穏やかな波に揺られる帆船。その左舷側で、巫女服に身を包み、腰に刃渡り三尺の打刀を差した妖狐族の女の子が、先端が白く染まった金色の尻尾をゆらゆらさせながら仮眠していた。
「……んぅ」
港に着いたのだろう。接岸時の音と衝撃で目が覚めた女の子――ユウカは、上半身を起こして頭を左右に数回振り、眠気を飛ばす。
「行かなきゃ」
料金を支払って船を降りた彼女は、懐から地図が描かれた小さな紙を取り出した。
「こっちかな?」
ユウカは、紙を頼りにおおよその見当を付けて歩き出す。
◇
港から歩き出して十分後、ユウカは目的地――〔冒険者ギルド サーレル支部〕に到着した。
「サーレル支部……と。うん、ここだね」
掲げられた看板に書かれた文字を確認したユウカは、ギルドに入った後、一直線に受付へと向かって登録の旨を伝えた。
「登録……出来ますか?」
「冒険者登録? 犯罪者以外誰でも出来るから安心してね。で……これが、登録用紙だー」
「はーい」
受付のお姉さんに紙を渡されたユウカは、羽ペンですらすらと必要事項を記入していく。
「書けました」
「うん、問題ないね」
そう言って受付のお姉さんが呪文を唱えると、用紙はカードに変化した。
「そのカード、身分証明になるから紛失に気を付けてね。もし失くしたら再発行に色々な手続きが必要だし、お金も掛かるから肌身離さず持っててね」
「お金は幾ら掛かりますか?」
「5000cだね。まあ失くさないに越した事はないから、しっかり管理するんだよ」
お姉さんの忠告を聞き入れたユウカは、カードを懐に収納すると、改めてお礼を口にした。その後、ギルド内にある訓練場で基本的な戦闘術を学んだり、魔物についての講義を受けたりした。
そして現在、彼女は依頼ボードの前に立っていた。
ボードには失せ物探しから討伐任務まで様々な依頼書が貼り付けられており、ユウカはその中から自分でもできそうな物を探していた。
「んー……」
ユウカはしばらく眉間に皺を寄せながら依頼ボードを眺めていた。しかし、どれも初心者が手を出せるような簡単なものは見当たらなかった。
「何か困ってるようだな?」
声をかけられて振り向くと、そこには筋肉質の大男が立っていた。彼はユウカよりも頭二つ分背が高く、腕周りなどは彼女の胴体くらいあるだろうか。全身に傷跡が刻まれており、歴戦の戦士であることは一目瞭然だった。
「えっと……初めてなので何をすればいいかわからなくて……」
男は豪快に笑いながら言った。
「それなら俺に任せろ!新人育成も仕事のうちだからな。ちょうど今から森の奥での探索クエストがある。一緒に来てくれ」
「探索クエスト……ですか?」
ユウカの表情が明るくなる。
「それなら私にもできそうです!」
「決まりだな!俺はギルバート。Aランク冒険者だ。よろしく頼む」
「私はユウカです。お願いします!」
彼女は元気に返事をした。
◇
ユウカたちは遺跡探索の依頼を請け、街から一昼夜歩いた森の奥へとやってきた。
ギルドから預かった地図に従って、目的地に到着すると、勾配のきつい斜面の麓に洞窟の入り口がぽっかりと口を開けていた。
一見すると自然洞窟のようだが、情報によると内部は人工の構造物になっているようで、この辺りには千年前に滅びた都市の物資貯蔵庫があったらしい。だが、ゴブリンが洞窟に棲み着いたせいで調査が遅れているようだ。
「情報通り、ここで合っているようだな」
ギルバートが遠巻きに入り口を覗き込み、頷く。
「とりあえず松明に火を点けて、奥を見てみよう」
ギルバートは背嚢から松明を取り出し、小さな壺から火を移す。
「この壺は……?」
