残り200メートルのハロン棒を、先頭の馬が通り過ぎた。

 

ヤチヨとかぐやの本命馬は、まだ後方集団の中だ。

 

「これはもうダメかもわからんね」

「え~!?諦めちゃだめだよぉ!!」

「え?いや、あれ?」

 

彩葉が、身を乗り出した。

 

「いや、グングン伸びて来てないか?」

「えっ、ホントだ!」

「え、これ届くんじゃ」

「行け行け行け行け差し切れ!キミのその末脚の切れ味を見込んだんだよヤチヨはああああ!!!!」

「いやだから情緒」

 

隼斗のツッコミも、もう誰も聞いていなかった。

 

先頭の馬と二人が買った一頭が、並んでゴール板を駆け抜けた。

 

「…………」

 

スタンドが、一瞬、静まり返る。

 

隼斗は、スマホで買い目を確認した。

 

「俺のワイドは、四本中二本が当たりだな」

「ヤッチョの複勝も、当たってる」

 

ヤチヨが、画面を見て頷いた。

 

「ただし……単勝は、写真判定だ」

 

電光掲示板の着順の欄が、点滅している。

 

「えっえっ、どっち!?勝ったかな!?」

「勢い的には、差し切ってたように見えたけど……」

「……俺には、ギリギリ……本当にギリギリ、差し損ねたように見えたな」

「はやとがそういうなら負けてるうぅうう」

 

ヤチヨが涙を流しながら隼斗の腕にしがみついた。

 

「いや、写真判定待てよ。あとこの角度からだと本当のところは分からん。真横から見てるワケじゃねえし」

「やっちょは、はやとのめを、だれよりしんじてるもんんんん」

「そりゃありがとよ。なんだが」

 

隼斗は、困ったように頭をかいた。

 

「でも、凄かったね!」

 

かぐやが、顔を上げた。

 

「あそこから、一着争いまで食い込んだの!」

「そこだけは、間違いないな」

 

隼斗は、掲示板を見つめたまま頷いた。

掲示板には、『Ⅰ』と『Ⅱ』の間に『写真』の二文字が点灯していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『レースが確定するまで、お手元の勝馬投票券は大切にお持ちください』

 

場内アナウンスが流れた。

写真判定は、長引いていた。

 

「えっ、どうなんだろどうなんだろ」

 

かぐやが、落ち着きなく足をばたつかせる。

 

「もう五分以上経ってるよね」

「これだけ時間掛かるのって、普通なの?」

 

彩葉が、日本酒のカップを持ったまま首を傾げた。

 

「なかなかないかな~」

 

ヤチヨは、新聞で顔を半分隠している。

 

「もうヤッチョは、早く楽にしてほしいよ……」

「負けてる前提じゃねえか」

 

隼斗が呆れた顔で言った。

 

「だって、隼斗が差し損ねたって言ったんだもん」

「俺の目は絶対じゃねえって言っただろ」

 

そんなやり取りをしていた、その時。

 

周囲が、どよめいた。

 

「ん?」

 

四人が顔を上げる。

続いて、アナウンスが流れた。

 

『東京競馬第二競走は、写真判定の結果、1着は5番と9番が同着となります』

『続いて、勝馬投票券の払い戻しについてお知らせいたします……』

 

四人は、揃ってターフビジョンに目を向けた。

 

先ほどまで『写真』と点灯していた掲示板。

着順表示の『Ⅰ』と『Ⅱ』の間に、『同着』の二文字が点灯している。

 

「…………」

 

張り詰めていたものが切れたように、ヤチヨが指定席に体を預けた。

 

「ど、同着~~~……」

 

椅子の背もたれに沈み込んで、天井を仰ぐ。

 

「ど、どうなったの!?勝ったの!?負けたの!?」

 

かぐやが、隼斗の袖を引っ張った。

 

「同着だから、二頭とも優勝」

 

