ブルアカ転生〜カヨコのエロ同人描いてた俺が本人に惚れられるまで〜 作:どうたぬき
便利屋68に舞い込んできた案件は、珍しくスケールが大きかった。
ゲヘナ自治区の裏社会で影響力を持つ複数の組織が一堂に会する、半年に一度の立食パーティー。表向きは「親睦会」、実態は勢力図の確認と情報交換の場。アルが「完璧なるアウトローの社交デビュー」と鼻息を荒くして飛びついた案件だが、実際のところ便利屋に求められていたのは、パーティーの最中に行われるはずの裏取引の証拠を確保するという、地味で繊細な潜入仕事だった。
で、なぜ俺がここにいるかというと。
「先生には『シャーレの外交官』って肩書きで入ってもらうわ。大人の人が一人いた方が、カバーとして自然でしょ?」
アルの采配により俺は便利屋の「保護者役」としてこの場にいる。正装はシャーレの経費で仕立てた黒のスリーピース。着慣れないベストの窮屈さに首元を緩めたい衝動と戦いながら、立食のテーブルが並ぶ広間の隅で、グラスを片手にフロアを見渡していた。
アルとムツキは別動で証拠確保に動いている。ハルカは非常口付近で待機。
カヨコは、フロアの中央付近にいた。
いつもの黒パーカーの代わりに彼女が纏っているのは、ダークネイビーのカクテルドレス。膝上の丈、背中が大きく開いたデザイン。華美ではない。だがその抑制されたデザインが、逆にカヨコの身体の線、鎖骨から肩甲骨へ流れるラインの鋭さ、腰のくびれの深さを際立たせている。
俺はグラスのスパークリングウォーターを一口含んだ。炭酸が喉の奥で弾ける。
(……肩甲骨のラインが公式イラストより鋭い。背中の開きから見える脊椎のS字を採寸したい。今すぐスケッチブックを……)
いや、やめろ。ここはパーティーだ
着こなしが完璧すぎる。かつて何度も着せられてきた人間の、身体に染みついた所作としての完璧さ。
フロアを歩くカヨコの足運びには一切の無駄がなかった。ヒールの接地音がほぼ聞こえない。すれ違う組織の幹部連中が声をかけてきても、グラスを持つ手の角度一つ変えずに、最小限の微笑と頷きだけで流していく。会話を引き延ばさせない間合いの取り方。相手に「話が終わった」と気づかせないまま自然に距離を作る足の運び。
俺はそれをフロアの隅からずっと見ていた。
あれは社交術だ。生まれつきの才能なんかじゃない。何年も、何年もかけて叩き込まれた、あるいは叩き込まれるしかなかった、反復の結果が、今、カヨコの身体を動かしている。
便利屋の事務所でソファに沈み込み、音楽雑誌をめくりながらアルの暴走にため息をつく、あのカヨコ。あの「力の抜けた」カヨコこそが、この完璧な所作から逃げ出した先で掴み取った姿なのだとしたら。
今のカヨコは、過去の自分を「使って」いる。
その認識が胸の奥を冷たく掴んだ瞬間、カヨコがふとこちらを見た。フロア越しに目が合う。
俺は迷わずグラスを軽く持ち上げてみせた。
「似合ってるよ」
声は届かない距離だ。だが口の動きで伝わったらしい。カヨコは一瞬だけ、本当に一瞬だけ目を細めた。
立食パーティーの良いところは動けることだ。
俺はテーブルの間を縫うようにゆっくりと移動し、カヨコの近くまで歩いた。彼女はちょうど、ある組織の幹部との会話を終えたところで、テーブルの端で新しいドリンクを取ろうとしていた。
「お疲れ。順調?」
小声で案件の進捗を確認するふりで話しかける。
「……まあまあ。アルがあっちで派手にやってるから、こっちに目が向いてない。予定通り」
カヨコは淡々と答えながら、グラスを口に運んだ。白ワイン。唇がグラスの縁に触れる角度が妙に様になっていて、それがまた「身体に染みついた所作」の一つだと気づくと、俺の胸がチクリと痛んだ。
「カヨコ」
「ん?」
「さっきの幹部との会話の時。……すごかったな、あの間合いの取り方。プロの外交官みたいだった」
