隼斗を起こし、最低限の身なりを整えて二人でFUSHIを追いかけた。
街を走り、階段を上り、電車にまで乗った。
そうしてたどり着いたのは何の変哲もないマンション。
FUSHIはとある一室の扉をすり抜けるようにして消えていった。
隼斗がドアノブに手を掛けようとすると、ガチャリ、と錠の開く音。
緊張で足が止まりそうな私をよそに、隼斗は友達の家に遊びに来たみたいな顔でドアを開けた。
「はいんぞ」
「ちょっ……もうちょっとなんか無いの?」
「ここで時間食ってもしゃーないだろ」
玄関に入ると、照明は一つも付いていなかった。
点灯していないのではない。
そもそも備え付けられていない。
唯一ドアの向こうから光が漏れているリビングに入る。
右手の水槽の中にはFUSHIそっくりなウミウシの姿。
自分たちの息遣いと、無数の機械の稼働音。
その中で、水槽のぶくぶくという音だけが妙に耳についた。
リビングにも照明はついておらず、カーテンも閉め切られている。
だが、部屋を埋め尽くす電子機器とサーバーラック。
そして部屋の中央に鎮座するそれが放つ光が、室内を煌々と照らしていた。
ケースに収まり、無数のコードにつながれ、液体の中に浮かんでいる。
淡く発光するそれは、不気味なくらいタケノコに似ていた。
私たちをここまで導いてきたFUSHIは、そのタケノコの前でじっと佇んでいる。
「ここから入れ」
今度はすぐにわかった。
私と隼斗は顔を見合わせ、目を閉じてツクヨミに潜る。
いつものログインより、意識が沈むまで妙に時間が掛かった気がした。
そこは初めて入る部屋だった。
楼閣の最上階。
無数の灯篭が、鈍く、それでいて柔らかな光を落としている。
おそらく、今目の前で背を向けている彼女の私室なのだろう。
長い髪を床に広げた後ろ姿、灯篭の鈍い光に照らされたその姿は。
「…かぐや?」
彩葉がそう問いかける。
その呼びかけに答え、振り返ったその姿は。
「ヤチヨ……」
「おら、希望通り来たぞ、二人一緒に」
「ふふ、そうだね、隼斗はわたしのお願いを断ったことなかったよね」
「んなことねえだろ」
ちらっと、隣の彩葉の横顔を見る。
驚いた顔だった。
戸惑ってもいた。
それでも、どこか期待するみたいな目をしていた。
口は挟まなかった。
今ここで、自分が先に答えを口にするのは違う気がした。
「ヤチヨは……かぐやなの?」
「―――」
「変なこと言ってるのは分かってる。でも……」
ヤチヨは一瞬だけ驚いたかのように目を丸くした後、薄く微笑んだ。
微笑みながらゆっくりと立ち上がり、語り始めた。
「今は昔、月に帰ってバリバリ社畜してたかぐや姫の元に、歌が届きました」
ヤチヨの背後にある屏風に、映像が映し出される。
おとぎ話のような絵柄の、ものがたり。
「それでもっかい地球に行こ~ってお仕事爆速ですっかり片付けて、引継ぎも完了。
ただ地球の時間では大遅刻。でも安心!月の超テクノロジーは時間も超えられます」
淡々と、それこそ昔話を子供に語り聞かせる親のように。
「時を超えて地球に向かうかぐや姫。
でも、もう少しのところででっか~い、石に当たっちゃったの。
やっとのことでたどり着いたのは、ざっと八千年も前の地球でした」
「壊れた船の僅かな力で、同行していた犬DOGEだけが身体を得ました。
かぐやはウミウシの身体を通してだけ、世界と交流を持てたのです」
「時は経ち、人々は見えないものを形にし、多くの人と繋がる力を手に入れた」
屏風にデジタルな網のような線が幾つも幾つも映し出され、繋がっていく。
「それは月の世界と少し似ていて、
かぐやは初めて魂だけの自分が世界と関われる可能性を知りました。
そして仮想世界ツクヨミの歌姫として、再び彩葉と隼斗に出会うことができたのです」
いつの間にか弱まっていた灯篭の明かりが、ぱっと再び点る。
「……ってこれじゃあ、手放しでめでたしめでたし~とはならないか、やっぱ」
おどけた風にヤチヨは言う。
……俺には無理に明るく振舞っているようにしか見えなかった。
きっとそれは彩葉にもそう見えていて。
