人間態:鬼方カヨコ。その正体はーーー   作:ていん?が〜

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1986年side:絢爛・バブル&クロス中編

 数日後、雨上がりの薄暗い夕暮れ時。

 

 津上は自らの愛車である高級セダンの後部座席に深く腰掛けていた。

 

 フロントガラスの向こう、運転席のハンドルを握っているのは彼が新たに雇い入れた通算『6人目』となる新しい美人秘書であった。

 今回の女はこれまでに食してきた単に顔と身体が良いだけの頭の悪い馬鹿女たちとは、そのステータスの格が明確に違っていた。

 

 彼女は一流の経歴を持ち、高度な財務知識と恐ろしいほどに優秀な実務処理能力を兼ね備えた、まさに才色兼備のトップエリートだった。

 

 「(やはり、私の見立てに狂いはない。美貌もさることながら、頭脳と実務能力が高いという最高のステータス……。魂の格が上質であればあるほど、その体内に宿るライフエナジーは芳醇で濃厚なのだ。これが私の絶対の自論だ。美しいだけの玩具とは味わいの深みが大違いだ……)」

 

 津上は後部座席から、バックミラーに映る秘書の知的な横顔を、じっと舐めるように見つめていた。

 

 秘書の側もまた、津上のことを単に顔が良いだけの成金社長ではなく、このバブルの激動を見事に泳ぎ切る本物のやり手の実力者として心の底から深く信頼していた。

 

 「君、そこを右に曲がってくれ」

 

 津上が後部座席から、静かで低い声をかける。

 

 「右…ですか? 社長、確か次の目的地は直進した方が近いはずですが……」

 

 「いいんだ。少し、確認しておきたい土地があってね。私の指示に従ってくれ」

 

 「わかりました。そのようにいたします」

 

 優秀な秘書は一切の不審を抱くことなく、津上の言葉を信じて綺麗にハンドルを右へと切った。

 疑うことを知らない従順な家畜の姿に津上の唇が歪な笑みを刻む。

 

 

 ふと、その瞬間に、数日前に聞いたワカモの『人間たちは牙を研いでいる」という奇妙な警告が脳裏をよぎったが、津上はすぐにそれを「ただの世迷言だ』と頭の中で冷酷に切り捨てた。

 

 

 

 

 

 

 車は徐々に、大通りの華やかな街灯から外れ、街灯もまばらな人通りが完全に途絶えた薄暗い工事現場の跡地へと進入していった。

 周囲には錆びついた鉄板のフェンスが立ち並び、人気は全くない。

 

 キィ、と静かにブレーキが踏まれ、車が暗闇の中で停車する。

 

 秘書はさすがに周囲の異常な雰囲気に不審を抱き、バックミラー越しに不安そうな視線を向けた。

 

 「社長……道が違うようですが……。ここは一体……?」

 

 「いいんだ、ここで少し……一杯やっていこうじゃないか」

 

 津上は低く、どこまでも甘い声で囁きながらも、ゆっくりとシートから腰を浮かせ、後部座席から運転席のすぐ後ろへとその身体を近づけた。

 

 「君のような……美しい秘書が見つかって……」

 

 津上は、怯える秘書の華奢な肩へと、後ろからその冷たい両手をそっと回した。

 

 「私も……嬉しい」

 

 津上は顔を彼女の首筋へと近づけ、冷酷に呟いた。

 

 「乾杯」

 

 その瞬間、津上の美しい端正な頬から首下にかけて、極彩色のステンドグラスの幾何学模様が、ずるずると這い回るようにして一気に浮かび上がった。

 

 「ひっ……!? し、社長……? そのお顔、一体……いやあぁ!!! やめてぇ!!! 離してくださいっ!!!」

 

 秘書はバックミラーに映った津上の異形の予兆を見て、尋常ではない恐怖に絶叫した。すぐさまドアノブに手をかけ、車外へ逃げ出しようと必死に抵抗する。

 しかし、津上はその細い腕を人間の力では絶対に抗えない圧倒的な怪力で、ガチリと容赦なく掴み、拘束した。

 

 「さあ、君のその濃厚な命、私が美味しく頂戴するよ……!」

 

 津上がまさに彼女の首筋に牙を立てようとした、そのまさに刹那であった。

 

 カアァァァァァァァン!!!!!

 

 突如として、車の真後ろの闇の奥から、夜の暗闇を真っ白に塗り潰すほどの、凄まじい大光量の閃光が強烈に放たれた。

 

 「ぬぅっ……!? 何事だ!」

 

 後部ガラスを突き抜けて車内を激しく照らすその眩しさに、津上は思わず秘書の腕を掴んだまま、片手で自らの顔を覆って顔を顰めた。

 

 バリバリバリバリバリバリ!!!!!

 

 鼓膜を激しく震わせる、暴力的なまでの重低音を響かせる大型バイクのエンジン音。

 

 光の残像を払い、津上が驚愕の目で後ろを振り向いた。

 

 そこにはエンジンをふかし、燦々と輝くヘッドライトとともにバイクに跨った女がいた。

 

 

 ババババババババババババアアアアアアアアアァァァァ!!!!!!!!

