平民男子、最強精霊に懐かれ令嬢だらけの魔法学校に入学する   作:ワタリ3@ぼちぼち浮上

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第一章 イギー村編
プロローグ 手の届かない光


プロローグ 手の届かない光

 

 その日、アレンは、父親に向かって言ってはいけない言葉を吐いた。

 

「うるせぇな! 俺のことなんか放っとけよ!」

 

 麦の匂いが染みついた家だった。

 

 壁には使い込まれた農具が立てかけられ、窓の外には夕日に染まる麦畑が広がっている。家の中には、いつもと同じ夕飯の匂いが漂っていた。

 

 豆と肉の煮込み。

 

 焼いたパン。

 

 母が台所で動く音。

 

 父が椅子に腰を下ろし、畑仕事で硬くなった手を組んでいる姿。

 

 どれも、アレンにとっては当たり前の光景だった。

 

 その当たり前の中で、父の顔が強張った。

 

 母が息を呑む。

 夕飯の支度をしていた手が止まり、鍋の中で煮込まれていた豆と肉だけが、ことことと間抜けな音を立てていた。

 

「アレン」

 

 父の声は低かった。

 怒鳴られる、と思った。

 いつものように拳骨が飛んでくるかもしれない、とも思った。

 

 けれど父は、ただ眉間に深い皺を寄せて、アレンを見ていた。

 

 その目が、余計に腹立たしかった。

 

 心配そうで。

 

 呆れたようで。

 

 それでも、どこか悲しそうだったから。

 

「もう十二だぞ! 子供扱いすんな!」

 

「子供扱いしてるんじゃない。夜の見回りに一人で出ようとするなと言ってるんだ」

 

「村の外れくらい平気だって!」

 

「平気かどうかを決めるのは、お前じゃない」

 

 その言い方が、気に入らなかった。

 いつもそうだ。

 大人は勝手に決める。

 

 危ない。

 

 まだ早い。

 

 お前には無理。

 麦を刈るのも、槍を持つのも、夜道を歩くのも。

 何もかも、まだ早い。

 

 子供だから。

 

 守られる側だから。

 

 それが、どうしようもなく悔しかった。

 アレンは、自分が弱いことを知っていた。

 

 父より力がない。

 

 村の若者たちより背も低い。

 

 槍を振っても、まだ大人のようには扱えない。

 

 けれど、それを認めたくなかった。

 認めてしまえば、本当に自分は何もできない子供になってしまう気がした。

 

「じゃあ勝手にしろよ!」

 

 アレンは椅子を蹴るように立ち上がった。

 

「俺なんかいなくても、父さんたちは困らねぇだろ!」

 

「アレン!」

 

 母の声が追いかけてきた。

 けれどアレンは振り返らなかった。

 扉を乱暴に開け、外へ飛び出す。

 背後で父が何かを言った気がした。

 母が名前を呼んだ気がした。

 

 ――でも、聞こえないふりをした。

 

 聞いてしまったら、足が止まると思ったからだ。

 夕暮れのレグロス村は、いつも通りだった。

 

 麦畑が黄金色に揺れている。

 

 遠くの柵では、村の男たちが家畜を小屋へ戻している。

 

 井戸端では、女たちが洗い物を片付けながら笑い合っている。

 

 子供たちは日が沈むぎりぎりまで走り回り、年寄りたちは軒先で腰を下ろして、今日の空模様や明日の畑仕事について話していた。

 

 何も変わらないレグロスの村。

 

 退屈で、狭くて、うるさくて。

 

 でも、アレンの全部だった場所。

 

「……くそ」

 

 村の外れまで来て、アレンは足元の石を蹴った。

 石は乾いた道を転がり、畑の溝に落ちた。

 胸の中で、怒りがまだ燻っている。

 けれど歩けば歩くほど、その火は小さくなっていった。

 代わりに、別のものがじわじわと膨らんでくる。

 

 言いすぎた。

 

 母さん、変な顔してた。

 父さんも、怒ってるっていうより……。

 

「……いや、でも父さんが悪いだろ」

 

 誰に聞かせるでもなく呟く。

 けれどその言葉は、夕暮れの風に吹かれて、やけに頼りなく消えた。

 

 父が厳しいのは知っている。

 

 母が心配性なのも知っている。

 

 そして二人とも、アレンを嫌って言っているわけではないことも、本当は知っていた。

 

 十二歳のアレンには、それが一番腹立たしかった。

 

 悪意がない。

 だから余計に、反抗する自分だけが小さく見える。

 

「っち……謝るか」

 

 しばらく歩いたあと、アレンは立ち止まった。

 空は赤く染まり、雲の端が燃えるように輝いている。

 夕飯までには戻れる。

 

 母さんに謝って。

 