隼斗は、掲示板を指さして言った。

 

「やったな、かぐや。当たったぞ」

「マジ!?!?」

 

かぐやの目が、まん丸になった。

 

「やったあああああ!!!」

 

両手を突き上げて、席の前でぴょんぴょん跳ねる。

 

「かぐや、周りに迷惑だから」

「だって当たったんだもん!ヤチヨも、当たったよ!」

「うん……ありがとう、かぐや……。ヤッチョも、たった今魂が戻ってきたよ~……」

 

ヤチヨが、ぐったりしたまま片手を上げて応えた。

 

「ねえ」

 

彩葉が、ふと手を挙げた。

 

「この場合、払い戻しってどうなるの?」

「確かに」

 

隼斗は、腕を組んで考え込んだ。

 

「俺も知らねえな」

「同着の払い戻しは、ちょっとだけ特殊なんだよ~」

 

ヤチヨが、ようやく背もたれから体を起こした。

まだ少しぐったりしているが、新聞を握る指には、すっかり力が戻っている。

 

「特殊?」

「うん。まず、1着が2頭いるでしょ?そういう時は、馬券的には『いずれか1頭を1着、もう1頭を2着、その次の馬を3着とみなす』って決まってるの」

「ずいぶん雑なルールだな」

「着順を決めないと、複勝とかの的中を数えられないからね~」

 

ヤチヨは、赤ペンで新聞の余白に、三本の線を引いた。

 

「で、複勝は5番と9番、それと3着の馬の三頭が的中。ヤッチョの複勝は、これで当たってるわけ」

「単勝は?」

 

かぐやが、身を乗り出す。

 

「単勝は、1着の馬が2頭とも的中だよ。だからかぐやもヤッチョも、ちゃんと当たってる」

「やった!」

「でもね、ここからが違うところ」

 

ヤチヨは、人差し指を立てた。

 

「同着の時は、払い戻しの計算がちょっと特殊なんだよ~。払い戻し額は同着になった馬それぞれについて計算されるから、レース前に表示されていたオッズどおりになるとは限らないの」

「つまり、当たっても思ったより少なくなることがある?」

「うん。だから、実際の払い戻し額はレースが確定してからのお楽しみだね~」

「えっ」

 

かぐやが、固まった。

 

「じゃあ、思ってたより、もらえない……?」

「うん。ちょっと、がっかりするかも」

「そ、そんなぁ……」

 

かぐやの肩が、しゅんと落ちた。

 

「でも、外れてたら何ももらえないだろ。当たっただけいいじゃねえか」

 

隼斗が、ぽんとかぐやの頭に手を置いた。

 

「それに、ヤチヨが言ってるのは、あくまで『オッズより低くなる』ってだけだろ。当たりは当たりだ」

「そうだね。ヤッチョも、当たりなら全然うれしい」

 

ヤチヨは、ふふっと笑った。

 

「競馬ってレースが確定してからじゃないと、払戻金も確定しないの。だからハラハラだったんだ~」

「じゃあ、確定するまで、馬券は大事に持っとけってことか」

 

隼斗が、さっきのアナウンスを思い出して頷く。

 

「そう。だから『お手元の勝馬投票券は大切にお持ちください』って言ってたんだよ」

「なるほどな」

「やっと意味が分かった……。今まで聞き流してたかも」

 

彩葉が、日本酒のカップを傾けた。

 

「私は買ってないから、関係ないけど」

「彩葉ぁ、そこでドヤ顔しないでぇ」

 

かぐやが、じとっとした目を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヤッチョ、ちょっと疲れちゃった~~~……」

 

ヤチヨがぐでんと椅子にもたれたまま、ため息をついた。

写真判定のハラハラがまだ体に残っているらしい。

 

「次の3Rから5Rは新馬戦だけど、どうする?」

 

彩葉が新聞のレース欄を指さして尋ねる。

 

「あ~~~~……」

 

