麻美アンチの俺が転生したら麻美ちゃんだった件 ―原作通りに進めようとしたら世界が狂った― 作:甲楽わん
満足度9
3. 海と彼女とキスと
千鶴と二人きりで話したいからと木部に説得され、俺と和也はその場を離れる事になった。
ふたりの様子が気になり一度振り返ったが、できる事も思いつかず、木部に任せるしかなかった。
俺はひとり売店横の休憩所までたどり着き、腰を下ろした。
さっきまでの夏が急に終わったように、俺の身体は冷めてしまっていた。
思えばそもそも無駄だったのかもしれない。
うまく行っていると思っていたその裏で、すでに二人は別れを選んでいたのだ。
一度間違った方向に進んでしまった物語は、そのまま前に進むしかなくて。
“あるべき姿”なんて俺のただの願望でしかなくて。
元に戻る力なんて働いていない。
ため息をつき、項垂れる。
本当にこのままで終わってしまうのか。
木部、何考えてるんだ?何か策でもあるのか?
俺は休憩所を出る事にした。やはり木部と千鶴が気になる。
バレないようにビーチボールで身を隠し、元来た道を辿る。浜のパラソルを横切り、二人の姿を探した。
浜を抜け隣接する車道まで出たところで、遊歩道を歩く二人を見つけた。身を隠して足音を消し、その後を追う。二人がベンチの前で立ち止まったのを見て、咄嗟に俺は街路樹の陰に身を寄せた。
その瞬間、背中にごつんと鈍い衝撃。
「うわっ」
小さく声を漏らして振り返ると、そこにいたのは和也だった。
目が合う。
「和くん?」
すると和也は伸ばした人差し指を口元に当て、シーのサイン。
「もう少し下がって。バレちゃう」
「ご、ごめん」
どうやら和也も二人の様子が気になって追いかけて来たという事だろう。そろって木部と千鶴の様子を伺うことになった。
木陰からギリギリまで身を乗り出し聞き耳を立てると、車道から響くエンジン音に混じって会話が聞こえてきた。
「別れるって本当か?…和也と」
「…え?ええ」
「俺、あいつとは幼馴染で、あいつがモテないのとか、全部見てきてさ」
所々聞き取れないが、なんとなく会話は理解できる。
「でもさ、時々才能なんじゃねぇかって思うよ。バカみてーに夢見続けられるのとか」
どこか聞き覚えのある会話だった。一瞬デジャブかと思ったが、いや、そうではない。
かのかりと出会って、ハマって、その片隅に確かに存在する記憶の欠片。そのひとつひとつが重なり合って俺の胸にすとんと落ちた。
まさか、これは…。
―――アサガオのエピソード
小学生の頃の夏、和也は間違えて”ただの雑草”を育てていた。木部や先生は諦めるよう諭したが、それでも和也は花が咲くと信じ水を与え続けた。結果、咲いたのはアサガオではなかったが、誰よりも大きな花を咲かせたのだ。
「あいつ悪い奴じゃねーんだよ。きっとあんたのこと、最後は幸せにしてくれると思う」
木部が差し出したその手には、二人分のチケットが握られていた。
「…いいから、これくらいはさせてくれ。親友に最高の彼女ができたのにお祝いもまだだった」
千鶴がそれを受け取る。
その光景は、まさに俺の知っている下田の海だった。原作通りのかのかりだった。
世界は戻っていたのだ。
遅いなんてことはなかった。
戻らないなんてことはなかった。
この世界にも”あるべき形”を維持する力が働いていたのだ。
千鶴と和也の未来へと続く道も、墨がレンカノとして成長できる道も、きちんと存在しているのだ。
「じゃ、あとは二人で」
木部はそれだけ言って踵を返し、その場を離れて行った。
「うぐっ。木部、ごめん、ごめんな」
隣の和也が声を上げて泣いていた。
俺はその肩をポンと叩き、
「ホント、世話が焼けるんだから。ほら、千鶴さんとフェリー楽しんできなっ」
そう伝えると、和也は立ち上がり、千鶴の下へ駆けて行った。
よっしゃ!完全に原作ルートに乗った!
あとはフェリーから落ちた千鶴に和也がキスをするだけだ。
二人が乗るフェリーは本日の最終便。遊覧船乗り場に到着して実際にフェリーを見てみると、思いの外大きく、その側面には「かのかり号」と船名が塗装されていた。
乗船待ちの列の先。千鶴と和也がフェリーに乗り込んだのが分かる。
「木部ちゃん、ありがとう」
「何言ってんだよ。俺こそ感謝しなきゃいけねー」
はははと声を上げて笑い合う。
作戦を成功させた俺らには妙な連帯感が生まれていた。
そういえば、俺の用意した分のチケットが2枚余ってしまった。
それをバッグの中から取り出す。
「え?麻美ちゃんも準備してたの?」
「実はそう」
またケラケラと笑い合ってしまう。
「俺らも乗るか?」
「え?」
まさか木部が麻美にそんな提案をするとは。
原作の麻美だったら、間違いなく断るところだろう。
「いいよ。うちら、相性120%だしね笑」
千鶴と和也を陰から見守りたい気持ちもある。まぁ、いいだろう。今日だけ木部の”運命の人”ってことで。
17時30分、四人を乗せたフェリーは予定通り出港。
船はエンジン音を立てながら進み、振り返って見える街の輪郭は徐々に薄れて行った。
側面に張り出した通路へと出ると、途端に塩っぽい風に煽られた。
さっきまで胸の奥でざわついていた計算や焦りも、その風に溶けるみたいに薄れていった。
「あー、彼女欲しいー!」
隣の木部が叫んでいる。やはりアホだ。
俺は通路の柵に寄りかかり、ふぅ、と大きく息を吐いた。
バイトをしながら、作戦を考え、準備をし、睡眠時間があまりとれていない。二人をフェリーに乗せ終えたところで、どっと疲れが出てきたみたいだ。
はぁあ、と大きなあくびが出て、瞼が重くなる。
瞬間、足元がふっと軽くなった。手すりを握っていたはずの指が空を切る。
やばっ。
柵を越えて身体が投げ出され、直後、冷たい衝撃が全身を叩いた。
口と鼻に塩辛い海水が流れ込む。咳き込もうとしても、うまく息が吐けない。
まずい、海に落ちた。
必死に手を掻き、脚を動かす。
直後、ふくらはぎに鋭い痛みが走った。つった――そう思った時には、もう力が入らない。
水面がみるみる遠のいていく。
俺死ぬの…?
