ブルアカ転生〜カヨコのエロ同人描いてた俺が本人に惚れられるまで〜   作:どうたぬき

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最終編を通る上で、避けては通れない。


閑話:モモトーク

カチ、と微かな音を立ててスマホの画面が消えると、視界は一瞬で完全な闇に塗り潰された。

 

シャーレの仮眠室。

白い天井には、遮光カーテンの隙間から、這い入るような薄暗い街灯の光が、一本の白い線となって染みを作っている。遠くの配管を規則正しく流れる水の音が、鼓膜の奥の耳鳴りに混ざって、じっとりと部屋の空気を重く沈めていた。

 

ベッドの上に仰向けに転がったまま、俺は一度、深く、肺の底にある熱を吐き出した。

 

日中のブラックマーケットの疲労が、鉛のような質量になって全身の筋肉にまとわりついている。便利屋68のあの騒がしい雑踏、アルの引き攣った声、ムツキの悪戯、ハルカの過剰な怯え。それらすべてを「ラノベ的コメディ」のテンポとして、脳内でせっせと処理していたはずだった。

 

だが、まぶたを閉じると、網膜の裏にべっとりと張り付いた「あの光景」が、嫌な鮮やかさで蘇ってくる。

 

好感度測定メガネ。そのレンズの向こうで、鬼方カヨコの頭上に表示されていた、限界数値を突破して赤くエラーを吐き出していたあの「100オーバー」の数字。

恋慕、あるいはもっとドス黒い執着の混ざった、あの熱量の残像が、今も俺の視神経をチリチリと焼いているようだった。

 

「……クソ」

 

寝返りを打つと、寝間着の安っぽい繊維が擦れる音がやけに大きく響いた。

現実逃避を求めるように、枕元に転がしていたスマホを再び拾い上げる。親指の指紋認証でロックを解除すると、冷たい青白い光が、暗闇の中で俺の顔を幽霊のように照らし出した。

 

画面に並ぶのは、日中の便利屋の案件にかかりきりで見落としていた、モモトークの未読バッジの山だ。

日中の喧騒から取り残された、キヴォトスの生徒たちからの「声」の断片。

 

俺は布団の中で微かに指を動かし、事務的な連絡から淡々と消化していくことにした。

 

対策委員会のアヤネからの、シャーレ経由での備品申請に関する確認書類の添付。堅苦しい、だけど彼女の生真面目な性格が滲む文章に、手短に承認の返信を打つ。

次にスクロールすると、トリニティのハナコから、意図が測りかねるような、だけど妙に淫らなニュアンスを含んだイラストスタンプが一件届いている。いつものからかいだと脳内で処理して、既読だけをつけてスルーした。

 

そうして、日常の雑務を一つずつタップして消していく。

まるで、「先生モード」のフィルターがちゃんと動いてるか、一個ずつチェックしてるみたいに。

 

だが、未読のリストをさらに下へとスライドさせた時、俺の親指は、画面に表示された二つの名前に吸い付けられるようにして、完全に動きを止めた。

 

液晶のバックライトが、暗い部屋の中でそこだけ異常に鋭く発光しているように見えた。

 

最初に指が選んだのは、一番上にあった天真爛漫な少女の名前だった。

 

『アリス』

 

通知をタップすると、パッと開いた画面から、彼女のボイスがそのまま脳内に再生されるような、エネルギーに満ちた文字列が飛び出してくる。

 

「先生、ゲーム開発部のニューゲームのテストプレイが、いよいよラストダンジョンまで完成しました! 今回はアリスがデバッグをがんばったので、バグはひとつもありません! 先生、今度のテストプレイ、ぜひ最初に参加してください! すごくいいゲームなんですよ!」

 

文末には、ドット絵の勇者が剣を掲げてぴょこぴょこと跳ねる、アリスお気に入りの可愛いスタンプが添えられている。

 

液晶の青白い光が、俺の視界を冷たく刺した。

いつもなら「お、行く行く! ロボットアニメのパロディとか入ってない?」なんて、オタク特有の軽いノリで返せるはずのメッセージだ。

 

だが、画面を凝視する俺の指先は、凍りついたように動かなかった。

 

脳の奥底で、前世で浴びるように読み込んだ、あの「公式シナリオ」のデータベースが、本人の意思を無視して勝手にページをめくり始める。

 

(……最終編)

 

脳裏にフラッシュバックするのは、プロットの全容ではない。一枚の画だ。 光の中で微笑みながら消えていくケイの後ろ姿と、遺されたアリスが「ケイ!」と叫び続ける、あの泣き顔。 あの場面を読んだ時、俺は一晩中スケッチブックの前に座っていた。描こうとして、描けなかった。アリスの泣き顔の輪郭が、何度下書きしても震えて線にならなかった。

 

前世でこの場面を読んだ時、俺は泣いた。泣いた上で、「なんて神シナリオだ」と思った。考察サイトを漁り、同人誌のネタ帳にアリスとケイの関係性のメモを書き殴った。物語として、消費した。