カヨコの手が、ほんの一瞬だけ止まった。グラスを持つ指の力が微かに変わったのを、俺は見逃さなかった。
「……別に。こういう場は、昔から慣れてるだけ」
「うん。慣れてるんだと思う。慣れすぎてるくらいに」
俺はカヨコの横に並び、同じテーブルの料理に視線を落とした。目線は合わせない。横並びの方が、こういう話はしやすい。
「嫌じゃないか? こういうの」
カヨコは答えなかった。フロアのBGMと雑踏のざわめきが、沈黙を埋める。
「……仕事だから」
それだけだった。感情を排した、事実の確認だけの声。
だが俺には見えた。カヨコのグラスを持っていない方の手が、ドレスの脇の布地を、人差し指と中指で小さく摘まんでいたことを。布地を摘まんで、離して、また摘まむ。無意識の反復動作。便利屋の事務所にいる時には絶対に出ない種類の微細な所作。
「……仕事が終わったら、少し抜けないか。息、詰まるだろ」
「……先生が、息詰まってるんじゃないの」
「まあ、それもある」
カヨコはフッと鼻で笑った。いつもの少し気怠い、力の抜けた笑い方。
「……じゃあ、証拠の回収が終わったら。ムツキに合図もらったあと」
「了解。場所は——」
「非常階段。あっちの廊下の奥。人、来ないから」
カヨコはそれだけ言うと、新しいグラスを手に、またフロアの中へと歩いていった。その背中は再び完璧な社交の鎧を纏い直している。
俺はテーブルの上のカナッペを一つ摘まみ、口に放り込んだ。味がしない。
ポケットの中で、左手の拳が無意識に握られていた。あのライブハウスの夜に、カヨコの腰を抱いた時の筋肉の記憶が勝手に再生されている。今のカヨコ、あの完璧な所作の中に閉じ込められている彼女を見ていると、また抱きしめたくなる。引きずり出したくなる。
その衝動が「先生」としてのものなのか、それとも一人の男としてのものなのか。
分からない。分からないまま、俺はフロアの喧騒の中でムツキからの合図を待った。
◇ ◇ ◇
スマホに「おわったよ〜」のメッセージが入ったのは、パーティー開始から約一時間半後だった。
俺はさりげなくフロアを離れ、メインエリアから外れた廊下を歩いた。BGMと喧騒が遠ざかっていく。照明がオレンジ色の常夜灯に変わり、空気の温度が下がる。
非常階段の扉を開けると、コンクリートの冷気が顔を叩いた。
階段の踊り場にカヨコがいた。
壁に背を預けて立っている。ヒールは脱いで、裸足の足先が冷たいコンクリートの上にある。左手にはヒールを二つ、ストラップを束ねてぶら下げていた。
俺はジャケットのボタンを外しながら階段を下りた。何も言わず、ジャケットを脱いで踊り場の段差の上に敷いた。
「座れよ。ドレス、汚れる」
「……ん」
カヨコは小さく頷いて、俺のジャケットの上に腰を下ろした。ドレスの裾を軽く押さえて、両脚を前に投げ出す。裸足の指先が薄暗い常夜灯の光の中で白く光っていた。
「俺はその隣、剥き出しのコンクリートの段差にそのまま腰を下ろした。スラックスの尻が冷たい。どうでもいい。
しばらく何も言わなかった。非常階段は密閉されていて、フロアの音はほとんど届かない。聞こえるのは二人の呼吸と、どこかの配管が微かに軋む音だけ。
「……お疲れ」
「先生も」
カヨコの声はフロアにいた時とは明らかに違っていた。角が全部取れて、低く、少し掠れている。便利屋の事務所でソファに沈み込んでいる時の、あの声。
「なあ、カヨコ」
「なに」
「さっきのお前、すごかったけど……見てて、ちょっとしんどかった」
カヨコはすぐには答えなかった。裸足の足先が小さく動いて、コンクリートの表面を撫でた。
「……しんどかった、って。先生が?」
「うん。お前が、あの場所に合わせてるのが分かるから」
「……」
「昔、ああいう場所に合わせなきゃいけなかった時間が、お前にはあったんだろ」
