平民男子、最強精霊に懐かれ令嬢だらけの魔法学校に入学する 作:ワタリ3@ぼちぼち浮上
冬を越え、若葉月の十五日。
長く居座っていた冬の名残が、ようやく村の端からほどけ始めていた。
イギー村の道端には、まだ薄汚れた雪が残っている。
だが、畑の土は少しずつ顔を出し、昼の日差しには柔らかい温度が混じっていた。
雪解け水が小さな溝を流れ、軒先からぽたり、ぽたりと雫が落ちる。
そんな穏やかな朝だというのに、ナナティナは不機嫌だった。
「……」
白い髪を揺らしながら、彼女は黙ってアレンの隣を歩いている。
いつもなら勝手に腕に抱きつく、今日は触れてこない。
それどころか、少しだけ距離がある。
アレンは、横目でナナティナを見た。
「な、なあ」
「……」
「ナナティナさん?」
「……」
「おーい、最強精霊ナナティナ様?」
「……私は怒っていない」
「まだ何も聞いてねぇんだわ」
ナナティナはぷいと顔を背けた。
分かりやすい。
来たばかりの頃は、何を考えているのか分からない娘だった。
だが最近は違う。
特に不満がある時は非常に分かりやすい。
怒っている時は、こうして「怒っていない」と言う。
アレンは頭をかいた。
「まだ昨日のこと怒ってんのか?」
「怒っていない」
「いやー、それは怒ってるやつだな」
「ガレンに言われていた仕事をすっぽかした」
「すっぽかしてない。後でやろうと思ってたら夜になっただけだぜ」
「それをすっぽかしたと言うのではないか?」
昨日、アレンは畑の道具の手入れを任されていた。
春に向けて使う鍬や鋤を確認し、古くなった柄を直し、倉庫の整理をする。
やるつもりだった。
本当にやるつもりだった。
ただ、途中で村の子供たちに魔物避けの罠を見せてくれと頼まれ、次に見回りの若者たちに声をかけられ、
さらに少しだけ魔法の練習をしていたら、気づけば日が暮れていた。
結果、ガレンに怒鳴られた。
ナナティナも横でじっと見ていた。
「アレンの罪は精霊である私の罪でもある。アレンのサボり癖を調教できなかった私の罪だ」
「おい調教ってお前……どこで覚えた」
「むしろ、前より巧妙にサボろうとしている。ああ……力を与えた結果、アレンは退化してしまった」
「た、退化って……そ、そこまで言わなくても。本当にうっかり忘れてたんだって!」
アレンは両手を合わせ頭を垂れる。
ナナティナの機嫌はまだ悪い。
だが、原因が本当に昨日のサボりだけなのかは分からなかった。
ウォーカー型を倒して以降、ナナティナは時々こういう顔をする。
アレンが魔装の力を使おうとすると、少しだけ寂しそうな目をする。
何か言いたそうにして、結局飲み込む。
それが、アレンには気になっていた。
気になっていたが、深く聞くのは怖かった。
だから、今日は彼女を町へ連れ出すことにした。
「今日は機嫌直せって。今日はキャベット町に行くからさ」
ナナティナの目が少しだけ動いた。
「キャベット町……。聞いたことがある。ナチュレ領で一番大きな町だと」
「そうだ。村よりずっと建物が多くて、人も多い。店もある。食べ物もある。珍しいものもあるぞ」
「珍しいものか」
「お前が好きそうなやつ、いっぱいあるぞ」
「わ、私は別に、珍しいものに釣られるほど単純ではない」
そう言いながら、ナナティナは少しだけ近づいてきた。
アレンは笑いそうになるのをこらえた。
「そうかそうか。じゃあ行くのやめるか」
「い、行かないとは言っていない」
「怒ってるんだろ?」
「怒っていない」
「じゃあ行くか」
「仕方がない。アレンがどうしてもと言うなら、ついていってやろう」
「へいへい。ありがたき幸せですことよ」
ナナティナは、そっとアレンの腕に抱きつく。
いつもの距離。
アレンは少しだけほっとした。
β
キャベット町は、イギー村から馬車でしばらく行った場所にある。
簡素な外壁と四つの門を持つ、ナチュレ領最大の町。
周辺の村から農産物や家畜、日用品を売り買いする人々が集まってくる。
雪解けの時期ということもあり、町には活気が戻り始めていた。
石造りと木造の建物が並ぶ通り。
軒先に吊るされた看板。
荷車を引く商人。
野菜を売る露店。
布や金物を並べる店。
暖かい湯気を上げる屋台。
村とは比べものにならない人の多さに、ナナティナは目を細めた。
「人が多い」
「町だからな」
「建物も多い」
「町だから」
「匂いも多い」
「それも町だからな」
ナナティナはきょろきょろと周囲を見回した。
表情は薄い。
だが、目だけは明らかに忙しい。
興味津々だった。
「あれは何だ?」
「パン屋」
「あれは?」
「布屋」
「あれは?」
「鍛冶屋」
「あれは食べ物か?」
「看板だ。食うな」
「わかってる。あれは?」
「猫」
「食べれるか?」
「おいやめろ!」
通りを歩く人々が、くすくすと笑う。
白髪の美しい娘が、真顔で猫を食べ物扱いしているのだ。
目立たないはずがなかった。
