ブルアカ転生〜カヨコのエロ同人描いてた俺が本人に惚れられるまで〜 作:どうたぬき
深夜二時。シャーレのオフィスは、完全なる静寂に包まれていた。
「……ふぅ。終わった、終わったぞぉぉぉ!」
デスクの上に山積みにされていたゲヘナ、トリニティ、ミレニアム各校からの膨大な予算申請書と始末書の束。その最後の一枚にサインを叩きつけ、俺は椅子の背もたれに思いきり身体を預けた。
時計の針はとうに深夜の深い時間を回っている。便利屋の面々も含め、生徒たちは全員それぞれの自治区へ帰したはずだ。
今のこの広いオフィスには俺しかいない。
すなわち、クソ真面目で、聖人君子で、どんな理不尽なトラブルも笑顔で解決する「みんなの頼れる先生」の仮面を、ようやく脱ぎ捨てられる時間ということだ。
ぶっちゃけ、限界だった。
毎日毎日、誰かが泣いて、誰かが銃を撃って、誰かが爆弾を投げて、その全部の後始末を笑顔でやる。聖人成分なんて元から1ミリも持ち合わせていないのだ。この身体に入ってからずっと、足りない分を根性と原作知識で必死に補填し続けている。そのツケが、深夜になると一気に噴き出す。
「あー……ダメだ。脳が腐る。今すぐ『アレ』を摂取しないと、明日から先生のフリができなくなる……!」
俺はよろよろと立ち上がると、スマホをオフィスの音響スピーカーのBluetoothに接続した。
普段ならイヤホンで聴くところだが、今夜は誰もいない。完全なる無人。なら、やることは一つ。
選んだトラックは、キヴォトスに来てから愛してやまないアングラ中のアングラ、超重低音デス・ブラックメタルバンド『ヘル・インフェルノ』の最新アルバム。
再生ボタンを、タップする。
——ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴオオオオオン!!!!
一瞬で、シャーレの静かなオフィスが地獄の底のような爆音に支配された。
内臓をボコボコに揉みしだいてくるベースの重低音、耳の奥を容赦なく貫通するドラムのブラストビート、そしてそれらの暴力の上に乗っかる、人間離れしたデスボイスのシャウト。窓ガラスがビリビリと震えている。
「ヒャッハァァァァァウッ!! これだよこれ!! これを聴かなきゃ一日が終わらねえんだよ!!」
完全に脳のタガが外れた。キチゲ解放の時間だ。
俺は着ていた大人のジャケットを床に放り投げ、ネクタイを緩めると、デスクの前で全力のヘドバンを開始した。
視界が超高速で上下に反転する。
長い髪(前世よりちょっとマシな髪型だが)を振り乱し、首の骨がへし折れんばかりの勢いで頭を上下に激しく振り、床に向かって脳髄を叩きつけるようにビートを刻む。
それだけじゃ足りない。俺は目に見えないギターを抱え、オフィスを縦横無尽にステップを踏みながらエアギターを炸裂させた。
ジャカジャカジャカジャカ!! と、脳内にある地獄のソロパートに合わせて左手をせわしなく動かし、顔をクシャクシャに歪めて悦びに浸る。
「オラァァァ! 今日の書類全部燃やしてえぇぇぇ! 爆発しろキヴォトス! 締切を守れ俺ーーーッ!!」
椅子から飛び降り、腕を天高く突き上げ、完全に一般社会……いや、キヴォトスのどの生徒にも、神に誓って絶対に見せられないレベルの、しょうもなさと狂気に満ちた姿。
日頃のストレスという名の澱みが、爆音と汗と共に全身から噴き出していくのを感じて、俺は最高にハイな気分で、180度パッと勢いよく後ろに回転した。
ターンを決め、そのまま虚空に向かって渾身のロックスターのポーズを決めようとした、その瞬間。
「……」
視界の端に、何かが映った。
オフィスの自動ドアが、いつの間にか開いていた。
その開いたドアの隙間に、ぽつんと突っ立っている人影。
少し大きめの黒色のパーカー。
その下から覗く、緋色のプリーツスカートとスラッとした生足。
鬼方カヨコ。
彼女は、片手に何かの書類の束を持ったまま、完全に微動だにせず、石像のように硬直していた。
部屋中に鼓膜を破壊せんばかりの『ヘル・インフェルノ』のデスボイスが「ギギャァァァァァ!!」と鳴り響く中、カヨコの赤い瞳だけが、レンズのように冷徹に、全力でエアギターを掻き鳴らしながら髪を振り乱している俺の姿を、まっすぐに捉えていた。