「私たちといた、かぐやは……」
「―――今もまた、同じ輪廻を巡ってる。わたしたちは、その輪から外れることは出来ない」
先ほどとは打って変わって、静かにそう告げる。
「全然、分かんないよ……」
「ただのおとぎ話!あんま深く考えないで~。とにかく、再会をお祝いしましょ」
ヤチヨは顔を伏せてしまった彩葉の手を取り、元気づけるように声を掛ける。
彩葉の手を取ったまま、部屋の大きな窓をくぐってバルコニーに連れ出される。
ちょいちょい、と、俺を手招くことも忘れず。
そこからはツクヨミの夜景が一望できた。
注意してよく見れば楽しそうなユーザーたちの表情まで見える。
「ここからの眺めが、ヤチヨは本当に大好きなの」
「……ああ、悪くねえ景色だな」
慈しむように笑いながらヤチヨは言う。
「どうして……どうしてヤチヨは笑っていられるの?」
八千年。
言葉にすれば短いが、想像もできないような途方もない時間。
そんな経験をしながらも、昔話としておどけながらヤチヨは笑いながら話す。
「それがヤチヨだから……」
まるで最初から決まっていた答えみたいに、ヤチヨはすぐにそう返した。
「でも……」
ヤチヨは夜景へ視線を落とした。
僅かに、声が震えている。
「ハッピーエンド……」
ヤチヨの言葉に俺も、彩葉もハッとする。
それは彼女が俺たちと約束したこと。
「二人とも連れてくって約束したのに……。
彩葉の歌を聞いて戻ってきたのに……ごめん、ドジっちゃった」
肩が小さく震えていた。
声も、少しだけ震えている。
それでも、ちゃんと俺たちに顔を向けた。
「キラキラのかぐや姫は、もう、おばあちゃんです」
笑顔を作って。
涙さえ流していないものの、泣きながら。
泣きながら、笑っていた。
「かぐや……かぐやはそんな顔、しなかったじゃん」
「違って当たり前だろ。八千年も経ってんだぞ。
でも――根っこの部分は変わってねえ。花火んときと同じ、へったくそな顔してやがる」
へたくそ、という言葉に少し眉を顰めながらも、少し嬉しそうな顔をしたヤチヨ。
それでも、俺たちの間には長い沈黙が下りる。
ヤチヨが恐る恐る口を開いた。
「彩葉、隼斗。知りたくなかったなら忘れても良いよ。……そういうことも、FUSHIなら―――」
「ヤチヨッ!んんっ!」
「ちょ、おいっ引っ張んなって」
彩葉は俺の腕を掴んだまま、不機嫌さを隠そうともせずドスドスと足音を踏み鳴らしながら、
部屋の中へ戻る。
ヤチヨは目を丸くしている。
どすん、と部屋の中央に腰を下ろすと。
「八千年、あったこと全部聞かせてよ!」
彩葉は腕を組み、胡坐をかきながら言い放つ。
「私たち、寝ないから!」
「お~い、俺の意思は?」
「あんたも気になってんでしょ、ヤチヨがやってきたこと!大体わかんのよ、もう!」
「……へっ」
わかってんじゃねえか、と口の端を歪めながら彩葉の隣に腰を下ろして胡坐をかく。
「……無茶言うねぇ~!」
笑いながら、ヤチヨもベランダから部屋に戻ってくる。
彩葉と隼斗の前まで来て手を払うように動かす。
すると今までいた部屋が、以前住んでいたアパートに変わった。
今までツクヨミのアバターだった彩葉と隼斗、そしてヤチヨの姿も変わる。
彩葉と隼斗の姿は現実のそれ、服装はそれぞれの部屋着になった。
ヤチヨの服装はかぐやが二人と初めて話したあの日のように、黒のTシャツ姿になった。
「彩葉と隼斗には、まだ懐かしいって感じでも……無いか!」
ローテーブルの上にはお菓子とコーラ。
その横では、FUSHIがリラックスした顔で這っていた。
「ウソっこだけどね~」
「どっちでもいい!」
「嗅覚も味覚もねえからな、ここ。」
そう言いながらも、俺はコーラのペットボトルに手を伸ばした。
蓋を捻るとプシッ、と炭酸の解放される音が響く。
「ま、良いんじゃねえの。腹割る時はこういうのが必要って相場が決まってら」
「ふふっ。じゃあまずは、縄文人と魚獲った話から!」
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