ヤチヨは、天井を見上げて唸った。

それから、チラッと競馬新聞を横目で見る。

一度、目を逸らした。

もう一度見る。

 

「………前々から良いなって思ってた子の応援馬券だけ、買おっかな~……」

「それでもやるのはやるんかい」

 

隼斗が、すかさずツッコんだ。

 

「だって、応援してる子が走るんだもん。見るだけじゃ、落ち着かないよ~」

「疲れてんのか元気なのか、どっちなんだ」

 

かぐやがくすくす笑ってから、ぱっと手を挙げた。

 

「そしたら、ちょっと早いけど、お昼にしない?」

 

時計を見るとまだ十一時前。

確かに少し早い時間ではある。

 

「良いな、昼時は絶対店混むし」

 

隼斗がすぐに頷いた。

 

「今のうちなら、席も取りやすいだろ」

「お昼かあ」

 

ヤチヨが、ちょっと考え込む。

 

「フードコートで買って食べるか、テイクアウトして席で食べるか、ちゃんと座って食べるか。どれがいい?」

「俺はどれでも」

「かぐやは競馬場のレストラン、ちょっと興味ある!」

「そしたらレストラン行こっか。みんな、なに食べたい?」

「なんでも!」

 

かぐやが元気よく答えた。

 

「それが一番困るの、分かってるだろ」

「てへ」

 

かぐやは舌をちろりと出して、笑ってごまかした。

 

「ん~……結構がっつり食いてえな」

 

隼斗が、お腹のあたりをさすって言う。

 

「私はそんなにお腹減ってないから、軽くつまめるものとお酒があると良いな」

「正反対だね~」

 

ヤチヨがくすっと笑った。

 

「そしたら、あそこ行こっかな~」

 

 

 

 

 

 

 

 

新馬戦の応援馬券を買い終えると、ヤチヨは三人を連れてフジビュースタンドの6階へ向かった。

 

エレベーターを上った先に広がっていたのは、落ち着いた雰囲気のレストランだった。

和洋食、どちらも用意がある。

ただ値段帯は少々お高めだ。

 

「おお……思ってたより、ちゃんとしてるな」

「窓際じゃないけど、モニターがあるよ!」

 

かぐやが指さした先では、店内のモニターにパドックとレースの映像が映し出されている。

席にいながらにしてパドックもレースも見られるようになっていた。

 

四人はテーブル席に案内された。

 

「私は、生ハムとチーズの盛り合わせ。あと、シャンパンをグラスで」

 

彩葉が、メニューも見ずに言った。

店先に出ている看板で目星をつけていたらしい。

 

「どんだけ呑むんだお前は」

「軽くつまめるものとお酒、って言ったじゃん」

「その『軽く』に、さっきの肉豆腐ともつ煮込みは入ってるのか」

「それは別腹」

「かぐやはね、これ!極上勝つカレーの赤!」

 

かぐやが、メニューの一点を指さして目を輝かせた。

 

「名前がすごいね……」

「勝つ、って入ってるだけで強そうでしょ!」

「ヤッチョはね、ロースかつ勝定食~」

 

ヤチヨが、楽しそうにメニューを閉じる。

 

「しっかりゲン担ぐな……」

 

隼斗が、ため息混じりにつぶやいた。

 

「ヤチヨ、さっきまで疲れたって言ってなかったか」

「ご飯は別だよ~」

「お前もか」

「それより、隼斗は?」

「俺はアジフライ定食で」

「え、勝つ要素なくない?」

「うるせえ。単純に、アジフライが食いてえ気分なの」

 

注文を終えたテーブルの上に、お冷が運ばれてきた。

モニターの中の新馬たちが、パドックをゆっくりと歩いている。

 

「新馬戦のパドック、さっきまでのと雰囲気違うな」

 

隼斗が、画面を見つめて呟いた。

 

「あ、分かる?初々しさあるよね~」

 

