ブルアカ転生〜カヨコのエロ同人描いてた俺が本人に惚れられるまで〜   作:どうたぬき

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第6話:ライブハウス

それは何でもない当番の日の出来事だった。

 

シャーレのオフィスで書類仕事をしている俺の前に、カヨコがすっと立った。パーカーのポケットから片手を抜いて、デスクの上に何かを置く。

 

二枚のチケット。

見た瞬間、俺の背筋が凍った。

 

『ヘル・インフェルノ』D.U.公演。

ラウド系、あるいはかなりドす黒いヘヴィ・ミュージックを好む連中にはお馴染みのバンド。キヴォトスに来てからハマったバンド。だが今はチケットの内容よりも、それを差し出してきた人間の方が問題だった。

 

「次の休み、先生のスケジュールが空いてるのは確認済み。……取材になるんじゃない?」

 

カヨコは感情の読めないいつもの涼しい顔で淡々と言った。

取材。俺の同人活動を知っているカヨコならではの完璧なエクスキューズ。

 

「あ、いや……」

 

俺は反射的にチケットから手を引いた。

 

(ダメだ。これは、ダメだ)

 

あの日のスカウター表示が、脳裏にフラッシュバックする。

 

【好感度:ERROR(測定不能・100オーバー)】

【区分:——恋慕 / 独占欲 / 執着(重度)】

 

あの情報を知っている状態で、カヨコと二人きりで夜のライブハウスに行く。それがどういう意味を持つか、大人なら分かる。分かるからこそ、先生として、ここは断らなきゃいけない。

 

「カヨコ、悪いけど——」

 

「売り切れてたやつ。再販の抽選、二口出して、二枚とも当たった」

 

断ろうとした俺の言葉をカヨコが静かに遮った。

遮ったというより、俺が「断る」と言い切る前に情報を一つ追加してきた。二口出した。つまり最初から二枚取るつもりだった。最初から俺を誘うつもりで応募していた。

 

「……でも、先生が忙しいなら、別にいいよ。一人でも行ける」

 

カヨコはそう言ってチケットに手を伸ばした。回収するつもりだ。

その手の動きは自然で、未練がましさの欠片もない。「断られても平気」という顔を完璧に作っている。

 

だけど、俺は知ってしまっている。

あの数字を見た後では、カヨコの「別にいいよ」が額面通りに受け取れない。平気な顔の裏にある数値を、俺は知っている。ここで断ったらカヨコは何事もなかったように一人でライブに行くだろう。そしてたぶん、もう二度と俺を誘わない。

 

カヨコの指先が、チケットの端に触れた。

 

「——行く」

 

俺の口が脳より先に動いていた。

 

「行くよ。ちょうどあいつらの新譜、全曲通しで聴きたかったし。……ありがとう、カヨコ」

 

何を言ってるんだ俺は。ついさっき「ダメだ」と思ったばかりだろう。先生としての自制はどこに行った。

 

カヨコの指が、チケットの端で止まっていた。

そしてゆっくりと手を引くと、小さく、本当に小さく、口角を上げた。

 

「……ん。じゃあ、当日。駅前で」

 

それだけ言って、カヨコはいつも通りの涼しい顔でソファに戻っていった。

 

俺はデスクの上に残された二枚のチケットを見つめながら、自分が今とんでもない一線を踏み越える約束をしてしまったことをじわじわと理解し始めていた。

 

(……断れなかった。いや、断ら「なかった」。俺は自分の意思で、この誘いに乗った)

 

先生としての自制が負けたのか。それとも、あの数字を知ってしまった男としての欲が勝ったのか。たぶん、両方だ。

 

チケットの日付まで、あと五日。

それまでに俺の理性が復旧する見込みは、限りなくゼロに近かった。

 

◇ ◇ ◇

 

ズゥゥゥゥン……ッ!!!

