人間態:鬼方カヨコ。その正体はーーー   作:ていん?が〜

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調律・踊る道化の群れにチップを

 ゲヘナ学園の自治区から外れた場所に位置する、古びた雑居ビルの一室。

 

 そこが現在、零細企業「便利屋68」が居を構えるオフィスだった。室内の壁には、社長である陸八魔アルが直筆で書いたという「一日一惡」の掛け軸がこれみよがしに飾られている。

 

 カヨコは室内の安物のパイプ椅子に腰掛け、窓の外を眺めていた。

 

 手元には、ぬるくなった缶コーヒー。耳にはいつものように携帯音楽プレーヤーのイヤホンが差し込まれているが、今は音楽を流していなかった。

 ただ、周囲の雑音を遮断し、自身の思考に沈み込むための道具として身につけているに過ぎない。

 

「(……人間は、本当にすぐに死ぬ)」

 

 カヨコは、ぬるい液体を口に含みながら、心の中でそう呟いた。

 

 人間の姿に擬態し、ゲヘナ学園の3年生として日々を過ごしているが、彼女がこれまでに刻んできた時間は、この学園の歴史よりも遥かに長い。

 青年期を過ぎてからの成長、ひいては老化が極端に遅くなるファンガイアという種族にとって、数十年、数百年の月日は、人間の刻む数ヶ月と大差ないものだった。

 

 過去を思い返せば、いくつもの光景が脳裏を過る。

 

 かつてカヨコが過ごした時代、ファンガイアは13の魔族の頂点として、絶対的な力で他の種族を淘汰していた。

 人間など、ただライフエナジーを供給するためだけの家畜であり、喉が渇いた時にいつでも啜れる、歩く器に過ぎなかった。

 カヨコ自身も、その一族の血と高貴な誇りを強く胸に刻み、人間を捕食することに何の疑問も抱かずに生きてきた。

 

「昔は、もっと改まった場所に行くことも多かったのに」

 

 ぽつり、と口から漏れた言葉は、自身のイヤホンに遮られて部屋には響かない。

 

 中世のヨーロッパを思わせる豪奢な夜会。歴史に名を残す演奏家たちが奏でる本物の旋律。

 そんな、美意識と洗練に満ちた世界に身を置いていたカヨコにとって、現代のキヴォトス、とりわけ混沌と暴力が支配するゲヘナ学園の環境は、あまりにも品性が欠けていた。

 

 では、なぜそんな悠久の時を生きる高貴なファンガイアが、こんな狭くて埃っぽいオフィスで、女子生徒の真似事をしているのか。

 

 理由は単純だった。ただの『暇つぶし』だ。

 

 あまりにも長い時間を生きていると、世界のすべてが退屈に思えてくる。

 人間たちの営みなど、どれも過去に見たものの焼き直しに過ぎない。そんな退屈の泥沼に沈みかけていたある日、カヨコは奇妙な少女と出会った。

 

 それが、陸八魔アルだった。

 

「……ふふん、今日も完璧なアウトローとしての計画が完成したわ!」

 

 突然、オフィスのデスクから、大きな声が響いた。

 

 カヨコが視線を向けると、そこにはワイングラスに注いだ高級ぶどうジュースを片手に、不敵な笑みを浮かべるアルの姿があった。

 黒いコートを羽織り、いかにも「悪のカリスマ」といった風情を醸し出そうとしているが、その手元にある計画書とやらは、どう見てもツッコミどころ満載の代物だった。

 

「見てなさい、ムツキ、ハルカ、カヨコ! 今回の依頼を完璧にこなせば、便利屋68の名はキヴォトス中に轟き、裏社会の誰もが我が社を恐れることになるのよ!」

 

「くふふ〜、さすがアルちゃん! 格好いい〜!」

 

 その隣で、楽しそうに両手を叩いているのは室長の浅黄ムツキだった。

 

 アルの幼馴染であるムツキは、アルが「ワル」に憧れて空回りしているポンコツであることを、誰よりも理解している。

 理解した上で、その見栄やハッタリを煽り、これから起きるであろう大騒動を特等席で観劇しようという悪趣味な小悪魔だった。

 

「は、はいっ……! アル様がそう仰るなら、私は命に代えても……! 邪魔をする有象無象は、私がこの爆弾ですべて消し去ってみせます……!」

 

 さらに、もう1人の社員である伊草ハルカが、机の陰からオドオドしながらも、その瞳に尋常ではない狂気を宿して立ち上がった。

 

 ハルカは卑屈でネガティブな性格だが、かつていじめられていた自分を救ってくれたアルを「アル様」と呼び、狂信的なまでに慕っている。

 アルの何気ない一言を勝手に拡大解釈しては、周囲を物理的に吹き飛ばしてしまう、便利屋最大の鉄砲玉だった。

 

 カヨコは、そんな彼女たちのやり取りを冷ややかな目で見つめながら、小さく溜息をついた。

 

「(本当に……飽きない)」

 

 人間は愚かだ。それは何百年生きても変わらないカヨコの結論だった。

 

 だが、その人間の中でも、陸八魔アルという少女の愚かさは、カヨコのこれまでの経験に照らし合わせても、突出して異質だった。

 