「…………ぁ」
俺の動きが、完全に止まった。
脳内を流れていた脳内麻薬が一瞬で氷結し、血の気が足の先から引いていくのがリアルタイムで分かった。
カヨコと、目が、合っている。
音楽は止まらない。スピーカーからは、なおも地獄の咆哮が響き渡り、俺の「社会的死」を盛大に祝福していた。
(……死んだ。今、俺の社会的な何かが完全に死滅した)
時間が止まっていた。
いや、正確には時間なんて止まっていない。スピーカーからは、なおもドラムの超高速ブラストビートと「オロロロロロロロォォォ!!」という地獄の底から響くようなデスボイスが、容赦なく室内に鳴り響き続けている。
その狂気的な大音量の中で、俺とカヨコは数秒間、完全に無言で見つめ合っていた。
俺のポーズは、右手を虚空に突き上げ、左手はありもしないギターのネックを掴み、腰を深く落とした、完璧なロックスターの構えのまま。髪は無残に乱れ、ネクタイは大きく曲がっている。
対するカヨコは、パーカーのポケットに片手を突っ込んだまま、表情一つ変えずに、ただじっと、その限界突破した俺の姿を見つめていた。
「あ……、あ、う……」
喉の奥から、情けない掠れた声が漏れ出る。
カヨコの瞳が、俺の頭からつま先までを冷徹にスキャンしていく。その視線が、床に脱ぎ散らかされたジャケットに留まった瞬間、俺の脳内にようやく「パニック」という名の電流が走り出した。
「ち、違——」
叫ぼうとしたが、ヘル・インフェルノの爆音がそれをかき消す。声が出ない。いや出てるのかもしれないが、この音圧の中では自分の声すら聞こえない。
とにかく、まずはこの地獄のBGMを止めなければならない。
俺は慌ててデスクに飛びつき、狂ったようにPCのマウスを掴んだ。視線はカヨコに固定したままだから、手元が完全に狂っている。
「止まれ! 止まってくれ頼む!!」
カチカチカチカチカチカチカチカチ!!
画面も見ずにマウスを連打した。それが最悪のトリガーだった。
俺が焦ってクリックしたのは再生停止ボタンではなく、こともあろうに音量調節のスライダーの右端だったのだ。
ズバガガァァァァァン!!!!!!
「ひやぁっ!?」
オフィス全体が震えるほどの、文字通りの爆音が炸裂した。音量MAX。スピーカーの限界を超えた重低音がバリバリと音を割らせ、もはや音楽ではなくただの「世界の終わり」のような破壊音が鼓膜を直撃する。
「あわわわわ! 違う、違うんだ、そうじゃない!!」
パニックは最高潮に達し、俺はキーボードのスペースキーを連打し、最終的にはスピーカーの音声ケーブルを力任せにブチ抜いた。
ブツン……。
激しい耳鳴り。
そして、今度こそ訪れた、耳が痛くなるほどの完全な静寂。
引きちぎられたケーブルを手に持ったまま、俺は滝のような汗を流し、肩を激しく上下させてハァハァと息を荒げていた。
ドアの前に立つカヨコは、髪を音圧で少しなびかせたまま、相変わらず無表情で俺を見つめている。
「……」
「……あ、あの、カヨコさん。……これは、シャーレの、防音設備の耐久テスト……的なサムシングでして……」
消え入りそうな声で、人生で一番惨めな言い訳を口にする。
お願いだから、今すぐキヴォトスの大地が割れて、俺を奈落の底に飲み込んでほしかった。
「……」
だがカヨコの視線は、俺の無様な姿からゆっくりと、デスクの上のスピーカーへと移動した。
じっとスピーカーを見つめ、それからまた、俺の顔を見る。
少しだけ、彼女の切れ長の瞳が細められた。
「……それ」
カヨコが低く静かな声でぽつりと言った。
「ヘル・インフェルノ?」
「……え?」
「……新譜だよね。それ。……私も、まだ全部は聴けてないんだけど」
「え、あ、うん……そう、そうなんだよ。今週出たばかりの、限定盤のやつで……」
俺の口から、情けないほど間抜けな声が出る。
「…………聴く?」
限界を超えた脳が弾き出したのは、これまた世界一的外れで、だけどそれ以外に浮かばなかった、あまりにも間抜けな提案だった。社会的に死んでいる男が、自分を殺した目撃者を音楽に誘っている。ギャグでしかない。