 

ライブハウスの重い扉を開けた瞬間、鼓膜を容赦なく叩き割るような超低音のベースと、心臓を直接掴んで揺さぶるドラムの風圧が全身を襲った。

暗がりの中、すでにもみくちゃになっている人間の熱気と、安っぽいビールの匂い、強烈な汗の匂いが混ざり合って充満している。ステージから放たれる原色のストロボ照明が激しく明滅して視界を狂わせた。

 

「先生、こっち……!」

 

カヨコの声が、爆音にかき消されそうになりながら耳元に届く。

差し出された彼女の手を、一瞬だけ迷って掴んだ。触れたカヨコの指先は驚くほど熱かった。

 

人混みの隙間を縫って、フロアの中程まで進む。

前方のステージからの音圧が全身を叩き、足元の床がビリビリと振動しているのが靴底越しに伝わってくる。

 

ジャーンッ!! と、地獄の底から響くようなディストーションギターの轟音。次の曲が始まった。

 

もう考えるのは無理だった。

余計な理屈も、好感度がどうだとかいう雑念も、スピーカーから放たれる圧倒的な音圧が全部まとめて吹き飛ばしていく。

 

俺もカヨコも、ただひたすらに、音の渦に身を委ねた。

重低音に合わせて激しく頭を振る。隣でカヨコも同じリズムで頭を振っている。この瞬間だけは、先生も生徒もない。俺たちはただの「音楽に飢えた狂信者」だ。

 

一曲目が終わる頃には、もう全身汗だくだった。

隣のカヨコも肩で息をしている。パーカーの襟元が汗で濡れて、白い鎖骨が覗いていた。目を逸らそうとして——逸らさなかった。今日は逸らさないと決めて来た。

 

二曲目のイントロが始まる直前、カヨコが俺の腕をトンと叩いた。

振り向くと、カヨコがスマホの画面をこちらに向けている。暗いフロアの中で、画面の光が彼女の顔を下から照らしていた。

 

画面には、一言だけ打たれていた。

 

『この曲好き』

 

シンプルすぎるテキスト。だが始まったばかりのイントロの最初の数小節だけで「好き」と断言するカヨコの、あの即断の感性が見えて、俺は思わず笑った。

 

スマホを取り出し、打ち返す。

 

『俺も。三枚目のアルバムで一番好きな曲』

 

カヨコの目が画面を読んで、小さく頷いた。

それだけだ。それだけのやり取りなのに、爆音の中で光る画面を見せ合うこの行為が、なんだかとんでもなく親密なことをしている気分にさせる。

周りの人間は全員ステージを見ている。俺たちだけが、お互いの手元の光を見ている。

 

曲が加速する。スマホをポケットに戻し、また音に溺れた。

 

ジャァァァァァ……ン……。

 

激しいフィードバックノイズの余韻を残して、轟音が不意に途切れた。

MCに入ったのだ。ボーカルが何か喋っているが、半分も聞き取れない。

 

フロアの人間が一斉に息を吐き出す。周囲にざわめきと熱い吐息だけが充満する。

耳の奥がキーンと鳴っている。

 

「……っ、ふぅ」

 

隣のカヨコが、ゆっくりと息をついた。

ストロボの明滅が止まり、ステージからの淡い青い照明だけがフロアをぼんやりと照らしている。

 

俺はふと横を見た。

 

カヨコの目が、半分閉じかけていた。

陶酔だ。さっきまでの曲の余韻にまだ浸っているらしい。いつもなら周囲を警戒するように尖らせている目つきも、便利屋のメンバーを気遣う大人の抑制も、全部外れ落ちている。

 

汗で濡れた黒髪が数本、頬と首筋に張り付いていた。その湿った肌が青い光を反射して、白く光って見える。首元を伝う汗の筋、その先にある小さなほくろ。

 

こんな顔をするのか、こいつ。

穴が開くほど見た資料の中にも、こんな表情のカヨコはどこにもなかった。何もかもを全部取っ払った剥き出しの顔。

 

カヨコの睫毛が震えて、ゆっくりと目が開いた。

凝視していた俺の視線と、まっすぐに重なる。

 

「……」

 

「……」

 

声は出さなかった。出す必要がなかった。

カヨコは濡れた唇をほんの少しだけ緩めて、何でもないように笑った。あ、見てたんだ、という顔。

 

俺がスマホを取り出した。カヨコもポケットに手を入れた。

 

『今の曲やばかった。ギターソロの後半で拍子変わるところ』

 

送信。カヨコの画面が光る。読んで、指が動く。返信。

 

『分かる。あそこで一回リズム崩してから戻すのライブだと音源の三倍くらい重い』

 