 

「……ッ」

 

スマホを持つ右手に、じわりと嫌な汗がにじむ。

俺の脳は、いつもの悪癖で、このアリスの無邪気なメッセージを前にしてすら、防衛機制として「ケイの消失は、物語構造としてはアリスのキャラクターアークにおける、自立と喪失の美学を——」なんて、冷徹なテクスト分析の言葉を紡ごうとする。

 

だが、その言葉は喉の奥に到達する前に、どろどろとした不快な毒となって腐り落ちた。

 

違う。これはフィクションの文法なんかじゃない。

いま俺のスマホに届いているのは、インクの文字でも、誰かが作ったシナリオの台詞でもない。明日、シャーレの部室に行けば「先生!」と満面の笑みで抱きついてくる、体温を持ったアリスという一人の女の子が、一生懸命に打ち込んでくれた本物の言葉なのだ。

 

彼女は今、純粋に未来の楽しみに胸を躍らせている。そのアリスのすぐ後ろに、あの残酷な世界の選択肢が、確実に足音を立てて近づいているのを、この世界で俺だけが知っている。

 

知っていて、俺にはそれを回避する具体的なプロットが見えていない。

 

「……何、打てばいいんだよ」

 

フリック入力の画面を表示させたまま、親指が虚空で彷徨う。

「新作のゲーム、楽しみにしてるよ」と打ちかけて、その「楽しみ」という言葉の偽善っぽさに吐き気がして、デリートキーを連打して消した。未来を知っている俺が、彼女の未来の約束にどんな顔をして乗ればいいのか、分からなくなってしまったのだ。

 

結局、数十秒の葛藤の末に、俺が送ったのは最低限の言葉だけだった。

 

「了解。スケジュール空けとくな」

 

感情を一切排した、ただの事務的な一文。

送信ボタンを押した直後、アリスからはすぐに「わーい!」と両手を挙げる元気なスタンプが返ってきて、それで会話は途切れた。

 

スマホを持つ手を、もう片方の手で押さえた。震えているわけではない。ただ、力の入れ方が分からなくなっていた。

 

パヴァーヌ編のあの嵐を、一緒に駆け抜けてきた記憶が蘇る。あの時、アリスの手を握った。守ったつもりだった。自分の原作知識があれば、この世界の誰も傷つけずにハッピーエンドへ導ける、なんて傲慢な万能感に浸っていた時期すらあった。

 

でも、最終編は来る。あの世界の終わりは、確実に、この温かい日常の延長線上に待っているのだ。

 

(俺は全部知ってる。知ってて……まだ、何も変えられない。これが、一番きつい)

 

暗い部屋の中で、スマホの光に照らされた俺の顔は、ひどく歪んでいた。

 

ピロン、と短い通知音が、静まり返った仮眠室に小さく跳ねた。

 

アリスとの会話が終わった直後、画面の最上部に滑り込んできたのは、見慣れた、だけど今この瞬間にはあまりにも重すぎる名前だった。

 

『シロコ』

 

メッセージは驚くほどシンプルだった。

 

「先生、今日はちゃんとご飯食べた」

 

ただの、短い一言。対策委員会編を共に泥々になりながら駆け抜けた間柄だからこそ、なんのてらいもなく送られてくる、少しズレた彼女なりの心配性が混ざった気安い距離感。

 

液晶の光を浴びながら、俺の指はフリック画面の上で小さく動いた。

 

「食べたよ。カップ麺だけど」

 

「……それ、ご飯じゃない」

 

即座に返ってくる呆れたようなツッコミ。画面の向こうで、少しだけ不満げに頬を膨らませているシロコの顔が、ありありと脳裏に浮かぶ。

 

いつも通りの、なんてことのない掛け合いだ。

だが、その軽快なやり取りの背景に、俺の原作知識は、もう一つの「シロコ」の姿を容赦なくオーバーレイさせていく。

 

シロコ*テラー。

脳裏に響くのは、声だ。 「わたしが、いるから、せかいが、滅亡した」あの声で、今目の前にいるシロコと同じ声で、泣きながらそう言った、もう一人の彼女。

 

「……っ」

 

俺の指が、スマホの画面の上でぴたりと止まった。

今のシロコが見ている画面には、「先生が入力中……」の三点リーダーの表示が、出たり消えたりを繰り返しているはずだった。その不自然なタイムラグを、彼女がどんな気持ちで見つめているか。

 

送信ボックスには、決して送ることのできない言葉ばかりが浮かんでは消える。

 

(お前の未来を、俺は知ってる。お前がこれから背負わされるものの重さを、俺は画面越しに嫌というほど見たんだ。それを変えたい、お前を泣かせたくない。でも、そのための確実な方法が、今の俺にはまだ見えないんだよ……)

 

無力感。文字を打ち込もうとするたび、指先が微かに震える。

 

