平民男子、最強精霊に懐かれ令嬢だらけの魔法学校に入学する 作:ワタリ3@ぼちぼち浮上
プロローグ 混沌姫と桜
花都ブロッサの北区に存在するパルテール王宮。
その客室には、甘く華やかな香りが漂っていた。
花の香り。
果実の香り。
それから、ほんのわずかに風のような清涼感。
王宮付きの香水師が整えたものではない。
その香りは、部屋の中央に腰掛ける一人の女性から漂っていた。
レオノーラ・ノイル。
香水会社『ノイル』の創設者にして社長。
そして、かつてロゴスにおいて平民出身でありながら数々の貴族令嬢を決闘で蹴散らし、『混沌姫』の二つ名で恐れられた女である。
長い黒髪を優雅に流し、椅子に深く腰掛け、まるで自分の屋敷の応接間にいるかのようにくつろいでいる。
その向かいには、赤い軍服をまとった第一王女エヴァリーナ・ウィ・ベータシィアが座っていた。
「久しぶりね、エヴァ」
レオノーラは軽い調子で言った。
その瞬間、控えていた王宮従者の眉がぴくりと動いた。
「レオノーラ様。第一王女殿下に対して、そのような――」
「よい」
エヴァリーナが短く制した。
従者は口を閉じる。
レオノーラはくすくすと笑った。
「相変わらず堅いわねぇ、王宮の方々は」
「王宮とはそういう場所だ」
「あなたまで堅くなったの?」
「立場が人をそうさせる」
「昔はもっと怖かったわよ。堅いんじゃなくて、すごく尖っていた」
レオノーラは懐かしそうに目を細めた。
「決闘場でわたしを睨んでいた頃のあなたは、まるで抜き身の剣だったわ」
「貴様が挑発ばかりしていたからだ」
「あら。挑発に乗る方も乗る方でしょう?」
「まったく……その口は昔から変わらんな」
「あなたは……眉間の皺が少し増えたくらいかしら?」
従者が再び何か言いたそうにした。
だが、エヴァリーナの表情がわずかに柔らかくなっているのを見て、何も言えなくなった。
第一王女エヴァリーナ。
王国ウィッチ軍の頂点に立つ『茨の戦姫』
普段の彼女は、王宮内でも、軍でも隙を見せない。
だが、レオノーラの前では少し違った。
緊張がほどける、というほどではない。
それでも、遠い学生時代を思い出すような色が、わずかにその目に宿っていた。
「それで?」
レオノーラは脚を組み替えた。
「わたしを王宮まで呼びつけた理由は何かしら。新作香水の注文? それとも、久しぶりに決闘でもする?」
「今の貴様と決闘すれば、王宮の庭が半壊する」
「それは困るわね。請求書をどこに回せばいいか分からないもの」
「貴様の会社だ」
「あら、横暴」
エヴァリーナは小さく息を吐いた。
そして、机の上に置いていた一枚の書類をレオノーラへ差し出した。
「レオノーラ。新年度から、ロゴスの学長を務めてくれ」
沈黙。
レオノーラは、書類を受け取る手を止めた。
それから、ゆっくりとエヴァリーナを見る。
「……今、何と言ったの?」
「ロゴスの学長を務めろと言った」
次の瞬間、レオノーラは吹き出した。
「ふふっ……あはははは!」
王宮の客室に、場違いなほど明るい笑い声が響く。
従者が目を見開いた。
エヴァリーナは動じない。
レオノーラは目元を指で拭いながら言った。
「冗談でしょう? わたしがロゴスの学長? 規則破りの常習犯だった、このわたしが?」
「そうだ」
「授業を抜け出して決闘場に入り浸り、教師の注意を聞かず
貴族令嬢を十人まとめて泣かせた、このわたしが?」
「そうだ」
「校則を破った回数なら、あなたより多い自信があるわよ」
「そこは誇るな」
「その私に、名門魔法学校の学長を任せるなんて。ロゴスもいよいよ終わりね」
「終わらせぬために呼んだ」
その言葉で、レオノーラの笑みが少しだけ消えた。
エヴァリーナの目は真剣だった。
王女としての目。
軍を率いる者の目。
ただ旧友に無茶な依頼をしているのではない。
何かがある。
レオノーラはそれを感じ取った。
「……理由を聞いても?」
「今年のロゴスには、特殊な生徒が入る」
