平民男子、最強精霊に懐かれ令嬢だらけの魔法学校に入学する   作:ワタリ3@ぼちぼち浮上

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第9話 王女来訪

 

 キャベット町襲撃から、三日後。

 

 ナチュレ家の屋敷は、朝から戦場だった。

 ただし、悪魔兵器が攻めてきたわけではない。

 

 敵は、埃である。

 

「そこの燭台、磨き直しなさい! 花瓶はもっと春らしいものに替えて! 応接間の絨毯は? 替えた? 当然替えましたわよね?」

 

「お嬢様、三度替えました」

 

「なら四度目も検討なさい!」

 

「絨毯が気の毒でございます」

 

 執事のケビンが静かに言うと、シェリー・ナチュレは扇子を握ったまま振り返った。

 

「ケビン」

 

「はい」

 

「本日いらっしゃるのは、第一王女殿下ですわ」

 

「存じております」

 

「王国ウィッチ軍の頂点に立たれ、いずれはこの国の女王になる御方ですわ」

 

「存じております」

「その方を、このド田舎貴族、ナチュレ家の屋敷へお迎えするのです。分かっておりますの?」

 

「お嬢様が昨夜から一睡もできていないことも含め、よく分かっております」

 

「余計なことまで分からなくて結構ですわ!」

 

 シェリーの声が屋敷中に響いた。

 使用人たちは慌ただしく動き回っている。

 玄関ホールの床は磨き上げられ、客間には新しい花が飾られ、厨房では茶菓子の準備が進んでいた。

 ナチュレ家は領主の家である。

 それなりの格式もある。

 だが、相手が悪かった。

 

 エヴァリーナ・ウィ・ベータシィア。

 

 ベータシィア王国第一王女。

 次期女王と目され、王国ウィッチ軍を率いる存在。

 

 二つ名は――『茨の戦姫』

 

 その名を聞くだけで、地方貴族の令嬢であるシェリーの胃はきりきりと痛む。

 

「そもそも、な、なぜこのようなことに……」

 

 シェリーは頭を押さえた。

 理由は分かっている。

 キャベット町で起きたウォーカー型悪魔兵器の襲撃。

 

 その場で、アレンが魔装した。

 

 しかも彼は男だ。

 

 男性が精霊と契約し、魔装を発現した。

 そんな報告が王都へ届けば、王宮が動くのは当然だった。

 当然だったが。

 

「なぜ第一王女殿下が直々にいらっしゃるのですか……!」

 

「それだけ重大ということでございましょう」

 

「分かっております! 分かっておりますけれど!」

 

 シェリーは扇子を広げ、顔を隠した。

 

「まったくアレン……あなた、どれだけ大きな騒ぎを起こしてくださったの……」

 

 その時、屋敷の外から馬の蹄の音が聞こえた。

 最初は一つ。次に複数。

 

 さらに、聞き慣れない低い駆動音が混じった。

 

 馬車ではない。

 車輪の音はある。

 しかし、馬に引かれている音ではない。

 もっと滑らかで、重く、規則正しい。

 シェリーは窓辺へ駆け寄った。

 屋敷へ続く道を、王国の紋章を掲げた一団が進んでくる。

 馬に乗った護衛騎士たち。

 

 その中央に、一台の車があった。

 

 赤と黒に磨かれた車体。

 金属でできた流線形の外装。

 前部に魔力灯が備えられているそれは、馬が引くようなものではない。

 

 自ら進んでいる。

 

 王都でしか見られない、魔導機械式の車――魔導車だった。

 

「……あれが、王都の」

 

 シェリーは息を呑む。

 ナチュレ領にも王都で普及している魔導機械式の道具は少しずつ入ってきている。

 

 風の魔鉱石を用いて遠くの人と会話できる風信機。

 

 魔力を持たない人でもあたりを照らせる小型の魔力灯。

 

 だが、あのような自走車は別格だった。

 

 王都では、ああした魔導機械式の車が試験運用されているという。

 魔力変換機構と精密な蓄電池を備え、少ない変換魔力で馬よりも速く、長距離を安定して移動できる。

 

 王都の発展。

 

 魔導機械式技術の進歩。

 

 それを目の前に見せつけられているようだった。

 車が屋敷前に停まる。

 護衛たちが整然と配置につく。

 扉が開いた。

 長い脚が地面へ降りる。

 

 赤い軍服。

 

 黒い革のパンツ。

 

 短く切られた燃えるような赤髪。

 

