ブルアカ転生〜カヨコのエロ同人描いてた俺が本人に惚れられるまで〜 作:どうたぬき
世界が圧倒的な質量を持ってこちらを圧殺しようとしていた。
ウトナピシュティムの本船が、その巨大な船体を軋ませながら空を滑っていく。
だが、その進路上に顕現したアトラ・ハシースの箱舟は、絶対的な拒絶の意思を持っていた。多次元解釈によって展開された強固なバリアが、幾重にも重なる光の層となって我々の行く手を阻んでいる。
「衝突まで、あと六分!」
ユウカの悲鳴のような報告が、ブリッジの張り詰めた空気を切り裂く。
俺は指揮官席のコンソールを強く握りしめていた。
知っている。俺は、この後に用意された残酷な『プロット』を、一から十まで全部知っている。
箱舟のバリアを突破するためには、絶大なエネルギーが必要だ。
アリスが、プロトコルATRAHASISとしての彼女自身が、A.H.Aのスーパーノヴァを発射しなければならない。
そして、その強大すぎる反動が、一人の少女の『存在』と引き換えになることも。
通信越しに、リオのドローンの無機質な音声が、アリスに協力を求める声が聞こえてくる。
俺の胃の奥で、冷たい泥が反転した。
やめろ。そう叫んで通信を切り、アリスを安全な場所へ引きずり戻すことは、物理的には可能だ。
だが、それをすればバリアは破れず、全員がここで死ぬ。世界が滅びる。俺は「正しいルート」を通るために、今から一人の少女が犠牲になるのを、黙って見届けるしかない。
それが、原作知識という呪いの、最も醜悪で残酷な正体だった。
『——アリスは、勇者です!』
通信機から、一片の淀みもない、光のようなアリスの声が響いた。
その真っ直ぐな宣言を聞いた瞬間、俺は奥歯を強く噛み締めた。口の中に血の味が広がる。
やがて、メインモニターの画面が、一瞬にして完全に白く焼き切れた。
光の剣が、宇宙空間の暗黒を切り裂き、箱舟の多次元バリアを容易く貫通していく。
絶大なエネルギーの奔流。鼓膜を破壊し、網膜を灼き尽くすような光と熱。
だが、その直後だった。
『……あなたは、光の剣……スーパーノヴァの反動に耐えられません……』
通信の向こう側から、静かに、だが確かな意志を持った声が響いた。
ケイだ。
アリスのもう一つの人格であり、パヴァーヌからずっと、俺がその不器用な歩みを見つめ続けてきた、もう一人の少女。
『だから……私が』
「——ッ、ふざけんな……!」
俺の口から、声にならない嗚咽が漏れた。
知っていた。知っていたけど、慣れるわけがない。今、目の前で、体温を持った生身の彼女たちが、その命を削り合っている声を聞かされて、平然としていられるわけがない。
俺は「先生」のフリをした、ただのオタクだ。彼女たちの物語を愛し、彼女たちが笑い合う二次創作ばかりを描き続けてきた人間だ。
そんな俺が、自分の都合で「公式の悲劇」を許容している。それがたまらなくグロテスクで、吐き気がした。
通信の向こうで、アリスが泣き叫ぶ声が響く。「ケイ!」と、何度も、何度も。喉が裂けんばかりの、生々しい絶望の慟哭。
ケイの存在が、システムから完全に消失していく音が、電子的なノイズに混じって俺の脳髄を打ち据えた。
「ああああっ……!」
俺はコンソールに額を押し当て、自分の無力さに発狂しそうになるのを必死に堪えた。
ゲーム開発部のモモイたちが、気を失ったアリスを泣きながら医務室へ運んでいく報告が入る。
ブリッジ内も、死に絶えたように静まり返っていた。ユウカが両手で口を覆って絶句し、ハナコが痛みを堪えるように静かに目を閉じている。アヤネが震える指で、必死に医療システムを叩いている。
(……違う。終わってない。ケイのデータは、セーブファイルは、まだ残ってるはずだ。原作知識が教えてる。まだ手はある)
俺は、血の滲む唇を噛み締めながら、原作知識の奥底にある一縷の希望を必死に手繰り寄せた。
だが、今はそれを誰かに言うわけにはいかない。根拠を説明できないし、そんな不確かな情報で、今この瞬間悲しみに暮れる彼女たちを慰めるのは、あまりにも残酷な行為だ。
今は、この絶望を飲み込むしかない。後で必ず、俺が俺の手で、あの子を救い出す。同人作家の意地にかけて。
「全員、前を向いて! 突入準備!!」
リンの声が、ブリッジの重い沈黙を力ずくで打ち破った。彼女の声も微かに震えていたが、全体指揮官としての役割を絶対に手放そうとはしなかった。
俺も、顔を上げる。目を真っ赤に充血させたまま、「大人」のレイヤーを無理やり引き被る。
「急加速します! 衝撃に備えて!!」
ドゴォォォォォォンッ!!!