 父さんにも、まあ、ちょっとだけ頭を下げて。

 

 それから飯を食って、明日の朝になれば、きっといつも通りだ。

 

 そう思った。

 思ってしまった。

 

 その瞬間。

 

 ――空が、鳴いた。

 

「……は?」

 

 風の音ではなかった。

 

 鳥の羽ばたきでもなかった。

 

 もっと重く、もっと硬く、もっと不快な音。

 鉄の塊が空を裂き、空気そのものを押し潰すような轟音。

 

 アレンは反射的に顔を上げた。

 

 ――赤い夕焼けの中を、巨大な影が通過した。

 

 それは鳥ではない。

 

 竜でもない。

 

 いや、形だけなら竜に似ている。

 

 鋼鉄でできた翼。

 

 歪んだ獣の頭部。

 

 腹の奥で赤黒く脈打つ光。

 尾の先には刃のような部品が連なり、翼の付け根からは黒煙が噴き出している。

 夕陽を背負ったその姿は、まるで空から落ちてきた悪夢だった。

 

「ドラ……ゴン……?」

 

 ――悪魔兵器。

 

 アレンも名前だけは知っていた。

 王都付近で暴れている、悪魔の力を宿した機械の怪物だ。

 

 魔法が使える女性――『ウィッチ』が戦うもの。

 

 物語や新聞の中で語られるもの。

 レグロス村のような田舎には、関係のないもの。

 そう思っていた。

 

 巨大な影は、レグロス村の方角へ向かっていた。

 次の瞬間、遠くで赤い光が弾けた。

 遅れて、轟音。

 

 地面が揺れた。

 

「……っ!」

 

 アレンは走り出していた。

 

 謝ろうとか。

 

 怒られるとか。

 

 そんなものは全部、頭から吹き飛んでいた。

 

 息が喉に刺さる。

 

 足がもつれる。

 

 それでも走った。

 

 村へ。

 

 家へ。

 

 父と母のいる場所へ。

 

 坂を越えた瞬間、アレンは足を止めた。

 

 ――レグロス村が燃えていた。

 

 麦畑が。

 家畜小屋が。

 井戸端が。

 いつも子供たちが遊んでいた広場が。

 

 全部、赤い炎に呑まれていた。

 

 悲鳴が聞こえる。

 怒号が聞こえる。

 木が爆ぜる音が聞こえる。

 

 空ではドラゴン型悪魔兵器が旋回し、口腔の奥に赤黒い光を溜めていた。

 その光が放たれるたびに、家が一つ、二つと吹き飛んだ。

 

「父さん……?」

 

 声が震えた。

 自分の声とは思えなかった。

 

「父さん! 母さん!」

 

 駆け出した。

 誰かが止めようと叫んだ。

 でも止まれなかった。

 

 燃える柵を飛び越え、煙を吸って咳き込みながら、自分の家へ向かう。

 

 そこにあるはずだった。

 

 朝、母が干していた布。

 

 父が修理途中だった農具。

 

 アレンが蹴ったままの椅子。

 

 夕飯の匂い。

 

 全部、そこにあるはずだった。

 

 ――だが、家は燃えていた。

 

 屋根は崩れ、窓から炎が噴き出している。

 家の入口は黒く焼け焦げ、内側から熱風が吹きつけてきた。

 

「母さん!」

 

 熱い。

 熱で家に近づけない。

 何か焦げるような匂いがした。

 それでもアレンは行こうとした。

 

「母さん! 父さん! いるんだろ!? なあ! 返事しろよ!」

 

 返事はない。

 炎の音だけが聞こえる。

 

 手が火傷する。

 

 それでも呼び続ける。

 

 声に反応するように家の奥で何かが崩れる。

 

 梁だ。

 

 燃えた梁が落ち、火の粉が舞う。

 アレンはその場に膝をついた。

 

「嘘だろ……」

 

 喧嘩したままだ。

 謝っていない。

 夕飯も食べていない。

 母さんの顔も見ていない。

 父さんの話も聞いていない。

 

 まだ、何も終わっていない。

 

 なのに。

 

「嘘だろぉぉぉぉっ!」

 

 叫んだ。

 叫んでも、炎は消えなかった。

 叫んでも、誰も返事をしなかった。

 

 その声に、空の怪物が気づいた。

 

 重い羽音が近づく。

 アレンは涙で滲む視界の中、ゆっくりと顔を上げた。

 機械仕掛けのドラゴンが降下してくる。

 

 鋼鉄の顎が開く。

 

 赤黒い光が、その喉奥に集まっていく。

 

 アレンは立ち上がった。

 

 逃げなければ。

 

 そう思った。

 けれど足が動かない。

 

 腰が抜けていた。

 

「……あ」

 