だが、カヨコは小さく、本当にわずかに目を見開くと。
「……うん。聴く」
そう言ってパーカーのポケットから手を抜き、静かな足音を立ててデスクの方へと歩いてきた。
引きちぎられたケーブルを見て少しだけ困ったように眉を下げたが、俺が慌てて予備のコードを差し込んでPCに繋ぎ直すのを黙って待ってくれた。
カチッ。
今度は常識的な、だけどしっかりと重低音が響くレベルの音量で、再び地獄の旋律が室内に流れ出す。
カヨコは俺のすぐ横、肩が触れ合いそうなほどの距離に無言で立つとスピーカーの正面に向き直った。
じっとりとした深夜の空気の中、激しいドラムのビートに合わせてカヨコの髪が小さく、リズミカルに揺れ始める。彼女の白い首元が音楽の拍子に合わせて規則正しく上下に動いていた。
俺はといえば、椅子に腰掛けたまま完全に石化していた。
すぐ隣から漂ってくるカヨコのあの少しビターな香水の匂いと、スピーカーから響く狂暴なデスボイス。
社会的に死に絶えた恥ずかしさと、カヨコと深夜に爆音でアングラ音楽を共有しているという異常な状況の二重奏に、俺の心臓はベースの重低音よりも激しくビクビクと跳ね上がり続けていた。
アルバムの一曲目が終わるまでの約五分間。
俺とカヨコは並んで直立したまま、ただ黙って爆音の死の旋律に耳を傾けていた。
……いや、俺の場合は直立不動で硬直していただけだが。
隣にいるカヨコは時折フッと小さく息を吐きながら、心地よさそうにそのアングラな重低音に身を委ねていた。その白い横顔、そして規則正しくリズムを刻む細い指先を、俺は自分の心臓のバクバクという爆音を必死に抑え込みながら、盗み見るのが精一杯だった。
ジャァァァァァン……。
やがて曲の終わりを告げる不穏なフィードバックノイズが消え去り、オフィスに再び静寂が戻る。
「……ふぅ。やっぱりいいね。新譜、買って正解だった」
カヨコは小さく呟くと、満足したようにデスクの上に持ってきていた書類の束をトン、と置いた。便利屋の案件絡みの、明日までにシャーレの承認が必要な書類だったらしい。本当に、ただの用事で立ち寄っただけだったのだ。
「じゃあ、私はこれで帰るから」
「あ、ああ……わざわざこんな時間にありがとな、カヨコ」
俺は引き攣った笑顔のまま、どうにか大人の声を絞り出す。
これでようやく、この生き地獄のような恥ずかしさから解放される。カヨコがドアに向かって歩き出すのを見送りながら、俺は心の中で盛大に安堵の溜め息を漏らそうとした。
だが、自動ドアの手前で、カヨコはふと足を止めた。
彼女はゆっくりと首だけでこちらを振り返る。その瞳が、いたずらっぽく細められた。
「……先生」
「は、はいっ!?」
条件反射で直立不動になる俺。カヨコはそんな俺の様子をじっと見つめ、それから、自分の頭を少し大袈裟に上下に振ってみせた。
「……ヘドバンの時、もっと首振っていいと思う」
「……え?」
「首だけで振ろうとすると中途半端になって、明日起きた時に首痛めるだけだから。……やるなら、腰から、全身の遠心力を使って一気に落とさないと」
「カ、カヨコさん……?」
「じゃあね。お疲れ様」
パタン。
自動ドアが閉まり、今度こそ、本当に俺一人だけの静寂が室内に残された。
「…………」
俺は持っていたスピーカーの予備ケーブルをポロリと床に落とし、そのまま両手で顔を覆ってデスクに突っ伏した。
見なかったことにしてくれないどころか、まさかの全力のダメ出し。
あのカヨコに、深夜にエアギターを弾きながら狂ったように首を振っていた姿を100%の解像度で受け入れられ、おまけに「ヘドバンのフォームのアドバイス」まで貰ってしまった。
恥ずかしすぎて、今すぐシャーレのビルからダイブしたい。
だが——軽蔑されなかった。 あの少しドライな温度感のまま、カヨコは俺の最もしょうもない「素」を、ごく自然に受け入れた。 引きちぎったケーブルを握りしめたまま、俺はなぜかそれを手放す気になれなかった。
「……いや、フォームの改善とか、次があるみたいな言い方すんなよな……」
誰もいないオフィスで呟いて、それが独り言ではなく、どこかカヨコに聞かせるつもりで言っていたことに気づいて、俺はもう一度顔を覆った。