少し時期外れですが、ご容赦ください。
京都郊外の墓地。
夏の終わりを告げるような、少し涼しい風が墓地を吹き抜ける。
線香の香りがその風に乗って、静かに流れていった。
「お父さんのお墓、久しぶりだ」
彩葉が言った。
「お前、最後にいつ来た?」
「……中三の頃が最後かな。そのあと東京に飛び出したから」
「そうか」
朝日が墓石の前で足を止めた。
「俺は年に何回か来てる」
「え、そうなの」
「彩葉が来られない分、俺が代わりにと思って」
彩葉が少し驚いた顔をした。
「……ありがとう、お兄ちゃん」
「別に、当然のことだろ」
隣に立っていた乃依が、少し緊張した面持ちで前に出た。
「あの、俺、初めて来るんだけど」
「良いんだよ、乃依」
朝日が言った。
「俺たちの父親だから、一応挨拶しとけってだけだから」
「一応じゃなくて、ちゃんと挨拶しろってことでしょ」
「バレたか」
かぐやとヤチヨが墓石の周りをきょろきょろ見回していた。
その後ろから、手桶に水を汲んだ隼斗が歩いてくる。
「ここに彩葉と朝日のお父さんが眠ってるんだ」
かぐやが小さく言った。
「うん」
「かぐやとヤチヨ、隼斗も初めて会うね」
墓石に向かって、かぐやが小さく頭を下げた。
「彩葉のお父さん、初めまして。かぐやです。今は彩葉たちと一緒に暮らしています」
ヤチヨも並んで一礼した。
「月見ヤチヨです。よろしくお願いします」
花を供え、線香を焚く。
朝日が手桶から柄杓で水を汲み、墓石へ静かにかける。
彩葉は濡らして絞った布で、苔の生えかけた文字を一つ一つなぞるように拭いていった。
長い間触れていなかったはずなのに、その手つきだけは覚えている。
子供の頃、父と母に教わった通りだった。
「お父さん、久しぶり」
小さく呟いた。
「色々あってさ」
少し笑った。
「お母さんと喧嘩して」
「東京に行って」
「隼斗と出会って」
「かぐやと出会って」
「ライブやって。私がだよ?」
「かと思ったら、かぐやと離れて、ヤチヨと話して」
「ヤチヨに手伝ってもらって、隼斗と一緒にかぐやを迎えに行ってさ」
「その後も大変だったよ」
「文系選択から理転して」
「研究所、作ってさ」
「ようやく二人の体も作ってあげられたんだ」
「泣いたり笑ったり、本当に忙しかった」
少し間を置く。
「でもね」
「今はちゃんと幸せ」
隼斗が少し離れた位置で見守っていた。
家族だけの時間だと思った。
だから、必要以上に踏み込まない。
彩葉が墓石に向かって話す姿を見ながら、自分はまだ外側の人間なのだろう、とどこかで思っていた。
だからこそ。
「隼斗」
自分の名前を呼ばれた時だけは、一瞬だけ息が止まった。
「なんでそんな離れたとこにいるの」
「……別に。なに話してたんだ、彩葉」
「大したことじゃないんだけど」
彩葉が振り返らずに言った。
「お父さんにさ、大事な人たちができたって、前に言ったことあるんだけど」
お墓の前でじゃないんだけどね、と続けた彩葉。
その言葉に、隼斗が少し止まった。
「その報告」
彩葉が墓石の方に向き直る。
「お父さん。この人が、隼斗」
隼斗が少し戸惑いながら前に出た。
「……初めまして。高羽隼斗です」
墓石に向かって、真っ直ぐ頭を下げる。
「彩葉さんと、かぐやと、ヤチヨと一緒に暮らしています。これからも、大切にしていきます」
しばらく、誰も何も言わなかった。
朝日が少し目を細めていた。
「……親父、聞こえてるかな」
「聞こえてるかは、分かんないね」
乃依が小声で言うと、朝日が肩を叩いた。
「ロマンがねえな、乃依は」
「現実的なだけです~」
「……ま、そうだとは思うけどさ。こういうのはこっち側の気持ちの問題だろ」
