ライブ終演後の熱気は、まだツクヨミの中にも、現実の街にも残っていた。
ツクヨミ内特設ライブステージ。
アンコールを求めるコメントの奔流。
SNSへ切り抜きを投稿する観客。
余韻のまま騒ぎ続ける配信チャット。
駅前では、ライブを見終えた人々がスマートフォン片手に行き交っていた。
「ヤバかった」
「神ライブ」
興奮冷めやらぬ声が飛び交う。
駅の大型街頭モニター。
ショッピングモール内の広告ディスプレイ。
モノレール駅構内の情報パネル。
居酒屋の壁掛けテレビ。
街全体が、まだライブの余韻に浸っていた。
だが。
不意に、映像が乱れた。
ザザッ――――
ノイズ。
ライブ映像が歪み、音声が途切れる。
「あれ?」
誰かが声を漏らす。
次の瞬間。
すべてのモニターが、一斉に『それ』を映し出した。
満月。
異様なほど白い、巨大な満月だった。
夜空に浮かぶ本物の月ではない。
画面いっぱいに表示されたそれは、画面の向こう側にいるはずなのに、
まるで今にも落ちてきそうな近さだった。
そして、それはツクヨミ内でも同じだった。
ライブ会場上空のスクリーン。
観客用ウィンドウ。
配信画面。
すべてが、満月に塗り潰される。
「……なに、これ」
ざわめきが広がる。
だが異常は、それだけでは終わらなかった。
現実世界。
ARモードで起動されたスマコン。
スマートグラス。
空間投影型インターフェース。
その視界の端にいつの間にか『何か』が立っていた。
真っ白な身体。
細長い手足。
頭部の代わりに据え付けられた、赤い灯篭。
ぼう、と。
灯篭の中で橙色の火が揺れている。
「……は?」
通行人の一人が、思わず足を止めた。
だが周囲の人間は気づいていない。
反射的にスマートグラスを外す。
そこには、もう何もいなかった。
異形は、街の至るところに現れていた。
駅のホーム。
モノレール車内。
コンビニのレジ列。
交差点。
エスカレーター。
白い異形たちはまるで通勤客のように無言で並び、ゆっくりと街を徘徊していた。
カランコロンと、下駄を鳴らすような音。
ほんの一瞬、視線を逸らしただけで位置が変わる。
灯篭の灯りだけが、ゆらゆらと脈打つように揺れていた。
そして。
満月を映していたモニターが、再び大きくノイズを走らせる。
バチッ――――
画面が乱れた。
次に映し出されたのは、映像ではなかった。
文字列。
無数の、同じ日付。
画面いっぱいに、狂ったように敷き詰められていく。
駅前のざわめきが少しずつ静まり返っていく。
誰も理由を分からないまま。
ただ、得体の知れない悪寒だけを感じていた。
「なんだ、これ」
ライブ会場の大型スクリーン。
満月が表示されたかと思えば、妙な数字の羅列。
こんな演出は聞いてねえ。
サプライズか?