 鋭い眼差し。

 

 なにより背が高い。

 ただ立っているだけで、周囲の空気を支配している。

 

 第一王女エヴァリーナ・ウィ・ベータシィアが、ナチュレ家へ到着した。

 

「お、お迎えに参りますわよ!」

 

 シェリーはそう言って歩き出した。

 だが、足が少しもつれた。

 

「お嬢様」

 

「何ですの」

 

「深呼吸を」

 

「し、してますわ」

 

「それは過呼吸に近いかと」

 

「お黙りなさい!」

 

      β

 

 同じ頃。

 アレン・レグロスは、ナチュレ家の屋敷へ向かう道を歩いていた。

 隣にはナナティナがいる。

 白い髪には、キャベット町で買った硝子玉の髪飾りがついていた。

 本人は気に入っているらしく、時々指先でそっと触れている。

 その仕草を見るたび、アレンは何とも言えない気分になった。

 

「アレン」

 

「何だ」

 

「怒られるな」

 

「……そうだな」

 

「誰が来ると思う?」

 

「シェリー様。ウィッチ軍。あと、もしかしたら王都の偉い人」

 

「偉い人」

 

「そう。めちゃくちゃ偉い人」

 

「まあ、アレンは怒られるのに慣れているから、多分大丈夫だな」

 

「慣れても嫌なもんは嫌なんだよ! 何より今回は規模が違う」

 

 アレンは胃の辺りを押さえた。

 

 キャベット町での事件から、数日。

 

 町の被害処理と負傷者の対応が進む中、アレンの魔装についての話は、当然ながら広がっていた。

 シェリーができる限り情報を抑えてくれているらしいが、あれだけ多くの人間が見たのだ。

 完全に隠せるはずがない。

 

 男が魔装した。

 

 白い髪の娘が精霊。

 

 アレンはその契約者。

 

 当然その話は王宮にも届いている。

 そして今日、アレンとナナティナはナチュレ家へ呼び出された。

 

「なあ、ナナティナ」

 

「なんだ」

 

「今からでも……逃げるって選択肢は?」

 

「逃げきれるのか?」

 

「いやいや、言ってみただけだ」

 

 ナナティナは、少しだけアレンの袖を掴んだ。

 

「大丈夫だ」

 

「何が」

 

「私はアレンの精霊だ。怒られる時も一緒にいる」

 

「それ、心強いようで地獄への同行者って感じもするな」

 

「地獄とはどこだ?」

 

「今向かっている所かな……」

 

 そんな軽口を叩きながら、二人はナチュレ家の門へ着いた。

 そこには、普段より多くの兵が立っていた。

 しかも、ナチュレ家の兵だけではない。

 王国の紋章をつけた護衛。

 軍属のウィッチらしき女性たち。

 

 そして、屋敷前に停まる見慣れない魔導機械式の車。

 

 アレンは足を止めた。

 

「……何あれ」

 

「馬車か」

 

「いやいや、馬がいねぇぞ」

 

「ん? 馬車ではないのか」

 

「何で動くんだろ?」

 

「アレンが押すか?」

 

「いや、俺を何だと思ってる?」

 

 アレンは、その魔導機械式の車――魔導車を見つめた。

 

 村や町では見たことがない。

 王都の新聞に絵だけ載っていたことがある。

 

 魔導機械式の自走車。

 

 王宮や軍の上層部で使われ始めている、新しい乗り物。

 王都は、こんなものまで実用化しているのか。

 そう思うと、自分の知っている世界が急に狭く感じられた。

 兵に案内され、アレンたちは屋敷へ入った。

 応接間の前で、シェリーが待っていた。

 

 顔が硬い。

 

 いつもの気品ある微笑みはあるが、よく見ると口元が引きつっている。

 

「アレン」

 

「シェリー様」

 

「くれぐれも、失礼のないように」

 

「相手、そんなに偉いんですか?」

 

 シェリーの扇子が、ぱきりと音を立てた。

 

「あ、あなた、誰がいらしているか聞いておりませんの?」

 

「王宮の偉い人としか」

 

「第一王女殿下ですわ!」

 

「……え」

 

 アレンは固まった。

 

「第一王女って……」

 

 頭の中に、昔見た姿が浮かぶ。

 

 燃える村。

 

 赤い魔法。

 

 戦場を切り裂くような背中。

 

 自分を、焼け跡から救い出したウィッチ。

 

「エヴァリーナ様が……?」

 

 アレンの声が少し小さくなる。

 ナナティナが彼を見る。

 