アレンは慌てて声をひそめた。
「お前な、町ではあんまり変なこと言うなよ」
「ん?」
「変な目で見られる」
「アレンはいつも変な目で見られているだろ。今更だ」
「そ、それは俺のせいじゃない。お前が目立つからだろ」
「なら離れた方がいいのか?」
「……いや、迷子になると困るからそのまま近くでいい」
「ふふ、そうか、寂しがり屋め」
「言葉を返すぜコノヤロー!」
ナナティナは満足そうに頷いた。
アレンは自分で言っておいて、少しだけ顔が熱くなった。
町の中央通りへ入ると、さらに賑わいが増した。
雪解けを祝う小さな市が立っているらしく、普段より屋台が多い。
焼いた芋、肉串、甘い豆菓子、温かい香草茶。
ナナティナの視線が、次々と食べ物へ吸い寄せられる。
「……アレン」
「駄目だ。全部は買えない」
「まだ何も言っていない」
「顔が言ってる」
「見るな」
結局、アレンは肉串を二本買った。
一本をナナティナへ渡す。
ナナティナは両手で受け取り、じっと見つめた。
「ほうこれは、棒ごと食べるのか?」
「肉だけだ。棒は食うな」
「学習した。以前の私なら食べていたかもしれない」
ナナティナは肉を一口食べた。
そして、目を細める。
「美味い」
「だろ?」
「村の肉と違うな」
「味付けが濃いんだよ。町の屋台はそういうもんだ」
「ほう、町は良いな」
「気に入ったか?」
「食べ物が多い」
「そこかよ」
「人も多い。音も多い。知らないものも多い」
ナナティナは通りを見渡した。
「面白いな」
その言葉に、アレンは笑った。
「なら連れてきた甲斐があったな」
「アレン」
「ん?」
「私は、ほんの少し機嫌がよくなったぞ」
「へいへい、それはよかった」
「だから、昨日のサボりは少しだけ許す」
「全部許してくれない?」
「『少しだけ機嫌がよくなった』と言っただろ?駄目だな」
「厳しいことで」
ナナティナは肉串を食べながら、アレンの袖を軽く引いた。
「アレン。あれも見たい」
「どれだ?」
「あの、きらきらしているもの」
「ああ、飾り細工の店か」
アレンはナナティナを連れて露店へ向かった。
小さな硝子玉や金属細工、髪留め、安物の指輪が並んでいる。
貴族が身につけるような高級品ではないが、町娘や子供には人気がありそうな品々だった。
ナナティナは白い硝子玉の髪飾りをじっと見つめた。
「欲しいのか?」
「これは、何のためのものだ?」
「髪につける飾りだな」
「つけるとどうなる? 力がつくのか?」
「いや、つかないな」
「魔力が増える?」
「これは増えない。ウィッチが買うやつだったら何かあるかもしれないが」
「では、なぜつける?」
「可愛いからじゃねぇの?」
「『可愛い』……か」
ナナティナは考え込んだ。
「ふむ」
「似合うと思うぞ、それ」
アレンが何気なく言うと、ナナティナは彼を見た。
「わ、私にか?」
「他に誰がいるんだよ」
「アレンがつけるのかと」
「いやいや、男で白い髪飾りはだいぶ攻めてるな」
「似合わないのか?」
「絶対に似合わないな」
ナナティナは再び髪飾りを見た。
そして、小さく言った。
「アレンが似合うと言うなら、少し気になる」
ナナティナが珍しく頬を染める。
その姿が妙に可愛くて、アレンは目を逸らした。
「……それじゃ買うか?」
「いいのか!」
「成人祝いのお返しってことで」
「成人祝いは、私がアレンを祝うものではなかったのか?」
「細かいことはいいんだよ」
アレンは店主に硬貨を渡し、白い硝子玉の髪飾りを買った。
ナナティナはそれを受け取ると、どう扱えばいいのか分からない様子で見つめている。
「貸してみろ。つけてやる」
ナナティナは髪飾りを渡した。
アレンは少し緊張しながら、彼女の白い髪に触れる。
絹糸のようにさらさらしていた。
そっと髪をまとめ、硝子玉の飾りをつける。
白い髪に白い飾り。
溶け込むようでいて、陽の光を受けると小さくきらめく。
「おお」
アレンは少し感心した。
「似合うじゃん」
ナナティナは、露店の金属皿に映った自分を見た。
そして、ほんのわずかに口元を緩めた。
「そうか」
「ああ。可愛いんじゃねぇの」
「……そ、そうか。なら良かった」
ナナティナは髪飾りにそっと触れた。
大事そうに。
アレンはそれを見て、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
その時だった。
町の鐘が鳴った。
一度。
重く。
通りの空気が止まる。
続けて、二度、三度。
ただの時を知らせる鐘ではない。
警鐘だった。
「……」
アレンの顔から、笑みが消えた。
町の人々も一斉に顔を上げる。
誰かが叫んだ。
「西門だ!」
「悪魔兵器だ! ウォーカー型が出たぞ!」
ナナティナの手が、アレンの袖を掴んだ。
強く。
「……なんで」
アレンは西の空を見た。
町の外れ。
低い建物の向こうで、赤黒い光が瞬いた。
次の瞬間、轟音が響いた。