船体全体が四散したかと思うほどの、内臓を揺さぶる巨大な衝撃。
ウトナピシュティムの本船が、箱舟の外壁にその巨体を深々と突き刺したのだ。
「……突入成功! 接合部、安定しています!」
「実働部隊、展開準備!」
ここからは、俺もブリッジを離れ、最前線で直接指揮を執る。
箱舟内部での占領戦。対策委員会、ゲーム開発部、美食研究会のメンバーが、ハッチの前で俺を待っているはずだ。
俺は端末をベルトに固定し、足の震えを意志の力で押さえ込みながら、ブリッジの出口へと歩き出した。
警報が鳴り響き、誰もが自分のコンソールに噛み付くようにして絶叫が飛び交う、阿鼻叫喚の空間。
その、混沌の只中で。
「——」
戦況モニタリングの席にいたカヨコが、無言で立ち上がり、俺の前に歩み寄ってきた。
彼女の周りだけが、まるで真空地帯のように静まり返っているように錯覚した。
カヨコは何も言わない。
ただ、すっと冷たい両手を伸ばし、俺の乱れていたネクタイの結び目を、正確で一切のブレがない手つきで締め直した。
制服の襟をピシッと整える。その間、彼女の指先が俺の首筋に触れ、ビターな香水の匂いと、微かな汗の匂いが混ざり合って俺の鼻腔を掠めた。
アリスとケイへの喪失感でバラバラに千切れそうになっていた俺の自我が、その『生々しい肉体の質量』によって、強制的に現世へと縫い留められる。
最後に、彼女は俺の胸元を、ポン、と軽く一度だけ叩いた。
「——行ってきて」
笑わない。泣かない。震えもしない。
不安がる素振りも見せず、ただ「男が未練なく、指揮官としての顔を保ったまま死地へ向かえるように」、完璧な「日常の延長」の仕草で俺を送り出したのだ。
『お前はちゃんとした先生なんだから、あの子たちの前で無様な顔を見せるな』。
彼女のその手の動きには、どんな長ったらしい愛の言葉よりも重い、絶対的な信頼と支配が込められていた。
俺は無言で頷き、振り返らずにブリッジの重い扉を抜けた。振り返れば、確実に足が止まることが分かっていたから。
背後で金属の扉が閉まる音がした瞬間、俺の顔は完全に「シャーレの先生」のそれに切り替わっていた。
◇ ◇ ◇
箱舟の内部は、俺が知っているキヴォトスのどの場所とも違う、ひどく異質で冒涜的な空間だった。
超古代文明の構造物。金属と有機物が混ざり合ったような、まるで巨大な生物の腸内を歩いているかのような錯覚。光源は不安定で、多次元解釈の残滓が、時折空間をゼリーのように歪ませる。
俺は実働部隊と共に、箱舟の各区画を制圧して回った。
次元エンジンの破壊。そして、何度も立ちはだかるシロコ*テラーとの交戦。
俺はシッテムの箱を起動し、生徒たちの弾道計算とシールド展開を絶え間なくサポートし続けた。
『先生、第三区画の次元エンジン、停止確認。……西側から敵性反応、五秒後に接触する』
通信用イヤホンから、ノイズ混じりのカヨコの声が飛んでくる。
安否を気遣うような甘い響きは一切ない。極めてドライで正確な戦術情報の共有。
だが、俺には分かっていた。この極限の戦場で、カヨコがずっとモニター越しに俺の生体信号と位置情報を、瞬きすら惜しんで追い続けていることが。その絶対的な『観測』の事実が、俺の折れそうな心を何度も繋ぎ止めていた。
