ブルアカ転生〜カヨコのエロ同人描いてた俺が本人に惚れられるまで〜 作:どうたぬき
「——!」
俺は、自分の片目が血で塞がりかけているのを感じながらも、その姿をはっきりと視認した。
少し大きめのパーカー。冷ややかな赤い瞳。
鬼方カヨコ。そして、その隣には息を切らせたアコが立っている。
なんでここにいるんだ。
お前はブリッジで、オペレーターをしていたはずだろう。
そう叫ぼうとしたが、破れた唇からはヒューヒューという情けない空気の音が漏れるだけだった。
だが、言葉にする必要すらなかった。カヨコと、一瞬だけ視線が交差した。
彼女の赤い瞳には、俺の無惨な姿を見て取り乱すような安っぽい動揺は、一ミリも、一ミクロンも浮かんでいなかった。
ただ、絶対的な『観測者』として、戦況モニタリングのディスプレイを睨む時と全く同じ、冷徹で臨床的な目つきで俺の全身を走査していた。
右腕の裂傷、出血量。左足の震え。呼吸の浅さ。
瞳孔の開き具合。タブレットを握る指先の力の入り方。
俺が今、生きているか。自力で立っていられるか。
そのすべての情報を、コンマ一秒の間に脳内へダウンロードし、処理している。
(……来やがったな)
俺の胸の内に湧き上がったのは、怒りでも、安堵でもなかった。
『こいつは、こういう女だ』という、絶望的なまでの納得と了解だった。
ブリッジのシステムが死んだ時点で、この女が大人しく待っているわけがないのだ。俺がどこで死のうとしているのかを突き止めるためなら、箱舟の深淵だろうが地獄の底だろうが、自分の意志で、事後承諾で踏み込んでくる。
俺が止めることなんてできない。最初から、そんな権利は俺には与えられていなかった。俺の左手中指に食い込むリングの痛みが、その事実を力強く証明していた。
カヨコは、俺の生存と状況を確認し終えると、ふっと視線を外し、無言のまま玉座の空間の隅へと佇んだ。
これ以上は手出しをしない。だが、絶対に目を離さない。そういうスタンスだった。
その時だ。
「……あ……、あ……」
カヨコの視線が外れた直後、玉座の中心から、ガラスが砕けるような、ひどく脆い音が響いた。
声の主は、シロコ*テラーだった。
彼女の冷たく、すべてを諦めきった死神のような仮面が。
ホシノ、ノノミ、セリカ、そしてシロコという『かつての仲間』たちの顔を真っ直ぐに見た瞬間、音を立てて、完全に崩壊したのだ。
「ああ……っ、ああああああっ……!!」
それは、言葉ではなかった。
獣の呻きのような、あるいは、内臓を素手で引き千切られているかのような、おぞましくも悲痛な慟哭。
シロコ*テラーの両手から、巨大な銃が力なく床へと滑り落ち、重い金属音を立てた。
彼女は両手で自分の顔を覆い、膝から崩れ落ちて、玉座の冷たい床に突っ伏した。
「わたしが……わたしが、いるから……っ」
指の隙間から、大粒の涙が、ボロボロと止めどなく溢れ落ちている。
黒い衣装に身を包んだアヌビスが、ただの、心細くてたまらない一人の少女の姿へと退行していく。
「わたしが……いるから、せかいが……滅亡、したの……っ」
言葉が、壊れていた。
文法が崩れ、しゃくり上げる呼吸に何度も遮られながら、彼女は泣き叫んだ。
俺は、原作知識でこの場面を知っている。
この後、彼女の口から語られる、もう一つの時間軸の地獄の記録を。
だが、今、目の前で、現実の空気の震えとして鼓膜を叩くこの少女の嗚咽は、どんな高解像度のデータとも比べ物にならない、致死量の痛みを孕んでいた。
「……っ、……ごめんなさい……っ」
シロコ*テラーは、床に額を擦り付けるようにして、途切れ途切れに言葉を吐き出し始めた。
「先生が……大怪我をして、目を覚まさなくて……。そこから、全部、壊れていった……っ」
それは、告白というよりも、血反吐を吐くような懺悔だった。
