──さて、三田村家の縁談である。
おたかが話を持ってきてから数日が過ぎた。源一郎は火盗改の務めの傍ら、それとなく三田村家について調べてみた。菖蒲の「くさい」が気にかかっていたのだ。
表向きには何の問題もない家であった。勘定所の下役として真面目に勤め、禄高も御家人として中程。近所での評判も悪くない。娘は齢二十二、遅めの縁談ではあるが、病がちだった母の看病をしていたためだという。
──何も、おかしなところは見当たらない。
或いは今回は菖蒲の勘違いか。源一郎はそう思い始めていた。
見合いの日取りが決まった。盆明けの頃、三田村家の菩提寺近くの小料理屋にて──という段取りをおたかが整えた。源一郎も腹を括り、当日に備えて身なりを整えようかという気にもなっていた。
そんな折のこと。
夜半、書院にて書き物をしていた源一郎の傍に、菖蒲が現れた。いつものように影から滲み出すように。だが、その手に何かを持っている。
「源一郎」
「何だ」
「これ」
菖蒲が差し出したのは、一枚の紙片であった。どうやら手習い紙──メモ紙のようだが、裏に文字が書かれている。源一郎は行灯に翳して読んだ。
女の筆跡だった。崩し字で宛名と短い文が記されている。内容は──逢引の約束。場所は品川の旅籠。宛名は三田村の娘、文を出した先は──名は伏せてあるが、男であることは明らかだった。
「……あー。どこで手に入れた」
「風が運んできた」
菖蒲はさも当然のように言った。風が運んできた。座敷童ともなれば風が文を運んでくるものなのか、と問い詰めたいところだが……妖怪の理屈を人間の常識で測ろうとしても仕方がない。
「三田村の娘には相手の男がいる、ということか」
「さぁ?」
菖蒲は首を傾げた。
「くさい」
源一郎は紙片を見つめた。これが本物であれば──三田村家の娘は、既に別の男と通じていたことになる。病がちの母の看病で縁談が遅れたのではなく、密かに男と逢瀬を重ねていたがゆえに縁談を避けていた可能性がある。
だが、これだけでは証拠として少々弱い。どこから来たものか分からぬ紙片一枚で相手方を糾弾するわけにもいかない。
「菖蒲」
「何」
「……今回は手を出すなよ。俺が自分で確かめる」
「別に。私は何もしてない」
「嘘をつけ」
源一郎がじとりと見ると、菖蒲はぷいと顔を背け、霞のように消えていった。
§
翌日、源一郎はお鈴を呼んだ。
「三田村家のことを少し調べて貰えるか」
お鈴は膳の片付けの手を止め、源一郎を見た。その狐に似た切れ長の目が一瞬だけ揺れたが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻る。
「三田村様と申しますと──源一郎様の御縁談の」
「ああ。念のためにな。家の内情を──表には出ていない話があれば」
お鈴は静かに頷いた。
「承知いたしました。口入れ屋の知り合いから女中達の話す噂を集めてみます。少しお時間をいただければ」
お鈴の声は平静そのものであった。だが、源一郎は気づいていた。お鈴が膳を持つ手にほんの僅か力が入っていたことを。茶碗の縁を握る指先が、一瞬だけ白くなっていたことを。
お鈴にとって、源一郎の縁談とは複雑な話題であった。
表向きはおたかの養女であり、渡辺家の奉公人。密偵としての務めを果たす傍ら、源一郎の身の回りの世話をしている。だが、二人の間柄はそれだけではない。幼い頃から共に育ち、互いの秘密を知り、夜を共にする──そういう関係だ。
お鈴は妻ではない。現状、正妻になれる身分でもない。源一郎がいつか然るべき家の娘を妻に迎えるのは、武家の倣いとして当然のことであり──お鈴自身もそれを承知の上で、この家にいる。
しかし、承知してはいても、平気でいられるかどうかは、また別の話であった。
それでもお鈴は何一つ不安を口にしなかった。ただ「承知いたしました」とだけ答え、いつも通り丁寧にお辞儀をして書院を出てゆく。その背中を見送りながら源一郎は、妙な罪悪感に苛まれたのだった。