やがて、中央区画。
激しい交戦の末、俺たちはついに、閉じ込められていた『俺たちの世界のシロコ』を救出した。
「……先生」
シロコが俺を見て小さく名前を呼んだ。
俺は思わず駆け寄り、彼女の銀色の髪に手を置き、その温かい頭を撫でた。
「お帰り、シロコ。……よく頑張ったな」
対策委員会の面々が安堵の息を吐き、笑い合う。全次元エンジンの破壊も完了した。ブリッジからは、ヴェリタスが箱舟の自爆シーケンスを準備するという報告が入る。
終わった。誰もがそう思ったはずだ。
だが、俺の心臓は、この「束の間の安堵」の中で、最も激しく警鐘を鳴らし始めていた。
(……来る)
原作知識のレイヤーが、強烈なレッドアラートを点滅させる。
この安堵は偽物だ。本当の絶望は、この直後に口を開ける。
『——先生ッ! 退避して!! 本船側で——ッ!?』
通信越しに、ブリッジからリンの悲鳴のような報告が響いた。
その瞬間。
ドドドドドォォォォォォンッ!!!
箱舟内部の構造が、いや、世界そのものが震えた。
A.R.O.N.Aによる、本船のバックドアを通じたハッキング。
俺たちの最後の切り札だった本船の多次元解釈演算システムが乗っ取られ、箱舟側に利用されているのだ。
シロコ*テラーの急襲は、このハッキングから目を逸らすための陽動に過ぎなかった。
「来た、か……ッ!」
ブリッジのリオが、多次元解釈の抑制機能を使って本船を一時停止させたという報告が入る。だが、それはただの時間稼ぎだ。箱舟の最下層にある『端末』を破壊し、管制権を取り戻さなければ、俺たちはこの緋色の空と共に消滅する。
実働部隊が即座に動いた。美食研究会が端末破壊へ。対策委員会とゲーム開発部が東西のセキュリティ解除へ。
俺は彼女たちの背中を見送り、ただ信じるしかなかった。
ザザッ……ピーッ。
『先生……位置——が——確認——』
イヤホンの奥で、俺の精神の命綱であったカヨコの声が、激しい電子ノイズに飲まれた。
ハッキングの影響で、通信回線が物理的に引き裂かれたのだ。
「カヨコ!? 聞こえるか、カヨコ!」
応答はない。完全に通信が途絶えた。
俺の位置情報は、もうブリッジには届いていないはずだ。
一瞬、カヨコの冷ややかな瞳が脳裏をよぎり、胸が締め付けられるような焦燥感に襲われる。だが、今は彼女を心配している余裕など、一秒もなかった。
「……行くぞ、シロコ」
俺は、隣に立つシロコに声をかけた。
ハッキングの発信源は特定されている。
箱舟の最深部。ナラム・シンの玉座。
端末を壊しても、そこにいる「本体」を叩かなければ、ハッキングは止まらない。
待っているのは、プレナパテス。
「ん。先生、行こう」
シロコの瞳には迷いはなかった。この子は真っ直ぐに前を見据えている。
その覚悟の目を見た瞬間、俺の足の震えもピタリと止まった。
俺は神様じゃない。ただのオタクだ。
でも、この子たちがこんなに気高く前を向いているなら、俺も行ける。いや、行かなければならない。
俺はシロコと共に、最深部の玉座へと続く暗い回廊を、弾かれたように走り出した。