先輩が。ノノミが。アヤネが。セリカが。
彼女の口から零れ落ちる、しゃくり上げるような名前の断片。
文法は崩れ、言葉は涙に溶けて原型を留めていない。だが、彼女が紡ぐそのノイズのような悲鳴を聞くだけで、俺の脳内にこびりついている『原作知識』が、彼女の歩んだ地獄の全貌を容赦なく補完し、フラッシュバックさせていく。
限界を迎えて消えたホシノのヘイロー。心を壊して消えたノノミ。永遠に止まったアヤネの生命維持装置。何処かに消えたセリカ。
誰もいなくなった冷たいアビドスで、彼女がたった一人、どれほどの絶望を抱えて色彩に触れ、このアヌビスへと反転したのか。
俺は、知っている。
だが今、俺の目の前で、冷たい床に爪を立てて泣き叫ぶこの少女の姿に、エンタメの美しさなど微塵もない。ただの、救われなかった一人の子供の惨状がそこにあるだけだ。
「わたしが、こんな姿になったあと……100日目に……先生が、目を覚ました……っ」
俺の心臓が、ひどく嫌な音を立てた。
すべてが手遅れになった世界で、目覚めた『もう一人の俺』。
「先生は……わたしのところに来てくれた。こんな、わたしを……見捨てないで……っ」
シロコ*テラーが、血走った目で、玉座の中央で沈黙するプレナパテスの亡骸を見上げた。
「先生は……わたしを守るために……自分で、色彩に触れたの……っ!」
どうしようもないバッドエンドが確定した世界で。せめて、目の前で泣いているたった一人の生徒だけは生かそうと。
もう一人の俺は、自らの自我が破壊されることを承知の上で、色彩の狂気にその身を投げ打ったのだ。彼がどんな思いでその『最悪のバッドエンド』を選択したのか、痛いほど理解できてしまう。
「先生を……殺したく、なかった……っ!!」
シロコ*テラーの絶叫が、ナラム・シンの玉座の天井に向かって突き抜けた。
「わたしのために……先生が、あんな姿になって……! 別の世界の、先生たちまで……っ! わたしが、わたしがいなければ……っ!!」
すべては自分のせいだ。自分が生き残ってしまったから、先生は化け物になり、世界を滅ぼす手伝いをさせられている。
その巨大すぎる罪悪感と自己否定の呪いが、彼女の精神を粉々に砕いていた。
玉座にいる全員が、息をすることすら忘れて、その悲痛な慟哭を聞いていた。
ホシノは両手で顔を覆い、セリカは耐えきれずにその場に蹲って泣き崩れている。ノノミも、シロコも、声もなく涙を流していた。
俺は、大人のカードを持った右手をだらりと下げ、ただ、床に突っ伏して泣き叫ぶその少女の姿を見下ろしていた。
額から流れた血が、目に入り、視界を赤く染めている。
耳の奥で、心臓の鼓動が信じられないほど大きく、重く、警鐘のように鳴り響き始めていた。
俺は、玉座の冷たい床に突っ伏し、自分自身を呪うように泣き叫ぶシロコ*テラーの姿を、ただ無言で見下ろしていた。
「わたしが……わたしがいるから、せかいが滅亡したの……っ」
彼女の、すべてを自分一人の罪として抱え込み、魂をすり潰すようなその言葉が、耳から入って俺の脳髄を直接掻き毟る。
俺の胸の奥深く、理性の底の底で、黒くて重い何かがグツグツと沸騰し始めていた。
シロコ。
全てを失って、頼る相手を喪って、誰もいない砂漠で一人きりで泣き叫んで。色彩という理不尽な力に触れさせられ、テラー化させられた。
その上、「自分のせいで世界が滅びた」「自分が先生を殺した」と、ありもしない罪を背負わされて、自分自身を呪い続けている。
そんなわけがないだろう。ふざけるな。
なんで、こんなに真っ直ぐで、少しズレてて、仲間思いな普通の子が、こんな目に遭わなきゃいけないんだ。こんな目に遭っていい女の子がいてたまるか。
ドクン、と。
心臓が、痛いほど大きく跳ねた。
熱い。
腹の底から、マグマのような怒りがせり上がってくる。
誰に向けた怒りか?
