8/32は聞いてないよ公式さんや。
でもこの話は今日から投稿するのを前々から決めていたのでね……。
九月。
暦の上では秋を迎えたというのに、残暑という言葉では片付けられない暑さが街を包んでいた。
リビングでは冷房が静かに稼働し、窓の外から聞こえてくる蝉の声が夏の暑さを主張している。
その涼しい空間の中で、かぐやが床へ寝転がったままスマコンを操作していた。
「ねぇねぇ」
オレンジ色に淡く光る瞳が、隣で雑誌を読んでいた彩葉へ向く。
「明日って暇ぁ?」
「明日は……お休みだね。配信の予定もないし」
彩葉はページをめくりながら答える。
「隼斗はぁ?」
キッチンから氷を入れたグラスを持って戻ってきた隼斗が、その問いへ答えた。
「俺も明日は休み。同じく配信予定も無し」
「やったぁ!」
かぐやは勢いよく起き上がる。
「じゃあ行こ!」
「どこによ?」
彩葉と隼斗が同時に首を傾げる。
その瞬間、ソファへ座っていたヤチヨが、ふふっと笑った。
「そういえば、まだ言ってなかったね」
ヤチヨはスマコンを操作し、一枚のポスターを空中へ映し出した。
《郷美サマーフェスティバル 花火大会》
色鮮やかな花火の写真が、大きく映し出される。
「今年も開催されるんだ」
「おぉ」
隼斗が小さく感心したように声を漏らす。
「あれから、もう十年以上か」
その言葉に、リビングが少しだけ静かになった。
花火大会。
四人にとって、その言葉には特別な意味があった。
義体を得る以前のことだ。
記憶を取り戻したかぐやが「月へ帰る」と、
あの日の花火大会は、楽しい思い出であると同時に、別れを覚悟した夜でもあった。
彩葉は無意識に膝の上で手を握る。
あの夜。
花火を見上げながら交わした会話。
上手く笑えなくて、胸の奥が苦しかった。
あの景色は、十年以上経った今でも鮮明に思い出せる。
忘れようとしても、忘れられない。
彩葉は返事ができなかった。
行きたい。
でも、花火大会という言葉だけで、胸の奥にあの日の夜が蘇る。
「……」
無意識に息を止めていた。
その空気を感じ取り、隼斗は静かに笑った。
「だからこそ行こうぜ」
彩葉が顔を上げる。
「なに考えてっかは、その顔見りゃ大体わかる」
「あの日のやり直しでもなくてよ」
「今の俺たち四人で、花火大会に行こうぜ」
「今度は、ヤチヨもいるしよ」
その言葉で、彩葉の肩から少しだけ力が抜けた。
「……そうだね」
小さく笑う。
「今なら、ちゃんと楽しめそう」
「でしょ!」
かぐやは満面の笑みで頷いた。
「今年はみんなで屋台回って、花火見て、いっぱい遊ぶんだから!」
「食べるのが目的になってねえ?」
隼斗が笑う。
「もちろん食べるのも大事!」
「やっぱり」
四人の笑い声がリビングへ広がった。
ふと、リビングの隅から小さく水が跳ねる音が聞こえた。
「ん?」
かぐやが振り向く。
水槽の中。
岩陰から、三匹のカニがひょこっと姿を現した。
「あっ」
かぐやは嬉しそうに駆け寄る。
「キミらも長生きだよねえ」
かぐやはそっとガラスへ額を近付ける。
十年以上前のあの日。
夢中になって釣った小さな命。
まさか、十年経った今でも元気に歩いているなんて思ってもいなかった。
カニたちは慌てる様子もなく、水槽の底をゆっくり歩いている。
「もう十年以上経つのにねぇ」
しみじみと呟く。
「彩葉と隼斗が毎日ちゃんと世話してるから」
ヤチヨが笑う。
「水替えも餌やりも、ほとんど隼斗だし」
「彩葉もヤチヨもやってるだろ。かぐやは全くだけど」
隼斗は照れ臭そうに肩を掻いた。
かぐやもてへへ、と小さく舌を出す。
「最初は一年も生きないかと思ってたけど」
「意外と丈夫なんだよ」
「環境さえ整えてやれば、結構長生きするらしい」
「へぇ……」
かぐやは水槽の前へしゃがみ込んだ。
小さなハサミを動かしながら、水槽の底をゆっくり歩くカニを、優しい目で見つめる。
その顔は、どこか嬉しそうで。
生き続けるその姿を、少しだけ眩しそうに見つめていた。
十年間。
身体の無い時間を過ごしたかぐやだからこそ、生き続けることの重みを以前より知っている。
だからこそ、小さな命が今も元気に生きている姿が、自然と嬉しかった。
「よし!」
ぱんっと手を叩く。
「じゃあ今日は浴衣選びだ!」
「もう決定なの?」
彩葉が苦笑する。
「当然!花火大会と言ったら浴衣!みんなで選ぶんだから!」
「あの日もそうだったじゃん?だから今回も!」
かぐやは人差し指を立てる。
「今年は新しい浴衣買っちゃおう!」
「レンタルじゃなくて?」
「レンタルじゃなくて!来年も、その次も、そのまた次も。ずっとみんなで行くんだし!」
「また始まった」