 死ぬ。

 そう理解した。

 怖かった。

 とても怖かった。

 けれどその恐怖の奥に、別の感情があった。

 

 これで父さんと母さんのところへ行けるのかもしれない。

 

 そこで謝れる。

 

 そんな、十二歳の子供にはあまりにも重い諦め。

 ドラゴン型の口から、灼熱の光が放たれようとした。

 

 ――その時。

 

 花が咲いた。

 炎の中で。

 焼け落ちた村の中心で。

 大地を割るように、緑の茨が噴き上がった。

 それは一瞬で空へ伸び、ドラゴン型の翼に絡みつく。

 さらに首へ。

 

 胴へ。

 

 脚へ。

 

 尾へ。

 

 鋼鉄の怪物を、無数の茨が縛り上げた。

 ドラゴン型が咆哮する。

 金属の翼が暴れ、茨を引き千切ろうとする。

 だが茨は切れても切れても伸び、絡み、食い込んだ。

 

「一手、《茨鎖》」

 

 凛とした声が、炎の音を裂いた。

 アレンは振り向いた。

 そこに、一人のウィッチが立っていた。

 

 赤い軍服。

 

 黒いレザーパンツ。

 

 短く切られた赤い髪。

 

 炎を背にしてなお、炎よりも強く見える女。

 

 エヴァリーナ・ウィ・ベータシィア。

 

 ベータシィア王国第一王女。

 

 そして――王国最強のウィッチ

 

 アレンはその名前を知っていた。

 新聞で見たことがある。

 村の大人たちが噂していた。

 子供たちが木の棒を振り回しながら、彼女の真似をして遊んでいた。

 

 でも、本物は違った。

 

 絵や噂で聞く英雄ではなかった。

 そこに立っているだけで、空気が変わる。

 燃え盛る村も。

 泣き叫ぶ人々も。

 鋼鉄の竜でさえも。

 

 彼女の前では、ただの戦場の一部に見えた。

 

「生存者を後方へ。動ける者は負傷者を運びなさい」

 

 エヴァリーナはアレンを一瞥した。

 その目に、怒りはなかった。

 同情もなかった。

 ただ、戦場を見る者の冷静さがあった。

 

「少年。伏せていなさい」

 

 アレンは何も言えなかった。

 エヴァリーナが右手に持つ真紅の短杖《ワンド》を上げる。

 その指先に、赤い魔力が集まった。

 薔薇の花弁が舞う。

 炎の中でなお鮮やかな、血のように赤い花弁。

 それらは一つに束なり、槍となった。

 

「二手……」

 

 エヴァリーナの声は静かだった。

 

「《薔薇の槍》」

 

 赤い槍が放たれた。

 速すぎて、アレンの目では追えなかった。

 次の瞬間、ドラゴン型の胸部装甲が弾け飛んだ。

 金属片が雨のように降る。

 悪魔兵器が苦悶の咆哮を上げた。

 剥き出しになった胸の奥で、赤黒い球体が脈打っている。

 

『デモンコア』

 

 悪魔兵器の心臓。

 村を焼いた怪物の中心。

 エヴァリーナは一歩も退かない。

 茨に縛られながらも、ドラゴン型はなお暴れる。

 翼が軋み、尾が地面を叩き、再び赤黒い光を口に溜める。

 

 それでも彼女は怯まない。

 

 まるで最初から勝敗など決まっているかのように。

 エヴァリーナの周囲に、光が満ちた。

 

 赤ではない。

 

 緑でもない。

 

 黄金。

 

 夕陽よりも眩しく、炎よりも清く、大地の底から太陽そのものを引き上げたような光。

 花弁が舞う。

 薔薇ではない。

 名も知らぬ大輪の花。

 

 それは太陽を抱く花だった。

 

 アレンは息を忘れた。

 

「三手……」

 

 エヴァリーナが告げる。

 

 その声が、なぜか村中に響いた気がした。

 

「最高位魔法――」

 

 黄金の花が開く。

 

「《地を焦がす太陽》」

 

 世界が白く染まった。

 

 熱はなかった。

 

 少なくとも、アレンにはそう感じた。

 

 ただ、光があった。

 

 あまりにも眩しく、あまりにも美しく、あまりにも残酷な光。

 

 それはドラゴン型を呑み込んだ。

 

 鋼鉄の翼が溶ける。

 黒煙が消し飛ぶ。

 赤黒いデモンコアが悲鳴のような音を立てて砕ける。

 村を焼いた怪物は、抵抗する暇もなく、光の中で崩壊した。

 

 三手。

 

 たった三手だった。

 

 アレンの故郷を燃やした怪物。

 父と母を奪った怪物。

 逃げることも、戦うことも、泣くことしかできなかったアレンを殺そうとした怪物。

 

 それを、エヴァリーナは三手で討った。

 