俺は画面を読みながら、声を出さずに笑った。

「音源の三倍くらい重い」。分かる。めちゃくちゃ分かる。この感覚を共有できる人間が、今隣にいる。

 

もう一通打つ。

 

『ヘドバンのフォーム良くなっただろ』

 

送信してから、自分で何を書いたのか理解した。あの深夜のシャーレで「もっと腰から振れ」とダメ出しをされた夜のことを、わざわざ自分から持ち出してしまった。

 

カヨコの画面が光る。数秒の間。長い。

 

返信が来た。

 

『教えたからね』

 

一行。たった一行。なのに、暗いフロアの中で光るその文字が、俺の胸の奥をじわりと温めた。

 

MCが終わる。ボーカルがカウントを叫ぶ。

俺たちは同時にスマホをポケットに戻した。次の曲が、来る。

 

ズガガガガガガガガガッッッ!!!!

 

今日一番の凶暴なイントロが炸裂した。バンドのマスターピース。フロアの温度が一気に跳ね上がる。

 

前方も後方も関係ない。人間の巨大な肉の波が前後左右から押し寄せてきた。モッシュだ。

 

「っ……!」

 

人の壁に押されて、カヨコの身体がぐらりとバランスを崩す。

俺の身体は反射で一歩前に出ていた。押し寄せる人波とカヨコの間に、自分の背中を割り込ませる。

 

ここまでは、ただの反射だ。先生として、男として、目の前の人間が潰されそうなら庇う。それだけの話。

 

問題は、その次だった。

 

カヨコの両手が、俺の腕を掴んだ。

強い力だった。離されまいとするような、はっきりとした意志のある掴み方。そしてカヨコは、人波から逃れようとするのではなく、その細い身体を俺の胸の方へと預けてきた。

 

パーカー越しに伝わる、柔らかい圧。カヨコの胸が俺の胸板に押し当てられている。

 

(——公式の3Dモデルより柔ら——いや今それを計測するな俺の脳!!)

 

……

 

わざとだよな。

 

モッシュの混乱のどさくさに紛れて、カヨコは意図的に俺にしがみついている。

 

ここだ。ここが分岐点だ。

 

庇ったまま腕一本分の距離を維持して、モッシュが収まるのを待てばいい。それが先生としての正解だ。物理的に庇ったことの延長で、距離はすぐに元に戻る。何も起きなかったことにできる。

 

カヨコの掴む力が少しだけ強くなった。

 

その数ニュートンの差が、俺の頭の中にあった「正解」を、粉々に砕いた。

 

右腕が動いた。カヨコの細い腰の後ろに回る。

反射じゃない。俺は今、自分の意思で、この腕を回している。

 

抱きすくめた。

 

カヨコの身体の熱が、パーカー越しに全部伝わってくる。心臓の音が聞こえる。俺のか、カヨコのか、爆音のせいで分からない。たぶん両方だ。

 

ストロボが白く明滅する。人波が背中を何度も叩く。

カヨコは逃げなかった。俺も離さなかった。

 

カヨコが背伸びをするようにして、俺の耳元に顔を寄せた。何か言っている。だが、数万ワットの爆音の前では、声は一文字も届かない。

 

聞こえなかった。ただ、動いたカヨコの唇が、耳たぶに触れた。唇の熱だけが、音の代わりに伝わってきた。

 

聞こえなくてよかった、と思った。

今あの言葉を聞いてしまったら、俺はたぶん、もう先生には戻れない。

 

曲が終わるまで、どのくらいの時間があったのか分からない。

俺たちはお互いを掴んだまま、爆音の中にいた。

 

◇ ◇ ◇

 

アンコールの余韻が引いて客電が灯った。

明るくなったフロアから這い出るようにして外へ出ると、路地裏の空気は驚くほど冷たかった。汗をたっぷり吸ったシャツが夜風に冷やされて身体に貼りつく。

 

「……ッ、……」

 

カヨコが何かを呟いたが、耳の奥で鳴り続ける「キーン」のせいで聞き取れなかった。

カヨコも同じらしく、自分の耳を小さく叩いて眉をひそめている。

 

「耳、鳴ってて聞こえない!」

 

俺が大きめの声で言うと、カヨコは頷いて自然に俺の耳元まで顔を寄せてきた。

 

「……楽しかったねって、言ったの」

 

