平民男子、最強精霊に懐かれ令嬢だらけの魔法学校に入学する 作:ワタリ3@ぼちぼち浮上
王都『花都ブロッサ』に着いてから、一日が経ち、二日が経ち、三日が経った。
アレン・レグロスは忙しかった。
宿の別室へ呼ばれ、ロゴス入学の手続きをする。
書類を書く。
王国の担当者から説明を受ける。
指定教科書を渡される。
制服や魔道具の採寸をされる。
さらに、入学前の学力診断テストまで受けさせられた。
「分からん」
アレンは問題用紙を前に呟いた。
「これは文字か? 暗号か?」
担当教師らしき女性が静かに言う。
「基礎数学です」
「教会でもここまで難しいのは習わなかったぜ」
「王都では基礎的な範囲です」
そんな日々である。
ロゴスへ入るということは、魔法を学ぶだけではないらしい。
王国史。
基礎数学。
魔法概論。
精霊契約に関する常識。
貴族社会の最低限の礼法。
アレンの頭は、すでに悲鳴を上げていた。
畑仕事の方が、まだ分かりやすい。
土は正直だ。
鍬を振れば耕せる。
水をやれば作物が育つ。
サボればガレンに怒られる。
だが、問題用紙は違う。
いくら睨んでも答えが生えてこない。
一方、ナナティナは暇だった。
とても暇だった。
アレンが呼び出されている間、彼女は部屋で待つしかない。
保冷箱を開ける。
閉める。
通信機を見つめる。
寝台で弾む。
窓から王都を見る。
飽きる。
また保冷箱を開ける。
そしてまた飽きる。
アレンが戻ってくる頃には、ナナティナの機嫌は目に見えて悪くなっていた。
「……アレン」
三日目の昼。
戻ってきたアレンの前に、ナナティナは立ちはだかった。
「外へ行くぞ」
「駄目だって言われただろ」
「行くぞ」
「聞いてる?」
「私はもう限界だ」
「何の?」
「暇の」
アレンは頭を抱えた。
「怒られるぞ」
「アレンは怒られるのに慣れているだろ?」
「いや、それ便利な免罪符じゃねぇからな」
「大丈夫だ。少しだけだ」
「少しだけで済んだことあるか?」
「ある」
「いつ?」
「今から作ろう」
「ないってことじゃねぇか!」
だが、ナナティナは本気だった。
腕を掴む。
引っ張る。
アレンは抵抗した。
少しだけ。
本当に少しだけ。
しかし、窓の向こうに見える王都の街並みを見ているうちに、彼の中にも好奇心が湧き上がってきた。
王都。
花都ブロッサ。
この国の中心。
窓から見るだけでも、十分に圧倒された。
だが、実際に歩けば、きっともっとすごいものがある。
庭園。
塔。
店。
魔導機械式の道具。
見たこともない食べ物。
ナナティナだけではない。
アレンも見たかった。
「……ちょ、ちょっとだけだぞ」
「そうかそうか」
「本当にちょっとだけだ。すぐ戻る」
「ああ、分かった」
「お前、絶対分かってない顔してるな」
「分かっている。王都は珍しいものが多い」
「そこしか分かってねぇ!」
結局、二人は宿を抜け出した。
最初はびくびくしていたアレンだったが、王都の大通りへ出た瞬間、そんな気持ちは半分ほど吹き飛んだ。
花壇。
噴水。
庭園。
背の高い建物。
店。
魔導街灯。
行き交う人々。
香辛料の匂い。
焼き菓子の甘い匂い。
磨かれた硝子窓に並ぶ服。
巨大な塔の先端で揺れる旗。
「……す、すげぇ」
アレンは思わず呟いた。
ナナティナは目を輝かせていた。
「あれは何だ?」
「服屋か」
「あれは?」
「多分菓子屋」
「あれは?」
「庭園だな」
「あれは?」
「塔……だよな?」
二人は王都を歩いた。
服屋の窓を覗き、庭園の花を眺め、高い塔を見上げる。
花都という名の通り、王都には至るところに花があった。
窓辺。
街路。
広場。
橋の欄干。
店の看板の周り。
貴族の馬車の飾り。
花属性を重んじる王国らしい景色だった。
ナナティナは知らないものを見るたび、アレンの袖を引いた。
アレンも最初は叱られることを気にしていたが、やがて考えるのをやめた。