 本人は本気で冷酷非道な悪党を目指しているくせに、根が真面目で誠実すぎるせいが災いして、どうしても悪人になりきれない。

 悪事を働こうとしては罪悪感に悩み、弱者を見捨てられずに手を差し伸べ、最後には自分が損をする立場になっても義理人情を貫いてしまう。

 

 ファンガイアの基準から見れば、それは捕食対象が見せる、この上なく不合理で滑稽なダンスのようなものだった。

 しかし、その絶対にブレない『仲間を想う信念』と、窮地に陥った時にだけ発揮される、本物のハードボイルドなカリスマ性。

 

 普段のポンコツぶりと、いざという時の格好良さの落差。その両極端な二面性が、カヨコにとっては新鮮で、どうしようもなく面白かったのだ。

 

「それで、アル。その『完璧な計画』の中身は?」

 

 カヨコはイヤホンを外し、静かな声で尋ねた。

 

「え、ええっと……そうよ! 今回の依頼は、隣の自治区の商人が持っている『幻の裏メニューのレシピ』を合法的に、じゃなくて、アウトローな手段で強奪することよ!」

 

「……強奪。具体的には?」

 

「そ、それは……まずは正面から堂々と乗り込んで、私のこの圧倒的な威圧感で相手を恐怖に陥れて、ひれ伏したところに……」

 

 アルの言葉が、徐々に怪しくなっていく。具体的な潜入ルートも、相手の警備体制も、何も考えていないことが丸わかりだった。

 このまま行けば、また風紀委員会のイオリあたりに見つかって、手痛い返り討ちに遭うか、ハルカが建物ごと爆破して報酬がゼロになる未来が目に見えている。

 

 カヨコは椅子の背もたれから身体を起こし、アルのデスクへと近づいた。

 

「アル。少し、書類を見せて」

 

「あ、ええ。どうぞ……?」

 

 カヨコは計画書に目を通し、瞬時に脳内で周囲の地理情報、敵の戦力、そして最も効率的な破壊工作のシミュレーションを組み立てていった。

 

 ファンガイアとしての高い知性と、これまで積み重ねてきた経験。そして便利屋の『ブレーン』としての役割。

 カヨコは、アルに恥をかかせないよう、あくまで『影のアドバイザー』として言葉を紡ぐ。

 

「相手の拠点の裏口には、夜間、警備の手が薄くなる時間帯がある。正面から行くよりも、裏から侵入した方が『プロのアウトロー』っぽく見えるんじゃない?」

 

「えっ……? あ、ある…歩くルートを裏に変えるってことね!? 確かに、闇に紛れて忍び寄る方が、ハードボイルドだわ!」

 

 アルがすぐに食いついた。カヨコは表情を変えずに、さらに言葉を続ける。

 

「それから、ハルカ。建物を全部壊すと、目的のレシピまで燃えちゃうから。爆弾を仕掛けるなら、西側の配電盤だけにして。そうすれば、一瞬で全館が停電して、混乱に乗じて動ける」

 

「は、はいっ! カヨコ課長の仰る通りにします!! 西側の配電盤ですね、完璧に、粉々に破壊して見せます!」

 

 ハルカが目を輝かせながらメモを取る。

 

「ムツキは、停電と同時に正面のゲート付近で煙幕を張って。風紀委員会や他の連中が気づいても、そっちに意識が向くから、アルの狙撃ポイントが安全に確保できる」

 

「くふふ、了解〜♪ カヨコちゃんの作戦はいつも合理的で楽しいね〜」

 

 ムツキがいたずらっぽく笑いながら、カヨコの肩を軽く叩いた。

 

 便利屋68において、カヨコの実力と頭脳は、メンバーから絶対的な信頼を寄せられていた。ムツキはカヨコの冷徹な判断力を面白がり、ハルカはその確実な指示を先輩として、そして圧倒的な強者として深く尊敬している。

 

 普段は強面で物静かなカヨコだが、彼女が提示する戦術眼と、いざという時の破壊工作の技術はゲヘナの無法者たちの中でも頭一つ抜けていることを全員が肌で理解していた。

 

「……さすがはカヨコね。私の考えていた『第2案』と完全に一致するわ」

 

 アルが胸を張り、フッ、と不敵な笑みを浮かべ直した。完全にカヨコの知恵を自分の手柄のように言っているが、カヨコはそれに対して怒ることもない。

 むしろ、そうやって必死に見栄を張っているアルの姿を見るのが、たまらなく可笑しかった。

 

「(あなたのそういうところが、見ていて飽きないのよ、アル)」

 

 カヨコは心の中でそう呟きながら、再びパイプ椅子に戻った。

 

 人間は、ファンガイアにとってはただの食料だ。その本質は変わらない。

 

 だが、この狭いオフィスで、自分を「カヨコ課長」と呼び、頼りにしてくるこの愚かで愛らしい人間たちの生み出す不協和音は、カヨコにとって、どんな高尚なクラシック音楽よりも、心地よく響くのだった。

 

 窓の外では、キヴォトスの夜が更けていく。

 

 カヨコは再びイヤホンを耳に戻し、今度は静かに、お気に入りのハードなヘヴィメタルの曲を再生した。

 激しい重低音が脳内を揺らす中、彼女は便利屋の仲間たちの騒がしい声を、心地よいBGMとして聞き流していた。




次回から他のファンガイアが出ます。
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