囁くような小さな声。なのに、鼓膜のすぐ近くで発せられたその吐息混じりの一言は、さっきの爆音よりも鮮明に、脳の芯まで届いた。

 

「……うん。最高だった」

 

俺もカヨコの耳元に口を寄せて、同じように囁き返す。

さっきモッシュの中で腰を抱き合っていた距離からすれば、これでも十分に離れているはずだ。なのに、お互いの吐息が届くこの距離は日常の基準からすれば近すぎた。

 

分かっていて二人とも離れなかった。

 

駅までの帰り道。言葉は少なかった。耳鳴りがまだ残っていて、普通の声量では会話が成立しないから自然と沈黙が続く。

時折、歩くリズムが合った拍子に腕と腕が触れた。触れるたびに、どちらからともなく少しだけ距離を戻す。でも、歩いているうちにまた近づく。

 

駅の改札が見えた時、カヨコがスマホを取り出した。

画面を打って、俺に見せてくる。

 

『今日のこと、みんなには内緒で』

 

俺は画面を見て、少しだけ笑ってしまった。

 

(……二次創作だったら、ここでキスして終わるんだろうな。でも俺は今、作者じゃなくて登場人物なんだよな……)

 

スマホを取り出して、打ち返す。

 

『了解。先生としての威厳を守るためにも』

 

カヨコは画面を読んで、フッと鼻で笑った。そしてスマホをポケットにしまい、小さく手を振って、改札の向こうに消えていった。

 

俺はしばらくその場に立ったまま、自分のスマホの画面を見つめていた。

カヨコとのやり取りの履歴。ライブ中の筆談。

 

全部、残っている。文字として、記録として。消さない限り消えない。

 

(……内緒、か)

 

俺とカヨコだけの、誰にも言わない夜。

それが何を意味するのか、大人である俺は分かっている。分かった上で、今日この場にいた。

 

改札を通りながら、ポケットの中でスマホを握りしめた。履歴を消す気は、一ミリもなかった。

 

◇ ◇ ◇

 

翌日。シャーレのオフィス。

 

「でさー! その『ヘル・インフェルノ』、カヨコちゃんも好きだったよねぇ? キヴォトス公演、行ったの?」

 

ムツキがいつものように、ソファでコーヒーを飲んでいるカヨコにダル絡みしている。

何気ない会話。だが、俺の手元のペンが一瞬止まった。

 

「……行ったよ」

 

カヨコは手元の本から目を離さず、淡々と答えた。

 

「へぇ〜? 誰と行ったの? まさか一人で寂しくヘドバンしてたわけじゃなーいよね?」

 

ムツキの視線が、意地悪に光る。

オフィスの空気が、ほんの一瞬だけ張り詰めた。

 

「……一人で行った」

 

カヨコはページをめくる手を止めないまま、そう言った。

 

嘘だ。

俺は知っている。カヨコも知っている。

 

「ふーん。一人でねぇ。……ところで先生、先生は昨日何してたの?」

 

ムツキの視線が、こっちに飛んできた。

笑顔の形をした、獣の目だ。全部察した上で聞いている。

 

「俺? 昨日は……部屋で資料整理してたかな。特に何も」

 

「へぇ〜。そっかぁ〜」

 

ムツキは満面の笑みで、それ以上は何も言わなかった。

言わなかったが、俺とカヨコの間を往復したあの視線が「全部知ってますよ」と雄弁に語っていた。

 

オフィスの奥では、ハルカのやらかしでアルが頭を抱えている。

いつもの便利屋68の騒がしい日常。

 

その喧騒の中で、カヨコがコーヒーカップに口をつけた。

本を読むふりをしているが、ページが進んでいないのが俺の位置からは見える。

 

そしてカヨコの視線が、一瞬だけ本の上端からこちらを見た。

 

目が合った。コンマ数秒。

 

カヨコはすぐに視線を本に戻したが、その白い首筋が、ほんのりと赤く染まっていた。

 

俺はペンを動かす手に力を込めて、書類に視線を固定した。

口元が緩みそうになるのを、必死に押さえ込んだ。

 

昨夜の秘密はスマホの履歴の中にある。消していない。たぶん、カヨコも消していない。

 

いつもの日常は何も変わっていない。

ただ、その日常の中に、俺とカヨコだけが知っている「もう一つの層」が、静かに、確実に重なり始めていた。

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