と、隼斗が乃依に苦笑する。
しばらく手を合わせた後、彩葉が朝日を見た。
「お兄ちゃん」
「なんだ」
「お父さん、生きてたらどう言ったと思う?」
朝日が少し考えた。
「……『男を見る目があるな』とか言いそうだな」
「お父さんそんなキャラだった?」
「意外とお前に甘かったから」
「そうなの?」
「彩葉が生まれた時、父さん泣いてたぞ。俺の時はそんなことなかったらしいのに。少し悔しかったわ」
少しだけ口を尖らせた朝日。
彩葉がふふっと小さく笑った。
「それは知らなかった」
「あと」
朝日が墓石を見ながら続けた。
「お前が音楽やりだしたとき、一番嬉しそうだったのは父さんだ」
「……そうだったんだ」
「彩葉のやりたいことは応援するタイプだったからな、父さん」
彩葉が少し目を潤ませた。
「……そっか」
「彩葉」
「ん?」
かぐやがそんな彩葉に声を掛けた。
「優しいお父さんだったんだね。」
彩葉は目を潤ませたまま、少し笑った。
「うん。すごく優しかった」
ヤチヨが少し離れた場所で、周囲の景色を見ていた。
「隼斗」
「なんだ」
「こういうお墓参りって、初めて」
「そうか」
「八千年、色んな人が生まれて亡くなっていくのを見てきたけど。こうやってちゃんとお墓に手を合わせるのは、初めてなんだ」
隼斗が少し黙った。
「……お前も、いつか誰かのお墓参りに行くのか」
「行くと思う。八千年の中で、会えた人たちに。大阪城とかさ、『会えたよ』って、伝えに行きたい」
「重い話になってきたな」
「重いけど、大事なことだから」
ヤチヨが静かに言った。
「今日を大事にしたいって思う理由の一つだよ。……お墓ってさ」
「ん?」
「不思議だよね。ここに本人はいないのに、みんな会いに来る」
「……もう、会えないから」
隼斗が答えた。
「だから、忘れないために来るんだ。その人との記憶を」
「……人はいつ死ぬと思う?ってこと?」
隼斗は思わず小さく笑った。
「急にワンピースか」
「知ってる?」
「そりゃ有名だからな」
少しだけ空を見上げてから、穏やかな声で続ける。
「でも、あの台詞とエピソードは結構好きだ」
「『人に忘れられた時さ』って」
「だから墓参りって、案外その逆なんだろうな」
「忘れないために来る」
「会えなくなっても、ちゃんと覚えてるって伝えに来る」
ヤチヨは静かに頷いた。
「……うん。だから、今日ここへ来られて良かった」
墓地を出て、駐車場に向かう道すがら。
「今日は付き合ってくれてありがとうな、乃依」
朝日が言った。
「いや、当然でしょ」
「緊張してた?」
「そりゃめちゃくちゃ」
「正直だな」
かぐやが乃依に話しかけた。
「乃依、彩葉のお父さんに緊張してたの?」
「だって、朝日にとって大事な人だから」
「大事な人」
かぐやがその言葉を繰り返して、少し笑った。
「うん、朝日の大事な人なら、俺にとっても大事な人だし」
彩葉が少し振り返って、墓地の方を見た。
墓石は木々の向こうに半分だけ見えている。
「……また来るね、お父さん」
彩葉は誰にも聞こえないくらい小さな声で。
もう一度だけ呟いて、車に向かって歩き出した。
隼斗がその隣に並ぶ。
「良い墓参りだったな」
「うん」
「また来るか、来年」
「うん。みんなで来よう」
「紅葉さんも来れれば良かったんだけどな」
「来年こそは、ね」
彩葉が少し微笑んだ。
夏の終わりの風が、墓地の木々を静かに揺らしていた。
線香の煙は空へと細く伸び、やがて青空へ溶けていく。
まるで、その報告を穏やかに受け止めてくれたかのように。
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