 

 

 全身を漆黒のライダースーツで包んだその女はあろうことか、津上が乗るセダンに向けて凄まじい速度で突っ込んできた。

 

 女はバイクの速度を落とすどころか、むしろ猛烈にアクセルを吹かすと、セダンのトランクから後部ルーフへと、ガシャァァン! と激しい金属音を立ててそのまま豪快に乗り上げたのだ。

 

 「なっ……何だと!?」

 

 車体がミシミシと激しく軋み、天井の鉄板がバイクの重量で大きく凹む。

 バイクの女は車の上にバイクごと乗った状態でそのまま一気に通過すると、フロント側へとダイナミックに跳ねて降り立った。

 そして着地するや否や、まるで行き過ぎたターンを決めるようにバイクを急旋回させ、再び車の方へとその身を振り返らせた。

 

 女は再び猛烈な咆哮とともにアクセルを開放し、あろうことか、今度は車のフロントガラスに向かって一直線に突っ込んできた。

 

 

 ガシャァァァァァァーーン!!!!!

 

 

 激しい衝撃とともに頑丈なフロントガラスが粉々に砕け散り、車内に無数の鋭いガラスの破片が激しく降り注ぐ。

 バイクの前輪が車内に激しくめり込み、女はそのまま割れた窓越しに何度も、何度も執拗に、質量兵器としてのバイクの車体を津上の目の前へと激しく体当たりさせ、猛烈な威嚇を繰り返した。

 

 「……チッ、このアマ……!」

 

 津上は飛んでくるガラス片を腕で防ぎながら、あまりにも想定外すぎる過激な奇襲に対し、激しい怒りで目の焦点を合わせた。

 そして、激しい体当たりのせいで大きく揺れる車内の中、足元に設置されていた車載電話の受話器を素早く掴み取ると、低く、冷徹な声を叩きつけた。

 

 「津上だ。ーーーー」

 

 その静かなトーンの裏には、自らの至福の時間を邪魔されたことへのマグマのような怒りが燃え盛っていた。

 

 電話を終えたのとほぼ同時に、バイクの女は一旦距離を取るようにしてバックで大きく後方へと遠のいていった。

 

 「ふん……逃がすかよ」

 

 津上は後部座席のドアを乱暴に蹴り開け、ガラスの破片が散らばる地面へとゆっくりと降り立った。

 その目は、すでに人間のそれではなく、獲物を確実に屠るための冷酷な獣の光を宿している。

 

 少し離れた瓦礫の山の前で、バイクに乗ったままこちらの様子を伺っている黒いライダースーツの女。

 ヘルメットのシールドが深く降りているため、その表情や詳しい顔立ちはここからではよく見えない。

 

 津上は自らのスーツの汚れを軽く手で払うと、極めて不敵な、あるいは圧倒的な強者の余裕を湛えた笑みをその唇に浮かべ、女に向かって「カモン」と挑発するように、その白い手先をクイ、クイ、と大きく手招きしてみせた。

 

 「せっかくの最高のお食事がお預けになったと思えば……まさか、向こうからさらに美味そうな『デザート』が、わざわざ自ら私の口の中へと飛び込んできてくれるとはね。歓迎するよ、無知な子猫ちゃん」

 

 

 ブロロォォォォン!!!

 

 

 その挑発に答えるように、バイクのエンジンが再び狂ったような爆音を上げた。

 女はフロントを大きく浮かせんばかりの凄まじい急加速で、津上の肉体を木っ端微塵に轢き殺すべく、一直線に突っ込んでくる。

 

 だが、津上は避ける素振りすら見せなかった。彼はただ、真っ直ぐに迫り来るバイクの前輪を見据え、タイミングを完全に合わせた瞬間、自らの左手を前方へと迷いなく突き出した。

 

 

 ドゴォォォォォン!!!!!

 

 

 人間の常識であれば、肉体が肉片となって四散するはずの激突。しかし、津上の左手は、猛烈な回転を続けるバイクの前輪を、正面から文字通り『がっちり』と完全に受け止め、その凄まじい突進のエネルギーを、力ずくでその場に完全停止させてみせたのだ。

 アスファルトの地面が、彼の足元からクモの巣状に激しくひび割れる。

 

 「な……っ!? 片手で、バイクを……!?」

 

 ヘルメットの奥から、動揺を孕んだ若い女の鋭い声が漏れ聞こえた。

 

 「フンッ!!」

 

 津上は掴んでいたバイクの前輪を、まるで軽いプラスチックの玩具でも扱うかのように上方へと向かって豪快に投げ飛ばした。

 

 「キャァッ!?」

 

 空中へと高く放り出された巨大なバイクの車体。女はバイクのコントロールを完全に失い、そのまま空中から放り出されるような形で、数メートル先の地面のコンクリートへと激しく転がり落ちた。

 ズササササァッと激しい音を立てて地面を滑り、瓦礫にぶつかってようやくその身体が止まる。

 