「アレン?」

 

「何でもねぇ」

 

 何でもないはずがなかった。

 

 エヴァリーナ。

 

 憧れ。

 

 恐れ。

 

 子供の頃の無力感。

 そして今、自分が魔装を手に入れたという事実。

 あの背中に、少しだけ近づいたのではないかという意地。

 いろいろな感情が胸の中で絡まり、アレンはうまく息ができなかった。

 シェリーが扉の前で姿勢を正す。

 

「失礼いたします。アレンとナナティナ様をお連れしました」

 

「入れ」

 

 中から、低く澄んだ声がした。

 扉が開く。

 

 応接間の奥。

 赤い軍服の王女が、椅子に腰掛けていた。

 

 燃えるような赤髪。

 

 鋭い眼光。

 

 圧倒的な存在感。

 

 アレンは、その姿を見た瞬間、足を止めた。

 あの時よりも近い。

 あの時よりもはっきり見える。

 だが、間違いない。

 

 自分を救ったウィッチだ。

 

 エヴァリーナの視線が、アレンを射抜いた。

 

「貴様が、イギー村のアレンか」

 

 アレンは喉を鳴らした。

 

「……はい」

 

「隣が精霊のナナティナだな」

 

「そうだ」

 

 ナナティナは物怖じせずに答えた。

 シェリーが小さく震えた。

 

「ナ、ナナティナ様、王女殿下にはもう少し――」

 

 エヴァリーナが片手を上げる。

 

「構わん」

 

 それだけで、シェリーは口を閉じた。

 

 エヴァリーナはナナティナをしばらく見つめた。

 

「本当に精霊なのだな?」

 

「たぶん」

 

「たぶん?」

 

「思い出したのは、それだけだ」

 

「……そうか」

 

 エヴァリーナの目が細くなる。

 次に、彼女はアレンを見た。

 

「立ったままでいい。すぐに済む話ではないが、まずは確認だ」

 

「……はい」

 

「キャベット町で、貴様は魔装を発現した。間違いないな」

 

 アレンは拳を握った。

 

「間違いありません」

 

「男でありながら精霊と契約している」

 

「……はい」

 

「以前、イギー村に現れたウォーカー型を破壊したのも貴様だな」

 

 部屋の空気が重くなる。

 シェリーが息を呑んだ。

 アレンは少しだけ視線を落とした。

 

「……はい」

 

「その時、村人には『見知らぬウィッチが倒した』と虚偽の説明をした」

 

「はい」

 

「そして、その報告がナチュレ家とウィッチ軍にも伝わった」

 

「……はい」

 

 エヴァリーナは立ち上がった。

 背が高い。

 アレンよりもさらに大きく見えた。

 実際の身長だけではない。

 背負っているものが違う。

 

 王族。

 

 軍の頂点。

 

 戦場を知る者。

 

 その圧が、真正面からアレンへ向けられる。

 

 ――「愚か者が」

 

 短い一言だった。だが、重かった。

 

「貴様が村や町を守ろうとしたこと自体は認める。

 悪魔兵器を前に逃げなかったことも、子供を庇ったことも、勇気ある行動だ」

 

 アレンは顔を上げた。

 だが、エヴァリーナの表情は厳しいままだった。

 

「だが、それとこれとは別だ」

 

 彼女の声が冷たくなる。

 

「貴様は隠した。悪魔兵器を倒した事実を偽った。結果、ウィッチ軍は正確な情報を得られず

 あのウォーカー型の出現にも後手を踏んだ」

 

 「……」

 

「キャベット町の事件では死者こそ出なかったが、多くの負傷者、建物などの被害を生んだ。

 あの個体が貴様を狙って再襲来した可能性がある以上、最初の時点で正確な報告があれば、警戒態勢は変えられた」

 

 アレンは言い返せなかった。

 胸の奥が重く沈んでいく。

 自分が隠したから。

 自分が嘘をついたから。

 あのウォーカー型が再び現れた時、町は十分に備えられなかった。

 

 分かっていたはずだ。

 

 残骸が消えた時点で、おかしいと。

 ナナティナも嫌な感じが残っていると言っていた。

 それでも、どこかで思っていた。

 

 自分には力がある。

 

 次も倒せばいい。

 

 その甘さが、町を危険に晒した。

 

「……すみません」

 

 アレンは絞り出すように言った。

 

 エヴァリーナは目を逸らさない。

 

「謝罪は当然必要だ。だがそれだけでは足りん」

 

