エルフが好きなのは間違っているだろうか? 作:ルゥー創作するのは間違っているだろうかー
「グルルルルルル……ッ!!」
森が震えた。
アレンの足が止まる。
夜の外縁森林。訓練帰りのはずだったその道は、いつの間にか“獣の領域”に変わっていた。
「……冗談だろ」
木々の奥で、二つの赤い光が揺れる。
次の瞬間。
ドゴォッ!! という轟音と共に、大木が横薙ぎに倒れた。
「うわっ……!」
土煙の中から現れたのは、異常な巨体だった。
黒い毛皮。鋼のような爪。唸るだけで空気が震える。
フォレストベア。
この森の外縁に出るはずのない魔獣。
「なんでこんなのが……!」
背を向けた瞬間、答えは消えた。残るのは本能だけ。
逃げろ。
アレンは駆け出した。
枝が顔を打つ。肺が焼ける。
しかし背後の足音は、さらに速い。
ズシン、ズシン、と大地が揺れる。
「嘘だろ……速すぎる……!」
視界が揺れる。
行き止まりの崖が見えた時、膝が震えた。
「……終わりかよ」
剣を握る手から力が抜ける。
背後で森が裂けた。
フォレストベアの影が落ちる。
その瞬間――
銀が走った。
「――っ」
一閃。
視界の中で、月光が横に割れたように見えた。
次の瞬間、巨体が沈む。
血ではなく、静寂が落ちる。
崩れ落ちる魔獣の中心に、一人の影。
銀髪のエルフ。
細剣を軽く払う仕草だけで、空気が変わっていた。
「怪我はない?」
声は静かだった。
アレンは息を忘れる。
目の前の現実よりも、その存在のほうが現実離れしていた。
「……あ、え……」
言葉にならない。
彼女はそれ以上何も言わず、森の奥へ視線を向ける。
まるで最初からそこに“それ”がいたかのように。
そして、静かに背を向けた。
月光の中へ消えていく銀の髪。
アレンはその背中を、ただ見送ることしかできなかった。
「……誰だよ、あれ」
胸の奥が、妙に騒がしかった。
朝のギルドは騒がしかった。
「フォレストベアの討伐報告、入ってるぞ」
「外縁で出るレベルじゃねぇだろ……」
受付の奥からざわめきが流れてくる。
アレンはカウンターに書類を置いたまま、ぼんやりしていた。
昨日の森が、まだ頭から離れない。
銀髪。
一閃。
そして、静寂。
「アレンさん?」
受付嬢のミナが、怪訝そうに覗き込む。
「……あ、ああ。報告書ここ」
「はい……って、顔が死んでますけど」
「いや……ちょっとな」
言いかけて、やめた。
言葉にすると、全部軽くなりそうだった。
その時、ギルドの扉が開いた。
空気が一瞬だけ変わる。
視線が集まる。
入ってきたのは一人のエルフだった。
銀髪。無駄のない歩き方。細剣を腰に携えている。
アレンの呼吸が止まった。
「……あ」
昨日の森の影が、現実に重なる。
彼女は周囲を一瞥すると、淡々と依頼掲示板へ向かった。
まるで、何事もなかったように。
「おい……あれ……」
アレンが声を漏らす。
ミナは小さくため息をついた。
「知ってるんですか?」
「知ってるっていうか……助けられたっていうか……」
「は?」
ミナの声が一段低くなる。
「フォレストベアを?」
「うん」
沈黙。
数秒後。
「……それ、もっと早く言ってください」
「え?」
ミナは額を押さえた。
「それ、この辺りだと上位冒険者案件ですよ。普通、単独で出ない」
アレンは固まる。
「じゃあ、やっぱりすごい人……?」
「“すごい”どころじゃない可能性あります」
その言葉の意味を理解する前に、エルフがこちらへ視線を向けた。
一瞬。
目が合う。
アレンの心臓が跳ねる。
彼女は小さく首を傾げたあと、何も言わずに視線を外した。
それだけだった。
それだけなのに、昨日の光景が一気に蘇る。
「……っ」
気づけばアレンは立ち上がっていた。
「どこ行くんですか?」
ミナの声。
「いや……その……礼くらい、言うべきかなって」
足が勝手に動く。
受付を抜ける。
距離が縮まる。
あと数歩。
そこで、彼女が先に口を開いた。
「あなた」
静かな声。
アレンの動きが止まる。
「昨日の森の人」
「……はい!」
即答してしまう。
彼女は一瞬だけ目を細めた。
「無事なら良かった」
それだけだった。
会話は終わった。
終わったのに、終わっていなかった。
アレンの中でだけ、何かが始まっていた。
「……名前、聞いてもいいですか」
気づけば、そう言っていた。
銀髪のエルフは少しだけ間を置いて、
「リズレ」
とだけ答えた。
そして、そのまま背を向ける。
歩き去る姿を見ながら、アレンはようやく理解する。
“届かない”という感覚を。
それでも。
なぜか、目を逸らせなかった。