プレナパテスに? 色彩に? ゲマトリアに? 運命に?
いや、違う。
そのシナリオを知りながら、恐怖に怯えて「原作通り」に進むことをどこかで許容していた、俺自身に対する怒りだった。
「——ふざけるな」
低く、地を這うような声が、俺の口から無意識に漏れた。
玉座の空間に響き渡っていたシロコ*テラーの泣き声が、俺のその異常な声のトーンに気圧されたように、一瞬だけ止んだ。
「……ふざけんじゃねえぞ」
俺は、血の滴る顔を上げ、玉座の空間を、プレナパテスを、そして、その向こう側にいるかもしれない「物語の書き手」を睨みつけた。
足の震えは、いつの間にか完全に止まっていた。
恐怖はもうない。あるのは、すべての理不尽なシナリオを力ずくで破り捨ててやりたいという、同人作家としてのドス黒い破壊衝動だけだった。
俺は、一歩、前に踏み出した。
「……先生?」
背後で立っていたシロコが、不思議そうに俺の背中を見つめた。
俺は彼女の横を通り抜け、床に突っ伏して泣いているシロコ*テラーのすぐ前まで歩み寄り、そして彼女と同じ顔をした、もう一人のシロコに向き直った。
ホシノたち対策委員会の面々が、息を呑んで俺を見ている。
玉座の隅で、カヨコが赤い瞳で俺を静かに見ている。
プレナパテスが虚ろな顔で、こちらを見下ろしている。
全員の視線が、俺という一個人に突き刺さっていた。
俺は大人のカードを握りしめたまま、シロコと、そして足元で泣いているシロコ*テラーの二人に向けて、はっきりとした声で告げた。
「——お前が泣いてる世界なんて、間違ってる」
それは、原作の先生が語るような、優しくて、崇高で、無限の愛に満ちた言葉ではなかった。
もっと俗っぽくて、我儘で、傲慢な、一人のオタクのエゴの塊だった。
シロコ*テラーが、涙でぐしゃぐしゃになった顔をゆっくりと上げた。
シロコが、驚いたように青い瞳を丸くしている。
「お前が悪いんじゃない。お前が世界を滅ぼしたんじゃない。……お前が悲しむような結末を描いたやつがいるだけだ」
物語の責任は、キャラクターにはない。
キャラクターが理不尽に苦しみ、絶望し、泣き叫んでいるのなら、それは彼女たちの罪ではない。
「お前たちは何も悪くない。……ただ作家が、ハッピーエンドを書かなかっただけだ」
俺の言葉は、玉座の空間にいる全ての存在にとって、あまりにも異質で、意味不明なものだったはずだ。
世界が滅びようとしている最深部で、なぜこの男は「作家」だのメタフィクションのような寝言を喚いているのか。
対策委員会の面々が顔を見合わせている。
だが、そんなことはどうでもよかった。俺は今、俺自身の存在を賭けて、この物語の構造そのものに喧嘩を売っているのだから。
俺は、シロコの目を真っ直ぐに見据え、そして足元のシロコ*テラーに向かって、はっきりと宣言した。
「だから——俺が、なんとかする」
俺は神じゃない。「書き直す」と断言できるほどの力も、魔法も持っていない。ただの凡人だ。
だから、これは大言壮語ではない。
ただの、泥臭い凡人の約束だ。
「お前も、プレナパテスも、ここにいる全員も。……一人残らず、俺がなんとかしてやる」
俺の言葉が、ナラム・シンの玉座に、静かに、だが確かな熱を持って響き渡った。