ヤチヨが、嬉しそうに頷く。

 

「なんか、きょろきょろしてる子多いね」

 

かぐやが、画面を指さした。

確かに、周囲を見回したり、立ち止まりかけたりしている馬が目につく。

 

「初めての競馬場だからね~」

「そりゃそうか。みんな、今日がデビューなんだもんな」

「そうそう。人の多さもスタンドの声も、ぜ~んぶ初めてだもん」

 

そんな中。

 

「……お?アイツ、落ち着いてるな」

 

隼斗が、身を乗り出した。

画面の中で一頭だけ、周りに惑わされずに歩いている馬がいる。

 

「どっしり構えてるね」

 

彩葉も頷いた。

 

「あの子は……お、『蒼き天才』の子だね」

「なにそれかっこいい!」

 

かぐやの目が、ぱっと輝いた。

 

「現役の時は、『世界最強』って言われてたんだよ」

「日本越えて世界なんだ」

 

彩葉が、驚いたように目を見開く。

 

「海外でも走って勝ってたからね~」

「すっご……。そんな馬の子どもが、今日デビューなんだね」

「そういうこと。ヤッチョが、前々から気になってた子のひとりでもあるよ」

 

ヤチヨは、少し誇らしそうに言った。

 

「でも、一番人気じゃないんだな」

 

隼斗が、モニターの端に表示された人気の並びを見て首を傾げる。

 

「騎手の子がまだ若手っていうのと、調教があんまり良くなかったからかなぁ」

「それは人気が割れる理由になるのか」

「新馬戦だと参考にできるレースはないからね。でもパドック気配は抜群だね。ヤッチョ的には、すごくいいと思うよ~」

 

画面の中の馬は、まるで周囲の視線など意に介さないように、堂々と歩を進めている。

 

「かぐや、あの子の応援馬券買う~」

 

かぐやが、元気よく手を挙げた。

 

「俺も買ってみるか」

 

隼斗も、続いて頷く。

 

「私も買ってみようかな」

「お、珍しいな」

 

隼斗が、意外そうに彩葉を見た。

 

「ずっと買わずに見てたのに」

「ちょっとね、応援してみたくなった」

 

彩葉はシャンパンのグラスを傾けながら、画面の馬を見つめて微笑む。

 

「ヤッチョが席にいるから、三人とも買ってきていいよ~」

「良いのか?」

「良いよ良いよ。ヤッチョは、そういうロマンとか縁も大好きだからね」

 

ヤチヨは、手をひらひらと振った。

 

「ほら、行っておいで~。ご飯が来る前に」

「ありがとう、ヤチヨ!彩葉、隼斗、行こ!」

 

かぐやが勢いよく席を立つ。

隼斗と彩葉も顔を見合わせてから、後に続いた。

 

 

 

 

 

 

三人が応援馬券を購入してきた、少し後。

運ばれてきた料理がテーブルの上に並んだ。

 

「カツカレー美味しい!カツさっくさくだし、カレーはピリ辛!」

 

かぐやが、頬を押さえて目を輝かせる。

 

「あ、すいません。白州ハイボールと、大穴レンコン揚げ、あと枝豆お願いします」

 

彩葉が、通りかかった店員に追加の注文を告げた。

 

「腹減ってねえっつってなかったか?」

 

隼斗が、アジフライを頬張りながら横目で見る。

 

「軽くつまめるものって言ったじゃん。レンコンと枝豆は、軽い」

「その前に、生ハムとチーズとシャンパンが来てるんだが」

「だから、軽いの」

 

彩葉は、まったく動じなかった。

 

「カツ定食も美味しいよ~」

 

ヤチヨが、ロースかつを箸で持ち上げて満足そうに笑う。

 

「隼斗、アジフライ一枚貰って良い?」

「ロースカツと交換な」

「ふふ、そう来ると思った。はい」

 