 部屋が静まり返った。

 

「男性が精霊と契約し、魔装を発現した事例は、少なくとも王国の公的記録には存在しない。

 貴様の存在は、王国として看過できるものではない」

 

 アレンは唇を噛む。

 

「俺を、捕まえるんですか」

 

「必要ならそうする」

 

 即答だった。

 シェリーがわずかに身を固くする。

 ナナティナの目が冷たくなった。

 白い空気が、ふっと部屋に満ちかける。

 

「ナナティナ」

 

 アレンは小さく呼んだ。

 

 ナナティナはアレンを見る。

 

「まだ何もするな」

 

「……分かった」

 

 白い気配が静まる。

 エヴァリーナはそのやり取りを見て、少しだけ目を細めた。

 

「契約した精霊を制止できる程度の関係はあるか。だが、制御できているとは言えんな」

 

「……」

 

「キャベット町で見た白い盾。報告では、ウォーカー型の光線を弾き返したそうだな」

 

「はい。でも、あれが何なのかは分かりません」

 

「分からない力を使ったのか」

 

「使わなきゃ、子供が死んでました」

 

「だからこそ危険だと言っている」

 

 エヴァリーナの声が鋭くなる。

 

「守りたいという思いは尊い。だが、未熟な力は守りたいものごと壊す。

 貴様は町の中で前回と同じ威力の魔法を撃てなかった。そこまでは判断できた。

 だが、それ以外の選択肢を持っていなかった」

 

 アレンは拳を握った。

 

「……」

 

「力があるだけでは戦えない。戦えるだけでは守れない。

 守るには、知識と判断と訓練が要る」

 

 その言葉は、真正面から刺さった。

 キャベット町で、アレンはそれを思い知ったばかりだった。

 強くなったつもりだった。

 

 ウォーカー型を倒せた。

 

 だが、町の中では何もかも違った。

 

 大技は撃てない。

 分身は通じない。

 シェリーとウィッチ軍が来なければ、どうなっていたか分からない。

 

 エヴァリーナは静かに告げた。

 

「ゆえに、罰を与える」

 

 アレンの背筋が伸びた。

 シェリーも息を詰める。

 ナナティナはアレンの袖を掴んだ。

 エヴァリーナは、はっきりと言った。

 

「アレン。貴様には『魔法学校ロゴス』へ入学してもらう」

 

 沈黙。

 次の瞬間、アレンは叫んだ。

 

「……はい!?」

 

 シェリーが青ざめる。

 

「ア、アレン! 殿下の御前ですわ!」

 

「いや、だって、ロゴスってあのロゴスですよね!? 貴族令嬢だらけの魔法学校の!」

 

「そうだ」

 

 エヴァリーナは平然としている。

 

「何で俺が!?」

 

「当然貴様が魔法を使ったからだ」

 

「俺は農民ですよ!? イギー村のアレンです! 畑仕事して、爺ちゃんに怒られて、たまにサボるただの男です!」

 

「最後は余計だな」

 

「そ、そこ拾わないでください!」

 

 アレンは必死だった。

 

「ロゴスはウィッチの学校でしょう!? 貴族の女の人たちが魔法を学ぶ場所で

 俺みたいな平民男が行く場所じゃない!」

 

「その常識を貴様自身が壊した」

 

「壊したくて壊したわけじゃない!」

 

「だが壊れた」

 

 エヴァリーナは譲らなかった。

 

「貴様の力は危険だ。放置できない。王都へ連行して研究対象にする案もあった」

 

「け、研究対象」

 

 アレンの顔が引きつる。

 ナナティナの目がまた冷たくなった。

 

「だが、私は教育を選ぶ。ロゴスで学べ。魔法を。精霊を。戦いを。判断を。

 自分の力が何を壊し得るのかを」

 

「……」

 

「学ばなければ、貴様はいつか守りたいものを自分で壊す」

 

 その言葉に、アレンは黙った。

 反論が喉で止まる。

 キャベット町の光景が蘇る。

 町中で撃てなかった巨大な白い光。

 倒せなかった自分。

 ウィッチ軍の連携。

 自分に足りないもの。

 

 それらが一つずつ胸に積み重なっていく。

 

 エヴァリーナは続けた。

 

「これは提案ではない。王国としての決定事項だ」

 

「……拒否権は?」

 

「ない」

 

「ですよねぇ……」

 

 アレンは力なく笑った。

 だが、まだ納得はできなかった。

 