 その凄まじい転倒の衝撃のせいで、彼女が頭に被っていた頑丈なヘルメットが、ゴロゴロと音を立てて頭部から外れ、地面を転がっていった。

 

 「……っ、クソッ……! この…化け物め……!」

 

 豊かな黒髪を激しく振り乱しながら、痛む身体を支えて地面からゆっくりと顔を上げた女。

 

 津上はヘルメットが脱げた彼女のその顔を真っ正面から視界に捉えた瞬間、脳内に電撃が走ったかのような強い衝撃を受け、心の中で「ほぅ……」と、深く感嘆の吐息を漏らしていた。

 

 「(……素晴らしい。なかなかに、美しい女じゃないか)」

 

 ゆりの顔立ちには、単に男に媚びを売るためだけに磨かれたそこらの秘書たちとは明確に違う、自らの信念のために命を懸けて戦う者だけが持つ、凛とした圧倒的な気高さが満ち溢れていた。

 

 「素晴らしいよ、本当に。社長である私を妬んで、闇討ちを仕掛けてくる輩は何人もいたが……こんな女は初めてだ」

 

 津上は自らの唇をニヤリと歪な形に歪め、狂おしいほどの歓喜と狩猟本能を爆発させた。

 

 「その気高い魂、残さず私の血肉として、美味しく喰らい尽くしてあげるよ!!」

 

 津上の全身から、眩いばかりのステンドグラス状の光の粒子が爆発的に噴き出した。

 光が収まったその場所に現れたのは、馬の強靭な頭部を模した硬質なシルエットを持ち、全身が青と黒の美しいガラス組織で構成された異形の怪物の真の姿――『ホースファンガイア』であった。

 

 「ッ……!!」

 

 変身の瞬間に津上の意識が一瞬だけ逸れた隙を見計らい、壊れた車内に取り残されていた秘書は必死の思いでドアを開け、死に物狂いで車から脱走した。

 津上はそれに気づいていたが、目の前の極上の獲物への興奮から、あえて泳がせることにした。

 

 その女……『麻生ゆり』は、襲い来る恐怖を噛み殺すようにして立ち上がった。

 彼女は携帯していた特殊な一連の武器パーツを素早く組み合わせ、それを鋭い『剣状』の形態へと切り替えた。

 

 対ファンガイア用武器――通称『ファンガイアスレイヤー』である。

 

 「神の過ちを、このアタシが正す……! 死ねっ!!」

 

 ゆりは鋭い咆哮とともに、ファンガイアスレイヤーを頭上高くに振りかぶり、ホースファンガイアに向かって何度も、何度も猛烈な勢いで切りつけた。

 

 「フン、小癪な!」

 

 ホースファンガイアはその巨体に似合わぬ俊敏な動きで、ゆりの放つ猛烈な剣撃をひょい、ひょいと余裕で避けていく。

 人間の放つ攻撃など、当たらなければどうということはない。

 

 しかし、ゆりの執念が勝ったのか、彼女が放った最後の一撃――空気を引き裂くような苛烈な斜めの一閃だけが、ホースファンガイアの堅牢な側頭部に鋭く掠めた。

 

 

 パリィィィン!!!

 

 

 激しい破砕音とともに、確かに手応えがあった。その一撃は、通常の拳銃の弾丸を至近距離から受けても傷一つすらつかないはずの津上の強靭なファンガイアの皮膚を明確に切り裂いていたのだ。

 

 切り裂かれた傷口から淡い光の粒子がパラパラと虚空へと零れ落ちる。

 

 「な、何だと……っ!? この『俺』が、人間ごときの攻撃で傷を負ったというのか……!!」

 

 津上は自らの身体につけられた傷を見つめ、これまでに感じたことのないほどの激しい侮蔑と底知れぬ怒りを感じてその全身を震わせた。

 高貴なる一族である自分が、ただの餌に傷つけられるなど絶対にあってはならない屈辱だ。

 

 しかし、津上は怒りに任せて暴れるような無能ではなかった。彼は即座に頭を冷やすと異形の姿から一転して、静かに『人間態』へと戻った。

 

 

 その直後のことだった。暗闇の奥から激しい足音が響き渡り、『津上の部下2人』が息を切らせて現場へと駆けつけてきた。

 先程の車内でかけた電話は、この部下たちを呼び出すためのものだったのだ。

 

 「社長! 大丈夫ですか!?」

 

 「遅いぞ、無能どもめ」

 

 津上はブランド物のスーツの乱れを冷酷に整えながら、ファンガイアスレイヤーを構えるゆりを冷たい指先で指し示した。

 

 「そいつが『暴漢』だ。生け捕りにしろ」

 

 津上はゆりの捕縛をその部下2人に完全に任せると、自らは先ほど車から逃げ出したあの秘書の芳醇なライフエナジーを確実に回収するため、彼女が逃げた方向へと静かに歩き出し、その背中を追い始めた。

 

 「くっ…!!」

 

 ゆりは迫り来る2人の男たちから背を向け、工事現場の複雑な資材置き場の角を曲がって、必死の思いでその場から逃げ出した。

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