ヤチヨが、ロースかつを一切れ隼斗の皿に移す。

隼斗は、代わりにアジフライを一枚、ヤチヨの皿へ乗せた。

 

「……うまいな、これ」

「でしょ~?」

 

「あ、あの子のレース始まるよ!」

 

かぐやがスプーンを持ったまま、モニターを指さした。

 

 

 

 

 

 

 

 

画面に、レースの映像が映し出される。

 

メイクデビュー東京、芝1800メートル、牡馬限定戦。

 

ゲートの後ろでは、新馬たちが輪になって歩いている。

輪乗りの段階から、どの馬もどこか落ち着きがない。

 

 

その中で三人が応援馬券を買った一頭だけは、堂々とゲートを見据えていた。

促されて、すぐにゲートに収まる。

 

「ゲート入りでバタつかないの、落ち着いてて良いね~」

「他の馬は、なかなかゲートに入んねえのもいるな」

「イヤイヤしてる子もいる~」

 

かぐやが、画面の一頭を指さして苦笑した。

 

「お馬さんって、ゲートに入るのを嫌がる子もいるからね~。初めてだと、なおさら落ち着かないんだよ」

「へぇ……そうなんだ」

「……あ、始まるよ」

 

彩葉の言葉に、三人の視線が、画面に引き寄せられる。

 

最後の一頭が収まって少し、ゲートが開いた。

 

 

 

新馬戦にしては、全馬が上々のスタートを切った。

最初のコーナーに向かう間に、隊列は自然と縦長になっていく。

 

三人が応援している馬は、隊列の中団、外目の位置にいた。

 

「位置は悪くないけど~……」

「含みがあるね」

 

彩葉が、ヤチヨの顔を覗き込む。

 

「あくまで個人の印象だけど」

 

ヤチヨは、そう前置きをして続けた。

 

「新馬戦って、ヤッチョは前に行ける馬を少し評価しがちなんだよね~。初めてのレースだと、馬も騎手も手探りなところがあるから。仕掛けどころが難しくて、思ったように反応できないこともあるし」

「じゃあ、前に行ったもん勝ちってことか?」

「あくまでヤチヨの予想の話だよ~。後ろからでも強い子は強いし、展開次第だからね」

 

ヤチヨは、人差し指を振った。

 

「でも、思ったよりペースが早くないし、前残りの決着になるかも」

「応援してる子、中団だよな……」

「ねえ、がんばれ~!」

 

かぐやが、両手を握りしめる。

 

馬群が、最後のコーナーに差し掛かった。

 

三人の応援している馬は、まだ馬群の中団だった。

しかも外の位置を取っていたにもかかわらず、後ろから位置を上げてきた馬が、さらに外から被せてきた。

 

進路が、ない。

 

「ヤバくない!?ヤバいよね!?」

かぐやが、椅子から腰を浮かせた。

 

「あちゃ~、前が壁だね~」

「こうなったら、もう無理?」

 

彩葉のグラスを持つ手に力が入る。

 

「無理じゃないけど……大分厳しいよね」

 

ヤチヨの声のトーンが、少しだけ下がった。

 

「…………いや」

 

隼斗が、画面を睨んだまま、低く呟いた。

 

 

 

 

 

 

若手の騎手は、前を塞ぐ馬たちの動きを見極めるように、手綱をわずかに動かした。

一瞬、前方の馬が外へと進路を変える。

そのわずかな隙間を見逃さなかった。

 

騎手が鞭を一発入れる。

馬は迷わず、その進路へ飛び込んだ。

 

ぐん、と身体が沈み、後脚が芝を蹴り上げる。

 

次の瞬間には、先ほどまで前にいた馬たちを、まとめて置き去りにしていた。

 

後続の追走も物ともしない。

あまりにもあっさりと、その馬は新馬戦を勝利で飾った。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

四人は、言葉を失った。

 