ピロン。

沈黙に耐えかねたように、シロコから追加のメッセージが届いた。

 

「先生?」

 

「あ……」

 

ハッとして、俺は急いで指を動かした。これ以上、彼女に余計な勘繰りをさせるわけにはいかない。

 

「ごめん、ちょっとぼーっとしてた。お前も早く寝ろよ」

 

「ん。おやすみなさい、先生」

 

銃を掲げたシロコのおやすみスタンプがポンと画面に押され、それで会話は完全に終了した。

 

俺はスマホをノックするようにして、ゆっくりと胸の上に乗せ、再び天井の暗闇を見上げた。

 

「……こうやって一人になると、全部が押し寄せてくるな」

 

ぽつりと言い訳のように漏らした声は、狭い部屋の空気に吸い込まれて消えた。

日中は、動いてさえいれば考えずに済むのだ。便利屋68のあの愛すべきドタバタに巻き込まれ、ムツキに理不尽に振り回され、カヨコの生々しい肉体の質感にドギマギして。その目まぐるしい渦の中にいる限り、俺の「同人作家の目」は、生徒たちをキャラクターとして分析し、状況をプロットとして処理し、全部を「エンタメとして面白い」の中に回収してくれていた。

 

全部ネタにしてる間は、傷つかずに済んでいた。

 

深夜の仮眠室には、ネタにする相手がいない。

 

ケイも、アリスも、シロコも、みんな生きている。笑って、怒って、「ご飯食べた?」なんて体温のあるメッセージを、リアルタイムで俺のスマホに届けてくる。

 

(ネタにできれば、楽だった。……もう、無理だな)

 

胸の上に乗せたスマホの重みが、まるで彼女たちの命の重さそのもののように、じっとりと俺の肌にのしかかっていた。

 

シロコとの会話を終え、今度こそスマホの画面を消そうと親指を動かした、その時だった。

 

液晶の右下、暗いリストの底に、もう一つだけぽつんと残されていた未読の通知バッジが、俺の網膜を捉えた。

 

『カヨコ』

 

メッセージのプレビューとして、短い一行だけが冷たく表示されている。

内容はおそらく、大したことじゃない。今日のブラックマーケットの件に関する事務的な事後連絡か、あるいはただの「お疲れ様」という静かな一言のはずだ。

 

だが、俺の親指は、その通知の文字の上で完全に凍りついた。

 

「……っ」

 

開けない。今の俺には、このメッセージをタップするだけの指先の筋力が、どうしても湧いてこなかった。

 

アリスの無邪気な笑顔の裏にある消失の運命、シロコの気安い言葉の裏にある慟哭の未来。それらの重みを両肩にズシリと抱え込んだ今の精神状態で、カヨコの言葉を真っ正面から受け止めるだけの心の余裕が、どこを探しても見当たらなかったのだ。

 

いや、余裕がないというより……怖いのだ。

 

あの好感度測定メガネが弾き出した、真っ赤なエラー表示。「100オーバー」という、恋慕と、執着と、独占欲がないまぜになった狂おしいほどの数字。

あの異常な熱量の持ち主が、自分に向けて放った言葉。それを今、防衛機制が壊れかけているこの深夜に開いてしまったら、ギリギリのところで形を保っている「先生」という俺の輪郭が、内側から一瞬で焼き溶かされてしまうような気がしてならなかった。

 

今これを開いたら、俺は返事を打てなくなる。 アリスとシロコに辛うじて返せた事務的な一文すら、カヨコには打てない。カヨコの言葉に対して、「先生」の顔のまま文字を並べることが今の俺には、無理だ。

 

「……明日、読む」

 

自分に言い訳をするように小さく呟き、俺はメッセージを開かないまま、スマホを机の上に裏返して置いた。

パッと光が消え、仮眠室は再び、インクを流し込んだような完全な闇に包まれる。

 

天井の微かな染み。壁の向こうの配管を流れる水の音。遠くのキヴォトスの夜を駆ける、誰かの銃声と喧騒。

 

俺は枕に深く頭を沈め、ゆっくりと目を閉じた。

眠れるかどうかは分からなかったが、ただ、明日になって朝の光が差し込めば、またいつもの日常が帰ってくることだけは分かっていた。

 

便利屋68のあのやかましいドタバタが、アルの愛すべき空回りが、ムツキの意地悪な笑い声が。

そして、あの少し低くてハスキーな、カヨコの涼しい声が。

それらすべてが津波のように押し寄せて、俺をまた、ただの「頼れる先生」という役割の中に引き戻して、匿ってくれるはずなのだ。

 

そうやって、俺はまた明日も、彼女たちの未来から目を背けて「先生」を演じる。

その結末を、世界の誰よりも鮮明に知ってしまっている自分自身が、一番きつかった。

 

机の上で裏返しに置かれたスマホが、通知ランプの青い点滅を、暗い天井に向かって繰り返していた。




次回からは、カヨコとの甘々な日常に戻ります!
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