 光が収まり、空から灰が降ってきた。

 機械仕掛けのドラゴンがいた場所には、黒く焦げた大地と、溶け落ちた金属片だけが残っていた。

 エヴァリーナは静かに短杖を下ろす。

 何事もなかったかのように。

 当然の仕事を終えたかのように。

 アレンは地面に座り込んだまま、彼女を見上げていた。

 

 口が勝手に動いた。

 

「……すげぇ」

 

 それは感動だった。

 間違いなく、感動だった。

 人間があんな怪物を倒せるなんて知らなかった。

 ウィッチがあれほど強いなんて知らなかった。

 魔法が、あれほど美しくて、恐ろしいものだなんて知らなかった。

 

 けれど、それだけではなかった。

 

 胸の奥が焼けるように痛い。

 

 憧れがあった。

 あんなふうに強くなれたら、という渇き。

 

 嫉妬があった。

 どうして自分には何もできないのかという怒り。

 

 後悔があった。

 どうして喧嘩したまま家を出たのかという悔い。

 

 無力感があった。

 叫んでも、泣いても、手を伸ばしても、何一つ守れなかった自分への憎しみ。

 

 そして――

 

 言葉にしてはいけない感情が、胸の奥から滲み出した。

 そんなに強いなら。

 そんなに簡単に倒せるなら。

 

 ――どうして、もっと早く来てくれなかったんだ。

 

 アレンは唇を噛んだ。

 

 血の味がした。

 それでも、その言葉だけは飲み込んだ。

 エヴァリーナが悪いわけではない。

 そんなことは、十二歳のアレンにも分かっていた。

 

 でも、心は納得しなかった。

 

 炎はまだ燃えている。

 家は崩れている。

 父と母は返事をしない。

 怪物を倒した光は、何も戻してはくれなかった。

 

 エヴァリーナが近づいてくる。

 

 アレンの前で膝をつき、彼の顔を覗き込んだ。

 

「名前は?」

 

「……アレン」

 

 声が掠れた。

 

「レグロス村のアレン」

 

「そうか」

 

 エヴァリーナは短く頷いた。

 その目は鋭かった。

 けれど冷たくはなかった。

 

「生きているな、アレン」

 

 その言葉で、アレンは初めて自分が震えていることに気づいた。

 

 生きている。

 

 父と母は分からない。

 

 村も分からない。

 

 でも、自分は生きている。

 

 どうして。

 

 どうして自分だけ。

 

「……俺」

 

 声が漏れた。

 

「俺、父さんと母さんに……ひでぇこと言って……」

 

 そこから先は言葉にならなかった。

 涙が溢れた。

 鼻水も、嗚咽も、全部止まらなかった。

 格好悪いと思う余裕もなかった。

 エヴァリーナは何も言わなかった。

 慰めなかった。

 大丈夫だとも言わなかった。

 

 ただ、アレンの肩に手を置いた。

 

 その手は、驚くほど重かった。

 戦う者の手。

 誰かを守るために、誰かを殺す力を振るう者の手。

 

「泣け」

 

 エヴァリーナは言った。

 

「今は、それでいい」

 

 その言葉で、アレンは崩れた。

 焼け落ちた故郷の前で。

 灰の降る空の下で。

 助けてくれたウィッチの前で。

 アレン・レグロスは、子供のように泣いた。

 いや、子供だった。

 

 何も守れない。

 

 何も選べない。

 

 失ってからでなければ、自分の言葉の重さにも気づけない。

 

 ただの子供。

 

 その夜、レグロス村は地図の上から消えた。

 生き残った者はごく少数。

 アレンは後に、母方の祖父がいるイギー村へ引き取られることになる。

 畑仕事を覚え、槍を握り、悪知恵を働かせ、祖父に叱られ、笑い、ふざける少年になっていく。

 

 けれど。

 

 焼ける家の匂い。

 返事のない玄関。

 空を裂いた機械仕掛けの悪魔の竜。

 そして、太陽の光で怪物を焼き払った赤髪のウィッチ。

 

 その光景だけは、焼印のように消えなかった。

 

 アレンの中に、二つの傷が刻まれた。

 

 後悔。

 

 渇望。

 

 いつか。

 

 いつか、あの光に手を伸ばす。

 

 憧れか。

 

 嫉妬か。

 

 怒りか。

 

 その時のアレンには、まだ分からなかった。

 ただ一つだけ、分かっていた。

 もう二度と、何もできないまま失いたくない。

 燃え尽きたレグロス村の灰が、夜風に舞う。

 

 その中で、十二歳のアレン・レグロスは、泣きながら空を見上げていた。

 

 空にはもう、怪物はいない。

 ただ、煙に霞んだ月だけが、静かに浮かんでいた。

 

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