画面の中で、騎手に首筋を軽く撫でられながら、馬はゆっくりと速度を落としていく。

勝利を祝うように、スタンドから大きな拍手が送られていた。

 

「おめでと~、勝ったねぇ~」

 

ヤチヨが、ぱちぱちと小さく拍手をした。

 

「えっ……つよ……強くない……?」

 

かぐやは、スプーンを持ったまま、まだ画面を見つめている。

 

「だってさっき、進路なかったよね?ぎゅうぎゅうだったのに」

「強いね~」

 

ヤチヨは、楽しそうに頷いた。

 

「もしかしたら重賞……いや、後々G1でも見られるようになるかもね~」

「G1……」

 

彩葉が、グラスを傾けかけたまま、ぽつりと繰り返した。

 

「……俺、さっきの応援馬券、換金しねえで持っとこうかな」

 

隼斗が、ぼそりと呟く。

 

「私は、そうするつもりだけどね」

 

彩葉が、あっさりと言った。

 

「あっ、かぐやもそうしようかな!」

 

かぐやが、慌てて手を挙げる。

 

「記念ってこと?」

「記念っていうかな……」

 

隼斗は、少し照れくさそうに言葉を探した。

 

「最初に見た新馬戦で、いきなりこれだろ。あとで、『あの時の馬だ』って思えたら面白ぇんじゃねえかって」

「いいね、それ。私も、そう思ってた」

 

彩葉が、ふっと笑った。

 

「そしたら、このあとターフィーショップ行ってみない?」

 

ヤチヨが、新聞をぱらりと閉じて提案した。

 

「ターフィーショップ?」

 

かぐやが、首を傾げる。

 

「グッズが色々売ってるとこ~。確か、馬券ホルダーとかもあったはずだよ」

「馬券ホルダー!」

 

かぐやの目が、ぱっと輝いた。

 

「じゃあ、さっきの馬券、入れておけるんだ!」

「そういうこと。大事な一枚は、きれいに持っておきたいでしょ?」

「行きたい!他のグッズも色々見たい~」

「メシ食ってからな」

 

隼斗の声が、きっぱりと飛んだ。

 

「え~、でも」

「でもじゃねえ。まだ皿に残ってるだろ」

 

隼斗が、かぐやのカレーを指さす。

スプーンの先には、レースを見ている間に冷め始めたカレーが残っていた。

 

「……はーい」

 

かぐやは、渋々スプーンを動かし始めた。

 

「ふふ、隼斗、お母さんみたい」

「うるせえ」

 

笑い声が、テーブルを囲んだ。

 

「ちなみにヤッチョの応援馬券は負けちゃってるよ~ヨヨヨ~」

「あ、別の子買ってたんだ」

「『蒼き天才』に勝ってダービー馬になった『逆襲の末脚』の子がいたから買ったんだけどね~。惜しくも二着だったのです」

「二着なら複勝は当たってんな」

「ふふ、でも、もしかしたらここからこの二頭がライバル関係になるかもだから、ヤッチョも換金せずに持っておこうかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご飯を食べ終えた四人は、メモリアル60スタンドにあるターフィーショップへ来ていた。

 

ショップの中には、ぬいぐるみやアパレル、雑貨、キーホルダーなどが、所狭しと並んでいる。

 

「わぁ~!ぬいぐるみ可愛い!」

 

入口をくぐった途端、かぐやが歓声を上げた。

棚いっぱいに、色とりどりの馬のぬいぐるみが並んでいる。

 

「アイドルホースぬいぐるみだね~」

 

ヤチヨが、ひょいと一つ手に取った。

 

「特定のG1を勝つか、平地G1を二つ勝つか、オーディションで選抜されると、アイドルホースになれるんだよね~」

「平地?」

 

彩葉が、首を傾げる。

 