言ってから、踏み込みすぎたかと思った。だがカヨコは怒りも拒絶もしなかった。ただ、壁に預けていた後頭部を少しだけ浮かして、天井を見上げた。
「……まあ、ね」
それだけだった。それ以上は聞かない。聞く必要がない。
「今日、帰ったらパーカーに着替えろよ」
「……言われなくても」
カヨコはフッと笑った。力の抜けた、いつもの笑い。さっきまでフロアに立っていた「完璧な女」の残り香が、少しずつ剥がれていくのが分かった。
沈黙が戻る。だが、さっきまでの沈黙とは質が違う。二人とも力を抜いている。非常階段の冷たい空気の中で、隣にいるだけの時間。
そしてカヨコが、不意に動いた。
「先生」
カヨコの声のトーンが変わった。低いまま、だが芯に何かが通った。
「手、出して。左手」
「……左手?」
俺は言われるまま、左手を差し出した。手のひらを上に向ける。カヨコの視線がそこに落ちる。
カヨコは自分の首元に手をやった。ドレスの襟ぐりの内側に、細いチェーンが隠されていた。指先でそれを引き出す。チェーンの先端に、小さなリングがぶら下がっていた。シルバーではない。黒みがかった、鉄に近い色の金属。装飾は一切ない。ただの輪。
カヨコはチェーンからリングを外し、俺の左手を両手で包み込んだ。
彼女の手は冷えていた。非常階段の冷気で。だが、指先の力は揺るぎなく、正確だった。震えは一切ない。
カヨコは俺の左手の中指を軽く持ち上げ、そこにリングを宛がった。
「カヨコ、これ——」
「黙って」
静かに、だが有無を言わせない声で制された。
カヨコの目が俺の指に固定されている。彼女は第一関節のところでリングを止めたまま、一瞬だけ動きを止めた。それは躊躇ではなかった。確認だ。自分がこれからやることの意味を、最後にもう一度確認している目だった。
そして、押し込んだ。
金属がゆっくりと俺の指を締め付けていく。第一関節を超え、第二関節を超え、指の根元に落ち着くまでの数秒間。カヨコの指が俺の指を包み、リングが皮膚を滑っていく感触が、やたらと鮮明だった。
きつい。サイズはギリギリだ。女の指につけるためのリングを、男の中指に押し込んでいるのだから当然だ。だが入った。骨の上を金属が越えた瞬間、指の根元にカチリと嵌まった感触があった。
カヨコはそこで初めて、俺の手から視線を上げた。
彼女の目は、凪いでいた。冷たくも熱くもない。ただ「やった」という事実だけが、その瞳の中に静かに横たわっていた。
「……何、これ」
俺の声は掠れていた。
「契約」
カヨコは言った。一言。それだけ。
「契約って——」
「外さないで」
質問を遮る声は、命令の形をしていた。だがその底に、命令とは違う何かが滲んでいるのを俺は聞いた。
カヨコの手がまだ俺の手を包んでいる。手を離さない。リングを嵌め終わったのに離さない。指の腹でリングの表面を撫でている。自分が嵌めたものを確認するように。嵌まっていることを確認するように。
「カヨコ」
「何」
「……これ、外したらどうなるんだ」
聞いてはいけない質問だと分かっていた。だが聞かなければならなかった。
カヨコは答えなかった。代わりに、俺の中指をリングごと、ぎゅっと握った。強く。骨が軋むほどではないが明確な力で。
「外さないで」
同じ言葉を、もう一度。
二回目の「外さないで」は、一回目と同じ音なのに、全く違うものとして俺の耳に届いた。
一回目は命令だった。二回目は祈りだった。
俺の胸を貫いたのは甘さではない。鋭い、冷たい何かだった。
この女は今、俺を縛りに来ている。自分の意志で、俺の指に鎖をかけに来ている。そしてその鎖は同時にカヨコ自身をも、俺に繋いでいる。彼女が手を離した瞬間に切れるような脆い糸ではなく、金属の、物理的な重さを持った環。
かつて誰かに嵌められた「型」から逃げ出したこの女が、今度は自分の手で、自分の選んだ相手に枷をかけている。