隼斗が苦笑すると、ヤチヨも楽しそうに頷いた。
「じゃあ今日はショッピングだね」
「決まり!彩葉も!隼斗も!逃げちゃダメだからね!」
「はいはい」
隼斗は笑いながら立ち上がる。
「じゃあ車出すか」
「やったーー!!」
かぐやの弾んだ声は、残暑の空気さえ吹き飛ばすようにリビングへ響いた。
全員揃って地下駐車場へ降りる。
隅の区画に停められたノルディックグリーンマイカのRX-8へ向かう。
長年乗り続けている愛車は、走行距離こそかなり伸びているものの丁寧に手入れされている。
照明を受けた深い緑色のボディが静かに艶めいていた。
「じゃ、行くか」
隼斗がリモコンキーを押すと、ハザードが二度点滅する。
「今日もよろしくねぇ」
かぐやは軽くボンネットを撫でる。
「車にまで挨拶するの?」
彩葉が苦笑すると、
「するよぉ。この子だけじゃないよ。バイクにもちゃんとする。いっぱいお世話になってるもん」
「それは俺も同意見だな」
隼斗も笑う。
バイクの免許は以前から持っていたが、車の免許を取得してからというもの、
買い物も、
旅行も、
ライブ会場への移動も、
四人の思い出のほとんどを、このRX-8は共に走ってきた。
「全員乗ったか?」
「はーい!」
「問題なし」
「シートベルトもオッケー」
「よし」
ロータリーエンジン独特の軽快な始動音が地下駐車場へ響く。
低く澄んだエキゾーストノートを残しながら、RX-8はゆっくりと出口へ向かって走り出した。
車はマンションを出る。
休日の昼前ということで、道路もそれなりに混んでいるが目的地は直ぐそこだ。
駄弁りながら道路を流していれば、すぐに着く。
窓の外を眺めながら、かぐやがぽつりと呟く。
「近いねぇ」
「近場だからな」
「昔からここよく来てるよね」
彩葉が言うと、
「かぐやは昔、水着買ったよ!隼斗と芦花と鶫と一緒に!」
「あんときも大変だったわぁ……」
サングラスの下で遠い目をする隼斗。
かぐやが指折り数え始める。
「服買ったり」
「家具見たり」
「映画観たり」
「ゲームセンター行ったり」
「私は義体になってからだから、まだ思い出は少ないけどね」
ヤチヨが少し寂しそうにしながら笑った。
「なんだかんだ、一番来てる場所かもね」
「生活圏だもんね」
「だから気楽でいい」
隼斗も頷いた。
「遠出もいいけど、こういう休日も嫌いじゃない」
「うん」
彩葉も静かに笑う。
「今日は浴衣買うだけのつもりだったのに、結局一日遊んじゃいそう」
「そのつもりだもん!」
かぐやが即答する。
「知ってた」
隼斗が笑う。
ショッピングモールへ到着すると、休日らしく駐車場には多くの車が並んでいた。
家族連れ。
学生グループ。
買い物帰りらしい夫婦。
館内へ吸い込まれていく人々を見ながら、ヤチヨが小さく呟く。
「今日は賑わってるね」
「休日だからね」
彩葉が頷く。
「特別なイベントがあるわけじゃないけど、このくらいがいつもの感じだよ」
自動ドアが開き、冷房の効いた涼しい空気が四人を包み込む。
「生き返るぅ~!」
かぐやが両腕を広げて深呼吸する。
「大袈裟でしょ、車からここ来るだけで」
「車も暑かったもん。近いからあんまし車ん中も冷えなかったしぃ」
「九月とは思えねえな」
隼斗も苦笑しながら言う。
「残暑ってレベルじゃないね」
彩葉が額の汗をハンカチで拭くと、ヤチヨは館内を見回して微笑んだ。
「さて、まずは浴衣買いに行こっか」
「その前にアイス!」
「却下」
「えぇぇぇ!」
「浴衣選んでから」
「……はぁい」
四人は笑い合いながら、館内の奥へ歩き出した。
かぐやがふと立ち止まった。
ショーウィンドウのガラスへ、四人の姿が映っている。
大人になった彩葉と隼斗。
義体を得て、当たり前のように隣へ立つヤチヨ。
そして、自分。
十年前には、想像もしていなかった景色だった。
「どうした?」
隼斗が振り返る。
かぐやはガラスに映る四人を見つめたまま、小さく笑う。
「なんでもなぁい」
そう答えてから、少しだけ照れくさそうに続けた。
「ただねぇ、思い出、増えたなぁって」
彩葉も同じガラスへ目を向ける。
そこには、肩を並べて立つ四人。
誰一人欠けることなく、笑っていた。
「これからもっと増えるよ」
彩葉が穏やかに言う。
「うん」
かぐやは嬉しそうに頷いた。
「だから今日は、新しい浴衣を選ぶの!」
「結局そこか」
隼斗が苦笑すると、ヤチヨも笑う。
「じゃあ、みんなで一番似合うのを探そう」
四人は笑い合いながら、着物を扱っている店へ向かって歩き出した。
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