「平地競走と障害競走があるんだよ~。平地は今まで見てたやつ。障害は今日は無いけど、生垣とかの障害物を飛び越えたりするやつなんだ。迫力あるよ~」

「へぇ、障害物を飛び越えるんだ」

「今度また見に来ようね」

「Tシャツとかボールペンとか、色々あるんだな」

 

隼斗は、アパレルと文具のコーナーを順に見て回っていた。

 

「ヤチヨ!見てみて!真っ白!」

 

かぐやが抱え上げたのは、雪のように白いぬいぐるみだった。

 

「お、その子は『白き桜の女王』だね~」

「なんかすごそう!」

「凄い子だよ。白毛って珍しいんだけどね。その子は白毛の牝馬……女の子で初めてG1を勝った子なんだ~」

「おおぉ~……!」

 

かぐやは、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。

 

「かぐや、この子買う!」

「また物増やして……」

 

彩葉が、呆れたようにため息をつく。

 

「まあまあ、良いんじゃねえの。記念だしよ」

 

隼斗が、横からとりなした。

 

「じゃあ、ヤッチョは~、この子たち買おうかな~」

 

ヤチヨは、棚の端から二つの小さなぬいぐるみを手に取った。

 

「さっき言ってた『蒼き天才』と、『逆襲の末脚』の二頭。ちっちゃいのにしておくけど」

「ちっちゃいの、っていうあたりが現実的だね」

「ふふ。置き場所は大事だからね~」

「俺はこれ買うわ」

 

隼斗が、棚から何かを手に取って戻ってきた。

 

「なにそれ」

「湯呑。富士山と東京競馬場のスタンドがデザインされてるヤツ」

「ジジイか」

 

彩葉が、間髪入れずに言った。

 

「うるせえ。普通に使えるだろ」

「いやまあ、そりゃ使えるだろうけど」

「オメーにもこれ買ってやるよ」

 

隼斗は同じ棚からさらにいくつかの品を引き抜いて、彩葉の前に並べてみせた。

 

「なにそれ」

「同じデザインの徳利と、ぐいのみ。あと『本命一択』Tシャツ」

 

彩葉は、じとっとした目で隼斗を見た。

 

「私の本命、一択じゃないんだけど。全部選んだんですけど」

「欲深怪獣イロハゴン」

 

横から、かぐやがぼそりと言った。

 

「誰がイロハゴンだ」

「オメーも欲深怪獣じゃねえか」

 

隼斗が、かぐやの腕の中を指さした。

 

「ぬいぐるみ以外のヤツ、なんだそれ、両手に抱えて。かご使えかご」

「ボールペンとか~、キーホルダーとか~、ステッカーとか~」

 

かぐやが、抱えた品を一つずつ数え上げる。

 

「多いな」

「あと、ポーチとかキャップとかタオルとか~」

「マジで多いな」

「あと、馬券ホルダー!」

 

かぐやが、得意げに掲げた。

 

「あ、それ忘れてたわ」

 

隼斗が、はっとした顔になる。

 

「そうだった、そのために来たんだわ」

「隼斗が一番忘れちゃいけないやつ!」

「うるせ。俺もかご取ってくる」

 

隼斗は、逃げるように入口のかご置き場へ向かった。

 

「ふふ~」

 

その背中を見送りながら、ヤチヨは小さなぬいぐるみを二つ。

胸の前で抱えて、楽しそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日。

 

「よー、ジュンヨウだ。今日はまあ、ただの雑談だな」

 

画面の中のジュンヨウは湯呑を片手に、ゆるりとカメラに向かって手を振った。

 

「で、今使ってるのがそん時買った湯呑。いや~、最近めっきり寒くなったよな」

 

─湯呑、本当に使ってるの草

─競馬場のやつ?

─富士山のやつだ

 

「そうそう。富士山と東京競馬場のスタンドの、あれ。普通に良いぞ、これ」

 

湯呑を軽く持ち上げて見せてから、ジュンヨウは一口、茶をすすった。

 

─その後どうだったの?