「こいつか?これはな、『火縄壺』と言って火を点けた火縄を入れて着火の手間を省く道具だ。もちろん、火口箱を使って火を熾すのもいい。火熾しに関わらず手段を複数持っておくと便利だ」
松明の炎がほどよく燃え出すのを待つ間、ユウカはギルバートに質問する。
「魔法の灯りではダメですか?」
「駄目というわけではないが、魔力は有限だからな。冒険中の無駄遣いは控えた方がいい。それに松明の火は意外と消えにくくてな、戦闘になった時は地面に放り投げて、即席の光源にする手もある。それも利点の一つだよ」
「……なるほど。投げ捨てて、明かりにする……」
ユウカは地面に揺れる炎を見つめながら、その言葉を頭の中で反芻する。自分の故郷にはない、泥臭くも確実に生き残るための『知恵』。楽しむ気持ちを胸に、彼女はその教えをしっかりと刻み込む。
「よし、お話はここまでだ。中に入るぞ。足元に気をつけろ」
ギルバートが充分に燃え出した松明で周りを照らしながら、石造りの暗い通路へと歩みを進める。
「はいっ」
元気に頷き、その後に続くユウカ。
彼女の足元――足袋と草鞋は、ギルバートの教えをなぞるように、すでに音もなく暗闇の土を捉えていた。
◇
ユウカはギルバートと共に洞窟の中を進んでいく。洞窟内部は次第に広くなり、所々で古代文明の痕跡と思われる彫刻や装置が見受けられた。この場所がかつてどれほど栄えていたかを物語る光景であった。
「足音を立てずに歩くのは、思ったより難しいですね」
「最初はな。慣れれば無意識でできるようになる。だが油断するなよ、敵がいるかもしれないからな」
二人は暗い洞窟の中を慎重に進んでいくとやがて大広間に到達した。天井は高く、柱が林立している。
「この場所がかつては重要な物を保管していた倉庫だったらしい。何か手がかりがないか探してみよう」
ユウカは周囲を見回しながら歩き始める。柱の陰や床の隅に何か落ちていないか注意深く探っていく。
しばらくすると、ギルバートが叫んだ。
「おい、あれを見ろ!」
彼が指さす先には、壁に掛けられた大きな石版があった。古代文字が刻まれているようだ。
「これって……」
「おそらく、この遺跡に関する情報だな。読めるか?」
ユウカは首を振る。彼女の故郷の文字とはまったく違うのだ。
「ギルバートさんは?」
「俺もだ。だが持ち帰って専門家に見てもらえば何か分かるかもしれんな」
ギルバートは松明を地面に置いて道具袋から紙束を取り出すが、すぐに引っ込めた。
「ここまでゴブリンを一匹も見かけていないのは、おかしいな?」
「ゴブリンに遺跡が占拠されたから、討伐して安全確保するって依頼でした……よね?」
双方、会話をしつつギルバートは背中の斧に、ユウカは腰の刀に手を掛ける。
まだ未熟ながらも、培われた彼女の感性はこの緊張感を察するのに十分だ。
「ああ。奴らは基本的に暗くて薄汚い所が好きだ。だから、俺たちはそういった場所を重点的に見てきたつもりだ。なのに……ここまで何もいねぇってのは妙だよなぁ」
「……」
ユウカが無言で辺りを見回すが、依然として暗闇に包まれている。
「まるで、わざと空っぽにされてるみたいじゃないか? あるいは──」
不意にギルバートの言葉が途切れる。静寂の中、ほんの一瞬、岩と岩が擦れ合うような微かな音が響いた。
「……そっちかっ!」
ギルバートが叫ぶや否や、ユウカは即座に駆け出す。音の正体は、通路の死角で息を潜めていたゴブリンだった。数にして五体。粗末な武器を握った小鬼たちが一斉に飛び掛かってくる。
「はぁっ!」
鋭い剣閃が先頭の首を刎ね、返す刀でもう一体の首を刎ねた。
「おおっ、やるなぁ!」
ギルバートは感嘆しつつも、残る三体を牽制すべく重厚な一撃を放つ。空気を揺るがす轟音と共に斧が床を叩きつけ、ゴブリンたちは散開して逃げ惑う。だが、ユウカの足取りは迷いなく、逃げ惑う群れに迫っていた。