墨ちゃんとのデート、まだなんだけど?
視界がぼんやりと滲み始め、俺の意識は白濁していった。
耳の奥で誰かの声が割れた。
「麻美ちゃん!」
胸が強く押され、次の瞬間、肺に空気が流れ込んでくる。
咳き込み、喉の奥が搔きむしられるように痛んだ。
意識が輪郭を取り戻したとき、真正面にあったのは和也の顔だった。
「よ、よかった…戻った……」
和也は息を吐くようにそう言って、へなへなと脚を折った。よほど必死だったのか、声が震えている。
どうやら俺は岩場へ引き上げられ、寝かせられているようだった。
酸素が全身に回るにつれ、世界の輪郭もはっきりし、思考が回り出す。
俺は指先を己の唇に当てた。目を覚ましたとき、確かに感じた生ぬるい感覚――。
「和くん、まさか、私に人工呼吸…」
「麻美ちゃん、ごめん!仕方がなくて…」
NO!!!!!!!!
ちょっと待ってくれ!なんで俺が助けられてるんだ!?キスする相手が違うだろ!?
千鶴姫が溺れる事故は起きませんでした⇒分かる。
和也がヘタレで飛び込めませんでした⇒怒るが、分かる。
助けたのは木部ちゃんでした⇒まだ分かる。
溺れて和也とチューしちゃいました⇒は?
あり得ない展開に、俺の身体はガクガク震えていた。
なんで!?原作ルートに乗ったはずじゃ!?
ここで和也のキスの相手が『麻美』となれば、どうなってしまうのか見当もつかない。ターニングポイントを逃すどころか、物語が明後日の方向に進んでいる。
「和ちーん!麻美ちゃーん!」
木部の声が聞こえる。
遠く向こう、車道に見える二つの人影が岩場へと降り、こちらに向かってきた。
「生きてるか!?」
「麻美さん、大丈夫ですか…?今、救急車来ますから」
うんと頷く。
「マジで焦ったぜ。いきなりドボンだったもん!無事でよかったぜー」
何も知らない木部が安心した様子で和也の肩をたたく。
だが俺はそんな気分にはなれなかった。
「千鶴さんと和くん、これで終わりじゃないよね…?」
二人がこちらを見た。
図星を突かれたのか、和也と千鶴は何か言い辛そうにそろって視線を逸らす。
しばし重い空気が立ち込め、それを払うように、和也はわざとらしく明るい口調で話し始めた。
「二人には申し訳ないけど、やっぱり俺じゃダメなんだってさ。当たり前だろ?全然釣り合ってねーし。今まで付き合ってくれてただけで、奇跡つーか」
「和くんは、それでいいの…?」
「もちろん。でも千鶴にはスゲー感謝してる。…だから、これで本当に終わり」
そう言い切った和也は、妙にスッキリした顔をしていた。
なんだよ、それ。結局、木部の説得では足りなかったということか。
全部俺のせいだ。俺があのとき間違えたから。
もう無理なのかもしれない。
物語はどんどん違う方へ進んで。
いくら頑張っても無駄なだけで。
―――でも。
俺は歯を食いしばった。
身体の奥底から熱い何かが込み上げ、それを吐き出した。
必死だった。
「千鶴さん、もう一度考え直してくれ!」
腕を折り、頭をぺたりと岩場に付ける。
「確かに、和也はクズだよ。情けねーし、優柔不断だし、いっつも女の尻ばっかり追いかけて、実際ムカつく」
こんなの認められない。墨ちゃんがレンカノを辞めるのも、二人が別れるのも、全部違う。
俺は見たいんだ。和也が馬鹿みたいに頑張って、千鶴姫が笑顔になるドラマが――。
映画製作も、励ましデートも、ハワイアンズも、同居も、全部。
俺のせいで終わらせるわけには行かないんだ。
「でも!俺知ってるから、コイツが本当はカッコいいってさ」
もっと和也を応援させてくれよ。
めちゃめちゃ感動したんだぞ。映画作るなんて誰にもできないって。千鶴姫が泣いてくれて、本当に良かったって――。
「もっと先かもしれないけど、これから成長して、絶対ちゃんとした男になるから。だから別れるのは待ってほしい!」
声が枯れるほど絞り出し、喉の痛みにむせ返った。
酸素不足のせいか、視界がかすんできた。
ダメだ…。ここで倒れたら、かのかりが終わる…。説得しなきゃ…。
俺は意識を失った。