にしても、不穏すぎるだろ。
観客席もざわついている。
ステージの上で、そのざわめきに最初に気がついたかぐやが、観客席を覗き込もうとした。
その時。
ぬっ、と。
なにかが、かぐやと彩葉の間から通り過ぎた。
白い腕。
気が付いた彩葉がかぐやに声をかける前に、それがかぐやの腕を掴んだ。
次の瞬間、糸の切れた人形のようにかぐやの体が頽れた。
かぐやの瞳から、意思の光が抜け落ちる。
へたり込んだかぐやの体を、彩葉がとっさに支えた。
その白い灯篭頭の異形は、まだかぐやに手を伸ばそうとしている。
気が付いた時には、特別席から飛び出していた。
使い慣れた二刀を呼び出し、割って入ると同時にその白い腕を切り飛ばす。
「隼斗!?」
「彩葉、かぐやは!?」
「わかんない、反応もない……!」
……なんだ、こいつ。
斬りおとした腕に頓着もしねえ。
しかも切断面からは花弁じゃなく、青黒い液体が流れてやがる。
どろりとした粘着質な、青いヘドロのような。
……っ。
「ちっ」
「隼斗、どうし……!」
「囲まれた」
いつの間にか、視界の端すべてに白い影が立っていた。
ログアウトしてぇところだが、かぐやを置いていける状況じゃねえ。
彩葉もキーボードを愛用のブーメランに変化させ、かぐやを挟んで背中合わせで警戒を続ける。
何者だ。
何が目的だ。
なにも見えない、糸口がない。
何秒経ったのかも分からねぇ。
ただ、時間がたつほどにこいつらは数を増やしていった。
誰も動かない。
俺も、彩葉も。
……なのに、灯篭頭たちまで沈黙していた。
だというのに、数だけが増えていく。
視界を埋め尽くす、灯篭頭の群れ。
白い灯篭頭で埋め尽くされた視界が、脳を内側から焼いていく。
目の奥が、じりじりと熱を持つ。
脂汗が流れた。
頭痛に耐えられず、ほんの一瞬目を細めたその時。
視界の端で、かぐやに伸ばされる白い腕が見えた。
「っ!かぐ」
しかし、その腕がかぐやに触れることはなかった。
触れる直前に、体ごと吹き飛んだ。
まるで見えない何かに弾き飛ばされるかのように。
一体、また一体と灯篭頭が吹き飛んでいく。
「おいたはだめだよー」
ヤチヨだ。
ネイルに彩られた人差し指を指揮棒のように振るう度に、灯篭頭が弾き飛ばされていく。
弾き飛ばされた灯篭頭は、白い煙を上げて消えていった。
残った灯篭頭が、わずかに距離を取った。
――怯えた?
「モウシワケアリマセン」
灯篭頭が、深々と頭を下げた。
……は?
頭を、下げた?
それを皮切りに、次々と白煙を上げて消えていった。
ライブ会場にざわめきが上がる。
それに気が付いたヤチヨは、観客席に振り返ると。
「今のは一体?何が起こってしまうんだ!?続報を待て!」
大袈裟に両手を上げながら、声を張り上げた。
……演出として見せる気か。
「なになに?」
「ヤチヨ、こういうの好きだからな~」
「ジュンヨウの飛び入りサプライズとか、ヤチヨわかってんじゃん」
「演出かぁ」
観客席のざわめきは、不安から来るものではなく、考察するものに切り替わっていた。
「ふふっ、みんな~!今日は本当にありがと~!」
観客席に手を振るヤチヨ。
早々に暗幕が下りた。
ステージと客席が、完全に遮断される。
「……ヤチヨ、今のって」
「…………う~ん、バグじゃなさそうだし、やんちゃっ子の悪戯かにゃ~?調べとくよ」
彩葉の問いに、数秒考え込んだヤチヨは、頬に手を当て小首を傾げて答えた。
……誤魔化してやがる。
今の間は心当たりを思い出す間じゃなかった。
なんて答えようか、考えていた。
ヤチヨは連中について、何か知っている。
思い返せば、ヤチヨに対しての灯篭頭たちの反応。
後退って、頭を下げたアレ。
あれは、怯えたというよりは。
敬っていた、という方が正しかった。
ライブ終了後。
どこか浮ついたままの観客たちに紛れ、俺たちもツクヨミをログアウトした。
灯篭頭たちが消えた途端、かぐやの意識も戻ったからだ。
現実へ戻った瞬間、妙に身体が重かった。
嫌な汗が、まだ肌に張り付いている。
それに加えて、こめかみの奥が鈍く脈打っていた。