「特殊な生徒?」
「男性だ」
レオノーラの眉がわずかに動いた。
「男性教師ではなく?」
「生徒だ」
「ロゴスに?」
「ああ」
「魔法が使えるの?」
「使える」
「通常魔法?」
「確認されたのは恐らく精霊魔法だ」
レオノーラの笑みが完全に消えた。
客室の空気が変わる。
「……精霊と契約した男性?」
「そうだ。魔装も発現している」
「そんな事例、聞いたことがないわ」
「王国の公的記録にもない」
エヴァリーナは淡々と言った。
「名はアレン・レグロス。平民出身。故郷を悪魔兵器に焼かれ、現在はイギー村で暮らしていた。
契約精霊は人型精霊ナナティナ。白髪の娘の姿を取り、記憶喪失を主張している」
「……人型の精霊なんて、初めて聞くわね」
レオノーラは書類へ視線を落とした。
そこには、キャベット町での事件報告、ウォーカー型悪魔兵器との戦闘、白い盾、白い光線、そして男性契約者という異常事態が記されている。
彼女はしばらく無言で読み進めた。
やがて、静かに呟く。
「これは……学長というより、監視役ね」
「否定はしない」
「でも、それだけではないのでしょう?」
「ああ」
エヴァリーナは頷いた。
「監視だけなら王宮か軍で囲えばいい。だが、それでは彼は潰れる。あの力は危険だが、
同時に可能性でもある。正しく学ばせねばならん」
「つまり、ロゴスで教育しろと」
「そうだ」
「そして、貴族令嬢たちが彼を潰さないようにしろと」
「それもある」
「逆に、彼が周囲を壊さないようにも?」
「無論だ」
レオノーラは書類を閉じた。
「あら面倒な子」
「面倒だから貴様を呼んだ」
「それ褒め言葉?」
「貴様ほど、ロゴスの貴族社会を内側から壊し、なお立っていた人間を私は知らん」
レオノーラは少しだけ目を細めた。
「平民であることを嘲られ、決闘で黙らせ、最後には貴族令嬢たちから拍手まで奪った女だ。
アレン・レグロスを預けるには、これ以上の人材はいない」
「ずいぶん買ってくれているのね」
「親友であり、ライバルだった女だからな」
その言葉に、レオノーラは一瞬だけ黙った。
そして、ふっと笑う。
「ずるいわね、エヴァ。そんな顔で頼まれたら、断りにくいじゃない」
「断る気か?」
「会社があるもの。人気香水ブランド『ノイル』の社長は暇ではないのよ」
「代わりは?」
「優秀な弟子がいるわ。そろそろ実務を任せてもいい頃だと思っていたところ」
「なら問題ないな」
「勝手に決めないでくれる?」
レオノーラは苦笑した。
けれど、その声にはもう拒絶の響きはなかった。
「いいわ。引き受ける」
従者が驚いたように顔を上げた。
エヴァリーナも、ほんのわずかに表情を緩める。
「助かる」
「ただし、条件があるの」
「言え」
「学長としての裁量は広めにもらう。退屈な飾り物をやるつもりはないもの」
「構わん。必要ならロゴスの規則も変えろ」
「あらいいの? 規則破りの常習犯にそんなことを言って」
「だからこそだ」
レオノーラは楽しそうに笑った。
「面白くなりそうね」
「面白がるな。重大事だ」
「重大事だから面白いのよ。それに、濃い『混沌』の香りがするわ」
彼女は立ち上がり、書類を片手に軽く振った。
「そのアレン・レグロスとナナティナ。新年度が楽しみだわ」
「レオノーラ」
「何?」
「彼らを頼む」
エヴァリーナの声は、王女としての命令ではなかった。
旧友への願いだった。
レオノーラは少しだけ真面目な顔になり、頷いた。
「ええ。任されたわ、エヴァ」
β
レオノーラが去った後、エヴァリーナは自室へ戻った。
赤い軍服の上着を脱ぎ、椅子に腰掛ける。
机の上には、アレンとナナティナに関する報告書が積まれていた。
イギー村でのウォーカー型撃破。
キャベット町での再襲来。
白い光線。
白い盾。
男性による魔装発現。
そして最近起きた精霊の使者と名乗る『レゾンデートル』の出現。
エヴァリーナは指先で報告書の文字をなぞる。
「ナナティナ」