「逃がしませんっ」
彼女の斬撃は音もなくゴブリンの腰を断ち切り、最期を確認する事なく次を斬り伏せる。最後の一体が振り返った瞬間、刀は既に喉笛を貫いており、鮮血が舞う。一連の動きは流麗でありながら無駄がなく、まるで舞踊のようであった。
「上手く戦えてるじゃないか」
ギルバートが斧を肩に担ぎながら近づいてくる。その顔には純粋な称賛の色が浮かんでいる。
「ありがとうございます」
ユウカは懐から取り出した懐紙で刀身を拭い、鞘へと納める。荒い呼吸を整えながらも、彼女の瞳は倒した敵に向けられていた。静寂を取り戻した空間に残る微かな異臭──それはこの遺跡の奥深くへと続いているようだった。
「でも……これだけでは終わらない気がします」
彼女の言葉にギルバートが頷く。
「ああ、その通りだ。ここで死んだゴブリンどもは単なる斥候かもしれん。本当の敵がどこかにいるはずだ」
二人は再度気を引き締めて歩みを進める。洞窟内に満ちる謎めいた雰囲気と過去の亡霊のような影が、彼らの行く手を阻むように絡みついてくる。
彼らは慎重に、しかし確実に前進を続けた。途中いくつかの分岐点を経て、広間からさらに奥へと伸びる道を選んだ。松明の火が揺らめく度に壁面の模様が影絵のように変形し、その神秘的な風景に二人は思わず息を飲む。
「この壁画……何か意味があるのでしょうか?」
ユウカがふと立ち止まり、壁一面に描かれた古代の戦士たちや神聖な儀式の場面を見つめる。
「何かは分からんが、すごく精巧に描かれている事は確かだな。ひょっとしたら、定説や学説か覆る――かもしれないな」
二人が再び歩み始めると、急激に空気が冷え込んだ気がした。ユウカは反射的に背筋を伸ばし、警戒心を高める。ギルバートも同様に鋭い眼差しで前方を見据えていた。やがて彼らの視界には巨大な扉が現れた。黒曜石で作られたその扉には複雑な紋章が刻まれており、何かが封印されていることは明らかだった。
「ここは……ゴブリンどもの根城ってわけじゃねえな」
ギルバートはそう言いながら扉に近づき、軽く触れようとする。しかし次の瞬間、不気味な唸り声と共に強烈な魔力の波動を感じ取った。
二人は反射的に後退し、再び武器を構える。
「気をつけろ。これはただものじゃないぞ」
ユウカも額から冷たい汗が流れ落ちる感覚を感じつつ、緊張した表情で応じる。
「確実に、何かがいますね」
「ああ、間違いない。この先には何かとてつもない存在が待ち構えているようだ」
ギルバートの目は険しさを増し、これまで以上に警戒心を強めた。
◇
ユウカは刀を、ギルバートは斧を構え直し、再び深呼吸をして心を落ち着ける。そして二人は慎重に扉へと近づいていく。
彼らの心臓の鼓動だけが洞窟内に響き渡る中、突如として眩しい光と共に扉が吹き飛んだ。光とともに現れたのは、まるで巨像のような影――ゴブリンとは比較にならないほどの圧倒的存在感を持つ生物だった。
「こいつは……!」
ギルバートが息を飲み、斧を大きく構える。その眼前に現れたのは、人間を遥かに超える巨大な怪物――ミノタウロスと呼ばれる存在だった。筋肉質で獰猛な目つき、大きな角を持つその姿はまさに恐怖そのものである。
「ユウカ! こいつは厄介だぞ! 俺が前に出て引きつける! 君は隙を見て攻撃しろ!」
「はい!」
二人はお互いに視線を交わし合い、同時に行動を開始した。ギルバートが前衛として突進する一方で、ユウカもまた動き出しミノタウロスへの接近を試みる。
だがその瞬間、ミノタウロスが咆哮し地面を揺らすような衝撃波を放った。その衝撃によって二人とも一時的に行動不能となってしまった。