それは愛なのか。支配なのか。
分からない。
分からないが俺の左手は、カヨコの手を振り払わなかった。
カヨコの手が離れた。
名残惜しそうに、とは違う。何かを確認し終えたかのように、ゆっくりと指がほどけていった。最後に俺の中指の先端を、カヨコの指先がすっと撫でて、離れた。
俺は自分の左手を見下ろした。中指の根元に、黒い金属の輪がある。きつい。指を曲げるたびに存在を主張してくる。外そうと思えば……いや。今この瞬間、「外そうと思えば」という仮定が頭に浮かんだこと自体が、もう答えだった。
浮かんだ上で、手が動かない。外す気がない。
「……アルに、何か言われたんでしょ」
カヨコが壁に背を預けたまま、こちらを見ずに言った。
「居場所がどうとか。私のこと壊すなとか」
「……ああ」
「で、先生はそれを聞いて、怖くなった」
「……ああ」
「私に触れたら、私の居場所を壊すかもしれない。だから自分から距離を取ろうとしてた」
返事の代わりに、俺は黙った。黙ったことが肯定だと、カヨコは分かっている。
「……先生」
カヨコがようやくこちらに顔を向けた。常夜灯のオレンジの光が、彼女の瞳の中で揺れている。
「それ、ずるい」
「……え?」
「先生が勝手に怖がって、勝手に離れるの。私が選ぶ前に。……それ、一番ずるい」
声は低い。怒っているのではない。だが、強い。有無を言わせない強さ。
「私の居場所は、私が決める。先生が壊すかどうかも、私が判断する。先生が先に逃げる権利なんかない」
俺は息を呑んだ。
「だから、嵌めた」
カヨコの視線が、俺の左手に落ちる。
「先生が勝手に逃げないように。……私が、繋いだ」
繋いだ、と彼女は言った。
縛った、ではない。繋いだ。
だがその差は、果たして本当にあるのか。繋ぐことと縛ることの境界線は、この薄暗い踊り場のどこにある。カヨコ自身、その区別がついているのかいないのか、彼女の目を見ていても、俺には判別できなかった。
できなかったが。
俺の左手の中指はリングの圧迫感を感じ続けている。きつい。骨に当たる。だが、痛くはない。
今、俺がされていることは……何だ?
縛られている。自分の意志で選んだ相手に枷をかけられている。そしてそれを振り払う気が起きない自分がいる。むしろ指の根元の金属の重さが不思議と、落ち着く。
「……俺さ」
声が出た。自分でも意外なほど、静かな声だった。
「お前に縛られてるって分かった上で、外さないって思ってる」
カヨコの目が、わずかに見開かれた。
「怖いよ。お前の居場所を壊すかもしれないって、まだ思ってる。アルに言われたことも全部、頭に残ってる。何も解決してない」
俺は自分の左手を見た。黒い金属の輪。きつく、重く、確実にそこにある。
「でも、お前がこれを俺に嵌めたんなら、お前が決めたんなら、俺が勝手に外す権利は、ない。それは分かった」
カヨコは何も言わなかった。
ただ、彼女の裸足の足先が、さっきまで小さく動いていたそれが、ぴたりと止まっていた。
長い沈黙。
「……先生」
「うん」
「今の、ちゃんと覚えとく」
それだけ言ってカヨコは壁から背を離し、脱いでいたヒールに足を入れた。ストラップを留める指先は相変わらず正確で、揺らぎがなかった。
「帰ろ。ムツキに嗅ぎ回られる前に」
「……ああ」
俺はジャケットを段差から拾い上げ、埃を払った。カヨコの体温と、微かな香水の残り香が裏地に移っている。
非常階段の扉を開ける。廊下のBGMが流れ込んでくる。光が戻ってくる。
日常の側に戻る。
左手の中指のリングが、シャツの袖口に触れるたびに小さく引っかかる。その引っかかりが歩くたびに、確実に俺に存在を伝え続けている。
外さない。外せないのではなく、外さない。
その差の意味を、俺はこれから長い時間をかけて知ることになるのだと思った。