ツクヨミ内で感じていた熱が、まだ頭の奥に残っているみてぇだった。
『本日午後十時ごろから東京都立川市全域にて、原因不明の通信障害が発生しました。
市内の通信機器やテレビモニタ、公共施設のサイネージ広告など広範囲で同時多発的に発生した
模様です。警視庁によると───』
シャワーを浴び終えた彩葉は、リビングでソファに座るかぐやの髪をドライヤーで乾かしていた。
テレビではニュースが流れっぱなしになっていた。
その内容はキッチンとの距離と、ドライヤーの音にかき消されて聞こえない。
俺はキッチンで、温めた牛乳にはちみつを落としていた。
甘い匂いが広がる。
けれど、頭の奥にはまだ、あの白い灯篭頭が焼き付いて離れなかった。
「……ねえ、かぐや……」
彩葉がかぐやに話しかける。
話しかけるが、続く言葉を紡げていなかった。
ツクヨミから戻ってきたかぐやは意識こそ取り戻したものの、
呆けていて自分からは喋らなかった。
「……コラボライブ、終わっちゃったね」
髪を乾かし終えてしまった彩葉が、かぐやの金髪に櫛を通しながらようやく話しかけた。
「う~ん、でもまだまだやりたいことだらけなんだー。明日もまた食材届くし♪」
「欲深怪獣かぐや」
「がおーっ」
一応、答えてはいる。
答えてはいるが、返事にも、怪獣のポーズにも、鳴き声にも。
どこか空虚な、取り繕ったものを感じた。
「具合、悪い?」
「う~ん、ちょっと疲れたかな?」
「そしたら、これ飲んでさっさと寝るか?」
かぐやにうさぎの意匠のマグカップを差し出した。
中身はもちろん、はちみつ入りのホットミルク。
「おっ、わかってるねぇ隼斗♪」
カップを受け取って、そのまま螺旋階段へ向かうかぐや。
「寝ま~~す」
「おう、零すなよ。おやすみ」
「おやすみ、かぐや」
「おやすみ、彩葉、隼斗。大好きっ」
「「
湯気を上げるマグカップを両手に、螺旋階段を上っていくかぐや。
やはり、その振る舞いは空元気にしか見えない。
俺より早く、彩葉より早く。
自分から先に『寝る』なんて言い出したことは、今まで一度もなかった。
「ねえ、隼斗……あれって」
「分からん。が、推測は出来る」
彩葉にマグカップを差し出し、自分のホットミルクを啜りながら考える。
ジャックされたモニターに映し出された満月。
次いで、表示された数字の羅列。
『2030/09/12』
こう区切られた数字なんぞ、日付以外には考えられない。
今日は八月三十日だ。
つまり、X-Dayまではあと十三日。
そして何が起こるのか。
先ほど、二人がシャワーを浴びている間に、その日に何があるかを検索した。
すぐに分かった。
すぐに思い当たるべきだった。
「九月十二日は、次の満月の日だ」
「満月って、それ……」
俺も、彩葉も、声には出さなかった。
出さないが、同じことを思っていた。
「って、隼斗!顔色、すごい悪いよ……。今日は、もう休んだほうが良いよ」
自覚はしている。
こんだけズキズキ痛むんだ、そりゃ顔色も悪いだろう。
ただ、少しだけバツが悪くて、目を逸らした。
「そんなこと言ってる場合じゃ……」
それでも彩葉に向き直ると、マグカップを持つ両手に力が入っていた。
ホットミルクの表面が、カタカタ揺れている。
「……あれだけ私に口うるさく言ってきたんだから、自分の体も大事にしてよ」
「……悪ぃ」
そう言い残して、俺は自室へ戻った。
ドアを閉めた瞬間、静寂が落ちる。
ベッドへ腰を下ろした瞬間だった。
ズキッ――――
こめかみの奥を、鋭い痛みが貫いた。
「っ……!」
思わず頭を押さえて、ベッドに体を横たえる。
「……かぐや姫の、『お迎え』……か」
彩葉には言わなかった言葉が、自室の天井に溶けていった。
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海の坊主さん、ROSOさん、燐鳴神永さん、感想いただきありがとうございます。
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