エヴァリーナは別の資料を開く。
人型精霊。
属性不明。
ただし、アレンの発動した魔法は既存四属性のいずれにも完全には一致しない。
花属性ではない。
鳥属性でもない。
風属性でもない。
月属性でもない。
白い光。圧倒的な浄化性。
さらに、白い金属の盾。
報告にある描写を読む限り、それは単なる魔力障壁ではない。
物質化している。
しかもウォーカー型の光線を弾き返すほどの強度。
「……まさか……オリハルコン」
エヴァリーナは小さく呟いた。
王国でも年にわずかしか見つからない、純白の金属。
魔力伝導率が極めて高く、事実上壊れない。
加工は困難。
王族や軍上層部ですら、そう容易には扱えない。
もし、アレンが一時的にでもオリハルコンを生成しているのだとすれば。
それは王国の魔法体系を根底から揺るがす。
だが、本人は何も知らない。
ナナティナも記憶が曖昧だという。
エヴァリーナは深く息を吐いた。
「危険すぎるな」
力も。
存在も。
それを取り巻く状況も。
だが同時に、目を逸らすことはできない。
悪魔兵器は進化している。
デモンコアの謎も深まっている。
アレンの力は、悪魔兵器に対抗する新たな可能性かもしれない。
あるいは、さらなる災厄の種かもしれない。
だからこそ、ロゴスへ送る。
学ばせる。
監視し、鍛え、見極める。
「……レオノーラなら、うまく扱うだろう」
エヴァリーナは報告書を閉じた。
その時、扉が控えめに叩かれた。
「姉様。入ってもよろしいでしょうか」
その声を聞いた瞬間、エヴァリーナの表情が少しだけ柔らかくなった。
「入れ」
扉が開く。
入ってきたのは、桃色の髪を美しく整えた少女だった。
セレッサ・ウィ・ベータシィア。
ベータシィア王国第三王女。
柔らかな微笑みをたたえた彼女は、優雅に一礼した。
「ごきげんよう、姉様」
「セレッサか」
エヴァリーナは立ち上がった。
「寮へ入る準備は済んだのか」
「ええ。明日にはロゴスへ向かいます。その前に、姉様へご挨拶をと思いまして」
「律儀だな」
「姉妹ですもの」
セレッサは微笑んだ。
その笑みは、王都で多くの者が知る“微笑みの王女”のものだった。
柔らかく、穏やかで、隙がない。
だが、エヴァリーナの前では少しだけ年相応の妹らしさが混じる。
「座れ」
「ありがとうございます」
セレッサは椅子に腰掛けた。
視線が、机の上の報告書へ向く。
「例の男性契約者の方ですか?」
「耳が早いな」
「王宮は噂が広がるのも早いですから」
「アレン・レグロス。お前と同じ新入生になる予定だ」
「まあ」
セレッサは目を細めた。
「では、わたくしの同級生になるのですね」
「関わるな、と言いたいところだが、恐らく無理だろう」
「なぜです?」
「彼は目立つ」
「男性だから?」
「それもある。だが、それだけではない」
エヴァリーナは少しだけ考え、言葉を選んだ。
「粗野で、無鉄砲で、すぐ調子に乗る。だが、人を見捨てられない」
「姉様にしては、ずいぶん詳しく見ていらっしゃいますのね」
「問題児だからな」
「それだけでしょうか?」
セレッサの微笑みが、ほんの少し深くなる。
エヴァリーナは眉をひそめた。
「何が言いたい」
「いいえ。姉様がそこまで気にかける方なら、少し興味が湧いたというだけです」
「余計な興味は持つな。彼の周囲には危険が多い」
「ええ、分かっております」
セレッサは素直に頷いた。
「ですが、ロゴスは学び舎です。危険だからといって、何も知らぬふりはできませんわ」
「お前は昔からそうだな」
「姉様ほどではありません」
「私ほど?」
「ええ。危険と分かっていても、誰より先に剣を抜く方でしょう?」
エヴァリーナは答えなかった。
代わりに、窓の外へ視線を向ける。
王都の空には、四精大結界の淡い輝きが広がっている。
その光を見ていると、どうしても思い出す名があった。
「……アナシアも、そう言っていた」
セレッサの表情が少しだけ変わった。
微笑みが薄くなる。