「でも、入学って……俺、貴族じゃないし」

 

 エヴァリーナは少しだけシェリーへ視線を向けた。

 

「ロゴスへの正式な登録には家名が必要になる。貴族でなくとも、識別名としての姓を与えることはできる」

 

「姓……」

 

「現在の居住地から取るならば、アレン・イギーとするのが妥当だ」

 

 アレン・イギー。

 

 その名を聞いて、アレンは少しだけ眉を寄せた。

 イギー村。

 今の自分の居場所。

 祖父のいる村。

 ナナティナと出会った村。

 大切な場所だ。

 

 だが。

 

「……待ってください」

 

 アレンは言った。

 シェリーが目を見開く。

 

「アレン?」

 

 エヴァリーナは静かに見る。

 

「イギー村が嫌なわけじゃありません」

 

 アレンは拳を握った。

 

「爺ちゃんにも、村のみんなにも世話になってます。あの村がなかったら、俺はたぶん今ここにいません」

 

 それは本音だった。

 レグロス村を失った後、アレンはイギー村で育った。

 ガレンに叱られ、村人にからかわれ、畑仕事をして、夜警をして、生きてきた。

 

 イギー村は、今の家だ。

 

 でも。

 

「でも、俺は……」

 

 アレンは顔を上げた。

 

「アレン・レグロスでいたい」

 

 部屋の空気が変わった。

 エヴァリーナの目が、わずかに細くなる。

 

「レグロス……か」

「俺の生まれ故郷です。もうありません。悪魔兵器に焼かれました」

 

 アレンの声は震えていた。

 だが、逃げなかった。

 

「俺はずっと、イギー村のアレンでした。正式な名前なんかなくて、それで困ったこともありませんでした。

 でも、ロゴスに行くなら……魔法を学ぶなら……俺は、失くした村の名前を持っていきたい」

 

 ナナティナが、隣で静かにアレンを見ていた。

 アレンは続ける。

 

「俺は、レグロス村の生き残りです。何もできなかったガキです。

 でも、あの村のことをなかったことにはしたくない」

 

 エヴァリーナの表情が、少しだけ変わった。

 鋭い目の奥に、記憶を探るような色が浮かぶ。

 

「……十二歳ほどの少年」

 

 彼女が呟いた。

 アレンは息を止める。

 

「五年前、レグロス村の焼け跡で保護した子供がいた。手に火傷を負い、瓦礫の前から動こうとしなかった」

 

「……覚えてるんですか」

 

「戦場で救えなかった者の顔は忘れられない。救えた者の顔も、な」

 

 エヴァリーナはアレンを見つめた。

 

「貴様だったか」

 

 アレンは視線を落とした。

 胸の中に、憧れと悔しさが同時に込み上げる。

 

「あの時、俺は何もできませんでした」

 

「子供だった」

 

「それでもです」

 

「……そうか」

 

 エヴァリーナは短く息を吐いた。

 

「ならば、その名を使え」

 

 アレンは顔を上げた。

 

「いいんですか」

 

「貴様が背負うと決めた名だ。軽々しく名乗るなら許さん。

 だが、覚悟があるなら止める理由はない」

 

 アレンの喉が詰まった。

 

「……ありがとうございます」

 

「礼を言うのは早い」

 

 エヴァリーナの声が再び厳しくなる。

 

「アレン・レグロス。貴様にはロゴスで徹底的に学んでもらう。甘えも、無知も、独断も許されん。

 貴様の力は、貴様一人のものではない。ナナティナの力であり、王国が監視すべき異常であり

 同時に悪魔兵器と戦う可能性でもある」

 

「……はい」

 

「逃げるなよ」

 

 アレンは苦笑した。

 

「逃げたら?」

 

「当然捕まえる」

 

「ですよね」

 

「王国を甘く見るな」

 

「見てません」

 

 アレンはまっすぐエヴァリーナを見た。

 

「……行きます。ロゴスに」

 

 ナナティナが袖を引いた。

 

「アレン」

 

「何だ」

 

「私も行く」

 

「当たり前だろ」

 

「そうか」

 

 ナナティナは少しだけ満足そうに頷いた。

 

「私はアレンの精霊だからな」

 

 その言葉を聞いて、シェリーが複雑そうな顔をした。

 

「あ、アレンがロゴスに……」

 

 シェリーの声は小さかった。

 アレンは彼女を見る。

 

「シェリー様?」

 

「い、いえ……何でもありませんわ」

 