どうせ怒られる。
なら、今だけは楽しもう。
「アレン」
「何だ?」
「王都は面白いな」
「まあな」
「だが、人が多すぎる」
「それは俺も思う」
「あと、食べ物の匂いが多い」
「本当ぶれないな」
しばらく歩き回った後、アレンは空を見上げた。
日が傾き始めていた。
王都の建物の影が、少しずつ長くなっている。
「そろそろ戻るか。これ以上遅くなると、本当にまずい……まじでまずい」
「まだ見ていない場所がある」
「そうだな……王都は広すぎる。明日怒られなかったら考えよう」
「怒られる前提なのか」
「むしろ怒られない可能性あると思う?」
「ないな」
「だろ」
二人は宿へ戻ろうとした。
その時だった。
足元の影が、ふっと揺れた。
「……?」
アレンは立ち止まった。
王都の喧騒が遠のく。
人の声。
車輪の音。
街路のざわめき。
遠くの鐘。
店先の呼び声。
それらが、まるで水の底へ沈むように消えていく。
「ナナティナ」
「アレン」
ナナティナも異変に気づいていた。
彼女の手が、アレンの腕を掴む。
次の瞬間。
視界が白く反転した。
???
風が吹いた。
王都の匂いではない。
花の香りでも、石畳の熱でも、人混みの空気でもない。
草の匂い。
澄んだ空。
どこまでも続く地平線。
アレンは呆然と周囲を見回した。
「……どこだ、ここ」
そこは草原だった。
見慣れない風景。
王都の建物はない。
大通りもない。
宿もない。
ただ、青い空と、遠くまで続く草の海だけが広がっている。
風が草を揺らす音だけが聞こえる。
さっきまで耳を満たしていた王都の喧騒は、影も形もなかった。
あまりに突然だった。
アレンは一瞬、自分がまだ王都のどこかにいるのではないかと考えた。だが、周囲をどれだけ見回しても建物は見えない。城壁も、塔も、四精大結界もない。
ここは王都ではない。
少なくとも、アレンが知るどんな場所でもなかった。
「ナナティナ、離れるな」
「離れていない」
ナナティナはアレンの隣にいた。
白い髪が風に揺れている。
彼女の表情は、いつになく硬かった。
普段のような余裕も、からかう気配もない。
ただ、何かを警戒している。
「これは……」
その時、前方に人影が現れた。
いや、最初からそこにいたのかもしれない。
草原の中に、男が立っていた。
黒い髪を後ろへ撫でつけ、白いシャツに黒いズボンという、この世界では見慣れない装い。
すらりと高い身長。
落ち着いた立ち姿。
どこか怪しげで、艶のある雰囲気。
人間のようで、人間ではない。
そんな印象を抱かせる男だった。
アレンの体が、自然と強張る。
戦場で悪魔兵器を見た時とは違う。
魔物を前にした時とも違う。
この男は、静かだった。
敵意をむき出しにしているわけではない。
武器を構えているわけでもない。
怒っているようにも見えない。
それなのに、危険だと分かる。
ナナティナの体が、わずかに震えた。
男はゆっくりと微笑む。
その目は、アレンではなく、ナナティナだけを見ていた。
「ようやく見つけた」
男の声が、草原に静かに響いた。
「ナナティナ」
その呼び方は、あまりにも自然だった。
まるで、ずっと昔から彼女を知っているかのように。
アレンは反射的にナナティナの前へ出た。
「誰だ、お前」
男はそこで初めて、アレンを見た。
興味深そうに。
まるで、あり得ないものを見つけたかのように。
「ほう」
男は笑った。
「君が、アレンか」
その声に、アレンの背筋が冷えた。
なぜ自分の名を知っている。
問い詰めようとした瞬間、隣でナナティナが小さく呟いた。
「……レゾン、デートル」
その名を聞いた途端、草原の空気が変わった気がした。
男――レゾンデートルは、優雅に片手を広げた。
「久しぶりだな。ナナティナ」
草原の風が止まった。
アレンは拳を握る。
王都の喧騒は、もうどこにも聞こえなかった。