─下見の続きが気になる

 

「その後?内馬場行ったり、競馬博物館見たり、モカソフト食ったり……アイツらはUMAJO SPOTにも行ってたな。俺置いて」

 

─あそこ女性限定だから……

─UMAJO SPOTって何?

─男子禁制のあれか

 

「あー、UMAJO SPOTってのはな。フジビュースタンドの5階にある、女性専用のラウンジだ。同伴でも男は入れねえ」

 

ジュンヨウは、湯呑を持ったまま続けた。

 

「中は、コーヒーと紅茶が飲み放題で、競馬雑誌も読めて、スイーツも売ってるらしい。入口にはでけえ馬のぬいぐるみがいたって聞いたな。……全部、あとで三人から聞いた話だが」

 

─完全に女性専用なんだ

─置いていかれるジュンヨウw

─待ってる間は何してたの?

 

「俺か?外で待ってた。……まあ、馬券の検討でもしてたってことにしといてくれ」

 

─検討(してない)

─絶対ぼーっとしてた

 

指を折って数えていたジュンヨウは、ふっと思い出したように顔を上げた。

 

「あと、メインレースもやったぞ。3連単買ってみたけど、むずいなアレ」

 

─3連単は難しいよ

─当たったの?

─いきなり3連単はチャレンジャー

 

「着順違いで外れた。二列目と三列目が入れ違ってりゃ当たってたんだけどな~」

 

悔しそうに言いながらも、声はどこか楽しそうだ。

 

─惜しいやつだ…

─それは悔しい

─競馬あるある

 

「まあな。次はもうちょい勉強してから買うわ」

 

ジュンヨウは、湯呑を置いた。

 

「今度、黒鬼連中とも行ってみるかな。京都とか新潟とか、雷誘ってみても良いな」

 

─黒鬼と競馬場!?

─乃依くん予想上手そう

─帝は絶対負ける

─雷さんの買い目が気になる

 

「雷は意外と当てそうなんだよな運だけで……。まあ、誘ってみてからだな」

 

─馬主に興味あったりするの?

─ジュンヨウ馬主説

─馬の名前考えて

 

「馬主ぃ?いやいや、新参にも程があるしよ」

 

ジュンヨウは、思わず苦笑した。

 

「なるにせよ、色々勉強してからだわ」

 

そう言ってから、ふと、何かに気づいたように動きを止めた。

 

「……あれ?そういえば確かに……」

 

─ん?

─どうした

 

「『競馬場行ってみた』っつって動画やらSNSやら上げた後から、『是非、高羽博士と酒寄博士でご一緒に』っつって、食事会に誘われるようになったけど……」

 

─博士二人セットで誘われてるの草

─いろPも誘われてるのか

 

ジュンヨウは、ゆっくりと視線を宙に泳がせた。

 

「…………えーっと」

 

─急に黙った

─嫌な予感しかしない

 

「……そういや、今年10度目の菊花賞勝ってた騎手の人居たな……。『うーわ、本物だ。競馬場で見た人じゃん』とか考えてたんだが」

 

─あっ

─気づいた

─点と点がつながった

─お前もそう思われる側定期

 

ジュンヨウのアバターがゆっくりと正面を向いた。

 

「……え?もしかして、馬主の勧誘?アレ」

 

─それ勧誘だよwww

─気づくの遅いw

─博士二人で呼ばれてる時点で察して

─完全に馬主ルート

 

 

 




ちょっと長くなりすぎたので強引に終わらせました。
東京競馬場のモカソフトは良いぞ。

K   Yさん、以前評価いただいたかと思いますが再評価いただきありがとうございます。

かずちんさん、感想いただきありがとうございます。

基本的に返信はしていませんが、全ての感想に目を通しております。

お気に入り登録、ここすきをしていただいた方々もありがとうございます。
とても励みになります。

活動報告の方でネタの募集をしておりますので、ご一読いただければと思います。

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