「姉様は、いつも先に行ってしまう、と?」
「ああ」
エヴァリーナは静かに言った。
「私が前へ出るたび、あの子は怒っていた。『姉様は自分が壊れることを少しも考えていない』とな」
「まあ、アナシア姉様らしいですわ」
セレッサは懐かしそうに目を伏せた。
「心配性で、少し不器用で。でも、とても優しかった」
「お前には特に甘かったな」
「そうでしょうか」
「そうだ。お前が泣くと、アナシアはすぐに菓子を持ってきた」
「姉様も、魔法の稽古を抜け出して見に来てくださいましたわ」
「私は抜け出していない。休憩だ」
「そういうことにしておきます」
セレッサがくすりと笑う。
エヴァリーナも、わずかに目元を緩めた。
アナシア。
その名は、王宮で容易に口にできるものではなくなって久しい。
だが、姉妹の間では違う。
彼女はただの失われた王女ではない。
姉であり、妹であり、共に過ごした家族だった。
「覚えているか」
エヴァリーナが言った。
「庭園で、三人で隠れた時のことを」
「もちろんですわ。姉様が家庭教師から逃げ出して、アナシア姉様がそれを止めようとして
なぜかわたくしまで巻き込まれました」
「逃げたのではない。戦術的撤退だ」
「家庭教師相手にですか?」
「当時の私には必要な判断だった」
「アナシア姉様は、泣きそうな顔で『また怒られる』と仰っていました」
「実際に怒られたな」
「ええ。三人並んで」
セレッサは楽しそうに笑った。
エヴァリーナも、ほんの少し笑う。
だが、その笑みはすぐに消えた。
「……あの頃は、何も知らなかった」
静かな声だった。
「王国の罪も。結界の代償も。悪魔兵器の根深さも。自分たちが何を背負うのかも」
「姉様」
「いや、すまない。湿っぽくなったな」
「いいえ」
セレッサは首を振った。
「アナシア姉様のことを話せて、嬉しいです」
「そうか」
「ロゴスへ行けば、わたくしも王宮の外を見ます。姉様たちが見てきたものを、少しでも知りたい」
エヴァリーナはセレッサを見た。
「ロゴスは華やかなだけの場所ではない」
「承知しております」
「貴族のしがらみもある。決闘もある。悪魔兵器に関わる任務も、いずれ目にすることになる」
「はい」
「そして、アレン・レグロスのような異常も入ってくる」
「異常、ですか」
セレッサは少し考えるように言った。
「けれど姉様。その方は、町の子供を守ったのでしょう?」
「ああ」
「なら、ただの危険物ではありませんわ」
「甘いな」
「そうでしょうか」
セレッサは柔らかく微笑む。
「人を守ろうとして失敗した方なら、学ぶ余地があります。最初から守る気のない方より、ずっと」
エヴァリーナは沈黙した。
その言葉は、アレンだけに向けられたものではないように聞こえた。
かつて守ろうとして壊れてしまった誰か。
失われた姉。
アナシア。
その影が、二人の間を静かに通り過ぎる。
「……お前は優しいな、セレッサ」
「姉様ほど強くないだけです」
「強さにもいろいろある」
「なら、わたくしはわたくしの強さを探しますわ。ロゴスで」
セレッサは立ち上がり、丁寧に一礼した。
「姉様。行ってまいります」
エヴァリーナも立ち上がった。
「ああ。学んでこい。だが、無茶はするな」
「それは姉様が一番言われるべき言葉ですわ」
「……言うようになったな」
「妹ですから」
セレッサは微笑んだ。
そして部屋を出ていく。
扉が閉まる直前、彼女は振り返った。
「姉様」
「何だ」
「今度、またアナシア姉様のお話をしましょう」
「……ああ」
「約束ですわ」
扉が閉まった。
部屋に静けさが戻る。
エヴァリーナはしばらく扉を見つめていた。
やがて、机の上の報告書へ視線を落とす。
アレン・レグロス。
ナナティナ。
ロゴス。
そして、アナシア。
新年度の幕が上がろうとしている。
そこに集まるものが、ただの偶然であるはずがない。
「……嵐が来るな」
エヴァリーナは小さく呟いた。
王都の空で、四精大結界が淡く揺れていた。