そして、その状況を悪化させるかのように湧き出てきた数百体のゴブリンが二人に向けて殺到する。
だが、それはミノタウロスも予想外だったらしく、動きが鈍ったその隙を見逃さなかった。
ユウカは流れるような動作で最も近くにいたゴブリンへと斬りかかる。鋭い一閃が横薙ぎに走り、首を跳ね飛ばすと同時に返す刀で二体目を斬る。
「はぁっ!」
彼女の声は低く静かで、その動きは俊敏かつ正確だ。しかし、無数のゴブリンが次々と襲いかかる中で防戦一方になってしまう。その時、ギルバートが声を上げる。
「ユウカ! こっちだ!」
ギルバートは既に複数のゴブリンを相手取りながらも、的確に隙を突いて敵を薙ぎ倒している。ユウカは即座にその声に反応し、ギルバートの側へと駆け寄る。
「一緒に突破します!」
二人で背中合わせになり、次々と押し寄せるゴブリンを打ち倒していく。ユウカの華麗な剣技とギルバートの豪快な斧による攻撃は見事な連携となり、敵の勢力を徐々に削いでいく。
しかし、その数は一向に減る気配を見せない。それどころか、数の暴力によってミノタウロスすらあっさり沈む始末だ。
当然、ユウカとギルバートも同様で、押され気味になっていた。
「くそっ……なんだこの数は!尋常じゃないぞ!」
ギルバートが歯噛みする中、ユウカは冷静に状況を分析し、そして決断した。
「ギルバートさん! 一旦引きます! このままでは全滅してしまいます!」
「そうだな……仕方ないか……。だがどこへ逃げる? 」
「こちらへ!」
ユウカは通ってきた通路とは別の通路へと飛び込む。ギルバートもそれに続き、二人で走り抜ける。
狭い通路へ飛び込んだ瞬間、背後からゴブリンたちの怒声と足音が雪崩のように押し寄せてきた。
「まだ追ってきます!」
ユウカは振り返りざまに『狐火』を放つ。しかし、爆炎に怯む事なく焼き尽くされた数十体を踏み越えるようにして、次々と新たなゴブリンが現れる。
「こいつでどうだ……!」
ギルバートが舌打ちしながら通路の壁へ催涙効果のある煙玉を叩きつける。一瞬だけ敵の足が止まった隙を突いて二人は薄暗い通路を全力で駆け抜ける。足元は湿っており、所々に古びた骨や壊れた武器が転がっていた。
その時だった。
ユウカの狐耳がぴくりと震える。
「……風?」
「何?」
「前から風が来てます。出口かもしれません!」
「よし、そのまま進むぞ!」
希望を見出した二人は速度を上げる。だが直後、通路の天井から不気味な軋み音が響いた。
「っ、止まれ!」
ギルバートがユウカの肩を掴み、強引に引き寄せる。
次の瞬間――轟音。
背後の通路が崩落し、大量の岩石が雪崩れ込んだ。追ってきていたゴブリンたちの悲鳴が土煙の向こうで途切れる。
「げほっ……!」
舞い上がる砂埃の中、ユウカは咳き込みながら顔を上げた。
「た、助かりました……?」
「いや、まだだ」
ギルバートは油断なく周囲を見回す。
「崩れたのは後ろだけだ。この遺跡自体が不安定になってる可能性がある」
そう言って松明を掲げた彼の表情が険しくなる。
通路の先――そこには人工的に作られた石階段が、地下深くへ続いていた。
「……まだ先があるんですか」
「ああ。それに妙だな」
「妙?」
「ゴブリンどもだ。あの数なら、とっくに遺跡の外まで溢れててもおかしくねぇ。まるで誰かが、ここに閉じ込めてるみたいだ」
ユウカは階段の奥を見つめる。
暗闇の向こうから、かすかに青白い光が揺れていた。
そして――。
『――――』
言葉とも呻きともつかない、低い声。
ぞくり、とユウカの尻尾が逆立つ。
「今の……聞こえましたか?」
「ああ」
ギルバートは静かに斧を握り直した。
「どうやら、本命はまだ生きているらしい」