 シェリーは扇子を広げ、いつものように微笑んだ。

 だが、その目には少しだけ寂しさがあった。

 

「ロゴスは私の母校でもあります。あそこは甘い場所ではありません。

 ですが、あなたには必要なのでしょうね」

 

「……シェリー様も、そう思いますか」

 

「ええ」

 

 シェリーは静かに言った。

 

「キャベット町で、わたくしは見ました。あなたは人を守ろうとしました。でも、あなた一人では危うかった」

 

 アレンは黙る。

 

「学んでください。力の使い方を。守り方を。そして、無茶をした時に叱ってくれる人のありがたみを」

 

「それ、今でも爺ちゃんとナナティナで間に合ってません?」

 

「足りませんわ」

 

「そんなに?」

 

「ええ、とても」

 

 ナナティナも頷いた。

 

「アレンはすぐ調子に乗る」

 

「お前まで頷くな」

 

 重かった空気が、少しだけ緩んだ。

 エヴァリーナもわずかに口元を動かす。

 笑ったのかもしれない。

 ほんの少しだけ。

 

「手続きはこちらで進める。ナチュレ家にも協力を求める」

 

「は、はい!」

 

 突然話を振られたシェリーが背筋を伸ばした。

 

「アレン・レグロスの身元保証、ならびに入学前の準備について、ナチュレ家で対応いたします!」

 

「頼む」

 

「お任せください!」

 

 シェリーの声は上ずっていた。

 ケビンが背後で静かに頭を下げている。

 エヴァリーナはアレンへ向き直った。

 

「出発まで時間は多くない。村へ戻り、家族に話せ」

 

「……はい」

 

「別れを済ませておけ。ロゴスへ入れば、今までのように村で暮らすことはできん」

 

 その言葉に、アレンの胸が少し痛んだ。

 イギー村。

 

 祖父の家。

 

 畑。

 

 子供たち。

 

 村人のからかう声。

 

 ナナティナと歩いた道。

 

 それらから離れる。

 ようやく実感が湧いてきた。

 

 ロゴスへ行く。

 

 貴族令嬢だらけの魔法学校へ。

 男で、平民で、精霊と契約した異常な存在として。

 

 アレンは深く息を吸った。

 

「分かりました」

 

 エヴァリーナは頷く。

 

「アレン・レグロス」

 

「はい」

 

「貴様が背負う名に恥じぬよう、生きろ」

 

 その言葉は、命令のようで、激励のようでもあった。

 アレンは胸の奥にあるものを押さえ込むように、強く頷いた。

 

「はい!」

 

      β

 

 ナチュレ家の屋敷を出る頃には、空は薄く晴れていた。

 魔導機械式の車は、まだ屋敷の前に停まっている。

 護衛たちは整然と待機し、馬の鼻息が白く揺れていた。

 

 王都から来た一団。

 

 王国の中心。

 

 アレンがこれから向かう世界の片鱗。

 それを横目に見ながら、アレンは屋敷の階段を下りた。

 

 ナナティナが隣に並ぶ。

 

「アレン」

 

「何だ」

 

「ロゴスとは、面白い場所か?」

 

「知らねぇよ。俺も行ったことないしな」

 

「食べ物はあるか?」

 

「学校だから当然あるだろよ」

 

「珍しいものは?」

 

「たぶん山ほど」

 

「なら、行こう」

 

「お前、基準が食べ物と珍しいものばっかだな」

 

「アレンもいる」

 

 ナナティナは当然のように言った。

 

「なら、私はどこでもいい」

 

 アレンは一瞬、言葉に詰まった。

 そして、照れ隠しのように頭をかいた。

 

「……そうかよ」

 

 少し歩いたところで、アレンは振り返った。

 ナチュレ家の屋敷。

 その向こうに広がるナチュレ領。

 さらに先にあるイギー村。

 自分が育った場所。

 そして、もっと遠くにある、もう戻れない故郷。

 

 レグロス村。

 

 アレン・レグロス。

 

 その名を、これから正式に名乗る。

 失くした村の名を背負って。

 守れなかった過去を抱えて。

 今度こそ守るために。

 

「行くか」

 

 アレンは歩き出した。

 ナナティナが腕に抱きつく。

 いつものように。

 けれど、その先に待つ日々は、もういつもの日常ではない。

 イギー村の農民だった少年は、ロゴスへ向かう。

 貴族令嬢だらけの魔法学校へ。

 王国の常識を覆す、最初の男性契約者として。

 

 そして、アレン・レグロスとして。

 

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